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無法の街カナン(2)

――


 イクリアは金銭を持たされていないので、露店市場のない街外れを少しだけ散歩して帰ろうと思っていた。


 街を訪れたばかりの昨日は、「なあ、これ買って良いか!?」とか、「あれやっていいか!?」と、歓楽施設や露店に並べられた商品を見てはジョージに聞いてばかりいた。

 すると「いいよ」か「駄目」と、きっとイクリアについた値段との天秤にかけたりだとか、さまざまな判断から出された単純な言葉だけが返ってくる。そしてイクリアは、その言葉に従っているだけで良かった。


 けれど一人きりで歩いていると、街の情景には別の意味が浮かんできた。顔も見たことがない母親が通った道を、今の自分も歩いているのかもしれないのだ。

 この猥雑な街で日々を送って、未だ見ぬ答えを目指して迷宮に潜った母親の姿を思い描く。そうすると少しだけ、胸の内側が暖かくなるような気がした。


「会えるといいな、母さんに」


 そう独り言のようにこぼした時だけは、ジョージは肯定も否定もせず「値段分はきっちり協力する」と答えたのだった。顔も知らないどころか、生きているかすら分からない母親。


「……叶えてくれるといいな、願い」


 けれど、そのために誘ったファセリアは、どうやら乗り気でなさそうなのだ。



「“日蝕髪”かい、懐かしいねえ……前に会ったのは思索者をやっていたかね」


 『蜘蛛の洞窟』の入り口を通りかかったイクリアは、そんな呟きを聞いて思わず声の方に振り向いた。ぐるぐる巻きの包帯で眼元を隠した、“語り部”の老婆だった。

 彼らは何も視ることなく自ら動くこともなく、ただ人から聞かされた話を誰かに伝える、生きた『写本機』とでも呼ぶべき存在だ。


「……目が見えてないのに、なんで分かるんだ?」

「眼が見えなくてもマナの輝きは綺麗に光るんだよ。随分と……随分と昔のことさ。この地の底に潜っていった、遠い昔の友人がそうだったからね」


“日蝕髪”は存在そのものが単純な魔法のようなもので、『主題』と呼ばれる節理を介することなくとも、マナを世界に働きかける力に変換できる体質なのだと“語り部”は言った。


「ほら、あんたの胸元にマナの塊があるだろう。それを使えば動力なしに魔法具を動かしたり、閉ざされた扉を開けるのだって、大したことでもなかろうさ」


 ペンダント状にした『白星の鱗』を両手で包み込むと、イクリアの指の隙間から白い輝きが漏れ出してくる。それを『蜘蛛の洞窟』の入り口へかざすと、子供一人が通り抜けられる高さまで門が引き上げられた。


――


 クラズィックの死体は既に片付けられていて、けれど閉鎖された『蜘蛛の洞窟』の周囲に誰も居ないのは、後から思えば奇妙なことだった。


 もしかしたら語り部の婆は、ヒトではなかったのかもしれない。

 優れた智慧でヒトを惑わし深淵へと誘う『魔物』の類いは、姿を偽って地下迷宮の外に出てくることもあるのだ。


 イクリアが『蜘蛛の洞窟』に足を踏み入れてすぐに、後ろで扉の閉ざされる重い音が聞こえた。慌てて扉越しに“語り部”の婆に呼びかけても、誰かの声が返ってくることはなかった。

