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ようやくラストです。
あと少しだけお付き合いください。
「うん、これで良いわ!よく頑張ったわね高橋くん、お疲れ様」
「ありがとうございます」
「よし、これで三組も提出済みになった。今年の一年生は優秀ね」
「あの、四組は……?」
「ん、四組?」
「提出してありますか?」
「してあるけど、気になるの?」
「はい、友達なので」
「四組は……山端くんと神無月さん?仲が良いんだ?」
「ええ、まあ……。」
「その返事はそこまででもないのかしら?」
「神無月は中学が一緒だったんです。神無月も山端も俺の分まで手伝おうかって言ってくれて。仲良いですよ」
「ふふ、そっかそっか。提出された模造紙はそこにまとめてあるから、見て良いわよ。二人とも頑張ったのよ。一回模造紙が無くなっちゃって、書き直したんだから」
「俺もその話聞きました。でも、提出するのが間に合って良かったです」
「ほとんど一人でやった高橋くんも、間に合うか心配してたんだけどね。どっちも間に合って良かったわ」
司書の先生と話しながら、机の上に重ねられたマイベストブックをあさる。
その中の一枚の暖かい雰囲気につい目を惹かれる。
裏に書かれた製作クラスを見なくても、それが探していた模造紙だと一目で判った。
その一枚だけ輝いて見えるくらいクオリティが高い。
上に乗ってる他の模造紙を避けてみると、俺が先週図書室で見た少年の絵が目に入った。
山端の描いた絵だ。
全てを見透かしているような、どんな困難が待ち受けていようが構わないような、その大胆不敵な笑みにゾクっとする。
静かな迫力に負けて、目を背けた。
一見した雰囲気は暖かいのに、じっと見つめていると威圧感すら感じる、力強い少年。
山端、俺と同級生のはずなのに、こんな上手い絵が描けるなんて凄い。
持ち上げてみて、手を伸ばして目から離し、今度は全体を見る。
書店に貼ってあってもおかしくないくらいの立派な出来だ。
三条結子と彼女が書いた三冊の本について、レタリングされたそれぞれのタイトルがまず目に入る。
文字が多くて情報量が多いのに、ゴチャゴチャしてなくて読みやすい。
かけられた手間も時間もダントツだって分かる。
委員会の仕事をここまで全力でやる人はそうそういないだろう。
「凄いわよね、それ」
司書の先生の明るい声にうなずく。
「文章は神無月さんで絵は山端くんなんですって。あの二人、良いコンビね」
「俺もそう思います」
本当に、いいコンビだ。
俺たちとは正反対だ。
羨ましいし、少し悔しい。
ここまでやる神無月は流石だ。
でも、それ以上に山端がこんなに頑張るなんて驚いた。
何だか、自分が嫌になりそうだった。
その会話が耳に入ったのは、自分の名前が聞こえたからだった。
自然に囲まれたこの町の夜の灯りは申し訳程度の街灯だけ。
学校の周りには木が生い茂り、自転車置き場には月や星の光すら届いていなかった。
暗がりの中、前方に何人かの姿がぼんやりと見える。
多分全員男子、私と同じで部活帰り。
人数すらあやふやだが、声の主が彼らだということは分かった。
「誰それ」
「ほら、四組の」
「ちっちゃい奴?」
「それそれ」
「アイツウザくね?」
「分かる。調子乗ってる」
「確かに」
その相槌は控えめなアッキーの声だった。
あいつら、野球部だったんだ。
それだけ思ってこの会話は忘れた。
……つもりだったのに、こうして今、思い出してしまっている。
ベランダに出て、明日のイメージトレーニングをしようと思ってたのに。
風に吹かれながら、ぼんやりと目の前に広がる大自然に意識を向ける。
家が山奥にあるだけあって、相変わらずベランダから見える景色は絶景だ。
平地一面に田んぼが広がっている。
綺麗だとは思う。
しかし、だからといってどうということもない。
やけに月が綺麗だ。
絵になりそうな光景。
