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恋の予感

 上村透(うえむらとおる)は大阪府内の公立高校に通う、高校三年生である。そこそこ高い学力の進学校に通い、その中でも、そこそこの成績、そこそこの運動神経、そこそこのルックスと、特に目立った特徴の無い透は、それを自分の最大の長所だと自負していた。

 目立たないこと、それは透にとって最も得意とするところであり、同時に最大の長所である。

 何か隠れて(やま)しいことをしようという気持ちは微塵もないし、この長所を誰かに褒めて欲しいわけでもない。完全に自分が楽しみたいだけの、自分のためだけの長所なのである。

「見過ぎやって」

 ホームルーム中、気になった人を目で追っていたところ、後ろから丸めたノートで頭をすっぱたかれて、透は思わず肩を跳ね上がらせた。大学受験を控えた学年ではあるが、部活動を引退したばかりの彼らにとってまだその実感は湧かない。ホームルーム中の教室は友達と雑談をする者、物寂しげな表情で後輩たちが練習をするグラウンドを見つめる者など、どこかふわふわした空気に包まれていた。

「別にいいやん。どうせ気付かれへんねんし」

 透は頭を抑えながら後ろの席の永井竜太(ながいりゅうた)を振り返る。その表情は、おもちゃを取り上げられた子供のそれに等しい。竜太に自分の趣味について話してからは毎度こんなやりとりが続いている。こいつに自分の趣味を話したのは間違いだったか、と透は少し後悔した。

 目で追っていたのは一番前の席の村井京子(むらいきょうこ)である。大人しく、おしとやかで、あまり目立つタイプではないのだが、意外とファンの男子は多い。聞くところによると制服を校則通りにきちんと着こなしているのも意外とポイントが高いらしい。透はそんな男子たちと違い、別に京子を狙っているわけではない。しかし人を観察することが好きな透にとって、京子はどこか不思議な雰囲気を(まと)っているように思えてならなくて、少しでも暇があれば京子の姿を目で追っていた。

 落ち着いた表情で読書をしている姿。

 ぼんやり窓の外を眺めている姿。

 男子に囲まれて楽しそうに話す姿。

 表情豊かな京子は毎度さまざまな表情を透に見せてくれる。しかし、透には京子のその表情がどうも作られていて、完成され過ぎている気がしてならなかった。

彼女にはきっと何かがある。

 それは未だ高校生ながら、暇さえあればいろんな人を観察し続けてきた透の経験から来る直感とも言えた。

「そんで……次はどんな妄想してんの?」

 竜太が、今度は丸めたノートで透の脇腹を小突(こづ)きながらしつこく聞いてくる。人を観察しているだけで別に妄想しているわけではないのだが、以前試しに聞かせてやった妄想話が驚くほどウケたせいか、透の趣味は妄想だと竜太は勘違いしている。

「ちょ、やめろ! 言うからやめろ!」

 脇腹が弱点だと竜太にばれてから、ことあるごとに透はちょっかいをかけられている。特に透の妄想話は竜太の大のお気に入りらしく、話す前から身を乗り出していかにも興味津々といった表情である。透も竜太が毎回そんな風に目を輝かせて話を期待してくるので、竜太の勘違いを訂正出来ずについ乗せられてしまう。

「ええか、今彼女は本を読んでるやろ。花柄の可愛らしいブックカバーやけど、実はあの中身はギャグ漫画やねん」

「マジかよ?」

 竜太が腹を抱えて必死に息を殺しながら笑うのを見て、透も釣られて同じように笑ってしまう。もちろん実際にそうだというわけではなく、透の作り話だ。よく人を観察しているからこそ出来る芸当なのかもしれない。毎回突拍子もない話なのだが頭の中でその絵をイメージしてみれば、何だか有り得そうな気もする。そういうぎりぎりのラインをいつも突いてくる。京子をはじめ、標的にされた人物にとっては迷惑(はなは)だしい話ではあるだろうが――。

「おっ、後ろの山田が話しかけてんで」

 抱腹状態からようやく復活した竜太が透に視線で促す。クラスでも一、二を争うほど無口な山田が女子に話しかけている場面など、滅多にお目にかかれるものではない。むしろ初めてと言っていいかもしれないくらいだ。おそらく山田も京子をひそかに狙っている男子の一人なのだろう。

