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011話「熟成を待つ間に」

「おや、ヒルダ。ずいぶん勉強熱心じゃないか」


昼の礼拝後の食事を5分で終わらせたヒルダが図書室で調べ物をしている。

幼い頃から実家やロズモンド学園では、毎食ゆったりと食事を楽しんでいた。

しかし穂乃花としての記憶を取り戻してからは落ち着いて料理を味わう機会はかなり減っている。


そこに、訪れたリヒャルディス院長が声をかけてきた。


ほのかに差し込む陽の光で図書室にはまどろんだ空間になっていたが、ヒルダは眠気を堪えて、資料の本を机に広げて読み込んでいる。

しかしトラヴァルト修道院の蔵書はロズモンド学園のものに比べ、エルバー教の神話やそれにまつわる叙事詩、フォルマー公国の歴史書、占星術についてのものは豊富だが、植物及び動物学や歌謡などの文献、交易に関する記録などはあまり多くはない。


「院長こそ、こんな所にお越しとは珍しいですね」


「まあ、ここに購入する本を司書と決めるのも院長の仕事だからね。たまには顔も出すさ。 ヒック」


そう言うリヒャルディスの顔はほんのり赤い。

ん、ほのかに院長からビールの香りがするぞ?

朝っぱらから飲酒とは。


しゃっくりしたリヒャルディスの口から、ひゅんと酵母の妖精が飛び出してきた。

その妖精はウチのセルビィに似ているようで、羽の形が微妙に違っているし、全体的にやや大人びて見える。


時を追うごとに、だんだんと様々な妖精の姿が見えるようになってきた。

この力は一体なんなのだろう……?


「もしかして院長……他の修道院のビールを飲んでらっしゃいます?」


「えっ、なんでそんなこと分かるんだい?」


「もう。ウチのビール、まだまだ残っているのでそちらを先に消費してください」


「ち、違うんだよ。たしかこれは他の修道院が作ったビールだけどさ、あくまで競合相手の研究のためだよ」


「はあ」


「人間、常に研鑽を重ね続けなければ、それ以上の成長は望めないんだ。分かるかい? ヒック」


しゃっくり混じりではあまり説得力がない。


「敵を知り己を知れば……いや、それはさておきだ。ビール作りは順調なのかい?」


と話題を変えた。


「はい。昨日、ビールの発酵期間が終わったので、今は熟成に入ってます」


「なんだい、それじゃ今朝飲ませてくれればよかったのにさ」


「でも熟成を経なければビールは完成とは言えないので。院長には完全なものをご賞味いただきたかったのです」


「あ~そう言われちゃあ、待つしかないじゃないか。完成したら真っ先に飲ませるんだよ!」


「ええ、もちろんですわ! 楽しみになさってください」


昨日飲んだ発酵直後のビールはまだ味が棘々しいところはあるものの、熟成が進めばまろやかになっていくだろう。

前世のビール作りの経験のおかげで、確信に近いものを持っている。


ただ、トラヴァルトでのビール作りは既に用意されていた原材料をそのまま流用しただけに過ぎず、次に作る際は、大麦の選択や焙燥から手掛けたいと考えていた。


そこで図書室の数少ない農業に関する本を読み込んで、フォルマー領における農作物の生産量やその種類について調べてみた。


すると、前回使った大麦の粒が小さかった理由がようやく分かった。

ロズキン世界において、一般的な大麦は穂を上から見ると6列すべてに実がなるようになっている。

現代世界では六条(ろくじょう)大麦と呼ばれる品種で、パンの原料やお粥にして食べられることが多い。

それに対し、6列の穂の内に2列しか実がならない二条(にじょう)大麦は、収穫量自体は減ってしまうものの、実の一粒一粒が六条大麦に比べて大きく成長するためビール製造に向いている品種だ。


なのでこの2品種はそれぞれの用途に分けて栽培されるべきなのだが、ロズキン世界では収穫量の問題で二条大麦の生産はほとんどされていないという状況のようだ。

これは農場担当のシスター・ノラの元で畑仕事をし、トラヴァルトの農作物の収穫状況をヒアリングしたことも併せて把握した知識だった。


(ビールはもっともっと、美味しくできるハズ――)


