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序章:土の海原にて

挿絵(By みてみん)


 北には栄えある『境界』の聖都、西にはエルフの森、南には思索者たちの拠点となる『無法の街』があるにも関わらず、その茫漠たる平野には決して地図が引かれることはない。


 そこは『土の海原』と呼ばれ、危険を顧みない貿易商人が月船や馬車で行き交い、そして旅人が襲撃に怯えながら一人旅を続けるばかりの場所だった。




 太陽のマナは遍く生命の源であると知られているが、同時に降り注ぐ太陽のマナを浴びれば鉄は錆びて、食物は腐る。


 陽射しを隠すものもない『土の海原』の平野において、大地は堆積と風化を凄まじい勢いで繰り返すことで、まるで水面の波のように寄せて返す。


 そうして太陽が昇ってから沈むまでの間に骸は土に、土はせり上がって丘に、丘は風に削り取られて塵となり、塵はやがて生命を持つ。




 エルフ達の伝承には最初の生命もそのようにして生まれたのだとあり、それよりも昔の世界には太陽と月と、叡智も生命も持たない土塊(つちくれ)だけがあったという。

 今でも土の海原はその原初の世界に近い姿で大地を覆い尽くし、寄せては返す土の波に生命を呑み込み続ける。

 そして『無法の街』から北に進んだ土の海原、そこに倒れていた一人のヒトも例外に漏れず大地に還ろうとしていた。




 遠くから、ざざざざ、と砂塵の波を掻き分ける何ものかの音が聞こえた。やがて近づいてきた音は一隻の巨大な月船となって、倒れ伏したヒトから少し離れたところで速度を緩めた。


「……珍しいね、()()が倒れている」

「ありゃ本当だ、()()にも()()()()にもなってやしない」


 男の声に応えて御者台から身を乗り出したのは、耳元まで口の裂けた砂狼(サンドコボルト)の少女だった。

 砂塵が張り付いて荒れた毛並みの奥に、少女らしからぬ鋭い眼光を宿らせている。その背中には薬莢を用いた最新式の長銃が差されていた。


「航地鏡には何も映っていない、ちょっと停めよう」

「罠にかけるぜ、あたしの晩飯代だ」

「じゃあ僕は君の晩飯代を罠じゃないことに賭けよう。君が勝てば君は僕の財布から君の晩飯代を得る」

「おいおい、それじゃあたしの一人相撲じゃねえか御主人サマよ」

 この奴隷と主人は相当に長い付き合いなのだろう、互いにそれと分かり切った上での軽口だった。

 男は月船を降り、躊躇うことなく倒れ伏したヒトへと近づいていく。



 倒れていたヒトは薄い甲冑で全身を覆っていて、兜の内側には痩せた少女の顔が見えた。

 背嚢の中から月の光を受けて育った植物の葉と、『土の海原』に植生する蠍草の薄紫色の花弁が零れ落ちている。どちらも魔法の触媒となるため、旅人が換金のために採取するものだ。


 男が蠍草の花弁を溶かした水を一口飲ませると、ようやく意識を取り戻したらしい少女の黒紫の瞳が開かれる。

「装備を見るに、まだまだ駆け出しの“思索者”みたいだ。獣にも魔物にもならずに飢え死にするのは珍しいね」

「どっかで気絶して、そのまま土の波に流されてきたんだろう。放っておけば土に沈んで生き埋めか、獣か魔物の餌食になるさ」


 他人事のように砂狼の女が応えた。『土の海原』では、そこら中に元人間がうろついている。街近くで行き倒れたヒトがそれらになって街を襲い、駆け出しの旅人に出される狩猟依頼となることもある。


 冷酷なようだが、元から『土の海原』に一人で行き倒れているような銭無しの向こう見ずで、何処の馬の骨とも知れない赤の他人を自分の船に乗せる方がどうかしているのは確かだった。


