白雪姫は王子なんて望んでない
わたしは、走ってる人が羨ましかった。色んな人と会話をしている人が羨ましかった。誰かと一緒に勉強をして、どこかへ遊びに行って、部活とかもやったりして。わたしが憧れた学校生活を、みんなは当たり前のように享受しているのが羨ましくて、恨めしくて。どうしてわたしはいつも保健室の窓から眺めることしか出来ないのだろうと、わたしは世界で一番不幸であることを信じてやまなかった。それをひけらかす相手なんていないし、そもそも自分を悲観できるのも自分だけ。
……なんて、そんなことを考えている時点でわたしは悲劇のヒロインぶっているのかもしれない。
校門前と昇降口は新入生で溢れかえり、足の踏み場もない状況に満員電車を連想しながら掻い潜る。新品の上履きを取り出して履き替え、入学式の会場である体育館へと向かう。新しい環境であるためか、いつになく足取りが軽いように感じる。高校ではマシになってるといいな、と可能性が一ミリもないことを知っていながらそんなことを思ってしまうのはわたしの心が弱いからだろう。いや、同じようなことになれば誰だって悲観するはずだ。
周囲と同じ方向に進んでいた足は止まり、考えたくないことが頭に浮かんでしまったせいでわたしは踵を返した。また、こうして周りとは違う方向に向かって歩き出す。わたしだけが嫌な意味で特別なのだと現実が突き付けてくる。胸の辺りで苦しさを伴いながら、わたしは保健室の場所を探して見つけた。昇降口から近く、思いのほか来やすい距離だったので都合が良い。どうせすぐに世話になる場所だ、その時になったら事情を話せばいいか。違う、そうだった。入学説明会の時に話してあるから気にしなくていいのか。
はぁ、と息を零す。それじゃあ体育館へと戻ろうと身体の向きを変えると、わたしが訪れるのを待っていたかのように扉が開き、中から一人の女生徒が現れた。右手を庇うように左手で包み、わずかな隙間から絆創膏が貼られているのが見える。赤いラインの上履き、同じ新入生のようだ。
彼女のくりっとした瞳がわたしを覗く。悪意も好意も感じない、ただの興味だけでわたしを見る眼は昔から嫌いだ。それは、わたしが周囲とは違う人なんだと言われているみたいで、疎外感を植え付けて来る。だから、初対面なのにわたしは目の前の人物が嫌いだと直感的に思ってしまった。
「えっと、君もどこか怪我したのかな?」
頬をポリポリと掻きながら心配そうに聞いてくる。ただの親切心で聞いてくれたというのを頭の片隅で理解はしているのに、身体が勝手に逃げるように彼女の前から去ろうとしていた。
後ろから「ちょっと」と呼び止める声が聞こえてくるのに、わたしは振り返ることなく体育館への道を進んで行く。悪いことをしたなとは思いつつ、でもあの眼だけは、わたしには耐えられないほど苦痛でしかたがない。あの人と、なるべく会わない距離がいいな。違うクラスで、選択授業も違っていたら。さぞかし快適な学校生活になるのかも。
……でも、もしも。彼女と同じクラスで出席番号が近かったら。なんてありもしないようなことを考えていると体育館に着いて、均整の取れたパイプイスの並びに侵入して決められた席に腰を下ろす。周りを見渡すことなく、ただ真っ直ぐと前を向く。その中で視界に映る限りだけど、知り合いは誰一人としていない。そうなるようにわざわざ遠目の学校を選んだのだから当たり前のこと。わたしのことを知ってる人は誰もいない。ここでなら、わたしは失った学校生活を取り戻せる。
――そう思っていたのに。
わたしの隣に座る人を見て、嫌な予感が的中してしまった。ついさっき保健室で出会った彼女は、同じクラスで、しかも出席番号が一個違いだった。
彼女は嬉しそうに頬を緩ませたけど、すぐに申し訳なさそうに眉尻を下げてわたしの顔色を窺うように何を言うべきか言葉を探そうとしている。結局、何も思い浮かばなかったのか手を小さく振るだけしてわたしから顔を背けてしまった。その気遣いが、余計なお世話なのに。
やがて入学式が始まり、挨拶や校歌を聞かせられ、新入生の名前が次々に呼ばれていく。一組、二組と進んで行き、わたしの所属する五組に入る。担任と思しき女性が三栗谷鈴と言うと隣に座っていた彼女が返事をして立ち上がる。金髪ショートで制服もラフに着こなしていたからボーイッシュな人だと思っていたけれど、名前は意外と可愛らしい。そんなことを思っていると望月由奈とわたしの名前が呼ばれたので返事をして立ち上がる。
隣から彼女、三栗谷さんからの視線を感じるがわたしは見向きもせず正面のどこかを眺めることに徹する。
そうして入学式は滞りなく進み、各教室にて担任からの話を聞いて解散となった。わたしはすぐに荷物を持って帰ろうとしたが、前に座る人がそうはさせてくれない。彼女の真っ直ぐな瞳がわたしを映し、そこに何の感情も汲み取らせてくれないものだから不思議に思って足を止めてしまった。