ヒルダのビールに対する知識欲は留まることを知らなかった。

しかしそれと同時に自分の体に起こっている現象についても、調べなければと考えている。


「院長、先ほど図書室の本の仕入れをされていると仰ってましたよね。それならお願いしたい本が……」


「ああ、構わないよ。これから司書と打ち合わせするから、アンタも参加しな」


「はい! ありがとうございます」




☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆




一方その頃、王都ミッダーリンゲンのロズモンド学園の生徒会室では。

曇天の中、照明もつけず薄暗い部屋の中で生徒会長であるアルベルト・ロズモンド第一王子が執務を行っていた。

午後になり、わずかに差し込み始めた陽の光で、アルベルトのさらりとした金髪が輝く。


今日の仕事は秋に行われる文化祭に向けて作られた予算案に目を通し、承認印を押すだけだった。

アルベルトは書類を一瞥して、ポンと判子を押した。


「会長……この予算案は少々やり過ぎなのでは……?」


ロズモンド学園において、今やアルベルトと公認のカップルとなっている【聖女】ルカ・ナスヴェッタは冷や汗をかきながら尋ねた。

ルカは今年春に生徒会長に就任したアルベルトを補佐する形で、書紀として生徒会入りを果たしていた。


「やり過ぎとはなんだい、ルカ」


予算案の内容そのものは、アルベルトの執事で生徒会で会計も務めるギュンター・クレイグが作成したものであったが、昨年とは違い、部活動ごとに与えられる予算はそれぞれの部が挙げた実績を反映し計算されていた。

そのため運動部の予算は増えていたが、実績が分かりにくい文化部は大きくその額を減らしている。


偶然にも文化部は、フォルマー公領の出身者が多く部長を務めており、ギュンターの予算案に激しく反発してくることは目に見えていた。

また予算案の決議について、これまで生徒会から独立する形で存在していた風紀委員会の発言力が大きかった。


しかしギュンターたちが生徒会入りを果たしてからは、学園の校則を変更して風紀委員会を生徒会のただの下部組織として位置づけるようになった。

その風紀委員会も、委員長を始めとしてその多くがフォルマー公領の出身の貴族で占められていたため、ヒルデガルド・フォルマーを追放したアルベルト王子への反発は未だ収まる気配はなく、むしろ日々増大していくかのように思われた。


「このままでは、会長が苦しい思いをするだけです」


「ギュンターが練り上げた予算案は完璧だ。私が口を挟む余地もない」


「ですが……」


「ルカ。これは君を守るためでもあるんだ」


アルベルトはルカの手を握りしめた。


「今後の学園運営を円滑にするためにも、風紀委員会の力を削いでおくことは重要だ」


「クロイ侯爵令嬢ですか……」


ルカは頬を染めながらも、話題に上がった人物の顔を思い出していた。


風紀委員長のマルガレーテ・クロイ。

フォルマー公領に領地を持つクロイ侯爵の長女で、フォルマー家に長年仕えてきた名家の出身であった。

かつてヒルダの取り巻きのトップの女生徒であり、ルカに対する嫌がらせの中心でもあった人物でもある。


女性にしてはかなりの長身で、ネアンデル王国の女性にはあまり見られない美しい黒髪を持った貴族令嬢であったが、初対面にも関わらずルカに激しい敵愾心(てきがいしん)を燃やしていたことがあり、苦手とする人物であった。


「彼女のヒルデガルド嬢に対する心酔ぶりを考えると、ルカを逆恨みして危害を加えてくる恐れがある。いや、あるいは既に……」


アルベルトのその言葉を聞き、ルカは否が応でも自分に降り掛かった暗殺未遂事件のことを思い出さずにはいられなかった。


ルカが今年夏にミッダーリンゲンの城下町で発生したテロ事件を調査していたところ、偽情報に踊らされ、暗殺ギルドの襲撃を受ける羽目になっていた。

が、ギュンターの配下であるゲオルクと、アルベルトの近衛騎士であるヘルマンの活躍でなんとかその危機から逃れることができた。

その偽情報の出処は、風紀委員会が率いる保安隊だったため、生徒会との確執がより深いものとなったが、フォルマー派閥の長であるヒルダをロズモンド学園から追放するという力技で決着を付けたという経緯がある。


「あの暗殺依頼は、本当にヒルデガルド様が行ったものだったのでしょうか……?」


「……ああ、そうだ。それでいい」


「…………」


強い口調のアルベルトにルカはそれ以上尋ねることはできなかった。


「そんなことよりも……今日はこんな天気のいい日だ。庭園で薔薇を眺めながら昼食を摂ろう。カールが作ってくれたサンドイッチがある」


「えっ、本当ですか?」


宮廷料理人であり、ロズモンド学園のカフェを運営するカール・ミュラーは生徒会室に閉じ籠りがちなアルベルトのために時々特製のホットドッグを差し入れてくれる。

時々ルカもそのご相伴に預かっているのだ。


「うわぁ嬉しいな。カールさんのホットドッグは最高ですから!」


天真爛漫(てんしんらんまん)に微笑むそばかす顔の少年を見やって、アルベルトは目を細めた。


生徒会室を出たアルベルトとルカに燦々(さんさん)と太陽の光が降り注いだ。

番の小鳥たちはさえずりながら青空を飛んで行き、開けた窓からは気持ちの良い風が吹き抜けていく。

ふたりは肩を寄せ合いながら、ロズモンド学園のシンボルにもなっている薔薇庭園の東屋に向かって共に歩いて行くのだった。

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