昔、叔父がここからの風景を見て、大絶賛してたっけな。
叔父だけじゃない。
この景色を町外の人に見せると、すごく喜ぶ。
……山端に見せたら、絵を描いてくれるだろうか。
ああ、駄目。
意識が散ってばかりでイメージトレーニングなんて出来そうもない。
ベランダから部屋の中に戻る。
明日に備えてもう寝てしまおう。
……案の定、ベットの上で寝返りを打てども打てども、眠れず仕舞いだった。
炎天下の中、肩で呼吸をする。
膝に手を当て、息を整える。
全力を出し切ったはずだが、満足出来るタイムでは無い。
それに、達成感が無い。
おかしいな。こんなつもりじゃなかったのに。
練習が足りなかったか。
でも、これ以上の結果を望むならこれ以上に陸上に時間を取られるということか。
それは……嫌だな。
酸欠の頭で考える。
全身が火照ってるのを感じる。
この状態でこれからのことを考えるのは効率が悪いかな……。
今現在、最もすべきことである顧問への報告を済ますため、観客席へ向かう。
「ごめん、山端」
一人呟く。
ずっとチラつく、あの時の山端の表情。
非効率的なのは分かっていても、山端のことを考えずにはいられない。
私は山端に運命だなんて言って欲しくなかった。
だから、運命に反旗を翻して……それなのに。
私が良いタイムを出せば、山端があんな悲しい考え方を疑ってくれるんじゃないかと思ったんだ。
まだ私たち、高校生になったばかりだ。
十五歳なんだ。
運命だって割り切って諦めてしまうなんて、悲しいじゃん。
何をするにも遅すぎるなんてことは無い。
人々はそう言うじゃないか。
それなのに、若者である私たちが出来ないって言ったら、駄目だろ。
仕方ないなんて言わないで。
不可能が存在しないとは言わない。
けど、証明したかったんだ。
予想を裏切ることは、意外と難しくないって。
あんなワクワクする絵を描く山端が、本心から割り切れてる様には見えないんだ。
童心を忘れていない様に見えたんだ。
大人ぶって諦めるの、出来てない気がしてたんだ。
それを信じたかった自分のためだ。
ただの私のワガママだ。
押し付けがましい。迷惑だ。
うちの顧問は陸上経験者では無いし、やる気に満ち溢れている訳でも無いので、特に技術的なアドバイスをくれたりはしない。
私が報告に行くと、キョトンとした顔をして言った。
「どうしたんだ、神無月?フォームも綺麗だったし、様子もおかしいようには見えなかったけど、何かあった?」
そんなの私分かんない。
私の方が知りたい。
収穫の無い話を早々に切り上げて目の前で行われている様々な陸上競技を眺める。
網膜には写っても、脳まで刺激が伝達されないみたいだ。
目の前で何が行われているのか、全然解らなかったし、解りたいとも思えなかった。
誰が勝ったとか、新記録を出したかとか、そんな思考を脳が受け付けない。
ゴチャゴチャした感情と山端のことで、脳の容量は一杯一杯。
山端は……私のずっと探し求めてる宝物を持ってる。そんな彼に……運命だって言って欲しくなかった。彼がそんなこと言ったら……空虚な私なんかは……もう……。
目の前の景色がくすんで見えた。
「やっぱ負けたよ。山端の言う通りだった」
月曜日の朝、久しぶりに登校した俺に神無月はそう言った。
病み上がりの人間に他に言うことあるだろ、とか、そんなことどうでも良くなるくらい、悲しい顔をして言った。
何て言って良いのか解らずに口をパクパクさせているうち、妙案が浮かんだ。
「昼休みに図書室に行くぞ」
「え?」
「良いな?」
「うん」
キョトンとしたまま神無月は頷いた。
こういう表情の神無月は、まるで小学生のようだった。
それを見て自分の席に戻ったら、午前中の数時間は昼休みを待つだけの時間だった。
授業中の神無月は普段と変わらない様子に見えた。
いや実際はマイベストブックを書き始めるまで神無月に注目したことなんてなかったから、普段の様子なんて知らないのだが。
対する俺は、緊張しっぱなしだった。
