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013話「トラヴァルト式黒ビール」

ヒルダが自信満々に披露した黒ビールの表面は、泡がこんもりと膨んで深みのあるロースト臭を放っていた。


しかしミアが困惑の表情でおずおずとヒルダに尋ねてくる。


「あの……もしかして倉庫の奥に仕舞ってあった袋の麦芽を使いました?」


「ええ。理想の色の麦芽があったので、利用させてもらいましたよ」


顔を見合わせるミアと3人の女修士(じょしゅうし)たち。


「実はアレ……炒る時間を間違えて、焦がしちゃった麦芽なんです。でも捨てるのがもったいなくて……」


(んん?)


「ああ、そうだね。黒ビールとか言ってるけど、こりゃあただの失敗ビールじゃないか」


リヒャルディスがやれやれといった風情でこき下ろしてきた。


「失敗……ですって?」


「焦げた麦芽なんてビールに使えやしないよ。素人の醸造家がやりがちだけどね」


――おっと。


ヒルダはその言葉に少しカチンときた。

だが工房内に集まった面々の様子を見ると、おおむねリヒャルディスの意見に同意しているようで、誰もジョッキに口をつけようともしない。


(このロズキンの世界では、黒ビールの存在が認知されていない? そんな……)


思いがけない事態にヒルダは困惑した。

前世の穂乃花が成人して初めて飲んだビールはただ苦いだけだったが、バイト先のレストランのオーナーに勧められたアイルランドのギネスという黒ビールは苦みだけではなく、麦芽自体の甘みも加わってバランスが取れており、彼女にとってビールの概念を大きく変えてくれた。

そしてそのオーナーが自宅の倉庫に置いていたクラフトビール用の窯(とは言ってもせいぜい100リットル程度しかない容量の小さいもの)を借りて、初めて作ったのも黒ビールだった。

その時に得た体験が、穂乃花がビール会社への就職を目指すきっかけとなっていた。

それだけに、黒ビールというだけで失敗作扱いされるのは我慢ならないことだったのだ。


「お待ちください! 昔はたしかに、黒いビールは焙燥に失敗して出来上がったものかもしれません」


ヒルダはそう告げ、ジョッキをテーブルの上に置いた。


「ですが、このトラヴァルト式黒ビールに使用している焦げ麦芽の量は一割にも達してません。苦味と甘みが程よいバランスになるよう配合しているのです」


そしてカロリーナがテーブルに運んでくれた料理の数々を指差した。


「それにこのビールの深いコクは、濃い味のお肉やチーズを存分に引き立ててくれるのです」


続けてニンニクとハーブが練り込まれた香りの強いソーセージが山盛りに入った皿を持ち、その場に居た全員に配って回った。


「さあ、シスター・カロリーナが作ってくれた料理を熱いうちにいただきましょう!」


「へえ……アンタがそこまで言うなら、試してみようじゃないか」


リヒャルディスがまだ湯気を立てている焼きソーセージにフォークを突き立てた。

その途端、キラキラとした肉汁がプシュッと弾ける。


そしてパキっと音を立ててかぶりつく。


(うん、やっぱり旨いねぇ)


前世だと、ドイツのソーセージで「テューリンガー」と呼ばれるそれはリヒャルディスのお気に入りの逸品だった。

トラヴァルト修道女たちに作らせたもので、牛肉と豚肉の配合も彼女の好みに合わせているのだから、美味いに決まっている。

じわじわと脂の甘みとニンニクが広がっていく。

そこへおもむろに黒ビールを流し込んだ。

まず、泡のクリーミーさに驚く。

ふわっとした綿のような隙間から、黒い奔流が飛び出して口内を駆け巡った。


――合う、合う。合うねぇ!