「これから僕らは『無法の街カナン』に行くんだけど、乗っていくかい?」

そして男はどうかしていることを、表情を変えないままに言った。


「運賃には、その蠍草か咒葉(タバコ)を貰おう。僕らが助けた命よりは安いと思うがね」


 少女の名はファセリア=タナトスケイス、『永遠』の主題を求める思索者だ。

 長旅のために小さな民家のような内装をした月船の中で、ファセリアは一言も口を利かないまま、背嚢を逆さにして咒葉のほとんどを男に渡した。

 そしてファセリアが自分の名前を名乗る時に、背嚢の底から落ちた『写本機』を読み上げたのを見て砂狼の少女が呆れた。


「その本を読まないと、自分の名前も覚えていられないのか?」


 『写本機』は所持者が触れた文献を写し取ることのできる、思索者の証である分厚い書物だ。

そして男はファセリア自身よりも、太陽のマナに曝されても風化しない『写本機』に興味があるようだった。


「地下迷宮に刻まれた文字は時を越えて残り続けるが、地表に存在する文章の記録媒体はどれも太陽のマナによる劣化と損壊を避けられない。だから写本器で『物語』を運ぶときは、朽ちる前に新しいものへ写し換えないといけないんだが、これは『永遠』の魔法の効果かもしれないな」


 その写本機には『永遠とは何か』という問いを、人生をかけて解き明かそうとした者たちが遺した言葉が写し取られていた。


 その『思索』と呼ばれる試みに対してヒトの一生は余りにも短く、それ故に古の賢人たちは己の人生をかけた思索を一つの『物語』として蓄積し、後継者への口伝と地下での筆記によって次の世代に託していく。

 そして彼らが遺跡に遺した叡智を『写本機』に刻み込むことで、新たな思索者たちは己の主題の解へと役立てるのだ。


「これから君はどうするつもりだ?運賃は頂いたが、街に着いた後の宿まで面倒は見れない」


 未だ解き明かされていない主題への答えは、他者には理解できないマナの節理によって世界に作用する。それがもたらす結果を『魔法』と呼び、思索者がヒトの世界に還元するものの主要な一つであった。

 中には遠い昔から今まで用いられている有用な魔法の開発者も居るが、常人には意味を見いだせないよう な主題や、今代では答えを出せない思索の記録だけに 人生を捧げるものが大半である。

 当然『思索者』の末路は道半ばでの飢え死にが多くなり、身に纏っていた装備と写本機しか頼るもののないファセリアも遠からず同じ運命を辿るはずだった。そして男は顎鬚に手を当てて、しばらく考え込んでから口を開いた。


「こういうのはどうだろう。君がその写本機を抵当に入れるなら、とりあえず宿と飯に困らないくらいの金を貸そう。もし君が構わないなら、商売ついでに写本機を見せて聞き込みをしてもいい。『永遠』についての思索に役立つような手掛かりを見つけた時は、無論それを教える代わりに情報代を貰うけれどね」


――


 結局、男が提示した鎧や武具を新調できるほどの金額を、ファセリアは現物で受け取った。自らに無一文で知らない街に流れ着いて、生き抜けるほどの力があるのかさえ覚えていなかったからだ。


「僕は商人だから探し物に慣れているし、街に土地勘も知り合いもない君が探すより効率がいい。金を返す目途が立たないようなら、君たち“思索者”向けの依頼を幾つか斡旋しよう。

 良いかい?貨幣とはつまり、互いが互いに適した仕事をするための仲介者なんだ」


 完全にヒトの精神を失っている獣や魔物でなければ、ほとんどの街の獣人から悪魔憑きにまで通用する共用言語である『金貨』の詰まった袋の重みを感じながら、ファセリアは男に船倉へと案内された。


「商品に傷は付けないように。夜明けまでには街に着くけど、退屈なら話し相手には困らないだろう」


 男が言ったことに反して船倉はがらんとした空室で、酒樽や食料といった貿易品らしい商品は多くなかった。乗り合わせていた何人かのヒト達も、皆一様に入ってきたファセリアを興味なさげに一瞥しただけだった。


 やがて太陽が沈む頃には見張り台に立っている砂狼の少女を除いて、ほとんどのヒトが各々の場所で布きれを敷いた上で眠り始める。

 ファセリアは暗がりの中で兜を外し、管鉢(パイプ)杖の火皿(ボウル)に月のマナを宿した咒葉を敷き詰める。月が直上に昇った頃、青白い『水晶の火』が倉庫の暗闇をぼんやりと照らす。


