第1話 名前がない
# 第1話 名前がない
春の朝。
今日は、新しいクラスの発表がある。
うっけは、いつもより早く目がさめた。
朝ごはんも、いつもより早く食べた。
ランドセルをしょって、走った。
安房瀬小学校の校門に、見なれない青い旗がゆれていた。
「創立百周年」
春休みの前には、なかった旗だ。
今年、あわ小は百周年になる。
じぶんが四年生になる年が、ちょうど百年目なのだ。
そう思うと、なんだか少しだけ、自慢したくなった。
走りながら、クラスのことを考えていた。
掲示板で、じぶんの名前を見つけるのは、いい。
「あった」って、思うのがいい。
じぶんが、ちゃんとここにいるって、感じがするから。
体育館の前の広い場所に、銀色の掲示板が、学年ごとに横へずらっとならんでいた。
もう、たくさんの子がいた。
名前を見つけて笑う子。
まだ見つからなくて、前へ出ようとする子。
「あった!」
「いっしょだ!」
そんな声が、あっちでも、こっちでもしていた。
うっけは、人のあいだにもぐりこんで、四年生の掲示板を見た。
一組。
ない。
二組。
ない。
まだ、あわてなくていい。
三組。
ない。
うっけは、つばをのんだ。
四組。
上から、下まで。
ゆっくり見た。
なかった。
四組の下には、紙の白いところが、少しだけ残っていた。
そこには、なにも書かれていなかった。
うっけの名前は、どこにもなかった。
「……うそだろ」
もう一回、一組から見た。
こんどは、ゆびでなぞった。
一つずつ、声に出さないで読んだ。
やっぱり、なかった。
まわりでは、まだ「あった!」の声がしていた。
みんなの名前は、ある。
うっけのだけ、ない。
むねの中が、すうすうした。
ないなら、ないで、おわりにはできない。
どうしてないのか、ちゃんとたしかめないといけない。
そのとき、すぐとなりで、だれかが言った。
「ない」
女の子が、掲示板にかおを近づけていた。
近づけすぎて、はながつきそうだった。
「なにが」
「わたしの名前」
女の子は、名前を読むだけではなく、紙のすみからすみまで見ていた。
字と字のあいだも、紙のはしも、絵を見るみたいに見ていた。
「……ぼくもない」
女の子が、ぱっとふりむいた。
目が、まんまるだった。
「あは。わたしだけじゃないんだ」
「わらえないだろ」
「うん。わらえない」
でも、女の子は、もう一回だけうっけを見た。
「わたし、まるみ」
「ぼく、うっけ」
まるみは、うっけをじっと見た。
「……うっけって、へんな名前」
「へんって言うなよ」
「よびやすいけど」
「じゃあ、へんじゃないだろ」
まるみは、口をゆるめた。
「うっけ」
「なんだよ」
「ね、いま、よびやすかった」
「ためすな」
まるみは、あはっと笑った。
それから、もう一度、掲示板を見た。
「二人とも、名前がない」
「うん」
「二人ともないのって、へんじゃない?」
「……うん。へんだ」
うっけは、掲示板をにらんだ。
一組から四組まで。
名前は、ぜんぶで百こくらい、ならんでいた。
その中に、二人の名前だけがない。
「かきわすれ、かな」
まるみが言った。
「二人ぶんも?」
「うーん」
まるみは、掲示板を見た。
「じゃあ、まだ、かいてるとちゅうとか」
「もう、はってあるだろ」
「そっか。はってあるね」
「じゃあ、なんでないの?」
「それが、わかんないんだろ」
うっけは、職員室のほうを見た。
「先生に聞く」
「え、聞きに行くの?」
「まるみの名前も、ないだろ」
まるみは、すこしだけ口をひらいて、なにも言わなかった。
それから、こくんとうなずいた。
「先生、わかるかな」
「わかるだろ。先生なんだから」
――
うっけは、歩き出そうとした。
「――ご」
二人とも、そっちを見た。
白いかおの男の子が、立っていた。
近かった。
すごく、近かった。
「うわ!」
うっけは、うしろによろけた。
まるみは、あわてて手をのばした。
「え、いつからいたの」
男の子は、こたえなかった。
二人を見ないで、掲示板を見ていた。
「おい。なに見てるんだよ」
口だけが、また動いた。
「……五組」
