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無法の街カナン(1)

 かつて魔物たちが閉鎖的な文明を築き上げた、ヒトならざる叡智による地下の楽園。それを思索者たちが見つけ出し、迷宮の主を制圧することでヒトの手へと奪い去った。


 その残骸である『無法の街カナン』の第一階層は、縦横に張り巡らされた階段と、高低差のある幾つもの石台が組み合わされた巨大な石積みの箱庭のようだと例えられる。

 元から誰のものでもない暗青色の石畳の上に、人々がめいめいにトウ編みのござを敷いて商品籠を並べている。

 その間を縫うようにしてジョージとイクリア、少し離れて砂狼の少女とファセリアが歩いていた。


「『湖の論壇』は知っているかい?カナンを拠点とした思索者の寄り合いで、僕の得意先でもある。君向けの依頼を探すには手っ取り早い場所だ」


 ジョージは目的地を説明しながらも急ぐ様子はなく、身体いっぱいに好奇心を漲らせて歩き回るイクリアを、少し後ろから保護者のように見守っている。


 かつて地表に露出する前には遺跡の壁であったであろう、崩れた街壁の外には数多の行商人の荷馬車が停めてあり、その向こうには急勾配の斜面と『土の海原』の重畳が広がっている。

 住居の類いは地上になく、旅人は地階にある連れ込み宿や酒場、己の荷馬車の中で眠るのだ。


「あんなとこで寝て金やモノを盗まれないのか?」

「奴らは別に盗まれても構いやしないのさ。自分も起きたら寝てる連中から掏っていけばいいからな。それに自分が何もしなけりゃ、命までは取られることがないのさ」


 方々で酔いつぶれて眠っている住人たちが不思議で仕方がないイクリアに、砂狼の少女が笑う。

 叡智もたらす『月の雨』が留まらない高所の街では誰も彼もが獣に近く、女絡みや酒絡みで刃傷沙汰となることも少なくない。


「おい嬢さん、幾らで売ってる?」


 ファセリアが後ろからの野太い声に振り向くと、声の主は鬼人[オーガ]と呼ばれる巨躯の獣人であり、その視線は砂狼の少女に向けられていた。


「生憎だが、アタシの値段はアレに聞かないと分からねえな」


 ヒトの輪郭を失いつつある獣人や悪魔憑きは、全身を覆うローブや肢体に巻き付ける包帯を、衣服の代わりとして用いることがある。

 砂塵塗れの毛並みを必要最低限の包帯で隠しただけの、街娼に見紛うような装束を見せつけるようにして、砂狼の少女は親指でジョージの居る方を指し示した。


 カナンは『無法の街』と呼ばれながらも、争い以外での怪我人や死人が出ることは滅多にない。結局、鬼人の男もジョージと彼女の首輪を見比べて、なるほどねと肩をすくめて去って行った。


 往路を歩いて道端に眠るヒト共の、誰が奴隷か分からないからだ。奴隷を傷付けたり殺したりすれば、持ち主からの手痛い報復が待っている。ここは高名な思索者や、奴隷商人の類いにとっても拠点となりうる地なのだ。


「『湖の論壇』の場所を教えてください。回り道になるようなら、先に行っていますから」


 石段から石段へと飛び移っていくイクリアは、この地に居る全ての露天商を見て回ろうとしているようだった。

 間に合わせの『写本機』を買い終えたファセリアは先を急ごうとするが、ジョージは「そんなに焦る必要もないだろう?」と言った。


「それに、あれは『場所』を持たないんだ。僕がどこかの酒場で席に着けば、向こうから現れてくれる」


 ある露天商の並べた商品に目を輝かせていたイクリアは、期待と不安の入り混じったような表情でジョージを振り返る。その頃には既にジョージが銀貨袋を取り出して、子供向けの山高帽やローブといった品物の値段交渉を露天商に持ちかけていた。