――


 パァン、と何かが破裂するような音が聞こえる。見張り番をしていた砂狼の少女が、進路上の獣でも撃ち抜いたのだろう。銃声が聞こえたのは一度きりで、そのあと月船が少しだけ進む速度を上げた。

 高速で走り続ける月船に追いつける獣は居ないのだから、徒に弾薬を消費する理由もないのだ。商人の男に向けてか独り言か、船倉の壁越しに砂狼の少女の声が聞こえる。


「獣が増えてきたってことは街も近いな。それだけ生物(ナマモノ)が生きてける環境に近いわけだし、元人間が街の周りに居るのも当然なこった」


 ファセリアは青白い『水晶の火』を灯された咒葉(タバコ)の煙から、管鉢杖を通して抽出された月のマナを用いて鎧と兜に自らの魔法を掛け直していた。

 自筆の写本に記されていた『永遠』を主題とする思索の記録、その解である魔法は纏った衣服やモノが朽ちるのを遅くし、身体を飢えや渇きによる死から遠ざける。

 途中で火が消えたり燃え過ぎないように、咒葉の層を圧し固めたり掻き出したりして、管鉢(パイプ)の通気性を一定に保つのも怠らなかった。


「それ、オレのだぞ」


 ファセリアが管鉢杖から視線を上げると、拳を握りしめた小さな人影がこちらを見下していた。

 そばかすの浮いた顔に、ぐりぐりと動く大きな目が特徴的な少女で、八重歯も相まって爬虫類のようだった。そして真黒い髪の輪郭だけが仄かな金色に輝く、『日蝕髪』という珍しい髪色をしていた。


 少女の視線の先を辿ったファセリアは自分の足元に、紐を通してペンダント状にした“白星の鱗”と呼ばれる隕鉄の一種を見つけた。月船が加速した時の揺れで足元に転がってきたのだろう、少し首を傾げてファセリアは答える。


「……好きにすればいい。私はこの船に拾われたばかりだから、あなたの所有物かどうかを知らない」


 ファセリアは今から訪れる丘陵の上にある街、カナンについて考えを巡らせていた。

 『境界』から遠く南に離れた地には統治者もなければ衛兵もなく、街というよりは人殺しや盗人たちの吹き溜まりというのが正しい。

 しかし同時に、まともな地では存在を許されないほどに深く『月』に視えた者が潜む場所でもあり、そこを拠点にする思索者も少なくないという。


「思索者なのに隕鉄に興味がないなら、どうしてカナンに行こうと思ったんだ?」


 少女はファセリアの言葉をよく理解できないようだった。隕鉄とはマナの影響を受けて変質した貴金属の類いであり、高い硬度や靭性だけでなく錆びや呪いに対して耐性を持つ。

 特に“白星の鱗”はカナンの地下迷宮でしか見つからないもので、少女の持つ小さい欠片さえ普通のヒトが買える値段のものではないらしい。


「金儲けや食い繋ぐために迷宮に潜るのなら盗掘者と変わらない」


 『思索者』という名は偉大なる過去の叡智が眠る迷宮の地下深くへ進んでいくことを、思考の深みへ潜ることに例えたものだ。

 確かに思索者は迷宮で見つけた隕石を売って生活費にしたり、副業として迷宮内の行方不明者の捜索や、逃げ込んだ賞金首・魔物の討伐といった依頼をこなすこともある。


「私はダンジョンの深くに潜っていって、自分が抱いた疑問について賢人たちの遺産から“答え”を見出したいだけ。金儲けや食い繋ぐためなら、迷宮よりも適した場所は幾らでもある」


 つまりは他者との交わりや平穏な暮らしにも優先させて、たった一つの主題に対する考察を一生かけて続ける変人の類いが『思索者』である。ただでさえ得体の知れぬ力を行使する危険な存在でもあり、普通の人間ならば用がない限りは近づこうとしないものだ。