コクのある麦の香ばしさと苦みがソーセージの脂と溶け合って、味のハーモニーを奏でている。


「くあ~~~~っ!!」


元貴族令嬢とは思えない声を挙げて歓喜するリヒャルディス。


「この料理にもきっと合うと思いますわ」


お次にヒルダは出来上がったばかりのベーコンポテトを見せつけた。

それはまだフライパンの上でじゅうじゅうと音を立てている。

塩気の強いベーコンと、素朴な味わいなじゃがいもの組み合わせは最強だ。

ベーコンから滲み出た脂でじゃがいもはフライパンにこびりついていたので、こそげるようにフォークを突っ込んですくい上げ食べ始めた。

そして再び黒ビールをごくり。

カリカリとホクホク食感のコントラストが得も言われぬマリアージュとなり、それを黒ビールの味が優しく包み込む。


「これは……一本取られたようだね、ヒルダ。黒ビールとやらを甘く見てたよ」


ヒルダに向かって、リヒャルディスはニッと笑う。

その様子を見る限りでは合格間違いなしだろう。


「そ、それではわたしたちもいただきましょう!」


側にいたエリーゼも喉をゴクリと鳴らしながら皆に呼びかける。

次々と全員が料理を食べ始めた。


「はいっ皆さん。じゃんじゃん食べて、飲んでください!」


工房内は熱気で満たされ、黒ビールの甘くビターな香りと、浅黒い肌をした酵母の妖精(セルビィ)たちで溢れ返る。


〝Fuu~〟

〝Yeah!〟

〝We can do it!〟


「ちょっと暑くなってきたね」


カロリーナは工房の窓を開け換気をする。

すると涼やかな風が吹き込み、ヒルダの髪を撫でた。

その気持ち良さに思わず目を細めてしまう。




☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




「ゲッツさんはいかがでした?」


ヒルダは窓の側でポツンとひとりでビールを煽るゲッツに近づき、味の感想を聞いてみた。


「はい、大変美味しゅうございます。最初のビールにも驚きましたが、あの黒ビールこそ顧客にこれまでにない新しい体験を提案できるのではないでしょうか」


いつもとぼけたような顔をしているゲッツには似つかわしくはない、真剣な表情で答えた。


(……よく分からないけど、きっと褒めてくれているのよね?)


その会話に加わろうとしてか、リヒャルディスがふたりに近づいてきた。


「どうだい、ゲッツ? この黒ビールも一緒なら、もっとイケるんじゃないかい?」


「ですが、まずは黒ビール自体の認知度を上げていくことが肝要かと存じます」


「言えてるね。それなら今ヒルダたちがやったように、試飲会で料理と共にプレゼンするってのもアリかもしれないねぇ」


「??? あの……お話が見えてこないのですが、どういうことですか?」


会話の内容についていけないヒルダはリヒャルディスに尋ねた。


「ああ、言ってなかったけどねヒルダ。これらの最新式の窯はゲッツ経由で借りててね、そのために莫大な借金をしてるんだよ」


「え……借金ですか?」


「最初は法王庁からの予算で賄うつもりだったんだけど、法王が倒れて予算が回ってこなくなってね」


(なんだかイヤーな予感がするなぁ)


「で、その代金を支払うためにビールを引き取ってもらう約束をしていたのさ」


「ええ~~~っ!?」


「ヒルダ、済まないね」


(つまり私のビールは借金のカタにされるってこと……?)


――だけど、待てよ?


リヒャルディスの言葉に最初はショックを受けたヒルダだが、実際にビールを作ってみたものの、販路の開拓については見通しが立っていなかった。


「そのお話は……つまりゲッツさんが我々のビールを販売してくださるということでしょうか?」


「はい。正確には様々な都市に向けて卸していくつもりです。まずはフォルマーの酒造ギルドを通すより、王都ミッダーリンゲンの方が売りやすいかと存じます」


なるほど。

トラヴァルトの図書館の本で流通について調べてはいたが、私のはあくまで耳学問に過ぎない。

できれば最初は地元のフォルマー公国領内で販売を開始したかったが、経験豊富そうなゲッツに任せた方がいいのかもしれない。

しかしゲッツの正体はロズモンド王国から私を監視するためにやってきた諜報員、ゲオルクなのだ。

彼を信用していいものなのか。


「この黒ビールは革命的な商品となるでしょう。王都で好評を博すことができれば、増産をお願いしたいと考えております」


「ほうほう。そうなったら、追加で窯を借りさせてもうらうとしようかねぇ」


(ちょ、ちょっと叔母様! 先走り過ぎてない?)


「ええ、ええ。是非とも! これがトラヴァルト修道院が飛躍する絶好の機会になるかと存じます」


()るか()るかの大博打さね!」


リヒャルディスの目がランランと輝いていて、危険なものを感じざるを得なかった。


(美味い話には穴があるって言うけれども……)


(私はこの世界の流通について知らないことが多すぎる。ひとまず今は出来上がっているビールをどうやって売るのか勉強させてもらうとしよう)


「分かりました――ゲッツさん、ウチのビールをよろしくお願い致します」


「ありがとうございます。このゲッツめにお任せください。()()のビールを世に広めてまいりましょう」


ゲッツの眼差しは真剣そのものだ。

元よりそれ以外に選択肢はないのだが、その目をヒルダは信じてみようと思うのだった。

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