プロローグ
朝の六時半に起きて、七時頃に妻の作った朝食を食べる。午後は、昼寝をしたり、天気のいい日は散歩をしたりする。
それが、御年七十歳の木瀬弘雄の一日だった。
私は、どこにでもいる七十歳のじいさんだと思う。高校を卒業してから定年まで、市役所に一日も休まずにしっかり務めた。二十四歳の時に、上司がのちに妻となる女性のお見合いを持って来た時、今後働くうえでこのお見合いは無下にはできないとすぐに結婚を決めた。
妻の話をしよう。
妻は、木瀬ゆり子。旧姓は、藤原。御年六十八歳。私より二つ下だ。お見合いを持って来た上司の友達の娘だった。結婚前は町工場で事務をして働いていたが、私との結婚を機に専業主婦になった。
私たちは結婚をして、一男一女をもうけて幸せだった。
私は、そう思っていた。
だが、妻は違ったようだった。
定年退職をした次の年から何故か私を避けるようになった。表立って争ったことはないが、どこか態度が冷たくなったのだ。もう五年も私たち夫婦は冷え切った関係だった。
だから、一度妻から何か聞いていないかと娘と息子に聞いてみたことがある。
まず、娘の和子が言うには今の時代は『熟年離婚』というのがあるらしい。
離婚されるようなことをした覚えがなかったが、和子に言わせれば『お父さんって実は、お母さんに支えられて生きていることを知らない』らしかった。どういうことかと聞けば、『自分で考えな』と言われた。
確かに、妻には支えられていると思う。私は料理ができないから、妻なしではきっと生きていけない。でも、娘はそういうことではないと言う。
改善しなければ離婚されるかもしれないと娘に脅されたが、どこをどう改善すればいいのかわからないので仕様がない。
次に、息子の弘人に聞いてみた。
すると、答えは『知らない』だった。
弘人は反抗期が長く、中学に入ってから大学四年生になってもまで続いた。そのせいか、あいつが四十歳になった今でもぎくしゃくしている。幾つになっても、まだまだ子供だ。
そういうわけで、娘の脅しを真に受けていつ離婚を切り出されるかと初めの一年は思った。
だが、二年経っても三年経ってもこのままなので、離婚を切り出されることはないだろうと私は勝手にそう思うようになった。
「おはよう」
朝起きて寝室からリビングに行き、台所で朝食を作る女房に挨拶をする。
「おはようございます」
妻は、まな板の上の大根を切りながら私に視線を一切向けずにそう言った。
(第一章へ続く)