鬼と人の境目
鬼と人の境目とは何なのであろうか。
鬼とは所謂邪悪なもの、得体の知れぬ生命体を
人々は鬼と呼称するが、ならば悪鬼症候群患者の、
鬼と人の境目となると、まだ完全に解明されてはいない。
ただとある研究結果で面白いデータがある。
諸君は節分の豆まきなどに使われる大豆は知っていると思うが、
これはそれに関する研究データだ。
とある研究施設で、条件の違った悪鬼症候群患者を用意した。
A:理性の失った悪鬼症候群患者(強い嫌悪感により発症)
B:理性のある悪鬼症候群患者
C:理性のある悪鬼症候群患者(強い絶望にて発症)
この被験体に豆をぶつけてみたところ、
BとCは反応なし、Aだけが苦しそうにもがいていた。
そして次は試しに食べさせてみたところ、
BとCは同様の結果で、Aだけがもがみ苦しみながら息絶えた。
このデータを元に判明したことは、
鬼と人の境目は、我々の認識によって変わるということだ。
つまりは、一人でもその患者を人間として
認識している者がいるなら、豆も効かないのだ。
当時の研究員は誰一人Aを人間として認識してはおらず、
いつ襲いかかってくるか分からずに恐怖していた。
だからこそ、Aには豆が効いたのであろう。
この記録を読んでいる諸君は、どうか忘れないで欲しい。
本物の鬼を作り出してしまうのは、
他でもない、鬼を恐れている我ら人間なのだと。
悪鬼症候群研究家:葉桜 拓郎
◇◇◇
二月三日、節分の日。
「悪鬼を作り出すのは僕達人間…か…」
それならば僕は、周りの者にとっては何なのだろうか。
人を喰らう悪鬼か、それとも人間なのか。
「何読んでるの?深海?」
すると、背後から柚様が覗き込んできた。
手に持っているのは…大豆が入っている箱のようだ。
「柚様のお父様の本ですよ」
「私もパラ読みしたことあるけど、
お父様って何て言うか、
固い、というか、難しい書き方するわよね」
「文章には人の性格が出ますから、それが反映されたのでしょう」
「まあ、好き好んで悪鬼症候群の研究ばっかしてるから、
頭も固いのは仕方ないのかしら」
「一つのことに熱中出来るのは良いことですから、
我々がどうのこうの言う資格はありませんよ」
「そんなことより深海!豆まきやろう!深海鬼ね!」
先程の記述には、周りの認識によって、
豆が効くかどうか変わると言っていた。
柚様は…僕を人間として認識しているのだろうか。
もし、鬼として認識していたとしたら…
「………良いですね、やりましょう」
あって欲しくない悪い考えを打ち消して、
僕は柚様の後へと続いた。
「はい、これ着けて!」
庭に出ると、柚様は満面の笑みで鬼のお面を渡す。
どこで買ったのかは知らないが、まぬけそうな鬼だ。
桃太郎の絵本とかに出てくる倒された後の
情けない顔の鬼みたいな…
「ちょっと深海!いつまで突っ立ってるのよ!
早くそのお面着けて鬼役やって!」
「はいはい、分かりましたよ」
僕が鬼のお面をつけると、すぐに柚様は
嬉しそうな顔で僕に豆をぶつけ始めた。
豆がぶつかっても特に体の変化はないので大丈夫そうだ。
「鬼は~外!鬼は~外!」
「これ、僕達がやるとシュールですね」
「何言ってるのよ深海!
私達の節分は願掛けみたいなものなの!
体の中にある鬼を追い出して、
悪鬼症候群を治してもらうの!」
たかが豆にそんな効果はないだろうし、
それなら病院行った方が早く治るだろうが、
柚様が治ると豪語しているのだから信じることにしよう。
今はただ、この何気ない日常だけが僕の全てだ。
僕は完治なんて望んではいない。
一日でも長く柚様と平和に過ごして、
あの運命の日に共に死ねたら…それだけで充分なのだから…
「では、次は柚様が鬼役して下さい」
「えー…もっと豆投げたかったのに…」
「この豆まきが願掛けなら、
僕にも柚様の完治を願わせて下さいよ」
「うー…仕方ないな」
柚様は渋々と言った表情で僕に大豆が入った箱を差し出す。
完治するのが嫌なのか、はたまた本当にまだ投げたかっただけか。
その真相は、多分どれだけ繰り返しても分かりそうにない。
「それじゃあ、行きますよー」
「がおー!鬼さんだぞー!」
柚様は鬼のお面を着けた状態で、
一生懸命に怖い鬼を演じようとしているのだろうが、
ただ可愛いだけで怖さとかは微塵もない。
「リアルで自分は鬼だと宣言してる奴いないと思いますけど」
「節分にリアルさとかいらないの!
大事なのは楽しめるかどうかよ!」
今回の豆まきで分かったことがある。
僕と柚様に豆は効かないということだ。
良かった。
僕は。
私は。
まだ人間のままなんだ。
恵方巻きを食べながら、物思いにふける。
今日も何事もなく一日を終えた。
僕達は後何回、平和な一日を過ごせるだろうか。
ああ、二月三日がもうすぐ終わる。