014話「監視報告」
「なぜビール作りなの……? エリーゼがついていながらどうして?」
ここはネアンデル王国の西側に位置するフォルマー公国の首都、シュレルバイン。
その首都と同じ名を持つシュレルバイン城は、湖となだらかな山に囲まれた白る亜の壁を持つ優美なフォルムを持ち、歴々のフォルマー家当主が住まう住居でもある。
百年前まで当主はファルマー王を名乗っていたが、現在はネアンデル王国に属し五大領主のひとつとなっていた。
その城の五階に設けられた書斎には、ヒルダの父であるフランツ・フォルマー公爵と妻ルイトガルテが向かい合ったふたつのソファにそれぞれ座っている。
フランツは特に苦労もなく公爵を継いだせいか野心も少なく、政治についても家臣に任せきりにし、自分の趣味である釣りに没頭する凡庸な君主であった。
ヒルダの母でもあるルイトガルテは、姉のトラヴァルト修道院院長リヒャルディス・ヴェッセルほどの器量の持ち主ではなかったが、姉と同じく美しい蒼い瞳を持ち、若き頃のフランツを夢中にさせた。
そのルイトガルテが、ヒルダの侍女を務めるエリーゼから早馬で届けられた手紙を手にしながら険しい顔でわなわなと震えている。
「殿下……! きっとお姉様がヒルダになにか良からぬことを吹き込んだに違いありません!」
「妙な決めつけはいけないよ、ルイーダ。その報告からでは詳しい状況はまだ分からないじゃないか」
夫に対して口答えすることなく、一歩下がるタイプの妻がこうして気色ばむ姿を見たことのないフランツは大いに慌て、宥めようとした。
「ですが、最初の約束と違います。ヒルダはあくまで例の事件の追求から逃がすためにお姉様の修道院に匿うだけという話だったはずです!」
実際その通りで、ヒルダがロズモンド学園から追放された際、トラヴァルトへ一時預かりにすることを発案したのは彼女だったのだから。
「たしかにそうだが……君の姉君にはなにか考えがあるのかもしれんぞ」
「なにかとはなんです? 娘をどうするかを決める権利なんて、お姉様にあるはずはありません。そんな勝手な行動で私たちがどれだけ迷惑を蒙ったか」
この”迷惑”とは28年前に悪役令嬢リヒャルディスが婚約破棄をきっかけに王国の貴族間で巻き起こった内紛のことを指す。
そこで窮地に陥ったヴェッセル家を救うため、当時のフォルマー家当主は、リヒャルディスをトラヴァルト修道院に送り、妹のルイトガルテを息子のフランツに娶らせている。
国境を隔てて隣り合うシュレルヴァイン帝国の侵攻を防ぐには、ヴェッセル辺境伯の離脱を防ぐことこそ重要課題だったからだ。
(迷惑、だなんて思ったことは一度もないのだが)
その言葉を聞き、フランツは少々寂しい気分になった。
――たしかに切っ掛けは君の姉上の所為だが、私が結婚を受け入れたのはなにより君を愛しているからだというのに。
「しかしほら、ルイーゼはヒルダがビール作りに情熱を燃やしていると言っている。まずはヒルダ自身の意思を確かめる必要があるのではないかな」
「それですよ。そもそもおかしいのは」
「おかしいとは?」
「ヒルダは食に興味を抱くどころか、忌避していたじゃありませんか。それがいきなりビール作りだなんて」
「言われてみればたしかに……」
ヒルダの天職【腐り姫】が持つ、触れた物を腐敗させるという能力[腐敗] のせいで、神勅の儀を行った10歳から13歳の間は魔力の制御も効かず、パンを手に取って食べることも出来なかった。
手に取った瞬間腐り落ちてしまうからで、侍女のエリーゼの助けが必要だったくらいだ。
彼女は能力の発動を抑え込む封じの腕輪を身に着けるようになってから、ようやくひとりでも食事を摂れるようになったのだった。
「14歳になるまで部屋に閉じ籠って、私たちとの食事すら拒否していたヒルダが急にビール作りに目覚めたというのは不自然だな」
「しかもエリーゼの報告によれば、誰に教わるでもなく、初めてのビール作りでプロの醸造家も顔負けの腕前を見せたとあります」