「あれをどう見る?」

 早く続きを考えろ、そう言いたいのだろう。竜太は一言一句聞き漏らすまいとますます身を乗り出して透に耳を近づける。

 透はやれやれといった表情をしたものの、やはり楽しいのだろう――しばらく京子と山田の会話の様子を眺め、そして口を開いた。

『村井さんって、どんな本が好きなの?』

『私はね、シェークスピアしか読まないの』

 二人の会話に合わせて透がアテレコを入れ始めた。竜太はすでに笑いをこらえ出し、「ギャグ漫画ちゃうんかよ」と突っ込みを入れたものの、それがまたおかしかったらしく、一人で笑いの連鎖にはまっている。透は笑いに自信があるわけではないが、ここまで笑ってくれるならやり甲斐がある。再び抱腹状態の竜太をよそに、透は淡々と二人の会話を勝手に(つむ)ぐ。

『よかったら今度僕にシェークスピアの本貸して欲しいな』

『いいわよ。でもね、シェークスピアは高尚(こうしょう)な読み物なの。あなたに理解が出来るかしら』

『えっ、どういうこと?』

『ふふふ……何でもないわ』

淡々と紡がれる二人の会話が(透のただの妄想ではあるが)、二人の性格や雰囲気と合っていてこれがまた竜太の腹筋を(いじ)める。

「お前、山田バカにし過ぎやろ……」

 もはや声を出すのも必死なのか、竜太は肩を上下させて目には涙を浮かべている。そこまで笑ってくれるならば、透もやった甲斐(かい)がある。透は十分楽しんで、満足した表情で前を向いた。対する竜太はなおも続きを要求しているらしく、透の脇腹をつんつんと突いている。

「永井、ちゃんと話聞いてるのか!」

 担任には竜太が透にちょっかいをかけているようにしか見えなかったのだろう。全員の前で自分一人だけ注意を受けた竜太は腹いせに透の肩を小突いて大人しく席に着いた。

 その時、ふと視線を感じて透が京子の方に視線を向けると、一瞬京子と目が合った気がした。しかし透の思い違いだったのだろうか――京子は全くそんな素振りも見せず、教壇を前にして話す担任へと視線を向けていた。

「進路希望調査票は今週中に出せよ。それじゃ、終わります」

 ホームルームが終わるや否や、クラスの何人かが慌ただしく席を立った。塾に通っている面々だ。受験勉強は夏休みが勝負だと言われるが、早いに越したことはない。部活動を引退してスパッと気持ちを切り替え、スタートダッシュを決めるために塾へ通い始めた者は少なくない。竜太もそのうちの一人で、何でも志望する大学が今のままでは厳しいらしい。

「お前ほんませこいわ」

 後ろの席の竜太がもう一度透の肩を小突く。透はからかってやろうと振り向いたが、竜太は参考書が詰まったエナメルバッグを肩にかけたところだった。

「また明日おもろい話聞かせてや」

 そう言って今度は透の肩をポンと叩くと、竜太は(あわ)ただしく教室を出て行った。

 ぽつんとその場に残された透はというと、まだ具体的に何がしたいかも、どの大学に行きたいかもはっきりと決まっておらず、イマイチ受験勉強に身が入らないでいた。塾もとりあえずは夏期講習を試しに受けてみようかと考えている最中だが、すでに七月、夏休み目前だというのにまだ親に相談すらしていないという状況であった。

