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007 かえるばしょ

 2022リルア誕生日

 共通のお題は『こわいゆめとあたたかさ』

 共通のお題ってなんやねん、ってなるんですが毎年リルアの誕生日が知り合いの絵師の創作の登場人物と被っておりまして、二人してお互いに祝ってる状態です。その小説に使ってるお題ですね。


 お誕生日おめでとう、リルア。早く本編でも出したげたいな。

 それは彼女の、誕生日という特別な日を少し過ぎてからの出来事だった。


 日付というヒトの恣意的な一日の括りを夜の帳は軽々と超え、風に吹かれてちらつく雪は未だ冬だと言わんばかりに悠々と駆け回っている。かたりかたりと夜風が窓に当たって、金具を軋ませていた。


 リルアが目を覚ましたのは、そんな寒々しい空に煌々と星が瞬いている夜中だった。

 一瞬にして鋭敏になった神経が、暗闇の中で四方八方に張り巡らされる。心臓がどくどくとうるさいほど鳴っていて、きゅうっと締め付けられるのが嫌でも分かる。


「いや……」


 わざと口に出して、毛布を頭まで覆うようにすっぽりと被ってしまう。脳裏に浮かぶのは大好きな父親の、優しく、言い聞かせるような声だった。


『もしも追い詰められたら、壁を背にくっつけなさい』


 その言葉は今現在のリルアをどれだけ支えていただろうか。毛布に包まったまま、ベッドの上で壁に背中をぴったりと付ける。

 そうして目を閉じて、じっと自分が睡魔に誘われるか夜更けが来るのを待つ。


 それが彼女にできる最大のことだった。

 筈なのだ。


「──やっ!」


 その筈なのに、やにわにベッドから立ち上がり、リルアは勢いのまま自身に巻きついた毛布を剥いだ。次いで、冷え切った床に足を下ろす。そのまま躊躇うことなく、向かった先は部屋の扉だった。


「えいっ」


 開けるには少々背の足りない己に諦めることなく、リルアは手を伸ばしてノブを掴んだ。入ってくる寒気と足元から這い上がってくる冷気が心中の恐怖も怯懦も煽ってくる。

 何故こんなにも、夜中で真っ暗というだけで見慣れた部屋は怖ろしい場所に変化するのだろうか。


 寒さと怖気に震える脚で廊下を走り抜ける。歩幅の小さな自分の足に、四方八方が紛れることのできる暗黒である。『何か』が後ろから追いかけていて、今にも追いつかれて捕まえられるのでは。実はずっと深淵から覗いていて、虎視眈々と狙っているのでは。そこまで考えが飛躍して、夜に怯える幼子の心は限界を迎えた。


「ねぇっ! あけてっ」


 目当ての部屋の前。その小さな手を握り締めて、リルアは戸を叩いた。

 形容のし難い戦慄に心の内に許可なく侵入され、荒らされる。日中昼間の物怖じしない常なら兎も角、今の不安定で怖がりの心にはそんな些細な刺激さえ受け入れ難かった。

 そうして、ぷつりと切れてしまったのだ。

 彼女の心の糸は。


「うわぁぁぁぁんん!」


 目にいっぱいの涙を溜める。縋る言葉は涙声で揺れて、呼吸もままならない。

 怖い怖い怖い。早く助けて欲しいと、何度も願いながら戸を叩く。


「とうしゃまあ! かあしゃまあ!」


 最後はもう、叩くことすらも忘れて只管に泣き叫ぶ。ぐうに握られた小さな手は冷気に絡め取られて、刃物で切り付けられたかのように痛んだ。


「──リル!?」

「とうしゃまあ……!!」


 だから、優しい温かな声がいつもと変わらず降ってきたのは、かの幼子を安堵せしめるのに充分だったのだ。


「とうしゃまっ、とうしゃまっ!」

「リル……」


 こちらを転ばすのではないかと錯覚するほど勢いよく脚に抱きついた娘を、グレンはそっと抱き寄せた。体が冷たい。その癖薄っすらと暗がりに見える頬には涙の跡が見える。何だったら今、己を呼ばう声も泣き声に等しい。


「ふぇっ、ふぇ、ひっく……」

「よしよし。もう大丈夫だからな」


 背中を優しく摩りながら、グレンは娘を抱き上げた。動きに呼応するように、娘の小さい手が離れないと言わんばかりにがっちりとグレンの首に回される。

 些か苦しさを覚えないでもない。それでも彼は咎めなかった。

 娘の体が、寒さだけでは説明がつかないほど震えていたからだ。


 深くを聞かず、そのまま娘を抱えて向かう先は妻と二人で眠るには大きすぎる寝台である。ふと視線を辿れば、枕元の灯りに照らされた妻が心配そうにこちらに視線を寄越すのが見えた。


「リル……グレン」

「ああ。リル、かあさまだよ。もう大丈夫だ。本当に」

「やぁっ」

「本当に大丈夫よ。リル……こっちに来て」


 母の柔らかな物言いに、リルアがちらりとアーシェを一瞥した。普段の娘からは想像もつかないほどの警戒ぶりに、アーシェの胸の内が驚きで曇る。しかしそんな様子を微塵も見せずに、彼女は微笑ながら細腕を娘へ向けて伸ばした。


