プロローグ
『カランカラン』
会社帰りのサラリーマンが1人店に入ってくる。この店の常連さん、名前は確か・・・・岩尾さんだったっけ。僕をごひいきにしてくださる方だ。
「お帰りなさいませ、ご主人様」
岩尾さんに対して丁寧に頭を下げる。僕の名前は糸谷 昴、高校1年生。男ではありますが、メイド喫茶でメイドやってます。
「俺あのゲーム欲しいんだけど、マジ金なくてさぁ・・・・。宅哉、お前金あんだろ。俺に買ってくんねぇかなぁ」
「誰が純なんかに。バイトすればいいんじゃないのか? 」
「いやぁ俺の両親、バイトすんの反対でよぉ」
ここは僕の教室、凪沢高校1年3組。僕は友達の田川 純、佐佐倉 宅哉と共に机を引っ付けて駄弁っている。
いや、純と宅哉は弁当を食べているのだが、僕はただ駄弁っているだけという表現の方が適切かもしれない。
朝だって食パン半きれを食べただけで、お腹は空いている。じゃあ、なぜ昼ごはんを食べないのか、さらにはなぜ朝ごはんが食パン半きれなのか。
一言で言うならば家が貧乏だからだ。父さんが借金を抱えたまま早くして亡くなり、母さんも夜勤で頑張って働いてくれてはいるがまだまだ全額返済には程遠い。
あぁー・・空腹で死にそうだ。前で食べている2人の弁当風景を否応無しに見る羽目になるのだが、見れば見るほどお腹が空いてくる。
「おい、聞いてんのか昴! 」
純が僕の肩を揺さぶって我に返った。あまりのお腹の空き具合に話が全然耳に入ってきていなかったのだ。
「ごめん。聞いてなかった」
「お前のバイトって儲かんのかって聞いてんだよ」
「うん、大変だけどそれなりにはね」
「すげぇよなぁ、お前。家のためなんだろ。俺だったらすぐにゲームに消えちまうぜ」
純が感心したようにそう言うが、まさか僕が毎日放課後と休みの日の朝から晩までメイドになって働いてるなんて想像もしていないだろうな。
始めは親戚の叔母さんに給料のいいバイトを紹介して欲しいと頼んで連れてこられたのだが、それがメイドとは僕自身思ってもいなかった。
何が何だか分からないままメイド服を着せられたりメイクをされたりした結果可愛いということで採用になった。
辞めると言い出せない雰囲気になってしまい今も続けているが、2ヶ月ほど働いて楽しいとも思うようになってしまったのが恐ろしい。
「そうだ、昴、これ食いなよ。おやつ代わりに持ってきたけどもうお腹いっぱいだからさ」
宅哉は僕にコンビニで売っているソーセージパンを手渡す。2日に1回ぐらいはこうして支援をしてくれる。本人はおやつ代わりとか言っているが、始めから僕にあげるつもりで買ってきたのは目に見えている。 いくら親が社長で宅哉もお小遣いをたくさん持っているとはいえ、この優しさには感服する。
「毎度毎度サンキューな」
僕は速攻で袋を開け食べ始める。空腹が僅かではあるが満たされていく。あぁ・・生き返るとはこういうことなのか。
「こんにちは、さなえさん」
学校が終わり、放課後のバイトが始まる。社員用の裏口から「メイド喫茶ゆーりん」に入りすぐの左手にある休憩室に行くと、店長のさなえさんがメイド服を着ながらも足をテーブルの上に乗せ、タバコを吸っていた。
この人は客の前では愛称が「さーにゃん」。
猫耳と猫の尻尾をつけて「お帰りなさいませにゃん、ご主人様」とか言っているのだが、裏ではこんな姿なのだ。
まあ、他の人だって表の顔と裏の顔が大きく違う人が大概だし、この休憩室だって表の明るい装飾とは違いテーブルと6脚の椅子が置いてあるだけの殺風景な部屋だ。
尤も表と裏の顔が1番激しいのは僕であるのは間違いない。だって女装をしているんだから。
「何してんの? 早く着替えなさい」
「はい」
学校の鞄の奥底から化粧道具入れを取り出し早速メイクを始める。軽くファンデーションを塗り、まつげと眉毛を整え、最後に桜色の口紅を塗って完成だ。
ここまでで急いでやって15分。これだけに15分はまだまだ遅いかもしれないが、初めてやったときの30分よりは大分ましだ。
次いでピンクのメイド服を着用して、黒くて長いウィッグを着ける。
鏡を見れば完全な女の子が映っている。自分で言うのもおかしいが、可愛いと思う。現にこの店ではさなえさんに次いで2番目の人気を誇っているのだから。
「それでは入ってきますね、さなえさん」
声も着替えと同時にチェンジする。成長が遅いのか、童顔で女装をすれば似合うし、声も難なく女の子っぽい声が出せてしまう。
「よろしく~」
やる気の無い店長の声に見送られ表へと出て行った。
平日の4時ごろという時間だけあって客の入りは疎らであるが、それでも「萌え萌えきゅん」の声が飛び交ったりなど店内は常に騒がしい。
「おい、スバルちゃん。これを4番のご主人様に持って行ってくれ」
この人は厨房で働く今宮 肇さん。あともう一人今はいないが児子 朱里さんも厨房で料理を作っている。
ちなみに今宮さんは僕を除けば唯一無二の男性で、年齢も20ちょうどと近いので僕にとっては非常に頼もしい存在だ。一方で童顔の僕にとって金髪のさわやか風イケメンは羨ましい存在でもあるが。
今宮さんからオムライスとケチャップの乗った皿を受け取り4番テーブルに向かう。
男子高校生が1人いるが、制服からして僕と同じ学校だ。
パッと見で同じ学校と気づいた瞬間、知り合いではないかひやりとするが、まったく知らない人で胸をなでおろす。もし、知り合いならあっという間にクラスとかに情報が広がっていって僕の学校生活が終了しかねない。
この人は僕の1個上の先輩の2年生だろう。学ランの胸の部分についているボタンの色で判別できる。緑色が1年、黄色が2年、赤色が3年と見事に信号色になっているのだ。
「ご主人様、こちらがお絵描きオムライスになります。何をお描きいたしましょうか? 」
お絵描きオムライスとはメイドがご主人さまの要望に合わせてお絵描きをしてあげるシステムだ。
この男子高校生はこういうところに来るのが初めてなのか恥ずかしそうに下を向きながら「似顔絵」とぼそっと呟いた。
「似顔絵でよろしいですね、ご主人様」
ケチャップを手に取り、描き始める。ぼさぼさ頭の髪、ほっそりとした顔に、黒縁の眼鏡が印象的だ。
この辺りの特徴さえ掴んでおけばそれっぽいものにはなる。慣れた手つきで10秒ほどで描き終わる。
「それではご主人様、おいしくなるおまじないをさせて頂きますね。ご主人様も一緒に萌え萌えきゅんと言ってくださいね」
「おいしくなーれ、おいしくなーれ。萌え萌えきゅん」
「萌え萌えきゅん」
僕が手をハートマークにしてオムライスにおまじないを送る。
遅れて男子高校生も、恥ずかしさのあまり、声も小さくハートマークも遠慮気味だったが、僕と同じようにおまじないを送る。
僕はというと流石にこの恥ずかしいのにはなかなか慣れなかったが何百回とやっている内にもう平気になった。
メイド姿といい、メイクといい、恥ずかしいおまじないといいこんなことに慣れてしまっている僕は男子高校生として大丈夫なのか、ことあるごとにそう思ってしまう。