早く昼休みになってこの緊張感から解放されたかった。
待ちに待った昼休み。
どちらからということでも無く、二人集まって図書室へ向かう。
沈黙を保って廊下を歩く。
わざわざ話す必要を感じなかったし、神無月もそう思っているんだろう。
一言も発さないまま、図書室に着いて席に着いた。
図書室には、俺たち以外の生徒は居なかった。
「本当は出来上がってから見せるつもりだったんだけどな」
ファイルを神無月に手渡す。
神無月は挟まれた紙を取り出して眺める。
……ざっと五十枚、右上をホッチキスで止めてある。
一枚一枚捲りながら見ていく。
神無月も俺も黙り込んだまま。
まるで時間が止まったような不思議な感覚。
こんな感覚って本当にあるんだな、と何処か達観して、神無月が見終わるのを待った。
全て見終わって紙を置くと、神無月は俺をまっすぐ見た。
俺も神無月を見つめ返す。
負けてたまるか。
「ようやく解った」
神無月は嬉しそうに言った。
「そっか、山端は漫画を描くのが得意だったんだ。それで努力してたんだ。だから山端の描く絵には感情とか物語がこもってたんだ」
俺に確認するように言ったその言葉は、独り言のようでもあった。
照れくささを隠すためにも深く頷く。
そして、神無月に教える。
「俺が描きたいのは、この漫画だ。まだ下書きと表紙だけだけどな」
俺が神無月に読ませたのは、漫画だった。
しかもまだ未完成の、描きかけのものだ。
神無月は絵を褒めてくれていたが、漫画は絵だけで出来ているのでは無い。
ストーリーが面白くなければ、良い漫画とは言えない。
だから、朝から緊張しっぱなしだった。
そんな俺の心境を知ってか知らずか、神無月は優しく笑った。
「私この漫画好き」
神無月の目は、輝いていた。
それを見て安堵の溜息をつく。
今朝、神無月が負けたと言った時、ぎょっとしたのだ。
あの時、神無月の目から光が無くなっているように見えた。
それがただの比喩だというのは自分でも分かっている。
でも、実際そんな風に見えたのだ。
そんな暗かった神無月の瞳が、輝きを取り戻した。
そして、俺の漫画を好きだと言ってくれた。
それが本心からの言葉だと、目を見れば分かる。
「お前に絵をやるって約束してたろ?その約束の絵っつうか……漫画だけど」
「うん。嬉しい。凄く」
神無月の口元が緩んでしまっている。
それを見て俺の口元も緩んでしまう。
とりあえず下書きまで描き終わっていて良かった。
「でも、欲を言えばこれ、綺麗な絵で見てみたい」
「ああ……」
そりゃそうだよな。
当然の感想だと思ったが、思い直す。
そう言ってもらえるのは当たり前のことじゃない。
この漫画の完成を望んでくれてる人がいるってことは、とても恵まれてることだ。
「悪いな。完成させることよりも、お前に早く見せることを優先したんだ。お前ずっと不機嫌だったからよ、怒らせたかと思って。それで……早く見せたかった」
「不機嫌でも怒ってたつもりでも……いや、ごめん。そういう風に見えてたなら謝る」
神無月が深々と頭を下げる。
「お、おい……そんな、謝んなって」
「うん。あのさ」
神無月は頭を上げると、ゆっくりと語り始めた。
「私、運命なんてないって、証明したかった。山端に負けるのが運命だって言われたから、走って勝てば運命はないことになるんじゃないかって」
やっぱり神無月は、俺が運命だと言ったことをずっと気にしていたのか。
「願掛け、みたいなものだった。勝手でごめん」
俺は首を横に振って応える。
「俺が悪かった。お前言ってたもんな、未来は手つかずの大地……って。手つかずなら、運命なんか無いはずだよな」
「うん。運命を理由に諦めるのは嫌」
「あんなこと言ってホント、悪かったな。俺も嫌になった」
「え?」
神無月の表情は驚くと同時に嬉しそうでもあった。
「俺さ、ずっと漫画描きたいってどっかで思ってたんだ。でも、踏ん切りがつかなくってよ。今までちゃんと描いてこなかった。漫画描いたりして何になるんだって」