「じゃあ、オレと一緒だな!」


にも関わらず、日蝕髪の少女はファセリアの言葉になぜか目を輝かせる。少女は自らの名を、イクリアといった。


「ずっと昔に宙から失われた二つの明星の片割れ、それが墜ちてきた欠片が『白星の鱗』なんだ。白星の一番大きな塊は隕石孔を作って地下深くに眠っていて、『日蝕髪』に生まれたものは皆そこを目指すって伝承さ」


 かつて『日蝕髪』の一族は緑豊かな場所で、獣人や悪魔憑きとさえ助け合って暮らしていた。そこに白星の片割れが堕ちて、一夜にしてその地は滅んでしまった。

 それほど大きな『星』が墜ちてきたのは、ヒトの歴史の中でも他にないことだと語られている。散り散りになった『日蝕髪』は慣れない街に身を寄せて、けれど争いと奪い合いの世界では生き抜けずに数を減らしていった。

 辛うじて生き残った日蝕髪は自らの失われた故郷を生きる縁にして、それを遠い子孫にまで語り継ぐ伝承とした。白星によって失われた約束の地カナンで、何時か我らは一つになると。


「……それが、あなたの物語の『主題』なのね」


 一定年齢まで最低限の生活を保証する孤児院は、大きな街で見られるものだ。これは魔法の才や優れた容姿を持った稀なる者を、それと判別できる年齢まで育てるための施設に過ぎない。

 引き取り手のないまま年齢に達して放り出された者は、細々とした下働きや盗人となって食い繋ぐしかなく、その大半が五年後には生きていない。イクリアは親から子へと引き継がれる体質である『日蝕髪』の伝承だけを信じて、孤児院を出る年齢になってすぐカナンの街へと旅してきたのだろう。


「街に着いたらさ、オレを迷宮に連れてってくれないか?きっと『宵の明星』だって、オレ一人よりは見つけやすいからさ」


 マナとモノの二つの理が支配する世界に生きるから、自分たちは生物(ナマモノ)という名前を付けられた。生命とは太陽のマナが野性を与えて、月のマナが叡智を与えることで形作られるものだ。


 太陽のマナを多く浴びたヒトは獣人となり、月のマナの叡智はヒトを“悪魔憑き”と呼ばれる存在に変える。そして陽射しの届かない地底とは、太陽のマナに満ちた野性の獣とは真逆の存在、月のマナによってヒトならざる知性を得た魔物たちの巣窟だ。


「……『主題』を共有できない他者と迷宮に潜っても、自らの答えを求める旅路を歩むことができない。そして主題とは自らが行動の指針にするものであって、他者にそうあるべきだと押し付けるものではない」


 そこでファセリアは言葉を切って、まだ今日のうちは渡さなくて良いと言われた『写本機』のページを捲る。ファセリアはずっと、そこに書き写された偉大なる先人の文章を読み上げているのだった。


「だから私は、あなたの物語の登場人物にはならない、と言ったの」


 太陽の眷属である獣と月の眷属である魔物の中間に位置する『ヒト』の定義は曖昧で、しかし完全に知性を失った獣人は他の人間を襲い、叡智の輝きに呑まれて狂った悪魔憑きはヒトを同じ深淵へ引き摺りこむ魔物となる。

 ヒトに生まれた者がヒトの姿と精神を失わないままに育ち、命を失わずにいられる確率は決して高くない。まして特別な力も持たずに『土の海原』に繰り出した孤児などは、迷宮の中でその命を終えるのだろう。

 ファセリアにとって、それは『永遠』という主題の探究とは関わりのないことだった。


「それでは君に頼みたい依頼のことだけど……その前に、昨夜はイクリアという子に会ったかい?」


 曙光を背にした『無法の街』カナンの小高い丘を見上げながら、ジョージは船室を訪れたファセリアに言った。街は丘から地下に向けて広がっているので全容は見えないが、月船の停泊所を示すアーチが立っていた。


 かつて魔物たちが築き上げた地下遺跡を乗っ取る形で『無法の街カナン』は作られた。遺跡の浅い部分にヒトの居住区や市場があり、そこから少し潜ると『月の雨』を汲み出す井戸や遺跡から出土する宝物など街の財政を支える中層、そして思索者たちが己の主題を追い求めて更なる奥地を開拓していく。


