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叫宴

作者: ゆうと


  

 

 


 北村隼人は、地方の国立大学をなんとか卒業し、この春から、関西の大都市にある小さな印刷会社に就職したばかりの新卒サラリーマンだ。

 初めての一人暮らし、初めての都会生活、そして初めての遠距離恋愛。

 何よりも、初めての職場という人間関係に、大人の世界の甘みと苦みを教えられつつ、何とか、ここまで乗り切ってきた。

 一生懸命に仕事を覚え、クタクタになって家に帰っては意識を飛ばして眠る毎日が、ずっと続いていた。ようやく最近、体も心も慣れてきたところ。

 でもそれは、新社会人として抱いてきた緊張感が、徐々に薄れてきたことの証でもある。そう先輩に注意を受けて、気合を入れなおしたのは一週間前のことだった。

 とは言え、新社会人になりたての頃の緊張感と疲労感は取り戻せるものではない。いい意味で、心身に余裕が出てきたと、隼人は考えている。だからこそ、必死だったころには気が付きもしなかったことに、目が向くようになってきた。


 最初に気が付いたのは、彼女からの連絡が滞っていることだ。なんとなく、察しはついている。きっと、新たな恋を始めたんだろう。

 向こうもこの春から社会人になり、関東の大きな企業に勤め始めた。こちらと似たような状況、あるいはもっと大変かもしれない。大企業ともなると、仕事だけではなく、社内の人間関係も複雑なんだろう。

 互いに余裕がない中でも、電話を繋いで、互いの声を聞きながら眠る瞬間が好きだった。時折、彼女の話題に出てきては、幸福な時間を台無しにする、若くて優しい先輩に、いら立ったことを覚えている。

 でも、不満を口にしてぶつけるのは、どうしてもはばかられた。自分のガキ臭さが露見することになるから。そしてそれが、結局、その若くて優しい年上の男性へのアシストになる気がしたからだ。


 けれども、結果はどっちでも一緒だったことに気付き、隼人は、自嘲気味に笑う。それでもプライドは守れたと、意地をはる。小さな、小さなプライドだと、わかってはいるのだが。

 それに、自分も彼女のことは言えない。だから、彼女を責めるつもりもない。隼人は、頭では割り切っている。向こうも隼人の態度から何かを察したのだろう。いつの間にか、疎遠になってしまった。


 自然消滅。どこにでもあるよくある物語。今回はその登場人物が、自分たちだっただけのこと。

 でも、心は別のようだ。感情的には、割り切れてはいない。

 卒業前に、互いの将来まで約束しあった。学生時代の恋愛とは言え、彼女と出会えたことを幸福だと思わなかった日はなかった。身だしなみに気を付けたことがなかった自分に、いろいろなことを教えてくれたのは彼女だった。おかげで、多少は男として磨かれた。今の自分があるのは彼女のおかげだと、本当に感謝している。


「クソっ。やっぱり出ねぇ」

 無機質な音声を繰り返すスマホをベッドの上に放り投げて、続けて自分も倒れこむ。


「あっちに連絡してみるか」

 明日は、久しぶりにゆっくりできる。でも、手持無沙汰でもある。

 そんな休日を、親しくなった年上のミカに甘えて過ごすのは、悪い選択肢じゃないかもしれない。


「はぁ... どうすっかなぁ」

 半年前までは想像もしなかった選択肢に手を伸ばしかけている自分に、背徳感を覚える。

 片手でスマホを握りながら、背徳感に高揚感を重ねながらベッドに寝転がり、何気なく天井を眺める。

 そう言えば今日は第三金曜日。決まって向こうからお誘いが来る日だ。急いでこちらから連絡する必要はないかもしれない。


「ん? なんだよあれ?」

 天井に、微かな点が見える。目を凝らせばよくわかる。 

 それは、鮮やかなピンクのシミ。

「こんな派手なシミに気が付かなかったなんてな」

 明るい天井を寝転がって眺めるなんて、ここのところなかった。まだまだ自分には余裕がないと悟って、隼人は苦笑する。

「まぁ、ほっとけばいっか」

 天井を拭くのは面倒だ。

 その決断を後押しするように鳴り響いたのは、スマホ。暇だから遊ぼうとのお誘いを断る理由はない。誘ったのは向こうだからと、心の中で無意味な言い訳をしながら、手早くシャワーを浴びて家を出ることにする。

