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流し目  作者: 山神伸二
4/5

切ない夜

 東京へ帰ると、伊香保へ出掛ける前より、落ち葉が目立つようになっていた。

 タクシーに揺られながら、その落ちる葉をあやめは眠気とともに眺めていた。

 そして、ある時にはタクシーのガラスにまるで花吹雪のように落ちることもあった。

 黄色い銀杏は車の風に揺られ、小さく羽ばたいた。

 米村は隣で小さく、咳をしていた。

 伊香保の帰りに高崎で一泊し、友人に会って今、帰途にあるのだが、米村はその時から体調が芳しくなく、自宅へ戻ったら病院で見てもらうことを話していた。

 あやめは米村の背中が小さくなっているのを思った。頼りなく見え、米村は限りない老人のようだった。

 米村は何故自分を嫁にしたのだろうかとあやめは思った。米村が数年前に妻に先立たれたのは聞いていた。だが、その妻の話を米村からは聞いたことがなかった。あやめが米村を愛し始めた事を米村は気づかないでいるためだろうか。それとも米村の言葉通り、他の男と愛し会っていくのであるならば、妻の話などしないでいいと思っているからであるのか。

 あやめ自身何故自分が米村に惹かれているのか不思議であった。

 今まで愛した男は全て、年の近い、美少年ばかりであった。そんな年相応のあやめが男として見ることはないと思っていた米村を男として愛するのはなんだか、ありえないようでいながらも、ふとした拍子に簡単に自身の概念が変わるサイコロのように思えた。

 また、米村が妻に先立たれてすぐに嫁を再びもらうのではなく、今になって、嫁をもらうのはなぜだろうかと思った。

 気持ちの整理がついたせいか、それとも米村の親戚がここ一年の間で結婚や再婚をする者が多いからであろうか、あやめと結婚をする数日前に米村の甥があやめに似た境遇の女性を細君にしていた。米村の血であろうか。

 タクシーは自宅へと着き、二人が出て行くと、先を急いで走った。

 銀杏を舞いながら走るタクシーは綺麗であり、あやめはそれをじっと眺めた。

 煉瓦の門を過ぎ、緑と白の入り混じった二人の家は紅葉の色が所々に映っているようだった。

 家に入り、米村はベッドで横になるのをあやめは見届けると、荷物をリビングに置き、廊下に出て、強い風に揺れる庭の木を眺めた。

 木の葉が早くも揺れ落ち、窓に手を当てているあやめはその冷たさに耐えながら、秋の終焉を目にした。

 この家には女中はおらず、嫁に来た際、あやめはその事に驚いたものだった。

 米村にその事を聞いたことがあり、前妻が亡くなった際に寂しさのあまり、暇を出したそうで、そのまま現在に至るのだそうである。なので、家での仕事はあやめが主に行っていた。

 まだ十五時であるから、夕食を急ぐ時間ではないので、あやめは日の当たる廊下に椅子を持ってきて、そこで本を読むことにした。

 この家はアメリカの宣教師が建てた家を戦後になって米村が買い取ったと話していた。廊下は一階も二階もサンルームのようになっており、あやめはその階段を目の前にした。廊下の角に椅子を持ってきて、よく茶を飲んだらしていた。またそこから庭はと続く扉があり、育てた花を眺めたりしていた。

 本棚からあやめは蘆花の本を取り出した。不如帰は伊香保から話が始まり、そこから逗子へと移る。伊香保帰りのあやめはこの本の浪子を自分に見立てながら読んでいた。だが、この本の悲しい結末を読む頃はあやめは自分は米村とはこんな別れ方はしないであろうと思った。

 米村は昔、蘆花の兄である蘇峰と話をしたことがあると言っていた。蘇峰は大変、頭が回る博識な人物であったようで、米村は自分の知識の浅はかさに憎む程だと笑いながら言っていたのを思い出した。

そんな兄を持った蘆花は蘆花なりの苦労があったようで、兄の蘇峰とは疎遠の時期も長かった。しかし、蘆花が危篤になり、そこで蘇峰は蘆花のいる伊香保の千明まで駆けつけ、二人は和解をし、その日の夜に蘆花は永眠したと不如帰の解説にはそう書いてあった。

 そして、本を閉じると、空は夕空から夜へと変わりかけ、その暗くなりようは一抹の不安を覗かせた。

 電気を付け、その少しばかりの恐怖に打ち勝つため、あやめは料理に手をつけた。

 二階で寝ているはずの米村は全くの静けさであやめの不安は大きくなるばかりで、時間を見つけては米村の寝床へ駆けつけるなどをしていた。

 伊香保の湯に湯冷めをしたのだろうかともそんな可愛らしい考えさえ思ったほどであった。

 暗くなる街並みは東京の冷たさをくっきりと写していた。そしてその冷たさがまた都会の格式高い気分にさせるのである。冷たい風は女を良く写し、暖かく柔らかい風は女を可愛らしい少女のように写すと姉が言っていた。