「経費から報酬まで僕が持つから、彼女がカナンの地下迷宮を探索するのを手伝ってやってほしい。“思索者”におあつらえ向きの依頼だろう?」



「……私には、分かりません」


 イクリアの船内での扱いは、よく分からないものだった。砂狼の少女のように奴隷として働いているわけでもなく、品物であろう林檎を喰っても咎められない。

 それにイクリアの前では言わなかったが、宙に空いた孔である星が“墜ちる”なんてことは有り得ないのだ。


「眉唾物の話だけどね、あの孔の向こうは世界の外側に繋がっているそうだ。そして星の数だけ存在する孔の奥底には『竜』が居る。

 最も偉大な金龍の住まう孔が太陽で、その次に偉大な銀龍の住まう孔が月と呼ばれて、落ちてくる星とは寿命を終えた竜どもの骸なんだと」


 ファセリアの後者の疑問についてジョージが答える。

 それは太陽と月の次に大きな二つの白星の片方、“宵の明星”が遠い昔に失われた時に流れた風説だった。

 彼らは星の輝きが世界の外から、こちら側に差してくるマナの光だと信じているのだ。


「それに依頼は『白星』を見つけ出すことじゃない、イクリアを満足させてやることだけだよ。探索することに何の成果がなかったとしても、一月ほど手伝ってくれれば十分だ」

「分かりません……どんな塔窟(ダンジョン)であっても攻略するのは不可能に近い、一月足らずの期間にどんな意味があるというのですか」

「それが彼女の余命だからね」



「遠い地を渡り歩く貿易商人の中にも、様々なものを通貨や商品として扱う者たちが居る。

 個人が『次に何をするか』を決める権利は、それを決めなければならない義務と表裏一体だ。そういうものを買い取って流通させるのが、僕らの仕事なんだ」


 奴隷になるとはつまり、食事も身に着けるものも己の身体も誰かの所有物となることである。

 主人にとって彼らは財産であるため反抗しない限りは丁重に扱われ、少なくとも『土の海原』で飢えて倒れたり、誰かの与り知らぬところで獣に喰われて死ぬこともない。

 己の価値を傷つけようとする盗人からも、誰かの所有物である限りは庇護されることになるため、自由であることよりも良い主人を持った奴隷となることを望む者は決して少なくない。


「僕らは自由と引き換えに庇護を求める弱きものたちを、彼ら自身も知らない利用価値を見出してくれるような良い主人の元へ導く案内人のようなものさ。幾ばくかの仲介料と運搬料を頂く代わりにね」


 思い返せばジョージの月船の、船倉は『商品』に溢れていた。商人は必要なければ手枷足枷もつけないし、首輪や鎖のないまま外に出ても咎めない。

 そもそも彼らの多くは望んで自由を手放し、奴隷商人に売り渡しているのだから脱走することもない。


「イクリアはカナンの街に到着してからの一ヶ月を何不自由なく謳歌させることを対価に、そこから先の人生を売り払ったんだ。

 ちょうど『日蝕髪』のヒトを研究試料として欲しがっている得意先がカナンに居たから、彼女が望んできた『条件』を満たせるだけの資金は僕が持とう」


 やがて太陽は完全にその姿を晒し、船の外からはヒトの生活する地に独特の騒音と悪臭が流れ込んでくる。

 月船が無法の街カナン、無限流砂の海原に浮かんだ小島の一つに辿り着いたのだ。

ファセリアは船から逃げ出そうかと考えて、自らの写本機がジョージの手にあることを思いだした。


「君を見つけた時、イクリアの望みを叶えてやるのに、ちょうどいい人材だと思ったんだ。無論、嫌なら引き受けなくても構わない。

 ただ君の持っていた写本機と、それを使って僕が聞き込みした情報を買うための金を、他の手段で稼ぐことができるならだけど」


 奴隷は幾分かの金と引き換えに、全ての持つ物すべて、己の技能や知識、そして未来を預けることになる。そして十分な金があれば、それらを買い戻すこともできる。

 全てを交換可能なものに貶めるのが奴隷商人であり、ファセリアは気付かないうちに己を売り払ってしまっていたのだ。


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