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狩人  作者: 青野 夕
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第一章

                    1

 私は、妻と一切言葉を交わすことのない静かな朝食を食べながら、

 「ゆり子、今日はスーパーに行くかね」

と、尋ねる。

 「行きますよ」

 妻は、素っ気なく答えた。

 「じゃあ、私の歯ブラシを買ってくれないかな。昨夜、寝る前に歯を磨こうとしたらブラシがだいぶ開いているのに気が付いたんだよ」

 「分かりました」

 「すまないね」

 私は、大根の味噌汁をすすりながらチラリと女房を見る。

 妻は、黙々と朝食を食べていた。

毎朝のことながら、会話がアレがないから買ってほしいとか業務連絡程度の会話しかないのは寂しかった。

どうせ、雑談をしても会話が弾むことはないので、そういう会話しかできないのだが。

「はぁ……」

 私は、小さなため息を漏らした。



                        2

 妻が、スーパーに出かけてから三十分経った。

 私は、いつも買い物を妻に任せている。一緒に行こうにも二人とも免許を返納しており、代わりに一台の自転車を二人で使っているのでそういうわけにもいかない。まさか高齢の夫婦が、自転車を二人乗りする勇気はなかった。

 和子は、自転車をもう一台買えばいいと言う。

だが、私は基本的に家に引きこもって生活しており、どこか遠出する体力はもう無い。

対して、妻は自転車で三十分はかかるスーパーに買い物に行く必要があるし、時々自転車で駅まで行って電車に乗り、どこかの街で弘人が細々と開く個展に行く。

だから、自転車は一台で十分だった。

さて、妻が出かけているときは息抜きの時間だ。

 ああいう状態の妻といると息が詰まりそうになるが、その分出かけている間の解放感は大きい。

 妻はスーパーに買い物に行くと、だいたい昼近くまでは帰らない。

今の時刻は、十時半。

充分、好きなことが出来そうだ。

私は、リビングから自室に向かう。以前は、妻と同室で自室などなかったが、私に対する態度が冷たくなってから、部屋が余って物置として使っていた二階の隅の部屋を私の部屋としてあてがわれるようになった。元物置なので、最初はモノが多くて人がやっと寝るスペースを確保するだけでも苦労したが、五年もいるとだいぶ広いスペースを確保できるようになった。

 本音を言うと、朝から晩まで自室に居たい。

だが、和子に離婚を早めかねないと言われてなるべくリビングにいるようにしていた。

自室入り、パソコンを起動させる。

「おぉ……」

思わず、感嘆の声が漏れた。

 パソコンには、あるホームページの画面が映し出されていた。

それは、自分が作ったページだった。

いや、正確には一週間前に和子に作ってもらったのだ。

唐突だが、私の趣味は手芸だ。

幼いころから手先が器用な性質(たち)だった。姉に教えられて、手袋を作ったこともある。だが、当時は男のくせに手芸が趣味など知られたら、からかいの対象になる時代だった。だから、姉以外の誰にも言わずに内緒にしてきた。

一週間前に、和子にばれるまでは……。

 あの日、うっかり作りかけの作品をそのままにし、自室のドアを開けたままにしていたせいで見られてしまった。必死に誤魔化そうとしたが、和子は笑って「別に隠さなくてもいいのに」と言った。

 「お父さん、これ売ってみない?」

 「売る?」

 「うん。せっかく、こんなにたくさん作っているのに段ボールに仕舞っちゃうのは勿体ないよ」

 「うぅむ……。だが、売ると言ってもどうやって?こんな爺さんが作ったと知られるのは恥ずかしいから、バザーで売るのは嫌だよ」

 「別に恥ずかしいことではないけど……。ねぇ、ネットに売るのはどう?どうせ、私が譲ったパソコンは使ってないでしょ。いい機会だし、それを使って売るの。今の時代、ネットを使えばだれでもモノを売り買いできる時代だよ」

