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頑張って読んでいただければ幸いです。
翌日、昼休みにまた神無月と図書室へ向かった。
「調子どう?」
「黒光は描いたぜ」
「へえ、黒光を描いたんだ」
「ん、そうか、神無月には何を描いたのか言ってなかったっけな」
「うん。『水晶は塵を受けず』読んでなかったから」
「で、読んだ感想は?」
「面白かったよ。伏線が次々回収されていくのは圧巻だった。終わり方も気持ちが良い」
自分の好きな作品が人に褒められるのは嬉しいものだ。
「だろ、だろ?」
「この本を選んで良かったよ」
当然のごとく真面目に一日で読み切ってしまう神無月に内心感心する。
いやでも俺も一日で黒光の絵を完成させたんだからな、と自分で自分を褒め称える。
真面目な神無月に引け目を感じる必要は皆無だ。
図書室には相変わらず人が全然いなかった。
神無月がファイルから取り出した裏紙の裏に書かれたマイベストブックのレイアウト案は上手くまとまっていて、見やすかった。
それと同時に取り出されたのは『オススメするための文章の書き方入門』『わかりやすいレイアウトの基礎』いう二冊の本だった。
それを見て感嘆してしまう。
「やっぱすげぇな神無月は」
「そう?」
神無月の返事からは相変わらず感情がよく読み取れない。
「手際が良いっつうか、何つうか……」
「私は別に、手際が良い訳じゃないよ。ただ出来ることを必死にやるだけ」
神無月は筆箱からシャーペンを取り出しながら何でもないように言った。
「お前かっけぇな」
「そうかな。普通じゃない?」
神無月は表情を変えずカチカチとシャーペンの芯を出した。
「普通じゃない。ほとんどの人間はそんなに頑張れないもんさ」
俺みたいに。
理由を付けていつも逃げる。
こんなことを真面目にやるなんて馬鹿だとか、時間の無駄だとか。
そんな一般的な意見も一理あると思うのだが、結局そんなことばかり言って、本気の出し方を忘れかけてしまう。
「普通じゃない……か」
神無月が呟いた。
つい流れで失礼なことを口にしてしまっただと気づき後悔する。
「ああ……すまねぇ。褒めたつもりだったんだが……」
「別に気にしてないよ」
本当に気にしてないように見えた。
しかし、神無月は何を言っててもそんなことに興味は無いという声色なので、その言葉を鵜呑みにして良いのかどうかは解らない。
「私の下書き、チェックしてもらって良い?」
そんな狼狽える俺の様子を察してか否か、神無月が話題を仕事のことに変えた。
「ああ」
神無月からノートを受け取る。
付箋の貼られたページを開くと、罫線の上に『少年少女!』と大きく書かれており、その下にはぎっしりと文章が書かれていた。
二重線で消された部分や、矢印で示され読む順番を変えるよう矢印で示されている部分が何ヵ所もあり読みづらかったが、文章自体は良く出来ていた。
「いいんじゃねーか?本物の雑誌とかチラシとかに載ってる文章みたいだぜ。この作品に興味沸いたし、誤字脱字も見当たんなかったし、言うこと無しだ」
嘘はついていないのだが、肯定しすぎてお世辞に聞こえるかもしれない。
「なら良かった」
神無月の返事は相変わらず薄情で、どう受け止められたのかわからず仕舞いだ。
「描いてきた絵、見せてもらって良い?」
今度は俺の番だと言わんばかりに神無月は即座に話題を移した。
「ん、ああ、ほらよ」
黒光を描いた紙を入れたまま机の上に置いていたファイルを手渡す。
「これは、ラストの黒光?卯木を助けに行こうとするところ?」
「ああ、そうだ」
それだけ言って神無月は長いこと紙を黙ってまじまじと見つめていた。
恥ずかしくって、こそばゆくって、ドキドキする。
緊張で鼓動が速まり、情けないことに手も震えてきた。
でも、それは自信の裏返しだって解っている。
神無月の反応に期待しているんだ、俺は。
ドキドキしながら神無月を見つめ続けた。
「山端、絵上手いね」
紙から目を離さずに神無月は賞賛を口にした。
肩の力が抜けて、思わずため息を吐く。
「まぁな。四組は仮にも美術選択クラスだぜ?」
緊張していたことを隠そうと、さも当然という風に応える。
声が裏返らなくて良かった。
「そうだけど、山端の絵は生き生きしてる感じがする」
「マジで?」
「うん。絵の中の人物なのに本当に感情があるみたい」
グサッと来た。
一瞬で体温が上がったのが解る。
「へへ〜そこまで言われると照れるぜ〜」
そう言いながらも顔が赤くなっていないことを願う。
顔が緩みきってしまった。
どう努力しても笑みを消せない。
こんなに嬉しいのはいつ以来だろう?
