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010話「はじめてのビール作り③」

翌日の朝。

朝食が終わると、ヒルダは猛ダッシュでビール工房(ブルワリー)に駆け込んだ。

まず麦汁冷し箱に被せた木蓋を外し、温度計を覗いて20℃まで下がっているのを確認した。


(やっぱり麦汁を空気に触れさせると酸化しやすいから、麦汁冷却機があると便利だな。仕込み釜から直接麦汁を発酵釜の方に送り込みたいし)


(ゲオルク経由でベルトルトに作ってもらえないだろうか)


でも難しいよねたぶん。


ところで前に話したかもだけど、お酒というものは原材料が麦でもお米でも、その糖分に対し酵母を使って〈③発酵〉させることでアルコール化したものだ。

これまでの〈①精麦〉と〈②仕込み〉はそこに至るまでの下拵えにすぎない。

逆に言うと、〈①精麦〉と〈②仕込み〉を失敗すると、どんなに〈③発酵〉で頑張っても挽回するのは無理、ってことになるんだけどね。


すぐに他の工房メンバーも集まってきた。


「それじゃ桶リレーを始めます!」


「リレー?」


ビール工房(ブルワリー)のメンバー、ゲッツ、エリーゼまでも駆り出して、冷やし箱から発酵窯の間に等間隔で並んでもらう。

そして桶で冷やし箱から汲んだ麦汁を、次々と前の人に渡し、最終的に発酵窯に梯子をかけてその一番上に待ち構えている私が受け取り、窯の中に入れていくという流れだ。

まあいわゆるバケツリレーなんだけど。


「あぁぁ、お嬢……ヒルダ様! そのようなことは私が致しますのに……」


というエリーゼの言葉はスルーして、ガニ股スタイルでひたすら桶を受け取り→投入の反復作業だ。


30分もかからずに、麦汁はすべて発酵窯に移し終えた。

ふ~、と一息つきながら、汗を修道服の袖で拭う。


すると耳元で、なにかがクスクスと笑う声が聞こえてくる。


出たな、酵母の妖精(セルビィ)

昨日の妖精と同じ個体だろうか。


(このコ、人間の言葉通じるのかな?)


「こんにちは」


ヒルダは指先で、妖精の頬をツンと突いた。


「きゃははは」


妖精はくすぐったそうに自分の顔をこすると、くるくるとヒルダの周りを飛び回った。


(おっと危ない)


体が思わずグラつく。


「ヒルダさん、大丈夫?」


その様子を見て、ミアが心配そうに声を掛けてきた。


「ええ、問題ありません。それじゃ、釜に酵母を入れていきましょう」


ヒルダが梯子を降りると、シスターたちが酵母が入った袋を発酵釜の前に運んできた。


すると、その袋の中からたくさんの光の粒が溢れ出てきた。


〝わ~い〟

〝うははは〟

〝お嬢さま?〟

〝キーン〟

〝怖いよ~〟

〝お腹空いたー〟

〝ヒルダ~〟

〝こんちはー〟

〝ちょっと待ってよ~〟


などと、好き勝手におしゃべりしながら。


「うわわっ!?」


いきなり何十匹もの妖精が飛び回るものだから、気分は蜂の巣に飛び込んでしまったスズメバチ駆除業者のようだ。


ひとりでワタワタと手を振り回している私の姿は傍から見て、とても滑稽に見えてるんだろうな。


「ヒルダ様、さすがにお疲れでしょう。一度お休みになられては?」


ゲッツまでそんなことを言い出した。


「心配ありませんから! お気になさらず!」


頭や肩に、大量の妖精たちを乗せながら必死で正気であることを強調した。

重みはまったく感じないけれど、なんとなく圧があるような気がする。


〝ねぇ、あなたたちって何者?〟


ヒルダは小声でこっそり尋ねる。


〝さあ?〟

〝僕たちってなに?〟

〝なんだろう?〟

〝こんにちは!〟

〝わかんな~い〟

〝お腹空いたー〟


言葉が全く通じないわけではなさそうだが、会話は成立しなさそうだ。


ん~、このコたちが何者かはさておき、ビールを作るのが先決課題だよね。


ヒルダはむんず、と妖精を捕まえて、次々と発酵釜の中へと放り込んでいった。

さらば。


〝ひょえ~~~〟

〝バイナラ~〟

〝夢の中へ~〟

〝なんてことすんの!〟

〝いっきま~す~〟

〝あんたもすきねぇ〟


麦汁の中で妖精たちは足だけ水面に出してバタバタしたり、クロールで泳いでいたりとわちゃわちゃしていた。


そうだ、この面白い生き物は「セルビィ」と名付けるとするか。



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



「ふう」


「ヒルダ様、お疲れ様でした。これでビール作りは終わったのですね」


「ううん、〈③発酵〉はこれからよ。この釜の温度を20℃くらいに保ったまましばらく待つの」


ヒルダはエリーゼに発酵釜についているガラス窓から中を見せた。


「先ほど入れた酵母が、麦汁を発酵してくれるのよ。じっくりと時間をかけてね」


「どれくらい待たないといけないのでしょうか?」


「そうですね……1週間、といったところでしょうか」


「それならリヒャルディス様がおっしゃっていた、2ヶ月の期限に十分間に合うというわけですね!」


「でも、〈③発酵〉の後に〈④熟成〉という工程が残ってます。発酵が終わったばかりのビールは、まだ味が尖っているから熟成をさせる必要があるの」


「その熟成の期間はいかほどなので……?」


「1ヶ月といったところでしょうね」


「!? それでは元々あまり余裕はなかったのですね」


「そうなの。その発酵や熟成の期間のこともあるし、今作ったビールが1ヶ月後にちゃんと発酵して美味しくなっているかは分からない。もしかしたら大失敗しているかもしれない。だから本当は3ヶ月くらい時間があれば、もう少し試行錯誤もできるから良かったのだけど」