 ――皆よう頑張るわ。

 未だ大学受験への実感が湧かず、自分の中で目標が定まらない透は、とりあえず勉強をしておく、という行為が出来ずにいて、少し周りから取り残されているような感覚だった。

 そういえば村井はどこ受けるんやろ。

 ふと、さっきまで京子が教室に残っていたことを思い出し、透は京子の席へと視線を向けた。が、しかしそこにさっきまでいた京子の姿はなかった。

「ねえ」

 後ろから聞き慣れない声がして振り返ると、そこにはさっきまで自分の席に座っていたはずの京子が立っていた。

 透がこうして真正面からきちんと京子を見たのは初めてで、改めてよく見ると確かにきちんと着こなした制服も悪くないなと感じた。

「放課後ちょっと時間あるかしら?」

 そう言われて何かの間違いではないかと思わず後ろを振り返ったが、京子と透の延長線上には誰もいなかった。

「俺?」

 あまりに唐突だったので、透は念には念を入れて自分を指差して京子に尋ねると、京子はにこりと微笑んでからこくりと頷いた。

「別にかまわないけど……何?」

「ここじゃあれだし外で話しましょう」

 そう言ってカバンを取りに席に戻った京子を透は目で追っていた。

 初めてちゃんと見て、ちゃんと聞いた京子の姿と声は遠目からの印象と変わらずおしとやかで清楚で、クラスの男子に人気があるのも頷けた。

そんな京子がどうして自分に声をかけてきたのだろう――透は妙な期待を膨らませずにはいられなかった。


帰る方向が全く逆だということで、二人は駅の近くのファストフード店で話をすることになった。透は最近、京子に興味を抱いてしばらく観察を続けていたが、実際のところ彼女がどういった性格の持ち主なのかと言うことはまだはっきりと掴めていない。どういったことに興味があってどんな話をすれば盛り上がるのだろうか。別に無理に盛り上げる必要はないのだが、会話のきっかけを(つか)むためには是非ともしっておきたいことではあった。

自分からは話題を振らない京子と、必死に話題を探す透、二人は並んで歩くもののろくに言葉を交わすことはなかった。

そして透にとって一番気になるところが、なぜ京子が自分に声をかけてきたのか、ということである。透は最初、京子を密かに観察していたのがばれてしまったのかと考えたが、普通ならば物理的に有り得ない。というのも透は一番後ろからひとつ前の席であるのに対して、京子の席は一番前だからである。趣味の話は竜太以外にしたことはないし、竜太以外の人には聞こえないように、意識してかなりトーンを下げて話すよう心掛けてもいる。こんな状態で透が京子を観察していることに気づけるとしたら、後ろに目があるか超能力者であるかのどちらかだ。

京子が透を誘い出した意図が分からないまま二人は店に入り、そこで京子は先に席を取りに行って、透は二人分の注文をまとめてすることになった。透は二人分の注文と会計を済ませ、席を取っていてくれている京子を見つけると、トレーをテーブルの中央に置いて彼女の向かいの席に腰掛けた。

京子は「ありがとう」と言って微笑んだが、自分が頼んだドリンクにもアップルパイにも手を付けず、テーブルに片肘をついてじっと透を見つめていた。見つめられた透はどう反応していいかも分からず、顔を上げると京子と目が合ってしまうため、気まずい空気を紛らわせるためにひたすらドリンクを飲んだ。

時折ストローを持ってドリンクの中の氷をかき回したりしてみるが京子の視線はやはり揺るがずにじっと透を見つめていた。そんな京子に耐えかねた透が、ドリンクをテーブルに置いて恐る恐る京子に視線を向けて口を開く。

「あの……今日は何の用?」

透の問いかけに微笑みを返す京子。

目が笑っていないその笑顔は、逆に透に恐怖心を植え付ける。

「用がなければ誘っちゃいけないの?」

これには透も返す言葉が見つからなかった。大人しくておしとやかな印象なだけに、辛辣(しんらつ)な言葉が余計にぐさり、と透の心に刺さった。いったい何が目的なのか、はたまた新手(あらて)の嫌がらせか、透の全身から嫌な汗が溢れだす。

単純な興味が一転、恐怖と後悔へと変わってゆく。

「べ、別にそんなことはない……と思うけど」

「じゃあ気にすることないわよね」

「……はい」

京子は一向に透から視線を外す気配がなく、透はたまらずドリンクをすすり続けた。

――ズゴゴゴゴ。

まだ席に着いてから二、三分しか経っていないというのに早くも透のドリンクが底をついてしまった。全く手をつけていないポテトをドリンクなしでどうやって食べるのか。

ただ、今はそんなことに気を回している余裕はなく、居心地の悪い空気の中で早く解放されたいと願いながら、氷だけが残ったカップをひたすら見つめ、ストローでいじいじと中の氷をかき回した。

