第4話 雪夜つばさ①
それは、保健室からの帰り道だった。
人の少ない廊下を、ぼんやり歩いていた。
(それにしても……)
さっきのことを思い出す。
(意外と可愛かったな、由希)
弱っていたから、そう見えただけなのか。
それとも――“ユキ”だと分かったからなのか。
あのときの感触が、まだ残っている。
抱き上げたときの軽さ。
あんなこと、俺がするなんて思ってなかった。
(……らしくねぇな)
小さく息を吐く。
――そのときだった。
リングが、熱を持ち鈍く光っている。
「っ……!」
思わず足が止まる。
さっきより、強い。
じんわりなんてもんじゃない。
焼けるみたいに、じりじりと熱が広がっていく。
(また……!?由希の身に、何かあったのか!)
違うのだと、すぐにそう思ったのは、耳に入ってきた声のせいだろう。
視線を向けると、
廊下の奥に人だかりができていた。
笑い声と、困ったような声が混じっている。
その中に、聞き覚えのある声があった。
嫌な予感が、背中を走る。
俺はすぐに駆け出した。
そこにいたのは――
「ちょっとさぁ、いいじゃん。少しだけ付き合ってよ」
「や、やめてください……」
雪夜つばさだった。
チャラそうな男に腕を掴まれている。
逃げようとしているのに、離してもらえない。
周りには同じような男が数人。
完全に囲まれていた。
(……マジかよ)
リングが、さらに熱を増す。
じくじくと、指の奥に食い込むような感覚。
(まさか、こっちの“ユキ”がそうなのか……?)
頭に浮かぶのは、さっき保健室へと運んだ由希の姿だった。
一瞬、足が止まってしまう。
時間が、妙にゆっくり流れる。
――そのとき。
つばさの目が、見えた。
さっきまで俺をからかっていた、あの強気な目が。
今は、今にも涙をこぼしそうに揺れている。
その瞬間、胸の奥が強く締めつけられた。
気づけば、拳を握っていた。
(……迷ってる場合じゃねぇ)
「あの!」
俺は腹の底から声を張った。
場の空気が、一瞬で止まる。
全員の視線が、こっちに向いた。
「すいません。こいつ、俺のツレなんで」
そのまま、つばさの腕を掴んでいた男の腕を掴む。
「光一君……?」
後ろから、つばさの震えた声が聞こえた。
「……あ?」
チャラ男が、ゆっくりこっちを見る。
「なんだてめぇ……」
鋭く睨み返してくる。
空気が、一気に張り詰めた。
じり、と距離が詰まる。
そのとき――
「……いや、待て」
別の男が口を開く。
「こいつ、見覚えあるぞ。その目、顔の傷」
じっと、俺を見てくる。
「確か、桜中の五十嵐だ」
ざわ、と空気が揺れる。
ほんの少し、警戒が混じる。
けど――
「だからなんだよ」
引かない、ここで引いたら終わりだ。
チャラ男が舌打ちする。
(くそっ……どうする)
一瞬で考える。
このまま相手をぶん殴って、つばさを引き剥がすか。
――できる。
昔の俺なら、迷わなかった。
でも、ちら、と視線を横に流し、つばさを見る。
(……巻き込めねぇ)
もしここで殴り合いになったら。
あいつらが、つばさを盾にしてきたら。
――最悪、怪我をさせるかもしれない。
一瞬で、そこまで想像してしまう。
思わず、奥歯を噛みしめた。
なら――選ぶのは一つだ。
「あっ、先生――!こっちです!」
その一言で、全員の視線が一斉に逸れた。
「……っ、今だ!」
「えっ……?」
つばさの手を掴み、そのまま走る。
「っ……!」
つばさの体が一瞬よろける。
(やば……!)
ぐっと腕に力を込めて、引き寄せる。
「行くぞ!」
廊下を抜けて、階段を駆け下りる。
走っているせいで、呼吸が荒くなる。
後ろは見ない。
見たら、止まる気がした。
そのとき、気づいた。
触れている手の感触は細くて、軽くて。
そして――驚くほど、冷たかった。
(……こんなに)
今は逃げるしかない、でも。
(この手だけは、絶対離さねぇ)
それだけが、頭の中に残っていた。




