#7
「じてんしゃ、速いのじゃな」
「う、うん」
皐月は霞を自転車の荷台に乗せて、家路を辿っていた。自転車の二人乗りは何度もしたことがあるが、異性と、それも好きな人とというのは初めてだ。なんだか少しドキドキする。
ずっと皐月と一緒にいたい。
キスの後、霞はそう呟いた。
じゃあ、ウチに来てよ。
皐月の返答に迷いはなかった。一緒に住んでいれば、友達と遊んだ後でも霞に会える。それは、自分にとっても霞にとっても喜ばしいことだろう。それに、霞の住居はもうボロボロなのだ。皐月は霞を放っておけなかった。
父と姉を説得する必要があるが、なんとかしなくちゃならない。正直なところ自信はない。だけど、霞と一緒に居られるのなら、どんなことでもする覚悟はあった。
「それにしても、霞さん」
「ふふ、さんなど付けずとも良い。もう、お互いを知らぬ仲ではないのじゃからな」
「う……」
先程のことを思い出したのか、霞が艶っぽく笑った。皐月としては思い出すのも恥ずかしくて――。
「ふふ、耳が赤いぞ、皐月」
「う、うるさいなぁ」
きっと、顔は真っ赤だろう。普段通りの霞の口調は、嬉しいような残念なような。
「は、話を戻すよ。その、人間の姿になれるって、もっと早く聞きたかったな」
そう、今の霞は人間の姿をしていた。今の霞には、蛇の胴体ではなく二本の脚が生えている。
なんでも、少しの間なら人間に化けることができるらしい。寝付けない日などはそれで散歩をしていたのだとか。
「この姿で人に会うのは、騙しているようで好きではないのじゃ。体力も使ってしまうしのう」
「そんなものなのかな」
霞の気持ちは理解できる。さんざん自分のことを卑下していた彼女だ。本当は蛇女だということを知られて、がっかりされたくないのだろう。
国道までたどり着いた時、笛の音と怒鳴り声が聞こえた。
「こらー! そこの自転車ー!!」
運が悪いことに、自転車で巡回中の警察官に見つかってしまった。慌てて自転車を停める。
「ふ・た・り・の・り!」
「す、すみません」
皐月は自転車から降りて、頭を下げる。彼の姿を見てか、霞も自転車から降りた。
「っとに、今日は注意だけにしとくからな。もうするんじゃないぞ」
「はぁ……」
「それにな、歩いて帰るほうが、話せる時間が多いぞ、坊主」
警官は皐月に耳打ちすると、そのまま去っていった。他人からはどんなふうに見られているのだろうか。少々気になる。
「……ここから近いし、歩いて帰ろうか?」
「うむ?」
さいわい、ここから団地までは歩いて十分もかからない。怒られた矢先なので、自転車を押して歩く皐月だった。
無事、誰にも見つかることなく、団地のB棟にたどり着いた。一安心である。知人に見つかったら、言い訳が面倒くさそうだ。
「ここが皐月の家か。ずいぶんと大きいのう」
霞は団地に驚くと思っていたが、そうでもなかった。散歩の時に見慣れているのかもしれない。
霞を連れて階段を上る。弥生の自転車はなかった。まだ買い物から帰ってきていないようだ。このまま部屋まで帰れるといいが。
「あ、さっちゃん」
最後の砦を忘れていた。千歳と階段ではち合わせる。
「ちーちゃんじゃん。どうしたのさ」
怪しまれないように、平静を装う。
「ん、ちょっと図書館に。ところで、後ろの人は?」
やっぱり気付かれた。スルーしてくれるかな、と思っていたが、世の中そう甘くなかった。
「え、えっと、親戚の霞さん! 今日からしばらくウチに泊まることになってるんだ!」
「「親戚?」」
千歳と霞の声がハモる。まずい、「親戚という設定で」と言っておくのを忘れていた。このままでは怪しまれそうだが――。
「……綺麗な人だね……」