……中学に入学して、美術部に入部した俺は漫画を描き続けた。
しかし、入部して間もなく、同級生に漫画を描くことを馬鹿にされてショックを受けた。
漫画を描くなんてイタイ。
美術部は芸術的な絵のみを描くべき。
それが彼女の主張だった。
美術部に所属しているだけでイタイ奴と一緒にされるのはイヤ。
漫画家になれるワケでもないのに、恥ずかしい。
そう言われてから、漫画を描けなくなった。
困ったときに主人公だったらどうするだろうか、と考えるのも止めた。
俺は漫画だって芸術だと言い返すことが出来ぬまま一年生のうちに退部した。
馬鹿みたいな話。
「運命だとか決めつけずによ、俺は俺のやりたいことをやりたい」
「そっか」
「それが、俺にとっての宝物を見つける近道だと思うからよ」
「そっか」
じわじわと神無月の口角が上がっていく。
「山端が宝探しをしてくれれば、私も宝物を見つけられる」
神無月の笑顔は眩しかった。
「だってまた、良い絵と漫画を描いてくれるんでしょ?」
これが漫画なら背景は真っ白。
神無月しか目に入らない。
目を逸らさないまま頷く。
「いつか……俺、この漫画を完成させてみせる。そしたら……そのよ……真っ先にお前に見せてやるよ」
満面の笑み、ではないと思う。
でも、これが神無月の最高の笑顔なんだろうと思う。
「待ってる」
さも当然のような返答。
それが、俺にとっても、神無月にとっても、どれほど恵まれているものか。
俺が描いた漫画は、構想がいつからあったのかすら覚えていない物語だった。
ずっと考えていたもので、ずっと描きたいと思っていた物語。
学校を休んでいる間、熱でぼんやりしている頭で考えてストーリーをつくっていった。
親の前では寝てるフリをして、隙さえあればベットの上でこの漫画を描き続けた。
そして、ある程度体調が回復した土日は椅子に座り、表紙の絵を描いた。
彩色なんか、もう倒れるかと思った。
おかげで風邪は長引き、正直今も本調子ではない。
もともと神無月にはこの絵だけを見せるつもりだった。
でも、朝来てみたらあの調子だ。
休み時間を少しずつ使い、下書きの紙を全てコピーしてきたのだ。
高校生の貧弱な財布には痛手だったが。
落ちこぼれで臆病な少年が、ある日森の奥へ連れさらわれた幼馴染の少女を助けに行く。
皆が彼を馬鹿にした。
お前には出来るはずがないと。
しかし、それでも少年は一人勇気を振り絞り、森の奥へと進んでいく。
森は複雑で、普段は誰も近づかない。
少女を助けに行った大人たちも、行方不明になってしまった。
それでも少年は、ついに森の魔物を倒し、少女を助ける。
落ちこぼれだった少年が少女を助けることが出来た理由は、運だとか、勇気だとか、そういうのは勿論ある。
でも一番の理由は、知識だ。
彼は、村でただ一人、森の奥に眠るという伝説のお宝の存在を信じていた。
そのお宝を見つけるために、幼い頃から一人で森を調査していたのだ。
じょうろで植物に水を注ぎ続けるように、地道に。
宝探しの地図に目印を書き込み続けていた。
完全な地図ではなかったが、彼はその地図を頼りに、少女を救い出した。
「今日プレゼントしてくれた漫画も、マイベストブックの絵も、山端がそう言ってくれたことも、宝物」
神無月が漫画の表紙を眺めながら言った。
少年が地図と剣を握りしめている周りに、村の住民や幼馴染の少女や魔物が描かれている。
よくある漫画の表紙の絵だ。
そんなありふれた絵でも俺にとってはかけがえのないものだし、神無月にとっても、そうなれたみたいだ。
「ありがとう山端」
神無月の笑顔が馬鹿みたいな苦い思い出を溶かしてくれるような気がした。
「おかえりお兄ちゃん」
「おかえりアッキー」
部活が終わって家に帰ると何故かそこには友達が居た。
「え、カンナ?なんでうちにいるんだ?」
「夏姫ちゃんに誘われて」
夏姫は小五になったばかりの俺の妹である。
いつの頃からか、カンナに懐いていた。
二人はリビングの机に向かい合って座っている。