 ジョージが酒場に着くころには太陽は地平線近くへと傾いて、ついでにイクリアの全身は仮装衣装のような装飾品たちに埋もれて、ほとんど見えなくなっていた。

 街の外壁沿いにある停留所に次々と新たな商船が到着して、我先にとカナンの街の商人組合を目指して商人達が走っていくのが窓越しに見えた。


「『境界の聖都』からの船団かな?これまた我先にと慌ただしいことだね」


 祭りか暴動のような騒ぎを横目に、ジョージは薬草酒に口をつける。

 カナンの商人組合では自らの在庫の数に応じて買い取り価格を下げていく方式を採用しており、同時期に出発した商船から遅れるほど貿易商の利益は下がっていく。


「私には分かりません、なぜ貴方は急がないのですか」


 太陽の陽射しが強さや月の雨が降り続く長さなどの不確定なものが多い航路の中で、また行商人や品物の性質によって後どれだけの品物が運び込まれるかは予想もつかない。そして向こうの国の情勢を伝える伝令などが居たとしても、莫大な財力にものを言わせた商船の速力には敵うはずもない。

 だから商人組合は近眼的に一定の利益のみを確保して、損得勘定は貿易商人達に丸投げするのだ。貿易商人たちは月の雨が上がった直後や、仕入先での品物が入手できた瞬間から我先を争って特産物を運び出す。


 時には競争相手を邪魔することもあり、巡り巡って馬車を壊して品物を強奪されることもある。もしくは競争相手の居ないような品を仕入れたり、物価を下げられにくい別の引き取り先を探すこともある。

 それは時の流れが異なる険しい『土の海原』を隔て、いつ需要と供給が崩れるか分からない地ならではの仕組みであった。


「僕らは商品も取引相手も違うからね。ほら、丁度来たようだ」


 ジョージの言葉にファセリアが店の入り口を見ると、黒い甲殻に全身を覆われた六本腕の巨体が、狭そうに扉枠に身体を押しこんでいるところだった。


「ジョージ、待たせたかな」

「いや、丁度今着いた所だよクラズィック」

「そうだね、我が同胞から『信号』が来ていた」


 『湖の論壇のクラズィック』或いは『クラズィックの六目公』と呼ばれる悪魔憑きは全身が黒い甲殻に覆われ、六本の腕と黄金に輝く六つの真円の眼を持っていた。

 彼はヒトとヒトの繋がりが遠きに渡り、利便性を持つことを求める『伝達』の主題の思索によって悪魔憑きへと変じたのだ。


「今日一日『湖の論壇』で見張らせてもらったが、此処に居る全員に尾行も怪しい動きもなかった。頭目ともなると、地上に出るだけでも用心が必要なものでね」


 口頭での通達は速さに優れるが機密性と伝達距離に欠け、書文による伝達はそれを運ぶ伝令の速度に縛られるが、クラズィックの用いる魔法は伝達の『距離』と『機密性』と『速度』のそれぞれを解決したものである。

 船着き場を始めとして街の各所に混じっていた『湖の論壇』の構成員が、『伝達』の魔法によって共有していたジョージ達の情報から、安全を確認した上でクラズィックは姿を現したのだった。


