研究員Aは語る
絶望から発症した末期の悪鬼症候群患者は、
偏食だと言ったのは覚えているだろうか。
私が援助をしている悪鬼症候群の研究室で、
偏食の悪鬼症候群患者が働いている。
仮に研究員Aとしよう。
Aは菌類が含まれた物しか食べられない患者であり、
体から自在にキノコを生やせる肉体を持っている。
菌類を好む患者でありながら、性格は明るい方である。
どうやら悪鬼症候群は、人間の性格には影響を与えないらしい。
雨の日に頭部に巨大なキノコを生やし、
傘代わりに使用した所、悪目立ちしていた為、
Aは常時傘を携帯することを義務付けられた。
Aを通して判明したことは、偏食の悪鬼症候群患者は、
その偏食対象によって、肉体を変化させることである。
人間の進化はとうに終えたと思われていたが、
皮肉にも、この病は人間の進化を助長させるようだ。
より生きやすいように、より長く生き残れるように。
悪鬼症候群患者の可能性は無限大である。
もしかすると、彼ら悪鬼症候群患者は、
人類の文明に大きな功績を残すかもしれない。
悪鬼症候群研究家 葉桜 拓郎。
◇◇◇
二月四日。悪鬼症候群研究室にて。
「すみません、赤月さんはいらっしゃいますか?」
深海が一人の研究員に尋ねると、
奥の机に座っていた研究員が深海に向かって嬉しそうに手を振る。
「はいはーい、赤月さんは俺だよ」
すると、腕でも当たったのか、机に山のように
積み上がっていた本の山が雪崩のように崩れてきて、
それは赤月本人へと襲いかかる。
「うわっ」
ドサドサドサーー…
「だ、大丈夫ですか?」
本の山に埋もれてぴくりとも動かなくなった赤月を、
深海が心配そうに尋ねると、その直後に勢い良く本の山から出てきた。
「いやー、ごめんね深海さん
俺片付けとか苦手だから、ついつい溜め込んでしまうんだ」
「片付け、手伝いましょうか?」
「いや大丈夫、いつも風見にやらせてるから」
「てめ、また俺にやらせる気かよ!
幼なじみだからっていつも俺に面倒事押し付けやがって!
今日のおごりはラーメンにチャーハンプラスしてやるからな!」
「うわー、良く食べるね風見
少しは俺のお財布事情考えてよ」
「むしろ妥当な報酬だろ
嫌ならこれからは自分でやるんだな」
「くっ、仕方ねえなぁ…
好きなだけおごってやるから今日も頼んだ」
「よっしゃ!じゃあ餃子もプラスな!」
「さっきより増えてるじゃねえか!」
「あの、それで僕に用事とは…」
「あ、そうだったね
まず自己紹介から始めようか
俺の名前は赤月 一葉
菌類を含んだ物しか食べられない悪鬼症候群患者だよ」
「それで、俺は風見 優吾
こいつの幼なじみで、同じ悪鬼症候群患者だ
俺の場合は、多くの人間が好む食べ物しか食べられない偏食持ちだな」
赤月は漆黒の髪と深紅の瞳が特徴的な研究員で、
一方、風見は新緑の髪と紺の瞳を持つ研究員だ。
「こいつ凄く大食いで、金がめっちゃかかるから、
おごる時は気を付けてね」
「流石に初対面の相手におごらせる程非常識じゃねえよ」
「赤月さんと風見さんですね
初めまして、僕は深海 守と申します」
実際には、深海は赤月と会うのは初めてではない。
何度も繰り返した一年の中で、彼とは何度か会ったことがあるのだ。
しかし、この世界線では彼と深海は初対面ということになっている。
一年を繰り返しているのを知っているのは、今は深海だけなのである。
「あ、そうだ
柚様からいっちゃんにって…」
いっちゃんとは赤月のあだ名である。
普段から赤月は親しい研究員からはそう呼ばれている。
(ただし、風見だけは赤月と呼ぶ)
「わあ、柚ちゃんから?
あの子いつもキノコの詰め合わせくれるから大好き」
「お前いつも自分の体から生やして食ってるだろ」
「人間が作ってるキノコは、森の味がして好きだよ
僕から生えるキノコだと、今日食べた物で
味が変わるから、たまには素朴なのが食べたくなるんだ」
「まあ、お前の体、甘い物食べると甘いキノコ、
ウイルスとかの毒食べると毒キノコ生えるもんな」
「菌類なら猛毒でもへっちゃらだよ
お腹は痛くなるけどね!」
「ダメじゃねえか」
「それで、僕に協力して欲しいことって…」
「ちょっと待ってね。すぐに持ってくるから」
赤月は一度奥の部屋へと入ると、
しばらくしてから奥の部屋から何かを持ってきた。
持っているのは、生肉が載っている皿のようだ。
「Aの肉と、Bの肉、どっちが美味しそうに見える?」
何の肉かは分からないが、Aの肉は美味しそうに見えるのに対し、
Bの肉は美味しそうと言うよりは、恐ろしく感じた。
決して食べてはいけないと、脳が警鐘を鳴らしている。
あの肉は多分、食べてはいけない危険なものだ。
「そうですね…Aでしょうか」
「Aか…良い判断だね」
僕がそう答えると、赤月は満足そうに笑い、
二つの肉の皿を奥の部屋へと戻した。
「ところで君、人間の肉を食べたことはある?」
「いえ、無いですけど…」
「そりゃ無いだろうね、あったら間違いなく殺処分だ」
「どうしてそんな質問を?」
「僕は菌類が含まれた物以外は味を感じない
その一方、人間は菌を含んでいる生き物だ」
「何が、言いたいんですか?」
「あれ?ここまで言っても分からない?」
赤月は菌類が含まれた物しか食べられない。
勿論菌類が含まれていれば、味を感じられる。
そして、悪鬼症候群が治る保証もなければ、
彼が無害だという保証もどこにもないのだ。
赤月は子供のように無邪気に嗤う。
「ねえ、深海。もし俺が菌類を含む人間を食べたら、
どんな味がするんだろうね?」
彼の言葉からは全く悪意は感じられなかった。
ただ純粋に、興味本意で人間を食べてみたい。
そう、彼は間違いなく悪鬼なのだ。
ただ偏食なだけの、恐ろしい鬼には変わりない。
「赤月、それは流石に笑えねえぞ
本当に食ったらお前の方が殺処分だ」
「分かってるよ風見
流石にそんな馬鹿な真似はしないさ」
「…………僕は、人間は食べません」
「そうか、なら良い
どうか君は最後まで、人間のままでいてくれよ」
「そうですね、柚様の為にも、
人間のままでいないといけません」
柚様、あなたは赤月の問いに、
一体どのように答えるのでしょうか。