序章
序章
すごい風が大地に根を張る全ての物を吹き飛ばした……かのように感じた。
この風ホントやばい、完全に吹き飛ばされたと思ったよ。
春の名物・春一番が突然の団体旅行で、ここを訪れたと説明されたら、納得できる。
そう言えば、昨日ニュースで春一番が吹いたとか言ってたな。
わお! 色とりどりの桜の花びらがいっぱいだー。
僕は目の前に散り乱れる桜の花びらと、道行く女性の下着に目と心を奪われることしばし。
僕は自然という芸術家が見せた美の極致に感謝した。このまま時が止まりますように! とお願いしたが、現実は非情にして無情である。
しかし、早起きは三文の得と言うが、先人は良いことを言う。朝から良い物を見せてもらいました。
僕は再度、神仏に感謝の意を伝えた。こんな時だけ、神様仏様に感謝するのは、無信仰者の悪い癖だ。
それにしても何だよ、春一番が吹いたら、もう無条件で暖かくなれよ……。
僕はまだ肌寒い今の時期に、苦々しく毒づく。一月前に春が終わり、すぐ冬が到来した身の上なので、季節だけでも暖かくなって欲しい。
僕は桜の花びらがまだ宙に舞い踊っているのを見て、未練がましいと感じた。いや、未練がましいのは僕か……。
うわっと! 何なんだ? 本当に今日は風の団体さんでも来てるのか?
さて、今度はどんな色の花びらで、僕の目を楽しませてくれるのかな?
僕は先程起こった出来事を思い出し期待を込めて、目を凝らす。
それを視界に捉えた瞬間、完璧に目と心を盗まれた。僕はその場に立ち尽くすしか出来なかった。
え? 妖精? いや、女神か……? 何だこれ、本当に現実か?
僕は現実味の薄いシーンに、目が離せない。
はっ! もしかして、狐に化かされてる? 良し、ここは先人の知恵に学んで眉に唾を付けてみよう。これで消えないようなら現実と受け入れるしかない。
僕は眉に唾を付けて再度確認する。駄目だ。消えてない! 僕は初めての怪奇現象との接近遭遇に心を震わせた。
ねんがんのかいきげんしょうとそうぐうしたぞ!
消えるなよ! 女神様! 僕は目の前に現れた女神様を眼に焼き付けておこうとじっくり観察を開始した。
まず黒く長い髪は鴉の濡れ羽色と言えるほど艶があり美しい。その上桜の花びらと風を纏い、一緒に舞い遊んでいるという演出付きだ。
顔は横顔しか見えないが、造形の極致を思わせる美しさ。
美人過ぎるとかマスコミが極度に煽る人間は、僕の目というフィルターを通したら、もう見てらんないレベルが多い。しかし今僕の目の前にいる少女は、そんな奴らとは格が違った。あのゴツい仮面をかぶった三男坊も認めるレベル。
良く見るとあの黒いセーラー服……。あれはひょっとしたら白龍学園高等部の制服か? と、言うことは、うちの女子か!
そうなるとこれは怪談的に考察すると勉強を苦に自殺した女生徒か、あるいはいじめを苦に死んだ女生徒の幽霊!
他を見てみよう。胸元はなかなかの盛り上がり……ではなく、緑色のスカーフがある。
これを見て導かれる結論はただ一つ! 高等部の先輩、しかも最上級生だ。自慢じゃないが、推理は得意な方だ。
僕が穴の開くほどじっと見つめていると、女生徒の幽霊は閉じていた両目をゆっくりと開けた。この後梵字を唱えたら、彼女の《小宇宙》でここら一帯壊滅しそうだ。
ゆっくりとこちらに振り向くと僕と目が合った。女生徒の幽霊は照れくさそうな表情で、可憐に微笑む。まるでアイドルのコンサートに行った時、目が合ったとか寒いことをいう人を、ぶっちゃけ小馬鹿にしていたが、もう止めようと思う。反省してます。
その笑顔の威力は僕の万年雪を溶かし、春の訪れを教えてくれていた。しかし、呆気に取られていた僕は、その微笑みに魅入られたように一歩も動けない。
遠くで友人の呼ぶ声が聞こえた。何だよ、うるさいな。もっと見ていたいんだよ。
「どうしたんだ、イチ? ぼうっとしちまって」
友人の声で僕は我に返った。
僕はまるで三途の川を渡る直前で引き返した人の体験を追体験した気分になった。いや、お前、空気読めよ! あ、因みに《イチ》というのは、僕の愛称で、友人は大体そう呼んでる。
「いや、そこに綺麗な女生徒の幽霊が……」
うん、酷いね。解ってる。頭の中、妖精さんがいっぱい飛んでてもおかしくないと思われるレベル。
「お前、ついに怪談の読み過ぎで頭がいかれたのか?」
伊達は憐憫を通り越した目付きで僕を見る。ついにって何だよ、ついにって!
僕はその言葉にむっとする。
僕はもう一度だけ、女生徒の幽霊がいた方を見た。
何……だと……? なんと言うことでしょう! そこには元気に宙を舞う花びらの姿が!
引田○功もびっくりだよ! これじゃあ、僕の精神と目がおかしいと思われても仕方ないじゃない! どうして、こうなった! どうしてこうなった!
全ては春の幻が見せた、一瞬の出来事なのだろうか?
そして僕は良くある怪談のように、あなたの知らない世界へ知らず知らずの内に、入り込んでしまったのだろうか……。
しかし僕はこの出会いに運命を感じてしまった。
古い恋を忘れる特効薬は新しい恋、か……。僕は心の中に芽生えた新しい恋心を慈しむようにそっと抱いた。