「嘘よ」

「えっ……」

ふいに京子が言った言葉に透は思わず顔を上げた。目の前に座る京子には先ほどまでの微笑みはもう無く、片肘をついて透を見つめる京子の視線はじとりと透を睨みつけていた。教室で幾度も視線を向けて京子を見ていた透だが、これほどふてぶてしい表情は初めてだった。おそらくこんな表情の京子を見たのは学校内でも透ひとりだけだろう。

清楚で大人しいという印象とはまるでかけ離れている。

「あなたに言っておきたいことがあるの」

どんな恐ろしいことを言われるか分かったものじゃないこの状況――透の全身に緊張が走る。これなら心の準備が出来るという点で、全く話したこともない女子からバレンタインの日に呼び出される方がまだマシだというものだ。と言っても目立つことを避けてきた透には経験したことはないし、今後も起こり得ないことだとは思うが。

ただ、そちらの方がまだ心の準備というものが出来る。

京子はドリンクを一口飲むと、ふう、とため息をついて透の方へと視線を戻した。

「言っておくけど、私はギャグ漫画なんて読まないわ」 

「へ?」

 思わず頭の天辺(てっぺん)から抜けたような間抜けな声が出た。理解が追いつかない透を置いてけぼりにして京子はさらに続ける。

「シェークスピアも読まないし、山田君をバカにもしていない」

 そこまで言われれば気付かないわけがない。つい先程のことだ。

「もしかして聞こえてた?」

 恐る恐る京子に尋ねると、京子は「やっぱり」と呆れ顔でため息を吐いた。

「あの距離で聞こえているわけないでしょう。あなたたちの普段の会話から何となくそんなこと言いそうって思っただけよ。図星だったわけね、呆れた……」

ばれたからといって別に他人を誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)していたわけでもバカにしていたわけでもないので問題になる程のことではないとは思う。それよりも、透にとっては誰かを観察するという密かな楽しみが他人にばれてしまったということの方がショックだった。それも観察対象である当の本人に見透かされているわけであるから、その大きさは尋常ではなかった。

開いた口が塞がらない、そして、返す言葉が見つからないというような状況の透を見て、京子はそれを楽しむかのようにさらに続ける。

「私の前は望月さん、その前は前野くん、その前は――桐生さんだっけ?」

それらの名前はすべて高校三年になり初めて同じクラスになった中で透がその気になって観察してきた人たちである。京子だけでなく、それ以前に興味を持っていた人まで漏れなく言い当てられてしまうと、これはもうただごとではない。

超能力者ここに現る――だ。

「何でそんなことまで知ってんの?」

答えを聞きたいが、視線を上げて目が合えば全てを見透かされてしまいそうで、透は伏し目がちに京子の返事を待った。

「あなた、いつも自分が誰かを見ているように、誰かが自分を見ているかも、って考えたことはないの?」

京子の言葉を聞いて透は、はっ、と顔をあげた。今日のホームルーム中、一瞬京子と目が合ったような気がしたが、あれはもしかして気のせいではなかったのか――透の脳裏にあの一瞬の記憶が呼び起される。

「じ、じゃあ……」

透の言葉の続きを、京子は何とはなしに平然と語る。

「そう。あなたが私を観察していたように、私もあなたを観察していたの」

透はとんでもない人物に目をつけてしまった、と思うと同時に、とんでもない人物に目をつけられてしまったと、がっくりと肩を落とした。

「落ち込んでいるところ悪いんだけど、話を続けていいかしら?」

「お願いだから誰にも言わないでください」

京子が続きを話そうとするのを(さえぎ)って、透は顔の前で手を合わせて必死に頼み込んだ。

「あなたと同じことをしている私が、あなただけ悪く言うなんて出来るわけがないでしょ」

呆れた口調が京子の言葉に偽りがないことを物語っている。透は思わず顔を上げて京子の顔を見た。ほっとしたような表情が窺える。

「さすが村井さん。話が分かる人だと思ってたよ」

そうおだてたのも束の間、京子の言葉が再び透の不安を掻き立てる。

「でも先に気づかれたからあなたの負けよ。というわけで一つお願いを聞いてもらおうかしら」

「それはいったい……」

お願いとはいったいどんな無茶な内容が告げられるのだろうか……思わず透は身構えた。京子はそんな透を見て、安心して、とでも言う様に首を傾けてにこりと微笑んだ。その笑顔に他意はないのだろうが、透は京子が先程見せた目が笑っていないあの笑顔とさして変わらない恐怖をその微笑みに感じていた。

