第拾話:天使の兄上 長男編 その一
どんどん話の舞台は変わっていきますが、色々な視点から江戸時代の生活について触れていけたらと思って書いています。
神代家に『赤丸』がやって来た日のこと、
神代忠之助は朝早くから大柄な体を揺らし家臣を供に連れて、馬場先門前にある林大学頭鳳岡の屋敷を恩師を見舞うという名目で訪れていた。
林家は儒学・朱子学の大家である。
家祖林羅山はその聡明さにより二十代の若さで徳川家康に召し抱えられ、草創期の江戸幕府の基礎を固めた一人として有名である。
現当主の林鳳岡もまた四代将軍家綱の頃より重用され、当年とって七十五歳ながら吉宗の長子家重にも講書を行うなど、その名を広く知られる儒学者らしい厳格な人柄でもある。
しかしこの時は寄る年波には勝てないのか、霜月を迎えて冷え込みが厳しくなるにしたがい、鳳岡は風邪をひき湯島聖堂に赴く事もできずに屋敷で寝込んでいた。
「鳳岡先生、体のご調子をお崩しになるとは、さしもの儒者でも病魔には勝てぬようでございますね」
「ふっふっふ、しかり、いくらわしが名高き林家の当主といえど、老いと病魔には勝てはせんわい」
布団に寝かされている老人の肌には無数のシワが刻まれ、髷を結うための頭髪も抜け落ち染みが浮き出ている。
「まあ、それだけ長生きされているのですから、十二分にご満足なのではござりませぬか?」
「満足、満足か……」
「どうかされましたか?」
老人の目はシワとたるみで閉じているのか開いているのかも分からない。
「忠之助、茶を入れよ」
火鉢の上で湯気をあげる急須を指して告げた。
茶を淹れた経験など無い忠之助は慣れない手つきで何とか終え、湯呑を鳳岡の手に渡した。
「……渋い、苦い、濃い。在所の百姓娘でもこれよりマシなものを出すじゃろうの」
「それは、お粗末さまでございます。
なにぶん不調法者でして、茶を淹れたことなど一度もないのです」
「それゆえ、わしの分だけを淹れたのか?」
旗本家の嫡男という高位の身分である忠之助でも、美味しいお茶を淹れるのはなかなかに骨の折れることだとは知っている。
なので、どうせ不味いのだからと自分の茶を淹れることはしなかった。
「あははっ……」
「まあよい。
そなたがわざわざこの老体を気遣って見舞いに来たわけではないということは、重々承知しておる」
「いえ、それがしは鳳岡先生が風邪を召され聖堂での講書をお休みになっておられるとの話を耳にいたしまして……」
「よいと申したであろう。そなたがわしの愛しい『孫娘』に懸想しておるのは林家の者ならば皆が承知じゃ」
この事を指摘されては忠之助も恥ずかしげに苦笑いするしかない。
林家の現当主は寝込んでいる鳳岡ではあるが彼の年齢は七十五だ。現代の人間から見れば定年を迎えて家でのんびりしている老人にしか思えないであろうが、この時代には定年という概念は無い。役目を授かっていなければならないことではあるが、武家の当主は隠居願いを出さない限りいつまででも働くことが許されている。
そして当然ながら鳳岡には息子がいる。その名を林信充と言う。
彼は父のすすめに従い元服を迎えた年に嫁を貰い、十五歳で娘を授かり『絹江』と名付けた。
それから長いことこの家は子宝に恵まれなかったのだが、この年のはじめに側室の一人の腹に子供が宿っていることがわかり林家の者を喜ばせた。
前述の鳳岡の話に出てきた孫娘というのが、林家の嫡男の娘絹江である。
二人の出会いは二年程前で忠之助十八歳の夏のことだ。
彼は屋敷から半刻ほどを歩いた武家地神田にある『新当流塚田道場』にて剣術を習っているのだが、生来体を動かすことと頭を働かせるのが嫌いな質であり、この日も少しばかり遅れて始めた稽古を早々に切り上げ両国に足を伸ばしていた。
江戸時代の両国といえば江戸府内で最も栄た場所であり、現代の渋谷と銀座とが混ざり合った場所とでも言おうか、暇をつぶすためにぶらぶらとそぞろ歩くには格好の盛り場である。
忠之助が猛烈な日差しを避けるために神田に数多くある武家屋敷の路地をゆっくりと歩いていると、前から三人の供を連れた武家娘がやって来た。
強い日差しの中でも涼やかさが感じられる『薄緑の絽』の着物がよく似合うほっそりとした娘で、細面に浮かぶ少し大きめの目が小ぶりな鼻とおちょぼ口に負けない色気となっている。
この歳になってもまるで異性に興味が無かった忠之助だが、その娘の魅力に一瞬にして心を奪われたのだから、やはり男は男である。
一般的に武家の女人が屋敷の外へ出ることは良しとされない。最低でも供を連れて墓参りや習い事に行くくらいのもので、内外問わず男性と二人きりになることや、偶然出会ったからといって立ち話をするなどもってのほかのことなのだ。
この日、十六歳と花盛りを迎えてその身に色気が出始めたことを家族に口にされるたびに顔を朱に染める娘、林絹江が屋敷を出て来たのは本郷に屋敷のある旗本へ嫁した親戚の叔母を訪ねるためであった。
久しぶりの外出のためであろうか叔母からの土産物を持たせた女中と用心のための家臣を一人従えて歩く絹江の表情は優しげな笑みを浮かべており、暑い日差しの下でもゆっくりとした足取りで馬場先門前の自分の屋敷へと向かっている。
本郷から江戸城へ向かい、神田川に架かる昌平橋を渡り駿河台を右手に見ながら大名家の上屋敷がいくつか並ぶ通りを進むと内神田へ至る。神田は徳川家康が三河から江戸へと移封された際連れてきた多くの職人に与えられた土地であり、大工町・鍛冶町・鍋町などの地名で区割りがされている。
絹江は人通りのある繁華な本町通りを避けて武家屋敷の並ぶ通りを進み江戸城の内堀の方へと抜けて行こうと考えていた。
時刻はだいたい朝四ツ半[AM10:45]だろうか、じりじりと肌を焼くような太陽が上がりきらずに所々日陰が見られる時間帯だ。
旗本屋敷の間の海鼠塀に挟まれた道で、だらだらと汗をかきながら歩く小太りの侍と清楚な武家娘は出会うことになる。




