「傷跡」「餌付け」「映画」の単語を使って後輩と先輩の百合みたいな何か
まるで映画のワンシーンみたいだと、私は思った。それも歪な青春ものだ。レイトショーがお似合いで、私達はチケットを買うことが出来ないような。
放課後の教室。大人になる手前の高校生。二人の女子学生が傷の舐め合いをする。
「京子、キョウコ……」
聞こえてくるのは私の名前だ。名前を呼ぶ声色はアイドルのように甲高くなく、しかし艶やかだ。熱にうなされた人間が意識朦朧として意味もなくただ呟く言葉のようでもあるし、事実、その表現に間違ってはいない。彼女は私に熱を上げている。
私の名を譫言のように繰り返す彼女の名前は響という。黒髪が腰近くまで伸びていて、ピンとした姿勢になれば大変見麗しくなるだろう。しかしながら、そのような凛々しい姿は彼女を初めて見た時から今に至るまで見たことが無い。
机に座る私の左腕側に顔を近づけ、欠損している肘当たりの切断部を一心不乱に舐めているが、これでも年上の先輩だ。だが学年は同じで、つまるところ3年目にして1年、留年している。
学年が上がり、新しいクラスになったときお互い初めて知り合った。
彼女の自己紹介の時、四面楚歌の状態になってしまったとばかりにおどおどとした口調で話していたのを見た時、ふと似た者同士とでも思ってしまったのが運の尽きで始まりだった。
先輩達の友人はそのまま卒業。知り合いも先生たちぐらい。部活も入っておらず後輩も居ない。高校3年目にして唐突な孤独。クラスではそれなりに人気だったようだけれど、卒業前に色々と失敗したようだ、という風の噂をクラス内で耳にする。
私は、左腕肘先と右足踝を中学の時に欠損。心も何か欠損したようで、特に縫合部を隠す気も無いのでそのままにしていたところ、あれよあれよと友人が離れていってしまった。そうして気が付けば孤独の時間が増えた。友人達曰くとても素っ気なくなったらしい。
話しかけたのは私の方からだったが、共感を覚える考え方も多くあり、私たちはすぐに仲良くなった。急速に仲よくなった。温度が上がるにつれて反応速度が上がっていく化学反応のように。
ただ、少しばかり仲良くなり過ぎた気もするけれど後の祭り。今は今、これはコレで順応するしかない。やってみれば楽しい部分があるのである。
思い出を振り返る中で、先輩の、洗い物をしたこともないような指が、埃一つ付いていないピアノの鍵盤をなぞるように私に触れ、触れたことで振動が起こり、その振動は私の肉体の表面を貫通し、細胞の神経網を刺激し、化学反応は電気を生み、電気信号が光に近い速度でその情報を頭部へと伝達し、ドーパミンが私に快感を与え、それに呼応して息を吐く。漏れ出た声は秒速345mの速度で二人の間を飛び通い、ほんのり以上に暖かい先輩の耳へと到達すると若干速度が上がり、アナログデジタル変換が行われて二人の間で閉じたシステムを完成させる。
唇を噛みしめるのは私の流儀では無かった。その方が楽しめるものだ。元々そんな流儀すら無いのだけれど。私は気分屋である。それ以上に健全な女子学生だ……でした。
そうこうしているうちに先輩が顔を近づけ、口を開けると舌が蛇のように動き、味蕾全てで私を味わうべく舐め上げると、欠損部の傷跡から感じる先輩の生の体温が電気反応でも熱反応でもない謎の空間を通ってじわじわと私の心へと届き、失った四肢がほかの何かで補填され、補綴され、五体があった時とは比べ物にならない充足感が押し寄せる。パズルのピースが嵌る様なものなのかもしれない。あれは完成されたものをバラして嵌めていくことに快感を感じるものだと思っている。つまり私はパズルそのものであり、先輩がピースなのだ。
こうして蜜月を味わうのは大変楽しい物ではあるものの、時は止めらることは誰にもできない。下校時刻を過ぎ去って些か以上に時間経過しており、そろそろ先生が見回る時間である。廊下方面に耳を傾けるが、聞こえてくるのはテニスボールの弾む音と掛け声ぐらいである。
「あッ」
先輩の指が太ももを撫で上げてくるその気持ちよさに思わず声が出る。いや、思わずでもないけれど。いつでも楽しさを思ってます。
先輩が声に勇気づけられるようにその手をスカートに伸ばし始めるが、そうなると流石に時間が足りないので止めてもらう。
「響センパイ、流石にっぁ、そろそろ時間が……」