「別にどうってことないわ。一日私に付き合ってくれるだけでいいの」

 具体的に何をするかについて、京子はこの場で教えてくれることは無く、透には不安だけが募った。負けという言葉も弱みを握ったという意味に等しく、お願いの内容如何(いかん)によって返事を決めるという選択の自由など透にはあるはずも無い。

透は、ただ「はい」と返事をするしかなかった。



土曜日、十時に堺東駅前に集合。

後日、それだけ告げられた透は待ち合わせ場所に来たものの、念を入れて早く着き過ぎたため当然ながらそこに京子の姿はなかった。

「あと十五分か……」

ポケットからスマートフォンを取り出して時刻を確認した透は、改札を出て階段を下りてすぐ前にある太く丸い柱にもたれ掛って京子を待つことにした。あれから京子が透を呼び出した目的についてあれこれ考えを巡らせた透だが、一向に思い当たる節は浮かんで来なかった。目的が分からないまま呼び出されることの不安と言ったらない。唯一救いだったことは、待ち合わせ場所が通学定期で来られる範囲である、ということである。進学校であるためアルバイトは勉学に支障を来たす可能性があるという理由で禁止されている。自由に使えるお金にかなり制限がある彼らにとって、出かける往復の電車賃だけでもかなりの負担となる。

――いったいどういうつもりなんやろ。

透は不安を胸に、スマートフォンで適当にウェブページを渡り歩いて気を紛らわせて京子を待った。

「そういうところが甘いのよ」

スマートフォンの画面に夢中になっていて、声をかけられるまで透は京子が横に立っていることに気が付かなかった。驚きのあまり手からスマートフォンを落とし慌てて拾い上げる透を、京子はやはり呆れた表情で見ていた。

「あなたはもう少し見られているという自覚を持った方がいいんじゃない。すごく間抜けな顔で画面見ていたわよ」

透が見ていたのは流行のアイドルグループの画像だ。

京子に言われてとっさにスマートフォンをズボンの後ろポケットにしまうが、すでに後の祭りだった。

「お待たせ。それじゃ、行きましょうか」

その話題に少しでも触れてくれれば、こんなにもいたたまれない気分にならずに済んだのに……口には出せない嘆きを心の中で呟いた。いくつかとっさに言い訳を用意した透だが、弁解する機会もなく、一人さっさと先を歩く京子を追いかけた。

「なあ、どこ行くかくらい教えてくれてもええやろ」

一日付き合えと言われていたが、一体どこに向かうのかまだ教えられていなかった。

透はあまり気が進まないが歩幅を大きくして歩き、京子の隣に並んだ。休日とはいえここは学校から近く、向かう場所によっては同級生や部活の後輩と出会う可能性だって全くないとは言い切れない。異性の同級生同士、二人きりで外出しているところを目撃でもされれば、あれやこれやとよからぬ噂が流れることは避けられない。目立つことを嫌う透はそれだけは何としても避けたかった。

「心配しなくていいわ。ただの散歩よ」

京子は透が何に対して心配を抱いているのか分かって言っているのだろうか。そんなことを思いながらも、にこりと微笑む京子の表情を見て透は何も言えなかった。呼び出されたあの日から数日が経ったが、透はやっぱり京子の笑顔には慣れないままだった。


 堺東駅を南東の方角へと十五分ほど歩くと、柵で囲まれた小高い丘のようなものが見えてくる。初見ではそれが私有地なのかただの雑木林なのだろうと見過ごしてしまう人もいるかもしれないが、それが世界文化遺産への登録を目指す、かの有名な仁徳陵(大仙古墳)である。フェンスに囲まれて何の変哲もなく一般道に面しているが、そちら側は前方後円墳でいうところのいわゆる『後円』の部分で、『前方』に回ると拝所が存在する。全周二・八キロメートルという大きさは、さすがクフ王のピラミッド、秦の始皇帝陵とならぶ世界三大墳墓とされているだけあってかなり大きく、実際に歩いてみるとその壮大さを実感させられる。