 「そうなのか……。だが、どうやってパソコンで売るんだい?」

 「フリマアプリを使う手もあるけど、基本的に面倒な制約に縛られないホームページがおすすめかな」

 和子はそう言うと、パソコンを手慣れた様子で操作してあっという間にホームページとやらを作り上げたのだった。

 一週間経った今でも機械に疎い私は理解していない部分もあるが、和子の力を得ながら小遣い稼ぎ程度に自分の作ったモノを売って稼いでいた。

因みに、私の手芸趣味を知らない妻にはもちろん内緒である。

 「しかし、飛ぶように売れるなぁ」

 特に、フェルトで作ったウサギや猫を模したキーホルダーが売れている。和子には感謝だ。

 「弘人も見習ってほしいもんだ。いつまで写真家などと、不安定な仕事をやっているのか……」

 ぶつぶつ呟きながら、プログラマーとして働き、結婚もして二児の母として二人の娘を育てている和子を頭に浮かべた。和子は、幼いころから親の言うこと素直に聞くいい子だ。

しかし、息子の弘人は違う。

私の言うことを聞かず、安定した給料の得られる公務員になるように言ったのに、写真家として活動している。

しかし、とても成功しているとは言えない。弘人より写真を撮るのが上手いやつは、世の中にいくらでもいる。

だから、何度定職につけと言ったことか。私は大反対だが妻は賛成派らしく、こっそり弘人の個展に行って甘やかしていることを知っている。

「あいつはいつまでも子供だから……」

 私は、そう呟くとフェルトでうさぎを作り始めた。



 「ただいま」

 女房の声が階下から聞こえて、私は作業の手を止めた。

時計を見ると、時刻は十一時半。そろそろお昼にしてもいい時間である。

というわけで、私は作りかけのうさぎと道具を押し入れの段ボールの中に仕舞った。ここなら、見つかることはないだろう。

「おかえりなさい」

 階下に降りて声をかけるが、返事はない。まぁ、いつものことである。

 「何か手伝おうか」

 「結構です」

 妻は、冷たい。

 私は、特にすることもないのでリビングでテレビを見ることにした。ワイドショーを見る習慣は私も妻もないが、二人で無言で過ごすのはつらい。そうかといって、自室に籠るのも寂しい話だった。

 三十分ほどした頃だろうか。

 「お昼が、できましたよ」

 妻に声をかけられ。私はテレビを消した。

 お昼は、魚のムニエルだった。そう言えば、今日は魚の特売日だと新聞に入っていたチラシに書いてあった気がする。

 「いただきます」

 私は、静かに手を合わせて言った。

 妻は、私に対する態度は冷たいが、洗濯をしてくれたりご飯を作ってくれたりする。

 だから、分からない。

 私の何に対して、不満を抱いているのか。

 私は、良い旦那だったはずだ。そう自負している。常に、いい旦那であろうとしてきたつもりだ。子供の学校行事には一度も参加せず、代わりに一日も休まずに働いて、この家にお金をもたらした。確かに、和子と弘人には寂しい思いをさせたこともあったかもしれない。

でも、妻には必ず行事ごとに参加させた。私が、代わりにこの家のために働いているのだから。私のおかげで、和子も弘人も大学まで進学することが出来たんだ。

 私のおかげで……。

 なのに。

 「なぁ」

 「なんですか?」

 「私は……」

 急に、言葉が出なくなった。何かを言おうとしたが、それが、今言うことではないような気がしたのだ。

 「いや、何でもない」

 「はぁ?」

 女房は、けげんな顔をした。

 私は、箸でムニエルを一口に割って食べた。



                        3

 昼食を食べ終わった後、いつもなら昼寝をする。しかし、今寝ると悪夢を見そうな気がしてそんな気にはなれなかった。

 「散歩に行こう」

 口に出すと、立ち上がった。

 「ちょっと散歩に行ってくる」

 洗面所で歯を磨いていた女房に声をかけると、帽子をかぶって外に出た。



 私の散歩コースは決まっている。

家を出たら、角を右に曲がり、しばらく歩いて次の角で今度は左に曲がり……。そんな風に行くと、大きな川に着く。その川の土手でしばらく休んでから家路に着くのだ。

「ふぅ……」

 土手に腰を下ろすと息を吐いた。

 「まさか、あのことに気づいたわけじゃないよな……」

 あのことからは、もう三十年経っている。今更、妻が気付くはずがない。

 「大丈夫だ」

 私は、自分に言い聞かせるように呟いた。



 三十分後。

 私は、土手に寝転んで空を見ていた。どこまでも広い空を見ると、不思議と心が安らいでいくのだ。

 「隣、いいですか?」

 ハッと気が付くと、(はな)()女子高校の制服を着た女子高生が立っていた。二十七年前に娘の和子も華城女子高校に通っていたので、制服を見てすぐに分かった。

 「いいですよ」

 私は、体を起こして言った。あのまま寝転んでいると、女子高生のスカートの中のパンツが見えてしまう恐れがあったからだ。

 「ありがとうございます」

 女子高生は私に礼を言うと、ポニーテールの髪を揺らしながら本当に隣に座った。

 それにしても、土手が特別に人で混んでいるわけでもないのに、何故わざわざとなりに来たのだろうか。もう少し下ればベンチもあるのに。

 「木瀬弘雄さんですよね?」

 「えっ?」

 女子高生が突然口を開いた。しかも、初対面のはずなのにこちらの名前を知っている。もしかしたら、カツアゲの類なのかもしれない。逃げなければ。

 「あっ、そんなにおびえないでください。和子先輩のお父様ですよね?」

 女子高生は、今度は和子の名前を出してきた。いくら和子が卒業生とはいえ、こんな年の離れた後輩はいないはずだ。

 「誰だね、君。私や和子の名前を出してどういうつもりだ」

 私は、立ち上がって女子高生にそう言うと距離を取った。逃げる選択肢もあるが、彼女が何者か知っておく必要がある。

「疑い深いですねー。はい、これを見たら信じてくれます?」

女子高生は指定カバンの中からスマホを取り出すと、私にある画像を見せた。

「これは……」

「やっと分かってくれたみたいですね」

女子高生から見せられた写真には、学校の正門で和子と女子高生の二人が笑顔でピースをして写っていた。

 「華城って、校則がすっごく厳しくて、校内に入ったら先生にスマホ預けなきゃいけないんですよ。授業が終わっても、部活中も預けなきゃいけなくてー。和子先輩は私が所属している美術部の卒業生で、いろいろ相談に乗ってもらってたんです。でも、校則のせいでなかなか連絡先を交換できなくて、やっと交換出来た時の記念で撮った写真です」