「アッキーのお母さん、今日夜遅いんでしょ?だからアッキーが帰ってくるまで夏姫ちゃんと一緒に居ようと思って」
「そうだったのか。ありがとうカンナ」
どうやらカンナが夏姫の宿題を手伝っていたらしい。
机の上に算数のドリルが置いてある。
「あれ?そういえば部活は?」
「昨日試合だったから。今日は休み」
「なるほど」
普段ならカンナの帰宅時間と俺の帰宅時間はほとんど一緒のはずなのだ。
グラウンドで練習している部活は、大体7時頃が終了時刻と決まっている。
「さて、アッキー帰って来たし、私は帰ろう」
「もう帰っちゃうの?うーん残念だなあ…」
「ありがとう。また遊びに来る」
カンナが夏姫の頭をポンと撫でる。
やはりまだカンナの方が身長が高い。
「でもカンナ、こんな夜遅くに一人で帰るつもりか?」
「うん」
「いや待って。俺送っていくよ」
「あの山の中まで?」
「え、ああ……そうだったな……」
つい口籠る。
カンナの家は山の中にあって、往復するのは骨が折れる。
慣れていないと時間もそこそこかかる。
夏姫を家に一人にし続けるのは心配だしなあ……。
でも、下手すれば小学生に見えるくらい小さいカンナも心配なんだけど。
そんな俺の様子を見てカンナが口を開く。
「じゃあ、山のふもとまで、良い?」
「ああ。もちろん」
此処できっぱりと断ってしまわないのは、俺に気を使ってのことだろう。
「夏姫ちゃんを一人にしちゃうのは心苦しいんだけど」
「大丈夫!ありがとう茜ちゃん!お兄ちゃん、しっかり茜ちゃん守らないと許さないからね!」
「ああ、分かってるって」
しっかり者の妹にとやかく言われながら、俺とカンナは家を出た。
「今日は徒歩」
「え、どうして?」
「ゆっくり登校したかったから」
「へえ」
歩きだったなら尚更見送って正解だった。
しかもよくよく考えてみたら、自転車だったら見送り要らなかったかもしれない。
二人で並んで歩き出す。
「ところでアッキー」
「何?」
「模造紙盗んだのアッキーだよね」
「えっ?」
闇に紛れてカンナの表情は解らない。
感情の読み取れない声だけが聞こえる。
突然の言葉に返す言葉を失う。
数秒の沈黙の後、やっとのことで口を開く。
「何で俺だと思うんだ?」
「模造紙が無くなったのは先週の月曜の昼休みから火曜の昼休みの間。その間、司書室で一人になったことがあるのは、司書の先生と委員長とアッキーだけだった」
「だから俺が模造紙を盗んだってこと?」
「うん」
疑いもしていない。
絶対に俺が盗んだって確信してる。
動機があるなら俺ってことか。
「ごめん。野球部に菅野の兄がいたんだ。そいつに……盗めって言われて……」
「そっか」
嘘をついたってカンナには無駄だと思った。
正直に謝るもカンナの返事は素っ気無い。
一週間抱えてきた罪悪感が膨らんでいく。
「本当にごめん」
「うん」
暖簾に腕押し。
何を言っても同じ。
カンナが何を考えているのか、俺には解らない。
「土曜の部活帰り、自転車置き場」
唐突な言葉に驚きを隠せない。
一瞬足が止まってしまったが、そんな俺に構わずカンナは歩き続ける。
少し早足で歩き、カンナに追いつく。
「どうしてそれを……」
「あの時、自転車置き場に居たから」
嘘だろ。
何で誰も気付かなかったんだろう。
確かに暗かったとはいえ、本人の前で悪口を言ってたなんて。
罪悪感と後悔とで心がモヤモヤする。
そして何より自分が情けなかった。
「アッキー、あの時アイツらに同意したこと、後悔してる?」
「してるさ」
「本当?」
カンナの強い言葉。
威圧感があるとか、そういうのじゃない。
淡々とした、不気味さを孕んだ強さ。
「……カンナには敵わないな。正直後悔してない。あの時カンナを庇ってたら、またいじめられてたかもしれないし」
「そっか」
カンナはいつもそうだ。
怒ることも責めることも悲しむこともしない。
「ごめん。裏切るようなことして……」
「何を?」
「その……カンナを」