 京子に連れられて歩く傍ら、透は質問をあれこれ京子に投げかけた。最初こそ恐る恐る、といった感じだったが意外にも京子は透の質問に快く答えてくれ、透もようやく村井京子と言う人物のイメージが掴めつつあった。京子の話を聞くに、彼女は非常に歴史が好きらしく、散歩がてらよく歴史的に有名な場所を巡っているのだという。

「それって『歴女』ってやつ?」

 何気なく尋ねた透に、京子は不満を露わにする。

「そんな浮ついたものと一緒にしないでくれる。私は純粋に歴史に触れることが好きなだけよ」

『歴女』って別にそんな浮ついた人ばっかりとちゃうんやけどな。そんなことを思いながらも、透はそれを胸にしまう。

世の中にはどの戦国武将がイケメンだとか、キャラクター化された歴史上の人物に嗜好を見出す人も一部いるらしい。初めこそ、そういう――いわゆるオタクのことを指して『歴女』と呼んでいたらしいのだが、今では一般化されて歴史を好きな女性の総称となっている。

 想像上のイケメン戦国武将に恋する女子もどうかと思うが、古墳に興味がある女子もそれはそれでかなりマニアックな気もする。しかしそれは個人の趣味嗜好の話で、他人がどうこう言えることでもないので、透はこれ以上深入りするようなことは言わなかった。

 京子も不満を露わにしたものの、別段怒っているというわけでもなく、

「せっかくだし拝所まで歩きましょうか」

 と、そう言ったときの表情は非常に楽しそうであった。

 

 古墳周りに整備された遊歩道を二人で並んで歩いた。

 散歩がしたいという京子の言葉に他意はなかったらしく、終始嬉々とした表情で堺の歴史やら今までに訪れたことのある名所の話を透にしてくれた。クラスではとても物静かなので、そのギャップには驚かされる。

「村井さんてめっちゃ喋るやん。なんで学校では静かなん?」

透は京子の話が途切れた隙間を狙って率直な疑問を滑り込ませた。普段の京子はおしとやかでそれはそれで惹かれるところはあるが、透にとってはよく喋る京子の方が好印象であった。

「さあ、どうしてかしら。私を見ていたあなたなら簡単じゃない?」

挑戦的な笑みを浮かべながら言葉を返す京子。

透も薄々気付いてはいたが、清楚でおしとやかはやはり作られたキャラだったか――となると、今まで見てきた京子の印象は全部抜きにして考えなければならない。

透は京子の横を歩きながらしばらく考えてみたが、どうしても学校での物静かな印象が邪魔をして全く考えがまとまらなかった。

しかし今までいろんな人を見てきたプライドもあり、このまま引けるかという思いが透の中に湧き上がってくる。

「後悔するなよ」

「ええ、臨むところよ」

挑戦的な透の言葉に、同じく挑戦的な言葉で返す京子は、京子は楽しそうな表情で答えた。

不思議に思うのは、いざこうして挑戦的な言葉を投げ合ってお互い腹の探り合いを始めたわけなのに、透にはどうもそんなことをしている気がしない、ということである。京子は透の問いかけに平然と答えるし、京子はとても楽しそうに話すし、透も京子の話が面白くていつしか聞き入っていた。

――不思議な奴やなぁ。

透は普段から女子とはあまり話をするわけではないが、ここまで話をしていて楽しかった女子は京子が初めてだった。


 その後もとりとめもない会話をしながらゆっくりと遊歩道を歩き、拝所がそろそろ見え始めてきたところで、カップルらしき男女が何やら騒いでいるのが二人の目に入った。

 こういうとき、透はつい癖で遠巻きにじっくり観察したくなる。少し歩くスピードを落とし、じっくり様子を窺うためにゆっくりと近づいていく。

「趣味が悪いわよ」

 京子が呆れ顔で言うものの、それ以上何も言わず透に付き合っているところをみると、彼女も同じ性分なのだろう。透と同じように遠くに見える二人をじっと見つめている。

「あの二人、あなたはどう見ているの?」

 一般の歩行者を装いつつ二人は視線を男女にちらちらと向けて歩いていると、彼らの様子を見ながら京子は透に問いかけてきた。京子の口調が少し上からで挑戦的に感じられ、透は一瞬むっとした表情を見せた。しかしこの質問に答えない訳にはいかない――透はすぐにあれこれ考えを巡らせ、真剣に考え始めた。