 急げば、ちょうど空いていて便利だと彼女が教えてくれた、終電ギリギリの赤い電車に間に合う。それに乗れれば、最寄り駅まで直行できる。

 駅直結の豪華なマンションは、どう考えても自分とは住む世界が違う人々の城だ。向こうも、ちょうどいい遊び相手くらいに考えているんだろう。隼人は、自分の立場をそう理解していた。

 だからこそ、罪悪感も乏しい。 

 そんな大人の理論武装をいつの間にか自然と身につけてる自分に気づいて、隼人はもう一度、苦笑を零した。





―――――‐‐ 叫宴(きょうえん)





「何だっていうんだよ!クソっ!」

 隼人は、得体の知れない恐怖の真っただ中に居る。


 終電ぎりぎりで飛び乗った赤い電車は、最初、順調に進んでいた。

 おかしくなったのは、隼人がアレを見つけた瞬間だった。電車の天井に浮かんだ、ピンクのシミ。

 その瞬間、電車が緊急停止し、車内が暗闇に包まれた。

 静寂を切り裂いたのは、若いOLの叫び声。

 連鎖するように、ひとり、またひとりと、乗客の悲鳴が鳴り響き、車内は泣き叫ぶ人々の声に包まれていく。ある者は謝罪の言葉を叫び、またある者は自分の愚かさを口にして、自らを呪っている。

 涙を流し、自らの頭を掻きむしり、床に頭を垂れてうなだれる人々を見て、隼人はいつの間にか、自分もわけもわからず泣いていることに気が付いた。

「なっ、なんなん、だよ、、マジでっ」

 動揺した隼人の足元にしがみ付いてきたのは、最初に叫んだ若いOL。助けを求めるかぼそい声、すがるように伸ばされた細い手…

「あ、、、あの、大丈夫ですか?」

 反射的に手を伸ばそうとして、気づく。

 OLの頭から、一本の糸が延びていることに。

 嫌な予感がして糸の先を辿ると…… 天井のシミに辿り着いた。ピンクのシミ。

 いつの間にかシミは大きくなり、乗客の頭に糸を伸ばしている。

「…う、嘘だ。こなんなの、、こんなことあるわけないっ」

 乗客をマリオネットにして操るような信じがたい光景に、隼人は腰を抜かして床にへたり込む。そのままOLを振り払い、後ずさった。


「なんだよ…」

 糸は、徐々に太くなる。

 人は、徐々に細くなる。

 間違いない。糸が、つまりシミが、人々を吸い上げている。

 人々の苦痛にもだえる叫び声が、ひとつ、またひとつと掻き消えていく。

「ひ、ひぃっ……」

 天井からシミが垂れて、床に広がる。

 音もなく、それは起きた。シミが床からゆらりと立ち上り、徐々に人の形になって…… 無機質で、表情のないそれが、不自然に首を捻じ曲げて隼人を見つめる。


 一歩、また一歩。

 ズルリ、またズルリ……

 耳障りの悪い音が消え、それは不自然な姿勢でピタリと静止した。


 何が起こるのかと、不安に思ったのは一瞬のこと。

 ピンクの人形は、不自然なほど大きく口を開けて…… 絶叫をあげる。間違いない…… 先ほどのOLの叫び声だ。そして、若い男性の声も混じっている...

 窓ガラスだけじゃない。電車そのものが震えるような、心の凍てつく絶叫に、隼人はガクガクと震えることしかできない...


「ひいっ」

 背後にある扉は、ピクリともしない。

 間違いない。乗客たちは、このピンクに吸収されたのだ。

 次は隼人の番だと言わんばかりに、まっすぐに、ズルリ、ズルリと歩んでくる。

「た、、助けて! だれか、誰か…… あ」

 扉を叩いて泣き叫んだ瞬間、首元にピンクが触れて…… 隼人は、意識を失った。






 +++ +++ +++ +++





「遅かったじゃない」

 ミカは、ようやくなったチャイムに機嫌を良くし、409号室の扉を開ける。

 うつろな目をした隼人を見て、笑顔を浮かべながら。

「さぁ、入って入って」 

 隼人の手を引いて、目的地へと誘う。

 さわやかな香りがして、思わずミカから笑顔がこぼれた。今日もちゃんとシャワーを浴びてきたようだ。ミカも、隼人のここが気に入っている。几帳面で、清潔なところが。

 そのままベッドに押し倒して、隼人のシャツをはぎ取る。


「それで?」

 指先で隼人の首筋をなぞれば、小刻みに震えた。

「今日は何人?」

 震えたのは、隼人の身体ではなくて...