地面を見たまま歩く。
カンナの顔なんて見れないし、顔を上げる勇気もない。
「でもアッキー、山端の絵は盗まなかった」
淡々としたカンナの声が闇夜に響く。
「単なる私たちへの嫌がらせならあの絵も盗んだはずだ」
そんな声を耳にして、言葉に詰まる。
無言で歩き続けて、ずっと砂利の音を聞いていた。
カンナも何も言わない。
たまに虫の声が聞こえる静かな暗い夜。
飲み込まれてしまいそうだ。
「ありがとうアッキー」
ずっと下を向いて歩いていたこともあり気づかなかったが、顔を上げてみると、もう山道の入口に着いていた。
何か出るんじゃないかというくらい不気味な場所だ。
「じゃあまた明日。夏姫ちゃんにもよろしくね」
「う、うん」
それだけ言うと、カンナは山道を登っていく。
カンナの背中がどんどん小さくなっていく。
「カンナ!」
カンナはくるりと振り返る。
自分が声を出してカンナを呼び止められたことに驚いた。
「俺が山端の絵を取らなかったのは、模造紙を盗んで来いって言われたからだよ!」
言わなくても良いことなのに。
「そうなんだ」
カンナの返事はそれだけ。
言わなくても良いことなんだろうけど、俺はこのことを黙ってるのは嫌だった。
こんなにズルいことをして来たんだ。
今この瞬間までズルいことはしたくない。
カンナはまた山道を歩き始めた。
すぐに見えなくなって、俺も帰ろうと回れ右をしたら、田んぼに映った月が目に入った。
満月かと思って空を見上げてみたら、満月前後二、三日くらいみたいで少し欠けていた。
それが凄く綺麗で、ちょっと泣きそうになった。
カンナは優しい。
中学時代、俺がいじめられていた時期もカンナはいじめられる前と変わらずに接してくれた。
カンナは強い。
何をするにも淡々としていて、周りとは違う。
そんなカンナに抱いている感情は、恐らく畏敬の念。
俺はカンナが怖いんだ。
「アッキー!おいアッキー!」
「え、山端!何?」
「何じゃねえよ。さっきから全然反応しねえし……」
「そ、そうだった?ごめん」
「大丈夫か?そっから傾いてないか見といて欲しいんだけどよ」
「ああ、分かった」
アッキーと二人で、書き終わったマイベストブックたちを校内の掲示板に貼っていく。
図書委員の仕事の一環。
今は、人通りの少ない化学室前の掲示板に、文字しかない手抜き感満載のマイベストブックを配置しているところである。
昼休みを開けるため、また早弁する羽目になった。
神無月は身長を配慮され、この仕事の代わりに司書室の整理を頼まれていた。
「アッキー大変だったな。一人で書き上げたんだろ?」
「うん、まあね。でも、山端たちも大変だったのは一緒だろ?」
「途中で模造紙無くなったりしたからな。俺は!被害!無かったんだけどよ!」
ピンを刺す時、つい言葉に力が入る。
全然刺さらないんだが。
「アッキー交代だ」
「え?」
「全然刺さんねえんだけど」
「なら仕方ないか」
ピンの入ったケースをアッキーに手渡し、俺は後ろから模造紙がチェックする。
「結局、模造紙は見つからず仕舞いだぜ」
「そうなんだ……あのさ、アッキー」
「ん?あ、少し右上げろ」
「こう?」
「もう少し」
「どうだ?」
「オッケー」
アッキーは易々とピンで模造紙を留めていく。
あー、やっぱ俺の力が無いだけか……。
「神無月、よく完成させたよな」
「カンナはよくやるよ。何でも」
「中学の頃もそうだったのか?」
「ああ」
「なあ、お前と神無月ってどういうキッカケで知り合ったんだ?」
「えっ……それは……」
ただの雑談のつもりが、アッキーは口籠った。
「すまねえ!聞いちゃヤバかったか?」
「いや、そういう訳じゃ無いんだ!」
アッキーは慌てて、そのまま持っていたピンを落としてしまった。
「大丈夫かお前……」
「大丈夫。ごめん山端」
転がってきたピンを拾ってアッキーに渡す。
謝るアッキーの表情は、ぎこちない笑顔だった。
何かあるのは明白だ。
……こんな時、漫画の主人公なら?