「大丈夫。もう何も怖くないから。ね」

「ほうら、リル」

「ひぅ。ぐすん」


 枕元のランプの明るさを完全に暗くしない程に少し落としながら見守っていれば、服と首を掴む手の力がそろりと緩んで、グレンの息が一気に楽になった。

 父親の逞しく日焼けた腕がするりと解けて離れた体温は、這い這いしながら母によって開けられた毛布の元へ滑り込む。もぞりもぞりと小さな生き物は、落ち着ける場所かとじっくり見定めたあと、漸く納得がいったように枕に頭を預けた。


「リル。大丈夫?」

「ぅぅ……ひっく」


 アーシェがリルアと向き合うように横向きになる。そうして薄暗く目に優しい光を頼りに、彼女はべそべそと涙で頬に張りついた娘の繊細な銀糸を、傷めないよう丁寧に取り払ってやっていた。

 その顔は怒りも疑問もない、純粋な慈愛に満ちた母の顔そのものである。

 リルアがずっと、父の穏やかな体温と共に待ち望んで止まなかったものだった。


「かあしゃ、ひっく。ふぇっ、かあしゃまっ」

「ええ、ええ」


 呼吸も覚束ないままに、リルアはアーシェを呼んだ。安心の『源』を呼んだ。

 そのまま横になって母の顔を見上げれば、愛おしげに頬を緩めている母親の顔がある。いつも優しく抱き締めてくれる母の細腕は、今回も寸分違わずリルアの背をそっと撫でてくれた。


 母の穏やかな温もりと柔らかさに抱かれれば、ふわりと甘いボディーミルクの香りが立ち込める。それだけで、『守られている』と思えるのだ。

 心の底から、実感するのだ。


「こわかったの。すっごく、こわかったの……っ」

「ええ。怖かったのね。もう大丈夫よ」


 ちゃんと話を聞いているよと、ここに味方がいるのだよと、分からせるようにわざとアーシェがリルアの言葉を繰り返す。

 娘が顔を埋めている胸元を見れば、薄暗い灯りの中でネグリジェの布地が色を濃くしてしっとりとし始めているのが分かった。父母が側にいてなお泣き止まないとは、一体如何程の恐怖だったのだろうか。

 残念ながら、アーシェには推し量る術はない。


「こわいゆめでねっ……!」

「怖かったのね」

「ふっ、うううう」


 唸りながら涙を堪える娘を落ち着かせるように、アーシェが目を伏せながらリルアの背を優しく叩く。一定のリズムで紡がれるそれは、グレンもアーシェもリルアが赤子の頃から寝付けないときにずっとやっていた行動だった。

 暫く続ければ、呼吸が間隔の空いたゆっくりとしたものに変わる。

 気が付けば、いつのまにかぐずっていた娘は寝息を立てて母の胸元で安らかな顔付きになっていた。


「リルにはまだちょっと早かったみたいね。一人部屋は」

「……もう大丈夫だと思ったんだがな」


 アーシェの呟きに、娘の柔らかで細い銀糸を梳りながらグレンが苦笑する。しかし、その表情は笑って済ませられる類の明るさではなく、深刻な、息の詰まるような重さで翳っていた。


「魔力症の発作が起きなかっただけ、良かったか」

「そうね。……まだ手がかかるのよ」

「あの部屋は『お昼寝用』にするか」


 五つになった娘への誕生日の贈り物はとことん裏目に出たらしい。リルア自身が欲しがった誕生日プレゼントだというのに、植え付けた感情は喜びよりも恐怖が上回った。

 当面の課題と予定に、グレンは溜め息を隠さない。大部分はさっきの出来事の気疲れだ。夫妻の夜の寝室である。娘に見つかったらひやりとすることが、ないわけではない。

 無論、それ以外のことも。


「だが……」


 それ以上を続けることなく、グレンは心地よさそうに眠る娘の頬を撫でた。

 リルアがパニックを起こしたというのに、魔力症の発作を起こさなかったのは、彼自身も心底安心を覚えるところではある。

 同じことを思ったのだろう。アーシェもまた、娘に毛布をかけてやりながら仕方なさそうに笑った。


「この子も成長はしてるのよ。見えづらいけれど」


 二人とも実感している娘の成長だった。しかし何故だろう。

 その笑顔が、同性親(ははおや)にしか分からないと言われているようで、悔しかった。


「……父親失格だな」

「貴方はよく見てるわ。仕方のないことよ」


 どうしても魔力症の子を育てる場合、異性親にできることは限られる。アーシェに見えること、グレンに見えないこと。そんなのがあるのは当然なのだ。

 そしてそれはきっと逆も然りのことなのだ。


「魔道医の丙級資格もとって、娘の気配に真っ先に気づいて駆け寄る。……そんな人が父親失格なわけがないでしょ」


 アーシェの細指がグレンの頬をなぞった。グレンが裏に込められた意味を読んだように、彼女の手に触れる。


(貴方は立派な父親よ)


 妻の言わぬ物言いが、グレンの心にじんわりと染み込んで寄り添う。


「ね、『とうさま』」

「……そうか」


 茶目っ気のあるアーシェの呼び方は、いつも彼女自身がリルアに注意している呼び方だった。釣られて、グレンも綻ぶ。


「そうだったな」

「ええ、そうよ」


 そっと、安心したようにアーシェがグレンの頭を撫でた。グレンにとって、それは充分過ぎるほどだった。

 穏やかな空気が立ちこめるとある一家の寝室は、いつの間にか見えない優しさでいっぱいになっていた。


 そのようなことになっていたのは、彼らを見守る星空のみが知り得ている。

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