それは自分が最も求めていた褒め言葉だった。
この感情は懐かしいもののような、初めて感じるような……。
ああ、きっと、この瞬間は俺にとって宝物に違いない。
いつまでも感極まっている訳にも行かない。
まだ表情筋はユルユルだが、作業の準備を始める。
今日は家からしっかりスケッチブックを持って来た。
「私物?」
「ああ」
これがあれば今日は学校でも絵が描ける。
「昨日、安い紙渡しちゃって悪かったね」
「いやいや、良いって!わざわざ用意してくれたんだ。サンキューな」
「うん。出来ることがあれば手伝うから言って」
ページを開いて鉛筆を持つ。
「あ」
そこで思い出して神無月に質問する。
「『水晶は塵を受けず』以外の絵も書いたほうが良いよな?」
「うん。頼んでいい?」
「どの本の絵を描いたら良いんだ?」
昨日神無月の話を聞く前だったら、一つ描いたらそれで終わりにしていただろう。
「まず頼みたいのは『少年少女!』だ」
そう言いながら立ち上がり、神無月は小説の並べられた棚へ向かった。
「今紹介文を読んだ奴か」
「うん。七人の男女が割り勘してマンションの一室を借りて週に一日ずつ好きに使うって話」
「らしいな」
戻って来た神無月は二冊の本を抱えていた。
一冊は勿論『少年少女!』だ。
「それともう一冊」
その本を俺の方を向けて机に置いた。
『ブルーノート』作者は勿論、三条結子。
「三条結子のエッセイ本だ」
「なるほど。エッセイか」
エッセイを紹介すれば、作者自身の紹介を兼ねることにもなる。
本の紹介しか書けないというルールのこの企画だが、これなら作者について述べることが出来る。
「名案だな!」
「じゃあこの本について書こう。改めて、この三冊で良い?」
「ああ、勿論だぜ」
仕事話は順調に決まっていく。
「俺は一作品につき一つの絵を描くってことで良いか?」
「うん、それだけ描いてくれれば十分」
これで更に二つの絵を描かなくてはならなくなった。
しかもその前に二冊本を読む必要がある。
やりがいがあるじゃねーか。
「私まだ『ブルーノート』読んでないんだ」
「じゃあお前がまずこの本持ち帰るか?俺は『少年少女!』の方を読んでくるからよ」
「うん」
神無月が『ブルーノート』を、俺が『少年少女!』をそれぞれ手元に寄せる。
「そろそろ始めますか!」
「ああ」
張りきり過ぎだろ、俺。
神無月はそんな俺に何も言わず、席にもつかず、司書室へ向かった。
神無月が何をするのかは知らないが、俺はとにかく絵を描くだけだ。
……と言っても『少年少女!』も『ブルーノート』も読んでいないのに何を描こうか。
ペン回しをしながら考える。
装飾に使えそうなこまごましたものを描くか……。
三条結子の本に関係あるもの……。
まずはそのまんま青いノートで良いか。
……あー、でも作中にどういうノートか描写があったらそっちに合わせるべきだろうし……。
どうしたもんかな……。
「山端」
肩を叩かれ振り向くと、そこにいたのは坊主頭の同級生だった。
「アッキーか」
相棒がハズレだったために一人でマイベストブックを書いている気の毒な高校球児。
大体は相棒が何とかしてくれて絵を描くだけで済んでいる俺とは正反対だ。
「どうだ?マイベストブック」
終わりそうにないから手伝ってくれ、とでも言われたらどうしようかとひやひやしながら聞いた。
自分たちの分で手一杯で手を貸せそうにも無い。
正直なところ、人の手伝いをしてる暇があるなら自分の絵を描いていたい。
「ああ、何とかなりそうだ」
「それは良かった」
アッキーにとって良かったのではなく、俺にとって良かったのだが。
「で、今はお前も作業中か?」
「いいや。俺は今カウンター当番なんだ」