 米村が息をしているのを確認すると、あやめは髪を縛り、夕食に本腰を入れた。

十八時を前に夕食は出来上がり、米村の部屋に再度足を踏み入れた。今回ばかりは用があってのことである。

「正二さん」

 ひとつ声を掛けるも米村は目を開けなかった。

「正二さん」

 今度は大きく声を出してみた。すると、米村は声を喘ぐように出し、やがてあやめの気配に気づいたのか、ぱっちりと目を開いた。

 そしてしばらくあやめを見つめていた。その目が何故だか子供のようで、まるで母親を思っているように見えた。

「夕飯の方が....」

「ああ、今起きるよ」

 米村は体を起こすと、周りを見渡した。時間が気になったのだろう。あやめは時間を伝えた。

「十八時になる所です」

「だいぶ長く昼寝していたようだ」

「体調の方は大丈夫ですか?」

 米村は立ち上がり、体を少し動かしていた。それを見る限りはあまり変わりはないように見えた。

 あやめは米村の先を歩き、窓の外に光り輝く家々を見た。

 ふと、米村の手を引き、階段に手を伸ばした。ゆっくりと降りる米村に自分が他の男の人の元へ行くことはないだろうと確信した。

 米村は夕食を終えると、風呂に向かい、あやめは片付けをしながら、外の風が弱まってきたのを知った。

 それが終わった頃に米村は風呂から上がり、再び寝室へと向かいあやめに挨拶をした。

 一人残されたあやめは米村の背中に寂しさと米村への独占欲が湧いてきた。

 ただ、米村の部屋には前妻の遺影が小さく飾られていた。あやめも米村の部屋に入るたびにその遺影に頭を下げていたが、その度に、彼女に対して、米村を愛することに申し訳なさを思っていた。

 彼女がまだ生きていたら、自分はどうなっていただろう。その運命に左右されて、今ここにいるのであるが、彼女が死なないでいたならばこの家でまだ米村と一緒に暮らし、自分など立ち入る隙も運命もなかったのである。

 あやめは自分がここにいることに場違いを覚えた。私はここの家の人ではないと思っていた。

 前妻には何も罪はないが、あやめの勝手な気持ちであやめは自分自身を苦しめていた。そしてそれを時折、思い出すと、馬鹿らしく思うも、その苦しみは無くなることはなかった。

 静けさが張り詰め、冷たい空気があやめの心を支配しているようだった。

 リビングにある窓からは廊下が見え、更にその先の庭も見えた。

 暗く、何も見えず、時折、何かいるのではないかとさえ思えてしまう。この恐怖を紛らわす為にアルコールでも飲もうかと思い、伊香保でお土産として買った日本酒をあやめは開けた。

 電気が薄暗いせいでこの寂しさは晴れないのではないかと思った。レコードを掛けようにもこの時間では迷惑であるので、頭の中で好きな曲を掛けた。

 あやめはリンゴの唄や銀座のカンカン娘などの流行歌を好んで聞いていたが、米村と結婚してからは米村が好んでいたジャズをよく聴くようになっていた。

 とりわけ巴里の四月はあやめの心を引き離さず、話でしか聞いたことのないはずである鹿鳴館を想ってしまう程華やかな音色はあやめのような若い女には魅力的に聴こえてしまうのであった。

 あやめは酒を飲み始めてから自分が思いの外強い事を知り、日本酒一本では酔うことがなかった。その点、米村は下戸ではないが、酒に弱く、飲み始めるとすぐに顔を真っ赤にし、その様子は赤富士を思わせ、あやめは静かに口角を上げながら眺めていた。

 黄金の湯に使った体は冷え始めてきており、上州の山々を石段から見た景色が思い出された。乾いた風を浴びると群馬を思い出すのであろうと思われた。

 風に吹かれた長い黒髪はかさつき、伊香保旅行は儚い思い出へとなっていきそうであった。

 そして時計が時報を知らせた。悲しくも響きのある音にふと、1人ぼっちのような気持ちにさせられた。

 そしていそいそと風呂場へ向かい、服に手を掛けた。

 裸になり、身体を洗った後に風呂に入ると、一日の出来事がまるで数日間のように思い出されてきた。

 自分の体に触れ、長旅をしてきたのだと実感した。白い体は少しだけ、ふくよかになっている気がした。胸に手を置き、その周りを揉んで見ると、ほんのばかり女性らしくなっているように思えた。

 楽しかった。また二人で行けるといいな。

 そう心の中で呟き、上を見た。

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