ヒルダは神妙な面持ちをしてるエリーゼにそう説明し、発酵タンクにそっと耳を当てた。

中から次第にポコッ、ポコっと泡立つ音が伝わってくるようだったが、ヒルダには酵母の妖精(セルビィ)たちがはしゃいでいる様にも聞こえている。


「それじゃこの麦芽はわたしが麦芽粉砕(ミリング)するね!」


ミアが残された麦芽の袋を持ち上げて、ロール粉砕機(ミル)まで運んでいった。


そう、先ほど発酵を始めた麦汁は、低温で乾燥されているキツネ色の麦芽を使ったもの。

今度粉砕するのは、高温で乾燥されてあった茶褐色の麦芽の方。

仕込み釜はひとつしかないけど発酵釜は2つあるので、2段式でビールを作っていき、2種類のビールを作って成功確率を上げる作戦だ!


どっちも失敗する可能性はあるけど、1週間後の発酵の様子を見れば大体分かるだろう。

その時はあと1回くらい、再チャレンジするチャンスは残っている。


ふふふ、我ながらなんて冷静で的確な判断力なんだ!



☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆



2つめの麦芽で作った麦汁の発酵準備が終わると、しばらく暇になった。

その間にヒルダはビール工房で働くだけでなく、畑仕事や家畜の世話をして、自習の時間には図書室へ足繁く通い、農業や地理について書かれた本を借りて自室で読みふけっていた。


「ヒルダは今日も熱心に読書してるのね。でもお風呂にはしっかり入りなさいよ」


浴室から戻ってきたヘレナがヒルダに声をかけた。


「えっ、あっ、すみません! もしかして臭いますか?」


「ううん、そんなことないけど。でもたまにはゆっくり湯船に浸かって、疲れを取るといいわ」


「それもそうですね。いつも皆さん、ものすごいスピードで体洗って出ていくから、つられてしまって……」


「たしかにそうだわ。特にここはみんなカラスの行水だから」


前世では休みの日にキャンプに出かけたり、その帰りに温泉に立ち寄ったりとリフレッシュする機会を設けるようにしていたけど、ロズキンの世界に来てからはそうした娯楽とは縁遠い生活だったので、すっかり忘れてしまった感覚だ。


「でも、今は読書が楽しくて。この本は為になるのに、すごく面白いんです」


ヒルダが読み始めたのは『フォルマー農業史』。

有史以来、フォルマー公領における農業はどのような変遷を経てきたのか。

各時代の技術や農具の発展、農作物の品種改良、エルダー教会・修道院の開墾活動や村落共同体がフォルマーの封建制度に与えた影響について。

はたまた農作物を襲う害虫や伝染性病害の戦い、租税の仕組みや周辺国との領土問題にまで触れらており、フォルマーの歴史書と言っても差し支えないのでは感じたほどだった。


現在読み進めているのは、北方の国境を接するシュレルヴァイン帝国との通商についての章で、交易がどのように互いの国家を発展させたかに多くのページが割かれている。


(シュレルヴァイン帝国……。ロズキンやロズキン2でもゲームのストーリーに絡んではこなかったような気がする。ロズキンAではそこのマグナスって皇子が新キャラとして登場するんだよね)


マグナスは公式のホームページで発表されたキャラの立ち絵やイベントグラフィックを見る限りでは、ロズキンの登場人物としてはあまりいないタイプの、いかにも俺様キャラだった。


(学園では結局一度も会話せずに私が追放されちゃったからほぼ接点がなかったけど……シュレルヴァインに行ったら会えたりするんだろか?)


ヒルダがどうして急に隣国についてのリサーチを始めたかというと、自分が現在進めているビール作りが成功して、大量生産を任された場合の後の販路のことまでも想定していた。

ただ、トラヴァルト修道院ブランドのビールをフォルマー公領及びネアンデル王国内で売り出すにしても、競合相手は多い。

フォルマー公領内だけで男女の修道院は合わせて50を超え、その半数以上がビールを製造販売しており、その他にも民間の製造業者が多数存在し、庶民も自家醸造を嗜んでいるという実態がある。


最近になって醸造施設を整え始めたトラヴァルトが、いきなりそのビール市場に乗り込むにはかなり力不足だと考えた。

そこであまり農業が盛んではなく酒の製造業も発達しておらず、輸入に頼ることが多いシュレルヴァインなら絶好の取引相手になるではないかと睨んでいたのだ。


(シュレルヴァインとの間の山脈には絶景の温泉があるというし、一度行ってみたいな……)


と、想像を膨らませるヒルダなのであった。

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