「たぶんあの二人は付き合って間もないか、付き合う直前やろなぁ」

 自分と同じ性分の人間は周りにはいないと高を括っていて京子にばれはしたが、人の性格や人間関係などを分析する力に関しては負けたとは全く思っていない。このまま京子に下に見られ続けるのも癪なので、ここらでビシッと自分の実力を見せつけておこうと、自信ありげに透は分析を述べ始めた。

「なるほど。その理由は?」

「服装見れば一目瞭然やろ。二人とも似たような格好で色合いまでお揃いやし。最初はバカップルかと思ったけど、あの二人は雰囲気的にそういうタイプちゃうやろうし偶然被ってしまったんやろ。男の人がデジカメ持ってて女の人が嫌がってるの見ると、服装一緒の二人が並んで写真撮ってアホみたいに見られるのが嫌なんちゃうか」

「まあ大方そんな感じよね……」

 京子はそう言ってつまらなそうに大きなため息を吐いた。

お前が言えって言ったんやろ。さすがに京子の反応に憤りを感じて、一言言い返してやろうと透は考えたが、そのため息は一体何に対してのものだったのか、「もどかしいわよね」とぽつりと呟くと透を置いて一人スタスタとその男女の方へと歩いて行ってしまった。

「おい、どうしてん!」

 慌てて引き止めようとしたが、時すでに遅し。透が追いついた時には京子が二人に話しかけた後だった。結果、透も片足を踏み入れた状況に陥ってしまった。

「よろしければ写真撮りましょうか?」

 京子の言葉に、言い合っていた二人は思わず会話を止めて驚いたように京子を振り向いた。未だ状況の整理が出来ていない透以上に二人は困惑しているのだろう。透を含めた四人の間にしばしの沈黙が流れた。

「じゃあお願いしようかな」

「おい! さっきから別にいらないと言ってるだろ!」

にこりと微笑んであっさりカメラを渡そうとする男性と、直截的な口調で男性の行為に突っかかる女性。京子の申し出をきっかけに再び悶着が発生しかけたが、京子自身はそんなことお構いなしに、受け取ったカメラを構えて勝手に撮影の準備に取り掛かった。

「はい! 撮りますよー」

「ほら、撮ってくれるって」

すでに撮る気満々の京子に女性も観念したのか、恥ずかしそうではあるが黙ってカメラの枠に収まる。京子が写真を撮り終えてカメラから顔を外すと、女性は間髪を入れずに男性と微妙な距離を取った。

「どうぞ。ばっちりです!」

「ありがとう」

「あの、お二人はお付き合いされているんですか?」

写真を撮り終えて、カメラを男性に渡しながら、京子が唐突に質問を投げつける。

 ――何てこと聞くねん!

 不躾な質問に透は思わず左手で両のこめかみを押さえ首を左右に振った。中途半端に足を突っ込んでしまったがために、逃げたくても逃げられないこの状況は非常に苦痛である。

「違う! 断じて違う!」

 頬を赤く染めながら必死に否定する女性の反応は、誰がどう見ても照れ隠し以外の何物でもない。

分かりやすい人やなぁ――と透は思うと同時に、違うと言われた本人にしてみればこれは案外堪えるかもしれないと感じた。案の定、男性は少し神妙な面持ちだった。

「俺たちは会社の同期なんだ。仲は良い方だと思うんだけどね、そういう関係ではないみたい」

傍からはどう見ても両想いにしか見えないのだが、どうやら一筋縄ではいかない恋をしているようだ。この重く気まずい空気を早くどうにかしてくれとはらはらしながら透は京子に視線を向けた。さっきから何を考えているのやら――京子が普通ではないのはもう分かったから、透はとにかく今はこの状況から一刻も早く解放されたかった。

「こんな噂ご存知ですか?」

ふいに切り出した話題に、透を含めその場にいた全員が京子へと視線を向ける。

――頼むからこれ以上はややこしくしてくれるな。

透がそう願うも、京子はなにやら得意げな表情を浮かべている。透にとっては不吉な予感しかしない。

「最近私たちの学校でも噂になっているんですけど、ここってかなりのパワースポットらしいんです。ここを訪れた男女は、かなりの高確率で恋愛成就するって話で持ち切りなんですよ」