 そして胸元の『白星の鱗』は輝きを失っていて、再び扉を開ける力は残されていないようだった。

イクリアは初めて死の恐怖を感じて、思わず泣き出してしまった。


 それから少し経った後、イクリアは近くでリィンと小さな音がすることに気付いた。

 鼻をすすりながら音の出所を探ってみると、いつの間にかポケットの中に小さな鐘が入っていた。

 それを揺らしてみると、ここではない何処か遠くでリン、と鐘の音が鳴った気がした。そして鐘の音は地上からではなく、どうやら迷宮を進んだ先から響いているようだった。



 ヒトは()()死ぬか。それはイクリアにとって、ヒトは()()()死ぬなんていう当たり前の事実とは、比べ物にならないくらい重要なことだった。


 かつてパンの欠片や薄い豆のスープにありつくために、施設の中では良い子にしていないといけなかった。

 好きなものに金を使ったり、生まれ育った街の外へと冒険する未来なんて考えたことさえなかった。

そんなことをしては、生き残れないからだ。


 寿命と引き換えの、自由な一か月間。その契約をジョージが持ちかけてきた時から、とつぜんイクリアの世界はいろづき始めた。

 自らに残された時間が限られているということは、生き残るためだけに生き続けていくという、大きな呪縛から解放されることだったのだ。


 けれどイクリアは今ジョージから遠く離れた場所に居て、一ヶ月どころか次の瞬間に生きている保証さえない。

 閉鎖された『蜘蛛の洞窟』の中に人の気配はなく、イクリアは微かに頭上から差し込む光だけを頼りに、それでも蒼黒い石畳の回廊を進んでいく。


 かつて人ならざるものが生活していたという巨大遺跡は、少女の身体で歩いて見上げるには広すぎた。

 初めて訪れる迷宮の中で、小さな鐘の音だけがイクリアの進んでいく標になった。


――


 音が響いてくる方向に向けて歩くほど、聞こえてくる鐘の音が大きくなっていくのが分かった。

 それだけでなく揺らしていない自分の鐘が、同じくらいの大きさでリィンと鳴る回数が増えていった。


 これは二つで番[つがい]の品なのだと、イクリアは理解した。

 片方を振ると、もう片方の音が鳴る。その距離が近づけば近づくほどに、音は共鳴して大きくなっていく。


 イクリアは長い回廊を抜けて、閉ざされた大きな扉に辿り着く。

 胸元の『白星の鱗』は仄かに輝きを取り戻して、入り口に引き返せば迷宮の外に出られるかもしれなかった。

 それでも扉の先に待っている対になる鐘を持った誰かとは、今しか出会えないかもしれないのだ。


 そして『日蝕髪』の力を使って扉を開けた先で、イクリアが最初に出会った『誰か』はヒトではなかった。


 心臓のところが大きく穿たれている、ゆっくりと歩いてくるヒトのようなものが居た。

 天日干し(ミイラ)のように肉が削げ落ちて、けれど肌は瑞々しい青白色をしている。

 それは死しても尚ヒトの姿かたちを保って動き続ける、『ゾンビ』と呼ばれる魔物だった。



「オレを呼んでたのは、オマエなのか?」


 イクリアは勇気を振り絞って、ゾンビへと問い掛ける。何よりも命が終わる一秒前まで、納得のいくように生きたかったのだ。


 ゾンビは微かな呻き声を上げただけで、まるで仲間を求めるかのように手を差し伸べてくる。

 埃の積もった青白い肌には腐る様子さえもない、まるで滅びや死とは無縁であるような魔物の姿に、イクリアは恐怖さえも無くなっていくように思えた。


 最期に一度だけ、イクリアは鐘を揺らしてみる。


 番である鐘の音が今までで一番強く、ゾンビの向こうから鳴り響いた。


「ヒトのままで居たいなら、あまり()()に近付き過ぎないように」


 振り返ったゾンビと、イクリアの視線の先で。脚甲で石畳を削り歩いてくる少女の腰に、共鳴する小さな鐘が提げられている。

 右手に携えた大鎌が鈍い輝きを放ち、左手の管鉢杖には『水晶の火』が灯されていた。


――


 イクリアから目標を変えて迫りくるゾンビの腕を、ファセリアは鎌で斬りつける。しかし刃が折れる寸前まで力を込めても、小さな傷しか付けることができない。

 ゾンビの落ちくぼんだ眼窩から『月の雨』に似た、白く輝く粘性の液体が流れ落ちていく。


「魔物は流れる血によって生きるのではなく、一つの主題に対する考察から得られた魔法によって命を永らえる。故に彼らは奪い、喰らう獣の本能に従って動いているわけではないけれど、至高とする己の主題を他者に『啓蒙』することで深淵へと誘い込む」


 ゾンビは自らの身体に流れる時間を極限まで遅くする魔法によって、たとえ首を切り落としても矢で心臓を射抜いても、その傷が死に至るまでの時間を無限遠にまで引き延ばすことができる。


 悠久の時を生きる魔法はゾンビが触れたものにも伝播し、一度触れられれば二度と元の時間の流れに戻ることはできず、同じゾンビに成り果てる。

 しかしファセリアに伸ばしたゾンビの手は、彼女を取り囲む氷の壁に阻まれる。


 それはイクリアが初めて見た『永遠』の主題の一つ目の解、『凍結』の魔法であった。

 ゾンビを構成する魔法は、また彼が凍り付くまでの時間も無限遠へと引き延ばしていくが、その足元を包み込むように氷晶が育っていく。



「『永遠』の主題の、二つ目の解」


 動きを封じられたゾンビの前に立ち、ファセリアは何時になく饒舌に物語る。

 それが魔法の『詠唱』であるとイクリアが分かったのは、全てを聞き終わって魔法が発動してからだ。


「時間経過を遅らせることにより、生存時間を無限遠に至らせる試みは古くから為されてきた。しかし地に墜ちる林檎の時間を遅らせても墜落の事実を消して停止させることはできず、ゆっくりと破滅に向かい続けるだけ」