「なんと……。おや、エリーゼからの報告にそのようなことまで書いてあったか?」
「ええ。細かいことはさておき、勉強嫌いだったあの子がまるで人が変わったように修練や勉学に取り組んでいるそうです」
「ははっ、それはそれは結構なことではないか。ヒルダにとって修道院はきっといい経験になるに違いないだろう」
「貴方、なにを呑気なことを仰ってるのですか!」
「!?」
ルイーズの見たこともない剣幕に息を飲むフランツ。
「よろしいですか? ヒルダが女神の洗礼を受けてしまえば還俗することも、後に他家に輿入れすることも難しくなります。あの子の将来だけでなくフォルマー家の未来を考えると、一刻も早く連れ戻さねば……」
これまでルイーダが政治に口を挟むようなことはなかった。
が、これからはその認識を改めねばなるまい。
不穏な言動をするルイーズを見て、やはり血は争えないな、とフランツはまるで他人事のように思うのだった。
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「なに、ビール作りだと? あのヒルデガルド嬢が?」
「ああ。どういうわけか醸造家の真似事を始めたようだ」
ネアンデル王国の首都ミッダーリンゲンにあるロズモンド学園。
すっかり日が暮れ、月明かりが差し込むその生徒会室にはふたりの生徒が密談を交わしている。
ひとりは生徒副会長であるギュンター・クレイグ生徒会副会長。
もうひとりは数日前までヒルダと一緒にいたちょび髭ゲッツの正体である、ゲオルク・バァル。
「まさか。遊び惚けてばかりで学業を疎かにしていたお嬢様が真面目に修練をして、肉体労働までしているだと?」
フン、とギュンターは眼鏡をクイッと上げながら鼻で笑った。
仕草の一々が妙にキザったらしい。
「アイツが作ったビールはなかなか美味かったぞ」
「は――馬鹿げている。大方、お付きの使用人が手伝ったのだろう」
(アイツにオレ以外の使用人などいるものかよ)
「で、背後に誰がいるのかは調べたのだろうな」
ギュンターは生徒会室内に備えられた食器棚からティーカップと急須を取り出し、自分だけに紅茶を淹れた。
「もちろん、それを調べるのがオレの仕事だからな」
「結論から言えば、アイツの母親のルイトガルテがただひとりの侍女を通じて、しきりに修道院を抜けて実家に戻るよう促している」
「父親のフランツではなく、か。アルベルト王子との婚約破棄を受けて、娘に早く次のお相手を見つけてやりたいのだろう」
「ああ。何通かその侍女エリーゼとの手紙を見たが、それだけに娘のビール作りをしたいという突然の我儘に戸惑っているようだ」
「しかし一体何故ビール作りなんだ?」
「さあな。心を入れ替えて、今後は清く生きようという決意かもしれねーな」
「ありえん。あの悪女がそんな殊勝なわけがない」
(悪女、ね……。少なくとも、これまで接した限りでは【聖女】ルカを暗殺しようなどと企むようなタマじゃないってのはハッキリしてるがな)
「む……どうした?」
急に黙り込んだゲオルグを見て、ギュンターは訝し気に尋ねた。
「いや……その判断はお前に任せるさ。これで報告は終わりだ」
ゲオルクは部屋を出ようと、扉に向かおうとする。
「ちょっと待て」
「なんだ? 珍しくオレに茶を淹れてくれるのか」
「そうではない。他にも報告することがあるだろう」
ギュンターの眼鏡が月光でキラリと光る。
「いや……これ以上はないな」
「そうか。ならば帰ってもいいぞ。トラヴァルトへの潜入調査は引き続き頼む」
「分かった」
「――だが、くれぐれも諜報員としての本分は決して忘れるなよ」
「…………」
ゲオルクはこの思わせぶりでスカした物言いが大嫌いだった。
――コイツの狐のような澄まし顔、いつか歪ませてやりてーな。
ギュンターに返事をすることなく、音もなくドアを開けて生徒会室から消え去るのだった。