千歳が気にしたのは別のことだった。ホッと一息つく。
「いや、綺麗とは。嬉しいのう。そなた、名はなんと?」
「えっと、友達の千代田千歳!」
「隣の……友達の、千代田千歳です。なんだか霞さん、着物着てるからお姫様みたいだね」
千歳がくすくすと笑った。どうにかやり過ごせそうだ。
「じゃ、私、そろそろ行くね」
「うん、また明日ね!」
千歳が階段を降りていった。とりあえず、親戚という嘘が通じて一安心。
「千歳と言ったか。なかなか可愛い娘ではないか」
「まぁ、可愛いほうだとは思うよ」
霞の前だし、なんだか恥ずかしいしで控えめな表現に留めておいたが、千歳はクラスの中でもトップクラスの美少女だ。彼女は大人しい性格なので、誰それが可愛いという話題に上ることは少ないが、それでも男子の中ではなかなかの人気である。
「あと、あの子がこないだ話した幼馴染だよ」
「ほう! ……なるほど、皐月もなかなか隅に置けぬのう」
「もう、それは昔の話だから!!」
あまり蒸し返されたくはない話題だ。適当にはぐらかそう。
「はい、ここがオレん家」
話題を強引に切り上げて、鍵を開けてレディーファースト。霞を中に通す。
「お父さんとお姉ちゃんがいるんだけど、今は二人ともいないから。とりあえずどっちかが帰ってくるまで待ってよう」
「う、うむ。緊張するのう」
霞は草履―拾い物らしい―を脱いで、部屋の中に上がる。ここは2LDKのマンションで、一つは父の部屋。もう一つの部屋を二段ベッドで区切って子供部屋にしている。下段が皐月、上段が弥生。お互いの領域に接している部分にカーテンを張って仕切りとしている。
とりあえず霞を子供部屋に通して、麦茶の一つでも持ってくる。
「ほほう、これが皐月の部屋か」
麦茶を持ってくると、霞は蛇女の姿に戻っていた。部屋の中をきょろきょろと見渡していて、なんだか恥ずかしい。六畳ほどの部屋を二分割しているので、机と本棚だけでいっぱいいっぱいだ。
「狭くてごめんね。奥はお姉ちゃんの部屋だから、勝手に入ると殺されちゃうよ」
弥生が皐月の領域に入るぶんは何もないのだが、皐月が弥生の領域に入ると怒られる。年頃の女性の部屋に勝手に入るとは何事か、そんな理屈で。理不尽といえば理不尽だが、姉には逆らえない。
「はい、お茶」
「む、すまぬな。綺麗な器じゃのう」
霞にとっては、ただのガラスのコップでも珍しいらしい。細部をじろじろと見ている彼女の姿は、どこか微笑ましかった。
しばらくコップを眺めていた霞だったが、茶の冷たさに負けてか、麦茶を一気に飲み干す。
「……ふー。冷たくて美味いのう」
九月も半ばを過ぎたとはいえ、暑い日はまだ暑い。冷えた麦茶が美味い季節はまだ続きそうだ。
扉が開く音がした。このマンションの扉は重くて、開け閉めするときに大きな音がする。父と姉、どちらが帰ってきたのだろうか。
「ただいまー。……さっちゃん、誰か来てるのー?」
弥生だった。台所に荷物を置くと、子供部屋のふすまを開ける。それは結構な早業で、霞が人間に化ける間を与えなかった。
「……!? え、どちらさま?」
大人の女性である霞が皐月の部屋にいることに驚いたのか、弥生はきょとんとしている。弥生の位置では、霞の尻尾は死角になっていて見えないようだ。
「……あ、紹介するよ。この人がこの前に話してた人。霞さんっていうんだ。霞さん、この人がお姉ちゃんで、弥生」
「ど、どうも、霞と申す」
霞の声は緊張混じりだ。彼女のこんな声は聞いたことがなくて、少し面白い。
「あ、どうも。皐月の姉の、弥生です」
弥生はぺこりと会釈をすると、皐月の肩を掴む。