……それこそがダメだったということに気付かないで。
「望月さん、はちょっと固いか。由奈でいい?」
「初対面の人からすぐに名前呼びされるなんて初めてです」
「お、やっと喋ってくれた」
「満足したんですね。ではさようなら」
「待って待って。少しくらい話をしようよ」
「わたしには話すことがないので。今度こそ」
「ちょっと、せめて今朝のことくらい謝らせてよ。ごめんね、驚かせちゃって」
「いえ、その件なら大丈夫ですので」
別に三栗谷さんに驚いて逃げたわけではないけれど、この場からすぐに離れるには都合が良かったので利用させてもらう。そのうえで気にしていないからもう帰らせて、というスタンスを貫く。ここまで愛想が悪ければ、彼女もきっと離れるはず。
経験則からくる自信により高を括っていると、彼女はわたしの思惑を簡単に吹き飛ばしてくれた。
「だったら、一緒に帰らない?」
この人は何を言っているのだろう。わたしは困惑して小首をかしげると、彼女は当たり前のように荷物を持ってわたしの隣に並んだ。なんて図々しい人。身勝手で、わたしの話を聞かなくて、自由で。彼女を咎めたかったが、「朝逃げ出した仕返し」とはにかんで来られたらぐぅの音すら出せず、わたしには受け入れるという選択肢しか残されていなかった。
この日だけ、今だけ彼女に付き合えばいい。そうすれば、これからの学校生活は平穏になるはず。
だから今だけ我慢をすれば問題ないと思っていたのに、次の日も、その次の日も彼女はわたしに話しかけてくる。朝会った時、休み時間、授業中、放課後。一日に何回も彼女と言葉を交わすことが生活の中に侵入してきて調子を狂わされる。
わたしという人間はさほど我慢に強いわけではなく、限度というものは底が浅い。だから、彼女への鬱憤が爆発するのは時間の問題だった。
それが起きたのは、入学式から三週間も経った体育の時間。種目はバレー。今日も大丈夫だと思い授業に参加させてもらおうと、早速ペアでパス練をしろと言われてしまう。誰か空いてる人でもいないかと周囲を探すと、やけにうるさく手を振る人物が視界にチラつく。なるべくその人の方を見ないように空いてる人を探すが、彼女のせいで誰も見つからない。
結局、わたしは彼女とペアを組んでパス練をすることになってしまった。さすがに距離が空いているから会話をすることはなかったが、終わった後にゲームへの切り替えの時間で彼女はわたしに近づいてきた。
「パス上手いじゃん。どこかでやってた? 部活とかさ」
「一切何も。というか、話しかけないでとわたしは何度も言いましたよね」
「そうは言っても同じクラスメイトなんだから仲良くしたいじゃん」
「それが迷惑なんですよ!」
思わず怒鳴ってしまった。幸いなことに、外の空気を吸いたくて体育館から出ていたおかげで誰かに聞かれることはなくて良かった。
目の前の彼女は顔が青ざめていき、わたしを怒らせたことに今更気付いた様子。だったらもう言葉にすることなんて何もない。そう思ったのに、わたしは口をついて出ていた。
「あなたは、白雪姫のお話ってどう思いますか」
「――え?」
「城から出され、小人と暮らしていたら毒リンゴで殺され、王子のキスにより目が覚める。グリム童話だと少し違いますが。あなたは、この物語をどう思いますか」
「私は、ハッピーエンドでいいと思うけど……」
「そうですか。わたしは胸糞悪くて反吐が出ます」
自分では何もしてないのに、周りの環境のせいで知らない間に色んな事が変化して。白雪姫だけが常に置いてけぼりの状態。わたしと同じ、本当の意味で理解してくれる人は誰もいない。可哀そうな孤独な少女。
王子なんてただの飾りで。必要なのは理解者だったはずなんだ。ただ彼女のことを心配してくれるだけでも、話を聞いてくれるだけでも良かったはず。そう、友達のような存在が白雪姫にも、わたしにもいない。
だからと、彼女とは友達になれない。きっと、彼女は昔の友達みたいにわたしから離れてしまうだろうから。
体育館内からコートの準備が出来たと招集が掛かったので移動しようとする。当分の間は彼女と顔を合わせたくないな。席が前後だから無理なことだけど。
自らやっておいて気まずいことに居心地の悪さを覚えてしまい呆れる他なく、館内に足を一歩踏み入れた時、視界がぐらついた。ユラユラと揺れて、段々と上下左右の平衡感覚が消えて行く。やがて瞼の重さと共に視界は意識と共に真っ暗な世界へと落ちていく。微かに聞こえた、彼女がわたしを呼ぶ声を聞きながら。
◇
朝起きるようにパチリと目が開く。大きな何かが眼前を覆い、湿った唇がどうにも未体験の感覚を味合わせてくれる。ただ、どうにも息苦しくて口を動かそうとするが中々言うことを聞いてくれず、ようやく息を吹き返した時になってわたしは三栗谷さんにキスされていたのだと気付いた。