「五組?五組なんてないよ。四組までだろ。ぼく、さっきから、なんども――」
まるみが、男の子と同じところを見た。
それから、止まった。
「うっけ」
「なに」
「ある」
「は?」
うっけも、そこを見た。
四組。
その下。
さっき、なにも書かれていなかった白いところに、字があった。
五組。
字は、かきたてみたいに、こかった。
その下に、名前が三つ。
うっけ。
まるみ。
カサネ。
うっけは、目をこすった。
もう一回、見た。
まだ、あった。
「……なんで」
声が、かすれた。
「さっき、なかったよな。な?」
「なかった」
まるみが、掲示板を見たまま言った。
「わたし、紙のはしまで見たもん」
「だよな」
「うん。ぜったい、なかった」
なかったものが、ある。
うれしいはずだった。
名前が、あったんだから。
でも、うっけのせなかは、ぞわっとした。
うっけは、三つめの名前を見た。
カサネ。
それから、すぐうしろの男の子を見た。
「……おまえが、カサネなの」
男の子は、掲示板を見た。
「……うん」
まるみが、男の子のかおをのぞいた。
「カサネっていう、名前なの?」
男の子は、もう一回、掲示板を見た。
「……たぶん」
「たぶんってなんだよ。じぶんの名前だろ」
「……よばれたこと、ないから」
「え?」
「もう一回、よばれたら、わかるかもしれない」
うっけは、まるみを見た。
まるみも、うっけを見た。
まるみが、男の子に一歩よって、言った。
「カサネ」
男の子は、まばたきした。
それから、こくんとうなずいた。
「……うん。ぼくだ」
「いま、わかったのかよ」
「……うん。ありがとう」
「なんで、ありがとうなんだよ」
うっけは、カサネから半歩はなれた。
「おまえ、さっきから、なんなんだよ。ずっとねぼけてるのか」
「……起きたばかりで」
「どこで起きたんだよ」
カサネは、うしろをふりむいた。
しばらく、うしろを見ていた。
それから、ゆっくりと体を戻した。
「……わすれた」
「ゆっくりするなよ。ちょっと、こわいだろ」
「……あたまが、まだ、ここに来てないんだ」
「体は来てるだろ」
カサネは、自分の腕を、ぎゅっとつかんだ。
「……うん。ある」
「たしかめるなよ!」
まるみが、あはっと笑った。
カサネは、まるみの口もとを、じっと見た。
「……いまの、わらうとこ?」
「うん。おかしかったから」
カサネは、少し考えた。
それから、口のはしを、ほんの少しだけ上げた。
「……こう?」
まるみは、カサネの顔を見た。
「あは。ちょっと、ちがう」
カサネの口が、もとにもどった。
「……むずかしい」
「だいじょうぶ。そのうち、かってに出るよ」
「そうなの?」
「うん。笑うときって、考えないもん」
カサネは、わらわなかった。
わらわないで、まるみのわらったかおを、じっと見ていた。
覚えようとするみたいに、見ていた。
うっけは、掲示板へ目をもどした。
五組。
うっけ。
まるみ。
カサネ。
「なあ。五組って、どこにあるんだよ」
「知らない」
まるみが言った。
「わたし、この学校、一組から四組までしか知らない」
「だよな。ぼくもだ」
うっけは、カサネを見た。
「おまえは? なんか知ってる?」
カサネは、掲示板の、じぶんの名前を見ていた。
読むというより、まだそこにあるか、たしかめるみたいに見ていた。
「……ぼくの名前、まだある」
「まだ、って」
うっけは、言いかけて、やめた。
カサネは、じぶんの名前から、目をはなさなかった。
「……なくなってると、思った」
「なんでだよ」
カサネは、こたえなかった。
うっけは、掲示板を見た。
「そんなことより」
「先生に聞くぞ。五組が何なのか、なんで、ぼくらの名前があるのか!」
うっけの声が、思ったより大きく出た。
掲示板の前で、その声だけが大きかった。
でも、だれも、ふりむかなかった。
さっきまで、「あった!」「いっしょだ!」と、あんなにうるさかったのに。
うっけは、はっとして口をとじた。
まるみの笑ったかおが、止まった。
カサネも、両方の目を開けたままだった。
「……え」
掲示板の前に。
体育館の前の、広い場所に。
三人しか、いなかった。