「ちょっと、どうやってこんな美人さんを引っかけたのよ。犯罪の臭いすらするわよ。まぁ、一桁差までならなんとかなるでしょうけど……」
「……これには事情があって。霞さんの足下、見てみて」
「足下?」
弥生は霞の足下に目をやる。そこには霞の尻尾があった。蛇の胴体。
「きゃああっ!?」
弥生は腰を抜かして後ずさる。自分もこんなリアクションだったような。
「……さすが姉弟じゃな。反応がよく似ておる……」
霞がこちらを向いて苦笑した。あまり思い出したくないことなので、皐月も苦笑い。
「ど、ど、どゆこと? これって、あれだよね。あの、RPGの」
「ラミア?」
「そうそう! なんで、え、えええ!?」
弥生は目の前のことが信じられないようで、しきりに目をこすっている。いい機会なので、夢じゃないということを思い知らせるべく、弥生の頭を何度もはたく皐月だった。
「痛っ、痛いっ!! え、何これ、夢じゃないの!?」
「残念ながら」
「ってさっちゃん、あんたは何どさくさにまぎれて叩いてきてるのよっ!」
日頃の逆襲は失敗して、皐月は弥生からひっぱたかれる。霞がくすりと笑ったのが聞こえた。
どうやら弥生は落ち着いてきたようだ。彼女の回復の早さに、人生経験の差を思い知らされる皐月だった。
「……で、霞さん、でしたっけ。うちの皐月とは、どういうご関係ですか?」
皐月と霞は横に並んで座って、その向かいに弥生が座っている。お見合いというか、親に恋人を紹介するというのは、こんな感じなのだろうか。
「……それは、えっと」
「えっと、オレが言うよ。霞さんとオレは、その……」
ここで言葉が詰まった。
友達ではないよな。お互いに好きって言い合ったんだし、キスまでしたんだし。
だとすると、霞は皐月の彼女。恋人。
そこまではっきりと言っていいものか。肉親の前でそう言うのはさすがに恥ずかしい。
「えっと……」
ちらりと霞を見てみると、皐月の返答が気になるのか、心配そうな表情を浮かべていた。そんな霞につられてか、弥生も心配そうな表情。
ここまで言ったのだから、仕方あるまい。というかこの雰囲気で察されてもおかしくはないのだから、言ってしまおう。
「……恋人、だよ。オレの、その、彼女」
なんとか言い切った。ホッとしたので、深呼吸のように息を長く吐き出す。霞のほうを見てみると、なんだか嬉しそうで恥ずかしそうな表情を浮かべている。嫌ではなかったようだ。
「……なるほど、恋人。うん」
弥生もなんだか恥ずかしそうだ。
「それはわかった。……だけど、もっとスマートに言えないの!? コッチまで恥ずかしい思いをしちゃったじゃないっ!!」
「恥ずかしいものは恥ずかしいんだから、しょうがないだろっ!!」
「す、すまぬっ!!」
なぜか謝る霞。言われてみれば、弥生の言い分ももっともだ。少しだけ頭を下げる。
「それで、お二人は恋人同士、なんだよね」
「まぁ、うん」
さっき言ったばかりだが、やはりちょっと恥ずかしい。
「どういういきさつでそうなったの?」
「それは、その、かくかくしかじかで」
皐月は今までのことを弥生に話す。
引っ越したばかりで友達もいなかった頃に霞と出会ったこと。二人とも孤独だったのですぐに仲良くなったこと。話しているうちに、霞に惚れてしまったこと。互いに告白したこと。
そして、昨日の台風で霞の住居が一部壊れてしまったこと。
「……なるほどねぇ。年の差に加えて種族も違うのに恋人同士か。愛は偉大ねぇ……。ったく、あんたら爆発しなさいよ」
弥生は毒づいてこそいるものの、くすくすと笑っている。
「で。霞さん、住むとこなくなっちゃったんでしょ?」
「う、うむ」
霞のほこらは屋根に穴が開いたせいで、住むには厳しい状態である。