 詠唱とは自明の主題を再び物語ることで、その効果を増強させるもの。

 そして余りにも平易な言葉で綴られる、誰かに呼びかけることすらない『物語[エピソード]』の叙述であった。


「対象の時間を停止させることで劣化を防ぎ、凄まじい強度を得ることができる彼ら[ゾンビ]の思い描いた『永遠』の到達点。それはゾンビの生命の仕組みであり、私が用いる『硬化』の魔法の作用機序」


「けれど生体にこの魔法を使用すると、対象のマナの流れを完全に停止させることで壊死させる、主題とは真逆の効果を持つことになった……こんな風に」


 ゾンビの心臓の穴へと鎌の先端を差し込んだファセリアは、そこで『硬化』の魔法を発動する。

 あらゆる時間を『停滞』させて永遠を生きようとしたゾンビは、『完全な停止』によって代謝を止められ全身が壊死していき、もはや石像のように動かぬ骸として地へと倒れ伏す。


 魔物を狩るのは、ヒトや獣と同じようにはいかない。されど魔物も生物[ナマモノ]である以上、決して『不死』ではない。

 彼らの命の仕組みを理解して、その『主題』を破綻させれば殺すことができるのだ。


――


 ゾンビが倒されファセリアにも出会えたことで、イクリアにも回廊を抜けた先の景色を落ち着いて見渡す余裕ができていた。

 そこは複雑に入り組んだ広大な地形で、地上の街と違うのは空がないことだけだった。


 イクリア達の居るところは高台となっており、微かに漏れる陽射しで紛れ込んだ植物の種が育ち、小さな庭園のような様相を呈していた。

 その中心に置かれた精巧な模様の刻み付けられた台座に、かすかに粘度を持った光り輝く液体が満たされている。


 それは地底深くから『月の雨』を汲み出すための装置で、『無法の街』に暮らすものたちの生活の礎となっている。

 その大きな水盆の中央にあった小さな塔にイクリアが触れると、胸にかけた『白星の鱗』がほのかに輝いて塔の天辺から『月の雨』が噴き出してくる。


「きっと『無法の街』の人たちも喜ぶな」

「今は私たちしか、この迷宮の中にヒトは居ない。だから自由に使わせてもらいましょう」


 ファセリアは躊躇いなく鎧と衣服を脱ぎ捨てると、噴水の中に入っていってゾンビの青白い返り血を洗い落とす。

 イクリアは地上での彼女についての、消極的だとか遠慮がちだといった印象を少し改めることになった。



「その鐘は『伝達』の主題を追い求めたクラズィックが、自らの魔法を応用して作り上げた魔法具。遥か彼方の地の底まで響く鐘の音色を、思索者たちは協力しあうための特別な符丁としたの」


 ファセリアは突然迷宮内の仕掛けが動作しなくなって立ち往生していたところに、その鐘の音色を聞いたのだという。

 イクリアの自由行動に対して『手を打たせてもらう』とクラズィックが言っていたことも、後になってから思い出された。


「主題を共有できない他者と、交わることを避けてはならない。クラズィックが私たちに鐘を渡した理由が、少しだけ分かった気がする」

 

 思索者は己の人生という物語を通して、自らの抱いた問いへの答えを知る。そして巡り合う他者とは、常に己の人生という物語の共著者である。

 天と地のように隔たった他者と巡り合い、己との差異を読み解くことでのみ独自の思索へと至れるのだ。それはクラズィックがかつて、己の盟友に説いたという言葉であった。


「あなたの依頼を受けるわ。その代わり」


 『月の雨』に濡れたファセリアが、鎧を纏わない裸の手をイクリアへと差し出してくる。

 兜を取った薄紫色の瞳もまた、イクリアの黄金色の瞳を見据えるようにして、彼女は一つの物語の序章を紡ぐ。


「約束して。未来と引き換えにしてでも手に入れる価値のある何かを、あなたの限られた命の中で見つけ出すと」


 古の叡智が刻まれた、広大なる『蜘蛛』の迷宮。

 一人は、いつ絶えるとも知れない刹那の命に意味を求めて。

 一人は、終わることのない思索の中に答えを求めて。

 本当の意味で、そこで二人は出会ったのだった。


――

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