「……ダメかしら? ふふ、なんて美しい傷跡……」
先輩の声は非常に好きだ。窓際で洋紙を眺めるご令嬢のような声。録音してベストトラックとして再生し続けてもいい。ジャンルは環境音にしよう。再生時間は45分。
怯懦の様を見せていたあの教室では、ただただ体を縮こませて、俯いて授業を受けているだけの先輩だが、この場ではそんな気配は微塵もない。完璧な存在。でも欲望で滾った瞳と荒々しい息遣いは凛々しさとは無縁ですね。残念。
「私的にはダメではありませんが、世間様がダメという時間です」
「いいじゃない……」
そういって太ももに載せていた指を進ませる。寄り道もせず、それなりにミニスカートな私の中に手がするりと入り、目的の箇所まで到達するのは早かった。手は踊るように内部を蹂躙せしめようと動く。が、いざ物に触れると、今までの機敏な動きとは反対に陶器の質を確かめるような感じで触り続ける。余った片手で私の欠損している右足を伸ばして前の机と乗せる。今生の別れとも感じるほど、名残惜しさを感じたまま、スカートの中の手がゆっくりと離れる。足の方を舐める要求が勝ったらしい。ついでとばかりに離れる指はしっかりと薄い布地を掴んでいる。
下着がずれる感覚と下腹部に空気の感覚を味わうと同時に、手元が誤ったとばかりに脳内のスイッチが誰かに押される。あぁ、これでようやく帰れる。
「やめてくださいね。響き先輩のような畜生に何時までも付き合うほど暇ではありません」
心底興覚めだ、という私の声。そうして重なる五時の音。蛍光灯の光を切り裂き、カーテンの向こう側から響く鐘の音も今この瞬間は私の言葉でオーバーライト。
先輩は目を見引き、ぴたりとその動きを止めた。強い意志を見せていた眉毛は途端に泣きそうなポーズへと形を変える。急転直下の表情七変化。でもたいだい3種類ぐらいしか見たことない。
「……ぁ」
「聞こえていますか? 学生生活の全てを勉強へと捧げたのに、一目ぼれから試験勉強に手もつかず試験に落ちて告白した相手からも振られ自暴自棄のまま引き篭もり留年したまさに屑。そう、響先輩。貴方に言っているのです」
「ぁ、……あぁあ、やめ、やめて」
「私が辞めてと言っても続けて、只管に錯誤した性欲に身を任せて舐めていた存在が? やめてと? ……何様のつもりですか? 貴方を使っているのは私ですよ? 知っていますか? 人に使われる動物は家畜というのです。つまりあなたは家畜です」
「あぁぁぁ…ごめん、なさい……」
「っぁ……聞こえません。本当に卑しいですね。自分の欲望を優先するとは。こんな人、見たことがありません」
「ごめ、んなさい……っあ、ああぁっ……もう、もうしません……」
「聞き飽きました。やめません。気持ち悪いことしますね……これだから我儘な家畜は嫌なんです」
「ぁ」
先輩は今まで以上に頬を紅葉させ、熱にうなされた表情はまさに喜び。それは私の体をまさぐっていた時と同じような表情。いや、眉毛とかは全然違うけど。味わってる高揚感は同じだと思う。
そして私は、今日最高に気分が高揚していくのを感じている。 汚れを知らない、誰にも汚されたことが無く、自らが汚す側だと言わんばかりの先輩をこうして逆に責めて責めて責めて、美しく飛ぶ黒の鴉を無作法に地に落とす。完璧な立ち居振る舞いもでき、容姿端麗な先輩の心の傷跡をこうして乱暴に舐める。
響き先輩は悦びから崩れ落ち、時折電気を食らったようにびくりとびくりと自らの肩を抱いている。女の子座りでぺたんと座り、少しだけむちむちとする太ももを、スカートが捲れることも考えずにもじもじと擦り合わせている。私はその姿を見て、更に息が荒くなるのを感じ、恍惚として、じとりしたものを下腹部に感じる。私は今の先輩に欲情している。あぁ、ダメだ、早く終わって帰らないといけないのに。
私と先輩の関係は歪だ。
あの時出会ってしまってから、こうして何時までも何時までも二人で二人の世界に浸り続ける。
この関係の清算は荏苒として進まず、この世の淀んだ空気の中にいると思いこむ私たちはもがくこともせずに二人で生きている。
互いが互いに寄り添い、互いが互いの傷跡を舐め合い、互いが互いを傷つけて、互いが互いに餌付けを続ける。
そんな歪な関係が現実にあるなんて思ってもいなかった。
この倒錯した光景は、まるで映画のワンシーンみたいだと、私は思った。