「なら、ウチに住んだら? お父さんはあたしが説得するわよ」
「「ええぇ!?」」
話を切り出そうとしていた矢先に、弥生はあっけからんと皐月が望んでいた答えを出してきた。如月家で一番発言力が強いのは弥生である。彼女が霞の味方だというのなら、この件は決まったも同然だ。
「どしたの、きょとんとして?」
「い、いや、オレもそれを頼もうって思ってたんだけど……」
「ならいいじゃん。霞さんも異論ない?」
「う、うむ」
いきなりの展開に、二人は驚きを隠せない。
「そりゃ今までの話を聞かされたら、放っておけるわけないじゃない。アナタ達の距離感とか見てても、すっごくラブラブってのわかるもん」
弥生の指摘で、二人は互いの距離を確認する。顔がすぐ横で、肩と肩が触れ合うような距離。無意識のうちに、そんな距離を取っていた。指摘されると、なんだかとても恥ずかしい。
「お二人さん、真っ赤ですよー」
弥生の冷やかしも馬耳東風。少しだけ距離を取る皐月だった。
「アナタ達を冷やかしたいってのもあるけど、霞さんがかわいそうってのもあるわよ。あんな話聞かされたうえに、ここで霞さんを放置しちゃったら、なんだか寝覚めが悪いわ。さっちゃんが惚れた人なら、悪い人じゃなさそうだしね」
「……弥生殿……」
霞の声は潤んでいた。気になったので、少し肩を抱く。弥生の前だが、それを気にしていては何もできない。
「か、霞さん、大丈夫?」
「いや、大丈夫じゃ。嬉しゅうてのう……。わしにこれだけ優しゅうしてくれたのは、弥生殿が二番目じゃ……。そなたら姉弟は、本当に……」
「一番はさっちゃんって訳?」
霞は頷いた。他人の前でそんなことを言われるのは、嬉しくもあり恥ずかしくもあり。
「はいはい、ごちそうさまー。んじゃ、いい時間だし、ご飯にしましょっか。霞さんは何が好きなの?」
湿っぽいことが嫌いな弥生は手を叩きながら立ち上がる。
「えっと、焼きそばとか好きだよね? あの花火大会の時に食べたやつ」
「う、うむ。あれは好きじゃ」
「えらく庶民的ねぇ。まぁいいわ。ちょうど作ろうと思ってたし。じゃ、できたら声かけるから、それまでごゆっくりー」
弥生はくすくすと笑いながら部屋から出て、そっと扉を閉める。なんだか楽しそうだ。
ことが上手く運びすぎて拍子抜けになったことは否定しないが、それでもこれからは霞と一緒に暮らすことができる。皐月は嬉しさと安心感からほっと一息をつく。霞も同じ心境のようで、ほぼ同じタイミングで一息ついていた。
「……霞さん、よかったね」
「うむ。……こうなったのも、全て皐月のおかげじゃ。そなたと出会わねば、わしは今頃、あのほこらに一人で途方に暮れておったよ」
霞が笑って、手を握ってきた。
「皐月、これからもよろしくな」
「……うん」
なんだかいい雰囲気。お互いに顔を近付けたその時――。
「霞さん、玉子余ってるからオムそばにするけど、玉子は大丈夫ー?」
弥生の言葉で、二人は慌てて我に返るのだった。
そして、この日の夕方、如月家の住人が一人増えた。
読んでいただき、ありがとうございました。
ヒロインが魔物娘、しかも年の差(姉ショタ)と、趣味全開のお話でしたが、いかがだったでしょうか。
ラミアに目覚めていただけましたか? いや、別にどうでもいいですねw
ともあれ、霞さんが私の趣味の塊だったので、書いてて本当に楽しいお話でした。
後日譚や他のお話もよろしくお願いします。
以前読んでくださった方へ。
本編に書き直したい部分が多々出てきたため、一から書き直しています。
どうでしょう、前よりよくなっているでしょうか?
「前のほうがいい」というのが一番ショックです……w