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不幸を招く黒い影

 鬱蒼とした森の中を進んでいく中型くらいの船は何時も賑やかだ。舵取りと案内を一手に引き受けている青年の声は勿論、子供達のはしゃぎ声や恐怖に思わず泣き出す声、獣の鳴き声と、船が進む限り静寂が訪れる事はない。

 ばっしゃん、と。

 そう表現するのがぴったりな凄まじい水音を立てて、1匹のワニが水底から姿を見せた。牙がぎらぎらと光り、目の前のご馳走を確実に物にしようというかの様に鋭く此方を見据える目に、間近にいた子供の1人は堪えきれずに大泣き。別の1人は楽しそうに足さえばたつかせて、きゃっきゃと笑っている。


「ああ、気を付けて!あまり刺激すると却って怒らせてしまうよ。そっと離れようね。そうすれば安全だ!」


 案内役の青年は爽やかな顔立ちに真剣な表情を浮かべてみせると、泣き出している子供を見て真剣に、けれどどこか明るく告げる。

 それで子供は幾らか落ち着きを取り戻したのか、しゃくりあげながらもワニから距離を置き、自分の母親だろう女性の腕に顔を押し当てると、声を殺して泣き続けた。

 そうした子供達の様子を、案内役……スタッフである青年も、船上の保護者達も微笑ましそうに見つめている。

 ドリームランドで人気のアトラクションの1つ、クルージングも終盤の大イベントを終えてそろそろ終着点だ。


「あれ?」


 そうした中、不思議そうに呟く少女の声に、彼女の母親である女性は首を傾げる。

 この少女は肝が据わっているのか、元からこうした生き物が好きなのか。同年代の子供であれば泣き出すか、なんとか涙を堪えるかといった演出もにこにこと上機嫌で凝視し、先程のワニの演出でも楽しそうに足をばたつかせていた。

 そんな少女が怪訝な声をあげたという事もあり、母親以外に彼女の反応を間近で見ていた大人達は釣られる様に1人の少女の方へと意識を向けていた。


「ここには お魚さんもいるの?」

「うーん、いないと思うけど……どうしたの?えりちゃん」

「いま、お魚さんのしっぽが見えたの!よく見るお魚さんのしっぽより きれいで 大きかったよ!」

「そんなお魚さんだったら、この森でも逞しく生きていけそうね」

「うん!もっとよく見たかったなぁ」


 少女の声が聞こえた子供達は自分も見たいと、ワニや、散々驚かされた生き物達に怯えつつも船から水底を覗き込もうとしたり、逆にそんな大きな魚なら自分が食べられてしまうかもしれないと怯えたり、三者三様の反応を見せ、船上の大人達を和ませた。

 実は遊園地のスタッフである青年は浮べた爽やかな笑顔の裏で、そんな演出はあっただろうかと首を傾げていたのだが、それでもそこは此の仕事に慣れているだけあって微塵も表出さず、此の回の客を乗降口で明るく見送った。





 クルージングアトラクションで魚の尾を見たというのはその少女だけではなかった。もっとも発見されているのは魚の尾に限らず、影の様な何かだったという人、昆布に似ていたと語る大人、白くて綺麗な何かだったと言う子供と様々。

 実際そのどれかに該当する演出はなく発表されていないのだが、誰かが被害に遭ったというワケでもない為、ドリームランド側の演出、例えば“超秘密の生き物の影を見られれば、幸福になれるという「企画」”だと客側は考え、寧ろドリームランドの、特にクルージングアトラクションの人気は増していった。

 開園当時からそれなりの人気を誇っていたものの、長蛇の列を形成するには至らない。それがスタッフ間の共通認識だったが今やクルージングイベントはメインコースターやキャッスルに並ぶ、ドリームランドの目玉アトラクションの1つになっていた。

 事実、その影を見たという人は、老若男女を問わず幸せそうに船から降りていったし、乗る前の表情も此の勤務が長いスタッフでさえ見た事がない程きらきらと楽しそうで、クルージングアトラクションに現れる謎の生物は遊園地側にとっても、客側にとっても、好影響を与えていた。



 それにも関わらずドリームランドが閉園に至ったのは、他の幾つかの噂が原因だった。

 噂というものは、決まって良い話題より悪い話題の方が広がり、盛り上がりをみせていく。根も葉もない噂は爆発的に広がり、客足は徐々に遠退いた。

 経営が傾いたのか、はたまた度重なる黒い噂に業務停止命令でも下ったのか。以前は何度か遊園地に足を運んでいた馴染み客も、遊園地のスタッフも詳細な理由は知らぬまま、ドリームランドはこうして、某日、ひっそりと短くはない歴史に幕を下した。



 後片付け等も含めた最後の仕事の日。

 スタッフの1人である青年はふと、自分が担当していたクルージングアトラクションの事を思い出す。

 スタッフ側さえ知らなかった謎の影のお陰でアトラクションには長蛇の列さえ出来る様になったし、目玉アトラクションになったからか、自分もちょっとした有名人もどきになっていて、時折客から名前を呼ばれる事、写真を求められる事さえあった程だ。

 遊園地がなくなった今、もう全ては終わった話で、それどころか下手をすれば噂好きの人間の中では“あの”ドリームランドの従業員だと後ろ指を指されかねないのだが、それでも。

 それでも何処か、クルージングアトラクションに未練の様な物を感じずにはいられなかった。

 自分の名声。輝かしい時間への名残惜しさではない。

 青年は片付けが一段落した隙を見付けて、クルージングアトラクション迄駆けた。見慣れた筈の道程ではあるが、もう閉園が決まっている所為か、酷く寂しそうに映った。

 目的の場所へ辿り着けば、青年同じく長らくこのアトラクションを担当していた顔馴染みのスタッフが何人か其処にはいた。何となく会釈しながら青年も水路の近くへと歩み寄る。

 経営が傾いているのは事実で、まともに解体作業をする余裕さえこの遊園地には残されていないという。それはせめてもの救いであるようにも、青年は思った。

 解体作業が実行出来ればこの水も抜かれてしまっただろう。水質はどんどん悪くなり暮らすに適さない環境になるだろうが、もし本当にこの水路に何かが住んでいたのであれば、隠れる様に暮らしていた何かの正体を暴く事も、殺す事もしないで済んだ。

 加えて噂話にはなるが、この水路は川だか海だかに繋がっているとも言われていた。それならせめて、其処に賭けるしかないだろう。


「今迄本当にありがとう」


 青年はクルージングコースに向けて頭を下げた。目頭が熱い。


「……ごめんな」


 顔を上げれば、其処に訪れていたスタッフは青年と同じ様に頭を下げていたり、丁度頭を上げたところだった。全員が程度に差こそあれ目に涙を溜めている。

 それでも一介のスタッフが足掻いて如何にかなる問題ではなかった。その上、何時までもこうしていてもいられない。他のスタッフに迷惑が掛かるし、上司に怒られる可能性もあるだろう。

 名残惜しさと感謝と罪悪感を胸に同居させたまま、足を無理矢理に動かして、スタッフ達はそれぞれの最後の仕事へと戻っていった。






 それから、X年……。

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