初めて、わたしのファーストキスは呆気なく意識のない時に奪われてしまった。体内を循環する血液が加速して熱を増す。頬は赤みを帯び、早鐘を打つ拍動が心臓へ直接殴っているようで痛い。わたしは口許へ手の甲を持っていき拭う。どれだけの時間キスをされていたのか、ヌメッとした感触が止まらない。
彼女の方に目を向けるとキスをしていたことなんか忘れているように、わたしが目を覚ましたことにただただ安堵している様子だ。
状況を整理するために周囲を見渡すと、白い棺、ではなくベッドの上。ピンク色のカーテンに四方を囲われ、ほんのりと馴染みのある消毒液の匂いが平静さを取り戻させてくれる。そうだよね。ここは保健室だ。わたしはあの時、発症してしまって眠ってしまった。
彼女がは運んでくれたのか、それとも教師を呼んで連れて来てくれたのか。わからないが、彼女の前で眠ってしまった以上話さないわけにはいかない。尤も、最初から打ち明けておくべきだったと今になって反省したところで後の祭りもいいところ。
「由奈、もう大丈夫なの?」
「ええ、おかげさまで」
「そっか。良かったぁ」
「あなたには一つ知る権利があるのだけど、どうする」
「どうするって」
「聞くか、聞かないか」
「……それは、私が聞いてもいいことなの?」
「そう言ってる」
「なら、由奈が決めて」
「何を言ってるの。あなたが聞きたいか聞きたくないかの二択でしょ」
「それは違うよ。由奈が話したいかどうかじゃないの」
きっとわたしは、今まで三栗谷鈴という人物を誤解していたのかもしれない。この時になってようやくそう思えた。彼女は、いつだって歩み寄ってくれた。だから今は、わたしの方から歩み寄ってくれるのを待っているのだ。
「実は、ね。わたし昔から病気持ちなの。ナルコレプシーって言うんだけど、知ってるかな」
「えっと、確か急に眠ってしまう病気……だよね」
「ええ、合ってるよ。原因はわからないんだけど、昔から患っていて。周囲は誰も理解してくれなくて、次第にわたしは周りに冷たい態度を取るようになった。最初から見限っていた方が楽だったから」
気付けばわたしは訥々と言葉を零していた。
自分から打ち明けるのは初めてだった。今までずっと学校側が説明をしてくれて皆が知っている状態だったから。だからこうして、わたしがずっと抱えているものを彼女へ吐露したのは今まで会って来た他の人と違うことをわたし自身どこかで気付いていたのかもしれない。
「わたしはみんなと同じ時間を過ごせない。どこかしら、みんなとの間に空白の時間が生まれてしまう。そしたらきっと、わたしと関わろうという人はいなくなる。あなただってそうかもしれないでしょ」
わたし自身ではどうしようもない現実。それは白雪姫の境遇と似ていて、周りの環境は変わっていくのに自分だけが置いてけぼりを喰らうような感じはとても良く似ていた。だから、最初から一人でいた方が。あるいは王子が来てくれるまで待つのみだと思っていた。
わたしの身体がそっと優しく包み込まれる。三栗谷さんに抱きしめられたのだ。彼女の手から伝わる温もりが、全身から感じる熱が、ドクンドクンと落ち着いたリズムで鳴り続ける鼓動が、わたしの冷え切った心を溶かしてくれる。
気付けばわたしの目から涙が零れていた。
「ありがとうね、大事なことを話してくれて」
彼女の言葉が痛かった。あまりにも優しくて、棘だらけの心には痛すぎた。
「わたしは、ただ我慢できなかっただけ。あなたがいつもわたしに構ってきて鬱陶しかったから」
「うん、そうだったね。ごめん」
「ずっと独りだと思ってたから。あなたに向き合おうともせず、いつか離れるのだと思ってたから」
「離れないよ。私からは離れない」
「治るかもわからないのに、もしかしたらずっと眠ったままの時が来るかもしれないのに」
「傍に居るよ。君の傍に居る」
「優しすぎだよ、バカ」
わたしは大粒の涙を流しながら鈴の胸の中で嗚咽を零した。今までずっと我慢していた分も、不安に駆られて途方もない絶望を味わった分も、孤独な時間を過ごしてきた分も。すべてを、彼女の胸の中で吐露し続けた。
彼女はわたしを受け止めてくれると知ったから。傍に居ると言ってくれたから。わたしは、彼女を信じてみたい。あなたがわたしの王子ではなく、理解者であって欲しい。きっと、わたしたちの関係を当てはめるのなら王子と姫ではなく、初めて友達と呼びたい相手だと気付かされたから。
今はまだ恥ずかしくて言えないけれど。いつか、あなたは。
わたしの友達になってくれますか――
「そういえば、なんでキスをしていたの」
「眠る前に白雪姫の話をしていたから、キスしたら起きるんじゃないかなって」
「……バカ」