「カウンターに戻んなくていいのか?」
「少しくらいならね」
控えめに笑うその表情は、野球部という肩書きより図書委員という役職に見合っているように感じられた。
やはり外見だけでは運動部だと判別できない。
「ま、確かに。ほとんど人いねえしな」
此方も笑い返すがアッキーと目が合わない。
アッキーの目線の先には、黒光。
「その絵って山端が描いたのか?」
「ん?ああ、そうだ」
「へえ」
アッキーはファイルを手に取り俺の描いた《黒光厚司》を見つめた。
「すごいな。山端が絵が上手だったなんて」
「何だよ、その言い方は」
「ごめん。ちょっと意外だったんだ」
「意外か、お互い様だな」
「え?」
「何でもねぇ」
「そっか」
何が意外なのか、聞いてこない。
本人も運動部からかけ離れた外見だということに対して自覚があるのかもしれない。
アッキーがファイルから顔を上げる。
「これ、時間相当かかったんじゃないか?」
「まあな。昨日家に帰ってそれ描いてたら日付変わってた」
「すごいな……。俺とは大違いだ」
「お前は部活もあるしパートナーもいないし、しょーがねえさ。無理すんな」
「ああ、ありがとう山端。あ、カンナ!」
山端が手を振る方に目を向けると、神無月が此方に帰って来ていた。
手には模造紙を持っている。
「アッキー、カウンター良いの?」
「そろそろ戻るよ。二人のマイベストブック期待してる。頑張れよ」
「そっちもな。完成楽しみにしてるからよ」
カウンターに戻っていくアッキーの後ろ姿を眺めながら神無月に問いかける。
「お前アッキーが当番だって知ってたのか?」
神無月は席に着き、ノートと模造紙を机に並べながら会話を続ける。
「うん。図書室に入って来た時に気づいた」
「マジかよ……。全然気づかなかったぜ。で、お前何してたんだ?」
「司書の先生に原稿読んでもらって模造紙貰った」
「なるほど。じゃあ、これから清書か」
「うん」
「下書きって『水晶は塵を受けず』の分も終わったのか?」
「まだ。でも図書室では『少年少女!』の紹介文を清書する。模造紙は持って帰らずに司書室で保管してもらうつもりだから」
「なるほど、鞄に入れて曲がったりするのも困るしな」
神無月は俺なんかよりよっぽど考えて行動している。
頭の作りが違うのだろう。
しかも常に休まず行動している。
キャリアウーマンって言葉がピッタリだ。
……外見はまるで小学生だが。
俺も悩んで手を止めるのは止めよう。
とにかく行動しないと終わらない。
だから、絵を描くのは諦めよう。
「神無月、何か紙あるか?裏紙でも何でもいい」
聞きながらスケッチブックを閉じる。
「じゃあこれ。先月の『図書室だより』の余り」
「サンキュー。でもなんでこんなの持ってんだ?」
「さっき司書室で委員長から貰ってきた。ペンのインク残ってるか試し書きしようと思って」
「なるほど。使って良いのか?」
「三枚持ってきたから良いよ」
「何で三枚も……」
「邪魔だから貰ってくれって言われて」
「まぁ、結果オーライか」
それからは二人とも口を開かなかった。
神無月は下書きしたノートの文章を模造紙に書き写していた。
俺は『少年少女!』を読みながらマンションや主要人物たちの描写を見つけるとそれをメモしていった。
図書室は静かで、時間の流れに鈍感になる。
何だか、仕事をしてる感が爽快だ。
汗を一滴もかいていないが、もしかするとこういうのを青春と言うのかもしれない。
「山端、そろそろ時間」
「よし」
学生に与えられた昼休みは短いもので、読んだページ数も約30ページだけだった。
これは週末に結構頑張る必要があるかもしれない。
「あ、そうだ。山端、私土日は作業しないから」
「あ、ああ。解った」
俺の考えていたことの真逆な神無月の発言。