 首元の……ピンクのシミ。


「あぁ。いい鳴き声がいっぱい」

 シミに耳をあて、次々と舞い起こる絶叫に思いを馳せるミカ。

 苦しみと絶望の狭間に立たされたヒトの感情を嗅ぎ取ると、自分の表情が歓喜に歪むのがわかる。

「こっちの若いOLは不倫ね。あぁ、このおじさんは詐欺師。強盗に傷害罪。あら、イジメの主犯もいたのね」

 その叫び声を次々に吸い込んで、自らの糧とする。

 罪人たちが赤い電車に集まるように仕向けたのはミカだ。それが彼女の流儀だから。そして何より、彼女が貪欲だからだ。罪人の方が感情の揺らぎが大きいことを、旨みが強いことを、ミカは経験的に理解している。 

 しかし、罪人が消えるという赤い電車は、徐々に都市伝説になりつつあるらしい。そろそろ手を変える必要があるかもしれない。

「隼人は今日、どんな叫びをあげたの? 」

 そっと首元に噛みつくと、隼人が見た光景が、ミカの脳裏に再現される。

 泣きながら喚いて、怯えながら、最後に彼女のことを思い出した隼人の人間らしいところも、ミカは気に入っている。ズルくて、か弱くて儚い。なんと身勝手で貪欲な生き物なんだろうか。

 それらの感情をすべて吸い取ると、隼人は、明日の朝には全てを忘れている。自宅を出て、気が付いたら朝を迎えていたと語る隼人に、昨夜は飲みすぎだったよと微笑みかけるのが常だ。


「そろそろ、別のヒトに乗り換える?」

 そっとなぞると、ピンクのシミが細かく震えて応えた。

「そう。隼人は清潔だもんね。わかったわ」

 また命拾いしたわねと、隼人の耳元で囁いて…… シャツをもとに戻す。

 いつだったか、身だしなみを整えるように隼人を教育したのは恋人だったと話していた。

「彼女を大切にしなさい」

 エサを運ぶ清潔な触媒を、今月もミカは解放することに決めた。

「そろそろ次のお客が来るころね…… 」

 ちょうどお腹が()()第三金曜日の午後、ミカの指示に従い終電間際の赤い電車に乗って、若い蜜蜂がエサを運んできてくれる。

 今度は509号室の扉を開けて、新たな触媒を迎え入れる。異なる部屋に招き入れて、丁寧に食事を楽しむのが、彼女のもう一つの流儀だ。

「それで、今日は何人? 」

 首筋のシミが震えれば、ミカの口角がニヤリと上がる。

 無数の絶叫が、脳内に心地よく響き渡るのを聞いたからだ。

 深夜の赤い電車は、罪人を弔う箱としてカルト的な人気を集めつつある。

 しかしその実は、単なる捕食の箱に過ぎない。

 このマンションも、最寄りの駅も、すべてミカの餌箱として用意されたものだ。


「あら? シャワーを浴びてないのね」

 多少べとついた手を眺めて、ため息をつく。

 疲れた表情のサラリーマンは、今日もきっと、詐欺営業に精を出してきたのだろう。

「新しい触媒、探さなきゃね?」

 ピンクのシミが不動な様を見て、ミカは小さく笑った...


 これで509号室は、しばらく閉鎖されることになる。

 ミカが直接、触媒から絶叫を味わう箱になるからだ...

 罪が重いほど、絶叫は甘みを増す。今日は期待できそうだと、ミカは鼻歌交じりで値踏みした。

 さっそく響いてきた絶叫を聞いているのは、409号室に残された隼人に宿るピンクのシミである。

 小さく震え、その絶叫に浸る。

 いつの日か、509号室の来客のように、隼人も触媒の任を解かれる。

 そのとき隼人は、どんな絶叫をあげるだろうか...

 さぞ、心地のいい音色に違いない。

 その瞬間を想像して、歓喜のあまり小刻みに揺れる。


 隼人は、期待を裏切らないだろう。

 シミは知っているのだ。

 隼人の犯している罪が、この世で最も重いことを...



                   END 








 最後まで読んで下さりありがとうございました。

 ホラー初挑戦、人を怖がらせるのって難しいですね。。

 でも、参加できて楽しかったです。ありがとうございました。

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