 『悪魔憑き』とは叡智を司る月のマナの影響によって、純粋なヒトの形態を保てなくなった者たちを指す。

 獣人と異なり膂力や俊敏さ、生存のための身体能力においてヒトに劣ることも少なくないが、その叡智はヒトの想像を遥かに上回るものであるのだ。


「それで『日蝕髪』は、こちらの子だね?」

「うん、君に頼まれていた商品だよ」


 瓶ごと氷に漬けて冷やした山羊の乳と、揚げたパンに蜜を塗ったもので口元をべたべたにしたイクリアが顔を上げる。

 辺境の呪術師のような山高帽を取り上げると、真夜中にあっても太陽の残滓を散りばめた『日蝕髪』の煌めきが露わになる。


「間違いなく本物だ。これを確かめる仕事だけは、『湖の論壇』の部下にも任せるわけにもいかなかった」


「そして君は……」

とクラズィックは、ファセリアの方に向き直る。


 ジョージが事情を説明しようとする前に、クラズィックは彼女の姿からまるで書物を読み解くかのように素性を推察していった。


「獣革の小盾と、細身の鎌。魔法に傾倒しながらも、ある程度の近接戦闘力を求められる一人旅の思索者としては珍しくない装備だ。質は良いが使い込まれていない女性用の鎧と併せて見るに、経済環境の悪くない家を飛び出してきた駆け出しの思索者といったところかな?」


 クラズィックは地の塔窟に潜り蒙を啓く思索者としても名が知れた男であり、『号砲』の魔法を簡略化した『狼煙』の咒具は、思索者たちの間で連絡手段として重宝されている。

 思索者としてファセリアの偉大なる先達である彼に、ジョージは記憶の手掛かりである『写本機』を見せた。


「コルセットのように細身の胴鎧は魔術に抗する力を持つ銀製であり、そこから足甲を隠すように伸びる緑のスカートにも呪殺を防ぐための『月』の植物が縫い込まれている。そして『永遠』の主題、なるほど『歌う氷河の村』の出身か。しかし、随分と遠いところからやってきたのだな」


 『歌う氷河の村』は極めて寒冷な地であり、月のマナが固体として降り積もる。

 その影響で山合いの村でありながら『月』の恩恵を受けやすく、温和かつ閉鎖的であり『悪魔憑き』となる村人も多く、また其処でしか見られない不可思議な動植物が多く自生している。


「この街はな、もともと特別な何かが採れるわけでも住み着いていた種族が居たわけでもない、だけど『場所そのもの』が必要とされている。『歌う氷河の村』とは真逆の成り立ちだな」


 酒場の店主らしき男がカウンター越しに声をかける。見上げてみれば砂狼の少女に、売春を持ちかけて断られた鬼人の男であった。


「行き場をなくした破落戸や娼婦、他では暮らせないような獣人に悪魔憑きが吹き溜まって、そいつらが生きるために必要としたから商人が訪れるようになった。それが街の起こりだ」


 クラズィックが『伝達』の命題を追い求めたのは、距離や時間といった制約を超えて言葉を交わす手段が生み出されれば、異なる地のヒトが不要な諍いを避けて、力を合わせる契機になるという考えからだ。

 そして様々な地を繋げようとする試みの中で、『境界の聖都』やカナンといった大きな街に限らず深い知識を持っていた。それでもクラズィックの言葉のなかに、ファセリアに思い当たるものはないようだった。


「あんたもその若さで“渡りの思索者”だっていうと、なにか事情があるんだろう?大きな街での商売や仕事では食っていけない、誰にも会わない地下迷宮の中を生業にしていかないといけないような事情がさ」


――


「もう陽も沈んだことだ、今晩は上の宿を貸してもらうといい」


 ジョージから借りた金で最低限の装備を整えて、迷宮に向かおうとするファセリアの背に声がかかる。黒い甲殻に覆われたクラズィックが、六本腕を組んで酒場の椅子に腰かけていた。


「今夜からダンジョンの下見に向かいます。誰かと一緒に居るよりは、迷宮の中で思索の深みに潜っていたい」

 

 『永遠』という主題に己だけの答えを見つけようとするファセリアにとって、商談のためとはいえ『悪魔憑き』となった身体を世俗の中で窮屈そうに押し込めているクラズィックの姿は違和感のあるものに思えた。


「思索者の先達としての助言だ。主題を共有できない他者と、交わることを避けてはならない。思索者は己の人生という物語を通して、自らの抱いた問いへの答えを知るのだから」