「――そうなの?」

男性が思わず透の方に視線を向ける。言った本人に聞けばいいのにと思ったが、京子の話だけでは信憑性が少ないのだろう。透が唐突に話を振られて少したじろいでいると、京子は後ろを振り返り、「いいから話を合わせろ」と言わんばかりに透を睨みつけていた。

この空気、俺が回収するのかよ……。

「確かに、その噂は結構聞きますよ」

とっさに京子に合わせたものの、片棒を担いでいるようで非常に後味が悪かった。

「そうなんだ。いいこと聞いたね」

男の人が女性に同意を求めると、女性は顔を赤らめ目を背け、「別に……」と小さく呟いた。

誰が見ても分かるほどの照れ隠しに、逆にこちらが恥ずかしくなりそうな程だった。

ほら、また変な空気になったやんけ。その反応に対して誰もどう対応していいか分からず、場に再び沈黙が流れた。

「じゃあね、いい情報をありがとう」

そんな状況と彼女の様子に耐えかねて、男性が慌てて女性の腕を取って歩き出した。おそらく、好きな人のこういう姿を他人に見られたくないのだろう。透にもその気持ちは分からなくもなかった。

どう思っているかは分からないが、男性は笑顔で挨拶を交わしてくれ、そして女性の腕を掴んだまま足早に去って行った。

去って行く二人の背中を透はしばらく眺めていたが、それも程々に、京子の方へと向いた。

透には言いたいことが山ほどある。

「なんであんな嘘つくねん!」

京子は目を丸くして何のことかと驚いているが、透にしてみれば有り得ない。人を観察するのが好きな透ではあるが、首を突っ込むような野暮なことはしない。

「だって、もどかしいじゃない。あんなに見るからに両想いって分かるのにまだ付き合ってないなんて普通ありえないわ」

「嘘までつく必要ないやろ! 俺まで共犯みたいになったやんけ。てかそもそも首突っ込むこと自体が間違ってるやろ」

「そお? 私たちむしろいいことをしたと思うけど」

平然と言い放った京子の言葉に、透はあ然とした。それと同時にある一つの仮説を思いつく。いくら人を見てきても、自分が経験していなければ分からない感情がこの世界には存在する。

その感情を、京子は知らないのではないか――。

「あのな……それは野暮っていうねん。村井、ひょっとしてお前恋愛とかしたことないやろ?」

「な、なによ急に! それが何なん?」

――こいつも分かりやすいタイプか。

 過剰な反応もそうだが、言葉遣いに普段の丁寧さが消えているあたり、透の指摘が的を射たことを如実に物語っている。

「ええか、ああいう過程も含めて恋愛なんやって。他人が横槍入れたらあかん。いつかお前に好きな人が出来たら分かるやろ」

「なによ、上から目線で失礼ね。私は私と気が合いそうな人としか遊んだり出かけたりしたくないし別にいいのよ」

「――は?」

思わずきょとんとする透の表情に、京子はしばらく間をあけてから「しまった」という表情を見せた。

取り繕うと思えば思う程ぼろを出す。これほど分かりやすい人間に「分かりやすい」と言われたさっきの女性が気の毒に思えてくる。

「失言よ、失言。そういうあなたは付き合ったことあんの?」

「前にな。今はおらん」

京子は「あっそ……」と興味なさげに返事をして足早に歩き出した――が、その表情は明らかに「おもしろくない」と言っていた。

ここ数日の出来事も、京子が透と話すきっかけが欲しいがための行動だったとしたら何と素直じゃなく不器用なことか。

人のことは観察して良く見ているくせに、てんで自分のことが分かっていない。そのちぐはぐさが面白くて、透は増々村井京子という人間に興味が湧いていた。

こいつ案外かわいいところあるやん。

それが恋の始まりだと透が気づくのは、もう少し後のことである。


友人から頂いたお題「地元を舞台にした短編集」を基に執筆した一編となります。この短編集はそれぞれの話に出てくる人物が別の話でカメオ出演するという構成を目指しています。

一編ずつでも話は独立していますので、楽しんで頂けたなら幸いです。

また、よろしければ一言でもいいので感想、または評価頂けると嬉しいです。

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