「なあ、何かあるなら話してくれないか?俺の気のせいかもしれねえけど……今日のお前、何か変だ。無理にとは言わねえ。けど、中学も違うクラスも違う距離のある人間にだけ言えることとかあったらよ、言って欲しいんだ。少しは楽になるかもしれねえ」
主人公なら、聞き出してしまう。きっと。
その言葉に対して、アッキーは、頷くだけ頷くと、黙って模造紙を留め始めた。
しまった。
変な空気にしてしまった。
一枚貼り終わって、じわじわと湧き上がる後悔の念に飲まれそうになっていた時、次の模造紙を留めながら、アッキーが語り始めた。
中学生の頃、いじめにあったこと。
いじめられている中でも、変わらずに接してくれたのが神無月だったこと。
そのいじめっ子たちのリーダー格だった同級生の兄が、野球部の三年生に居たこと。
そして。
「それで、俺は菅野先輩に言われて、山端たちの模造紙を盗んだ」
「なっ……」
「ごめん山端。ずっと黙ってて」
「えっ……」
唐突な告白にどう対処して良いのか解らない。
神無月の努力の結晶を取ったのはアッキーだったのか……。
灯台下暗しとはまさにこのこと……。
「えっと……それは、神無月には言ったのか?」
「言った。というか、カンナは俺が犯人だって気づいてた。カンナに言われたんだ。アッキーでしょって」
「そんな……」
「やっぱりカンナは、山端には言ってなかったんだね」
そう言ったアッキーの声は悲しそうに聞こえた。
「それで、神無月は何て言ってたんだ?」
「何も」
「何も?」
「そっか……って」
……神無月は何を考えていたのか。
その短い返事を人づてに聞いたところで、推測すら出来ない。
「お前は、神無月にどうして欲しかったんだ?」
少し間が空いて、アッキーは呟いた。
「解らない」
そして、沈黙が訪れた。
二枚とも模造紙を貼り終わったら、次は昇降口の掲示板だ。
階段を降りていたら、アッキーがまた呟いた。
「俺は、カンナに認められたいのかも」
「認められたい?」
「対等になりたいのかも」
「じゃあ、今は対等じゃないってことか?」
「うん……カンナには色んなことしてもらってばかりで、俺、恩返し出来てないからさ」
掲示板の前に着いた時、アッキーはしばらく放心したみたいに動かなかった。
「アッキー?」
「そうだ。俺、認められたかったんだ」
そう言って、急に晴れ晴れとした表情になった。
「そういうことだったんだ!ようやく解った!聞いてもらえてスッキリしたよ。ありがとう山端!」
「いや、俺は、ただ主人公面したかっただけなんだ。何かすまねえ」
「何で謝るんだよ!山端は距離がある人間に言えることがあったらって言ったけど、これは、距離がある人間にしか言えなかったことじゃない。山端相手にしか言えなかったことなんだ!本当にありがとう!」
「俺相手にしか……?」
「ああ!カンナのこと良く解ってるし」
「そ……そうか……?」
ちょっと何言ってるかよく解らないが、この反応は予想以上だ。
嬉しそうすぎて申し訳なくなってくる。
でも、まあ、アッキーが元気になったならそれで良いか。
こういうのって、行動してみないと解らないもんだ。
「大盛況だな」
俺とカンナのマイベストブックは売店の近くの掲示板に貼ってあった。
売店に用がある人が興味を持って、そのまま目を通してくれているようだ。
今は二年生の女子四人が俺たちのマイベストブックを覗き込んでいた。