 女子高生は、スマホを指定カバンに仕舞いながら言った。

 「そうだったんだ。てっきり、和子にこんな年の離れた後輩がいるとは知らなくてね。卒業して結構立ってるし、結婚して子供がいて忙しいはずなのに、こまめに母校に通ってたんだね」

 「そうですね。華城の卒業生は結構母校に遊びに来るのですが、和子先輩は特に来てくれてます。でも、やっぱりやらなければならないこともたくさんあるので、そんなに長い時間はいませんけどね」

 女子高生は、少し寂しそうに言った。

 「和子先輩は、よくお父様の話をされてます。お父様のお陰があって、今があるとおっしゃってました」

 そういうと、彼女はこちらを見た。そして、ニコッと笑う。

「いや、私は大したことなんてしてないけどね。和子の人生が良いものになるよう、サポートを続けてきただけさ」

 私は苦笑いを浮かべながら、心の中で和子はやっぱりいい子だと思った。内気な弘人にはこういう後輩なんていないだろうし、親の期待には応えてはくれない。

 「和子は自慢の娘だよ」

 ポツリと呟くと、女子高生も頷いた。

 「おや、もう六時か……。夕飯の時間だ」

 「時間って、あっという間ですね」

 「そうだな。君ももう帰りなさい。華城は、確か八時までに帰らないと反省文を書かされるだろう。和子もよく書いてたんだ」

 私は、笑いながら言った。この場に和子がいたら、自分に崇拝の気持ちを持つ後輩の前で言われてきっと照れているだろう。

 「和子先輩って、意外に不良なんですね。大丈夫です。私は、ちゃんと八時までに帰りますから」

 「そうかい。じゃあ、気を付けて帰るんだよ」

 私は、女子高生に背を向けて家路を急いだ。



「ただいま」

 リビングに行くと、妻はもう夕食を食べていた。 

 「遅かったですね」

 「ああ。ちょっとそこの川の土手で居眠りをしていたら、時間が経っていてね」

 私は苦笑いを浮かべながら話すが、妻はもう興味はなさそうだった。

 「いただきます」

 私は、夕飯を自分でテーブルに置いて手を合わせてから食べる。相変わらず、静かな食卓だ。

 「ごちそうさま」

 先に食べ終わった妻が席を立つ。そのまま、食器を持って台所に行くと食洗器に食器をセットした。あとは、私の食器もセットして洗剤を入れたら完了だ。

 「そういえば、和子の後輩にあったよ」

 気まずい空気を一掃するために、頑張って話を切り出してみた。

 「そう」

 しかし、会話が終了した。まぁ、いつものことである。いつものことであるが、寂しさと悲しさを覚えたのだった。

「なあ、私は何かしたか」

思い切って言ってみた。

 「あなたのそういうところです」

 「どういうところだ」

 「少しは自分で考えてください」

 「考えても分からないから聞いているんだ」

 いつの間にか、喧嘩腰の問答になっている。でも、本当に原因が分からないのだ。理由を知りたい。

 「はぁ……」

 妻は、ため息を吐く。

 「お風呂の準備をしてきますね」

 そう言うと、妻はリビングを出て言った。

 「どうしてなんだ……」

 私の独り言に答えてくれる者はいなかった。



                       4

 私はお風呂を済ませ、自室に戻った。やっぱり、ここが落ち着く。

 「あれ?」

 散歩に行く前に、確実に閉めたはずの押し入れが少し空いている。ほんの一センチ程度だが、こういう細かいことが気になる性質なので毎回しっかり閉めているのにだ。

 「誰かこの部屋に来て開けたのか?」

 私は、口に出してからそんなことをする人物は一人しかいないことに気づいて笑う。

 そう、妻だ。

 この家に私と妻以外、誰がいるというのだ。

 さて、一体なぜ妻は普段は入らない私の部屋に入って押し入れを開けたのか。

「まさか、やっぱり気づかれている?」

 そう呟くが、やはり確信は持てない。

 「でも、あいつ夕飯の時に何も言わなかったな」

 そう、何も言わなかった。じゃあ、何も知らないのかもしれない。

 たとえ、知ってしまったとしてもこちらから知っているかどうか聞かない限り、向こうは知らない体をとれるはずだ。

……一番いいのは知らないことだが。

 「これは、私の落ち度だ」

 一番巻き込みたくなかった妻を巻き込んでしまった。もう後戻りはできない。

 「そうか。だからこの五年間、私は避けられていたんだな」

 五年前から妻は知っていたのだ。彼女は、もう既に共犯者だった。

「ハハハ……」

 乾いた笑いが漏れる。

確かに、和子の言うとおりだ。

私は、知らぬ間に妻に支えられている。もっと感謝しなければならない。

「ありがとう……」

今夜は、よく眠れそうな気がした。


(第二章へ続く)

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