「……私には、分かりません」


 いつもの答えを返したファセリアに、クラズィックは小さな鐘を手渡した。それは揺らしても音の鳴らない、奇妙な魔力を帯びた咒具であった。


「これを持って行きなさい。きっと君の思索の助けになるだろう」




 ファセリアが何処かへと消えたのを見届けてから、クラズィックはテーブルの向こうのジョージに向き直る。


「対価や引き渡した後の契約についての取り決めは、もう少し後でもいいだろう。だがねジョージ、『日蝕髪』を迷宮に潜らせることは歓迎できない」


「僕らが日中に話しているのを聞いていたのかい?便利なものだね、『伝達』の魔法は」


 ジョージの軽口にも取り合わず、クラズィックの口調は断固としたものだった。


「この街の地下に広がる『蜘蛛の洞窟』は、決して安全とは言えない。『日蝕髪』の実験試料が、不慮の事故で失われてしまうことは絶対に避けねばならない」


「『一ヶ月限りの自由』が彼女の仕入れ値だ。彼女を買い取った時の契約を僕が果たすまで、厳密には僕の商品ですらないんだ。無論、それを君に売り渡す権利も存在しない」


「つまり彼女はまだ奴隷でない、強奪したところで誰からも報復を受けない存在であると?」


 何気ない仕草で、ジョージの手が腰に佩いた長剣と短銃に触れられる。


 奴隷商人に最も求められる能力は、奴隷を従わせる調教の心得でも、安く仕入れた品物を高く売りさばく商才でもない。

 奴隷を買い取る時に結んだ契約を、数多の障害を乗り越えて履行できる『武力』である。


 クラズィックはそれを知っていたし、ジョージもまた目の前の相手が『湖の論壇』の頭目に相応しい力を持っていることを知っていた。


「僕に向けて売約済みの商品だ。“適した主”であってくれよ、クラズィック。商人としての信用に関わる問題なんだ」


「無銭の行き倒れを助けて、向こう見ずの孤児の願いを叶えるために全力を尽くす“お節介焼きのジョン”の名前への信頼がかね」


「僕が商人であって、詐欺師や強盗じゃないという信用さ。己の持つ全てを他者に預けたとしても消えない対価で買い取って、価値を見出してくれる主の元へ送ってくれると信じているからこそ、イクリアは僕に自由を売り払ったんだ」


 クラズィックが次の言葉を発するまでの時間は、ほんの数刻にも満たなかった。しかし二人のやり取りを聞いていた者たちにとって、その数十倍の長さに感じられる時間だった。


「分かった。ただし君の信頼の履行を邪魔しない範囲で、私も“君の商品”が失われないよう手を打たせてもらう」

「助かるよ、君の手間賃の分は勉強させてもらうからさ」


 ジョージは安心したように肩をすくめ、クラズィックとともに蒸留酒を咒葉に漬け込んだものを飲み干した。そして二階の宿部屋から聞き耳を立てていたイクリアの後ろで、砂狼の少女が言った。


「勘違いすんなよ。奴隷商人はお節介焼きだと思われてるくらいが、何かと便利なんだ。たかだか積荷の一つのために、あいつが危険を負ってるわけじゃねえからな」


 そして翌朝、生まれて初めての柔らかいベッドで目を覚ましたイクリアは、宿に自分一人しか残っていないことに気付いた。

元からジョージの目の届くとこに居て、常に命令を聞けるようにしておけなどとは言われていない。イクリアは宿屋をふらりと抜け出して、あてもなくカナンの街中を歩き始める。


 イクリアには知る由もなかったが、カナンの街では早朝から騒ぎが起こっていた。地下迷宮への門が固く閉ざされて、その前で六本腕の悪魔憑きが死んでいるという知らせが街中に広がっていた。

 普段クラズィックが身の安全のため奥地に潜り、浅層には住人たちの生活を支える施設もある『蜘蛛の洞窟』の入り口が閉鎖された理由は誰にも分からなかった。

 だがジョージ達が人だかりの中で見つけた六つ目を刺剣に貫かれた死体は、間違いなくクラズィックのものであった。

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