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028 トマトチーズリゾットの話

「食べたくない……」


 彼女がそう言ってソファに突っ伏すことなど日常茶飯事だ。そしてそう言う割に、一口大の菓子などは差し出せば食べてくれることも、またありふれた話である。


「……食欲がないのか?」

「言い直すわ。作って食べる気力がない」

「何か作るか」

「良いわ、そこまでしなくて。本当に……食べる気力がないの」


 もう一度断っておくがその割に菓子は食べるのである。確かさっきもクッキーを摘んでいたはずだがそれでこの状態とは。ある意味重症だ。変わらずソファで横になり、暗雲を纏う妻を横目にグレンは腰を上げた。向かうは台所、魔道具の小型な冷室を開ければ、傷みやすい食材や作り置きが隙間なく所狭しと並んでいる。


 手に取ったのはトマトソースとスープストックの入れ物だ。他に三角に切り分けられているチーズを……と思ったところで、「グレン」と遠くなった背後から呼び声が聞こえた。

 言ったでしょう、とでも言いたげな、お世辞にも機嫌がいいとは言えないアーシェの声は存外愛らしい。


「気にしないでくれ。俺が食べる用だ」

「ならいいわ。私の分」

「いらないんだろう。分かってる」


 苦笑しながら、さてどうしたものかと流し台の下の棚の戸を開ける。確かここにと思い当たった感触を引き寄せてみれば、目当てのものを掴んでいた。

 飯櫃だ。蓋を開ければ、一人分にはやや多いくらいの冷めた白飯が残っていた。十分である。水分を含めばもっと嵩も増えるだろう。


「さて」


 小鍋に火をかけ、チキンのスープストックとトマトソースを全て入れた。程よいトマトスープになった赤い湖には、トマトのかけらと微塵切りの玉ねぎに、ハーブの粒々がところどころ浮かんでいる。スープパスタにでもすればそれはそれで美味いのだろうが、今日はしない。


 グレンは飯櫃を持った。今までスープをかき混ぜていた木べらで米の一粒も残さぬよう、櫃からこそげ落とし小鍋へ移す。後に洗いやすいように流しの中で水につけ、再び鍋に向き合った。米が水分を吸い始めているのを確かめ、軽く混ぜ合わせる。沸騰して泡が立っているのもあって、水気は最初の頃と比べてだいぶ飛んでいた。

 確かめて、火を止める。


(あとは……)


 仕上げに、おろし金でチーズをすりおろす。米の白さを染め上げた赤に、クリームがかった白い雪が小山を作っていく。心ゆくまでおろしたそれを満遍なく混ぜれば、朱色の海からへらを鍋から離そうとするたびに白い糸が伸びた。思わず笑顔になりそうな、最高の仕上がりである。


 そうして出来上がったお手軽リゾットをグレンは木椀へとよそった。一人分には少ないが、人によっては丁度良い量である。

 ──そう、例えば食欲が無いと駄々を捏ねる困った女性が食べる程度であれば。


「アーシェ」


 声をかければ、緩慢な動作でアーシェが顔を上げた。ゆっくりとグレンの方を向く顔は眩しそうに目を細めていて、もしかしたら寝ていたのかもしれないと気付かされる。それだけ疲れていれば食欲が無いのも無理からぬ話ではあるが、かといって食事抜きというのを見過ごすわけにもいかないのだ。


「ほら」


 リゾットを一口分、銀匙で掬う。伸びたチーズをくるりと匙を回して巻きつけ、火傷をしないように幾度か息を吹きかける。そうして口元に持っていってやればじっとりとした視線を寄越された。概ね予想通りである。


「いらないって言……」

「言われたが、その割にお菓子ばかり食べるというのはどうなんだ?」


 罪悪感もばつの悪さもあるのだろう。視線がふいと逸らされる。言い返す気力もない。だいぶ状態は深刻だ。普段ならばここで跳ねっ返りの口が大活躍している。こういうときにおざなりにすると、彼女にとっても後々大変になってくるのだ。


「大して量もない。……食べて、今日は早く寝よう。な」


 有無を言わせないように念押し代わりに匙を口元へ寄せれば、観念したのだろう。ぱくりと形の良い唇が開かれてリゾットが吸い込まれる。何かを訴えるように匙の先をもぐもぐされているのを、行儀が悪いぞと笑ってグレンは再び一口分のリゾットをアーシェへ持っていってやった。


 そんなのが数回は続いたか。「自分で食べるわ」とスプーンを所望されれば、この勝負、グレンの勝ちである。スプーンを渡してやれば先ほどよりもばつの悪い顔が現れて、とうとう耐えきれなくなって彼は噴き出した。


「グレン」

「すまん、つい」

「もう。……ごめんなさい」

「……いいさ」


 我が家の女王陛下の我儘など何年の付き合いになるだろうか。もはや慣れっこである。尤も言ったら八つ裂きにされるため死んでも言うつもりはないが。ありがとうと謝罪よりも嬉しい言葉が零れたことに、皿洗いをしてくると照れ隠しのようにその場を離れる。アーシェの食べるペースも上がってきた。きっとこの分なら、すぐに椀は空になるだろう。


 結局、自分はアーシェが美味しそうに食べる姿に弱いのだ。食が細い彼女が、美味しいと自身が作った料理を食べてくれるのが。

 改めて自覚しつつその現金さに苦笑いをしそうになりながら、さて最初に洗うべきは水に浸した飯櫃かとスポンジに洗剤を含ませグレンは考える。そこで自分の腹が空腹を訴え、漸く自分が食事をしていないことを思い出した。皿洗いは一旦中止だ。栓を止め、自分用の皿を探す。


 目に映ったのは煩悩をかき消すような、儚い洗剤の泡だった。そして、満たされた心に反して現金な腹の音に、またグレンは小さく笑った。

 自分で作ったトマトチーズリゾットが美味しかったので描きました。和風出汁を使うのと、トマトソースに玉ねぎのみじん切りを入れるのがコツです。(何を言っているんだ選手権特別賞)

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