その前は一年の女子が一人で、そのまた前は二年の男子二人が見ていた。
そしてそれを遠目で見守る不審者二人組。
「皆、お前の書いた文、読んでくれてるぜ」
俺たちは昼休み中、反対側の壁に寄りかかって、さも誰かを待っているような顔をし続けていた。
「でも、良い文章があったって、読もうとしない。興味がある人は別として、ほとんどの人は目を引く絵があるから読んでくれる」
「じゃあ尚更、お前の書いた文章を読ませることが出来て良かったよ」
そう言うと、神無月は女子たちから目を離さないまま、軽く笑った。
「終盤の作業、お前一人でやってただろ。悪かったな」
「何で山端が謝る?」
首はほとんど動かさないまま、神無月がこちらを見た。
当たり前だが上目遣い。
「あの時、神無月相当忙しそうだったから。その……もっと頼ってくれても良かったんだぜ?っつっても俺、風邪ひいて寝込んでたけどよ……」
神無月は視線をマイベストブックに戻すと、淡々と話し始める。
「でも私、書きたかったから。あと学校で私が忙しそうに見えたのは放課後全く原稿を進めなかったせい」
「え、そうだったのか?」
「うん。他にもやりたいことあったから、マイベストブックは学校でしか書かないって決めてたんだ」
「はあ」
「山端、よくやるよなって思ってた。家に帰っても絵を描いてたから」
「それは神無月の方がよく働いてるって思ってたからよ……」
「山端、私の数倍の時間作業してたと思う」
「マジかよ……」
衝撃の事実。
カンナが忙しそうだったのも、家で作業してなかったというなら納得が行く。
何か少し損した気分である。
しかし、一度模造紙が無くなったのにも関わらず、学校だけで書き上げてしまったというのか。
恐るべし、神無月茜。
「でもお陰で良いものが見れた」
神無月は満足気に笑う。
「カンナがそう言ってくれるなら、ま、いっか」
「……」
笑顔が消えた。
え、まさか地雷踏んだか?
どうも最近空気読めないな。
「な、何だ?」
「カンナって」
じっと俺の顔を見つめて言った。
「嫌か?嫌なら止めるぜ?」
慌てふためく俺に、淡々と答える。
「いや、良いよ。でも……そうだな、私も山端を何か、あだ名で呼びたい」
「おお。何て呼ぶ?」
言ってみるもんだな。
予想以上の展開が来た。
少し間が空いて、カンナが呟いた。
「ヤマト。ヤマトにしよう」
「苗字と名前と組み合わせたのか」
「うん」
そう返事をしたカンナは、小学生みたいに無邪気に前を見ていた。
カンナの視線の先には、俺たちのマイベストブック……そしてその隣に『ヤマトナデシコ』という本の紹介が貼られていた。
……もし音楽関係の紹介だったとしたら、俺のあだ名は『ヤマハ』にでもなっていたのだろうか……。
「単純だな……」
「あだ名なんてそんなものだよ」
溜息を吐く俺を見て、カンナは「でも似合ってる」と付け足し、笑うのだった。
fin.
山端たちの物語をここまで読んでくださり、ありがとうございました!
物語をちゃんと完成させることが出来たのはこれが初めてです。
一冊の小説と一曲の楽曲に力をもらえたおかげです。
書き終わることを第一に、自己満足で書き上げてしまいましたが、とても楽しかったです。
いつか自分が楽しむだけでなく、楽しませることが出来る作品をつくれるよう、精進していきたいと思います!
本当にありがとうございました!