突然のことについ相槌を打ってしまった、が。
「何でだ?」
当たり前ながら理由が気になる。
神無月は隠すこともせず訳を話した。
「日曜に部活の記録会があるから。土曜は練習だし。締切までには終わらせるから。良い?」
隠す必要も何も無いような理由だ。
「ああ、了解だ。頑張れよ」
「うん。ありがとう」
荷物を片付け図書室を出る。
「俺は土日で一つ終らせてくるぜ」
廊下を歩きながらそう言うと、神無月は俺の方を向いた。
「無理しないで。やりたくなければやらなくてもいい。描くにしてもまだ締め切りまで一週間ある」
その言葉には感情がこもっていた。
どんな感情かは分からなかったし、そもそも俺の気のせいだったのかもしれないが、そんな気がした。
「でも描いてきた絵を模造紙に貼らなきゃなんねえし、ギリギリじゃ困るだろ」
「早いほうが助かるのは事実だな」
「な、やっぱそうだろ?」
神無月は相槌を打たずに黙っていた。
焦って言葉を付け加える
「無理はしねえって。やれるところまでやってみるさ」
「やれるところまで、な。途中でダウンされた方が困る。まだ完成させなくても良い。課題もあるし」
「ああ……でもよ」
もう一つ、付け加える。
「俺、この絵が描きたいんだ」
言ってしまった。
絵が描きたいって、言ってしまった。
神無月は口を開きかけて、閉じ、そしてもう一度口を開いた。
「絵を描くの好きなんだ?」
「ああ」
はっきりと答えた。
そんな自分を、ちょっと褒めてやりたくなった。
「ならどうして美術部に入らないの?」
当然の質問。
でも、その質問が俺が好きなことから逃げてきたという事実を思い出させる。
「女ばっかだし……」
「もっと絵を描きたいとか思わない?上手くなりたいとかは?」
「どうだろうな」
神無月の質問攻めに苦笑するしか無かった。
漫画を描かないと将来後悔するって解ってたのに、理由をつけて逃げてきた。
でも、漫画を描くことの代わりになるほど熱中できることも見つけられない。
それが解りやすい形で表れているのが、帰宅部であるという事実だ。
心の底にあったその痛みが浮かんできた。
「この仕事が終わっても、山端、絵描く?」
そんなの俺も知りたい。
そんなこと解らない。
「なんでそんなこと聞くんだ?」
質問を質問で返す。
イエスともノーとも答えられないから。
でも、それだけじゃなくて、本当に疑問に思ったのだ。
神無月は俯きがちになって答えた。
「私、山端の絵見るの楽しみなんだ」
「マジか?」
それとなく表情を窺うと、神無月は優しく笑っていた。
どこか切なくて、諦めたような顔で、それを見ると訳も解らず胸が痛くなる。
「だから、この仕事が終わっても、絵、描いてほしい」
自分が絵を描くことを望んでいる人がいる。
じんと胸が熱くなる。
「俺も描きたい」
素直な気持ちだ。
「ありがとう神無月」
その後、この空気をどうしていいか解らず、教室に着いてからもしばらく落ち着かなかった。
帰りの電車に揺られながら久しぶりに思い出していた。
落ちこぼれで臆病な少年が、ある日森の奥へ連れさらわれた幼馴染の少女を助けに行く。
中学生の頃、勉強したくなくて授業中ずっと妄想していた。
授業用のノートは、いつの間にか板書の写しよりラクガキの面積の方が大きくなっていた。
ぼんやりと設定を考えて、大まかなあらすじを決めて、思いついたシーンを脈絡も無く漫画にしてラクガキを繰り返した。
多くの矛盾や空白が生まれ、一つの物語にすらならなかった。
でも、ただただ楽しかった。
いつかちゃんと完成させるんだって言って思いつくままにシーンを重ねていった。
……無責任な奴だ。
いつかっていつだよ。
次で終われると良いのですが……。