005 六月の花嫁
2020年にジューン・ブライドのお題で書いた小説。例によって例の如くギリギリに書き終わってた。
時系列としてはアーシェ18歳、グレン20歳くらい。多分誕生日が来てないのでグレンはまだ20歳。
なんかとっ散らかった文章です。時間があったら直したい。
『六月の花嫁』とはよく言ったものだ。頭の中で思いながらグレンの目はある一点に釘付けになっていた。場所は城下町の目抜き通り、婦人服を仕立てるのに評判のある店の前である。
待ち人未だ来ず。待ち合わせの時間にまだまだ余裕のあるグレンは、落ち合おうと約束した広場からはあまり離れぬように店の並ぶ通りを歩いていた。
そこで目を奪われたのが冒頭に遡る一点だった。
『ショーウィンドウ』というここ数年で流行り出した宣伝方法は確かに効果が高いだろう。こうして道ゆく人々の視線を釘付けにするのだから。
視線を逸さぬまま、意識だけはぼんやりとそんなことを思う。
質の高い、透ける硝子壁の向こう側では光を受けて煌めくローブ・ド・マリエが据えられていた。天井から伸びる照明の光は硝子に反射し、晴天を思わせるホリゾントへと向かっていく。
繊細なレースを胸元から手首まで惜しげもなく使い、鳩尾のあたりでくびれを作るようになっているスカートは三角の型になっている。
色はもちろん、花嫁を着飾るに相応しい純白だ。光を受けていれば反射して目が痛く感じてもおかしくないのに、神々しさを醸し出すドレスからは目が離せない。
グレンは感嘆のため息をついた。
女物の装飾品に疎いグレンにも分かるぐらい美しい、一種の作品である。
「美しいな……」
「ああ本当に」
返されるはずのない相槌にグレンは聞こえた方を向いた。
隣では幼馴染みが腕を組んで、まるで興味がなさそうにローブ・ド・マリエを眺めている。
「アーシェ」
「うん、そうよ。私だけど」
「いや、すまない。……もしかして時間」
暇をつぶすために街を歩き見ていたのに遅れてしまったかと。グレンは言い淀む体で尋ねた。
言葉尻が落ち込んでしまったのは気のせいじゃないだろう。先について待っていたのに待ち合わせに間に合わないなんて、どんな本末転倒だろうか。
「大丈夫、間に合ってる」
「ああそうか」
「というか探しに来た。来てないはずがないって」
「……すまん」
アーシェの尖った口調にグレンは素直に頭を下げた。こういうときは早く謝るに限る。反省の意を受け取り雰囲気の柔らかくなった彼女は「よろしい」と許すと、目線を店の方へと移した。
「随分熱心に眺めてたわね」
「綺麗だからな」
「ふーん。誰か着せたい人でもいるの?」
「あのな……」
「そんなわけないだろう」と脱力気味な反論が、硝子窓の向こうを指差すアーシェへ向かう。
あらそう。とアーシェはグレンの反応など興味なさげに視線を離さない。
「ただのたわい無い質問なのに」
「たわい無いにしてはたちが悪い」
恨みがましく思いながら半目で睨む。
たまに突拍子もない質問をしては周囲を振り回す彼女は留学を経て大人の女性に近づいても健在らしい。
やっぱりこれは地なのか。学生時代に思いきり振り回された身としては、直らない性格にため息ものである。
「だって随分食い入るように見てたんだもの。そんな質問したっておかしくないわよ」
「俺、そんなに熱心に見えたか?」
「ええそうね」
傍目から見たらそう見えるのか。と、他人事のようにグレンは思った。しばらくは誰かに着てもらう予定もないというのに、そんな様子に見えていたのかと思う。
少し悩みながら隣に目を遣ると、アーシェが不意に口元を上げた。
「こういうのってやっぱり着せるとしたらソフィーかしら。楚々としたイメージのマリエだし、肌もあまり出さないもの」
「どういう意味だ?」
「知り合いの中で誰がこのマリエが似合うかしら、って」
「……俺はむしろお前だと思うんだが」
手首までを覆い隠すように飾られたレースはきっと体温が下がりやすい彼女でも着られるはずだ。今頃の季節ならば間違っても風邪などは引かないだろう。ドレスの裾は長く、かと言ってドレープはそこまで長くはない。ドレスを嫌厭するアーシェだって腹を括れば……。
思わぬ返しだったのだろう。目を丸くしたアーシェが呆けた顔でグレンを見上げーーそして吹き出した。
「嫌だわ。冗談はやめて」
「これが冗談に聞こえるか?」
「ええ」
面白がるように目を細める彼女は、次の瞬間には鼻を鳴らして勝気な笑みを浮かべる。大人の女性に近づいた彼女のその表情は、あの頃と……学生の頃と違ってひどく美しく生き生きとして見えた。
「まあ……私の空が夕暮れに染まったら考えるわ」
にこやかにアーシェが答えた。留学先で使うことに慣れた貴族の言い回しを用いて。
『空が夕暮れに染まる』というのは、時とともに移り変わる空を寿命に見立てた婉曲表現だ。夕暮れは、それすなわち働き盛りを過ぎた頃を指している。
つまり、考える気は毛頭ないのだろう。
「なによ。随分大仰な溜め息ね」
「……お前の旦那殿になる人は大変だろうなと思っただけだ」
恐らく婚期を逃すことになるであろう幼馴染みに呆れてしまう。見上げた空は、とても眩しい。正直、ホリゾントや照明よりも目に痛い。
自分が心配することなどではないのに心が痛む。それが未だ自覚のない恋心のせいなのか、それともただの世話焼きの性格のせいなのかはグレンには分からず仕舞いなのだった。
2056字