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蛇女とラブソングを。  作者: あびす
後日譚
12/13

幼馴染にラブソングを。

 2月13日、日曜日。

 深雪は辛木市営団地B棟の階段を駆け上っていた。地域の剣道クラブの稽古が長引き、約束の時間に遅れそうだ。目的地は千歳の家。5階ともなれば、正直息が切れる。

 ようやくたどり着いた。息を整えつつ、チャイムを鳴らす。

「はーい」

 千歳の声がした。少しして、彼女が扉を開ける。

「あ、あはは……。ごめん、ちょっと遅くなっちゃった」

 息を整えながら、笑顔を見せる。千歳の機嫌を損ねていないか不安である。

「ううん、練習だったんでしょ? おつかれさま」

 千歳が笑顔を見せてくれたことで一安心。そういえば、彼女が怒った姿はしばらく見ていない。

「練習よりも、ここに来るほうが疲れちゃったよ」

「あはは、オーバーなんだから。とりあえず上がって」

「はーい、おじゃましまーす」

 深雪は靴を脱いで、千歳の家に上がる。ここは2LDKのマンションで、千歳の部屋は玄関の正面にある。

 ふすまを開けて、部屋の中に転がっているクッションに腰掛ける。千歳は勉強机の椅子に腰掛けた。何度来ても片付いている部屋である。なかなか片付けができない深雪としては、羨ましいことこの上ない。

「ふー、落ち着くなぁ」

 上着を脱いで、畳に寝そべる。芳香剤のラベンダーの香りが心地良い。

「もう、みゆはいっつもくつろぐんだから。練習で疲れたのはわかるけど」

「だってちとっちゃんの部屋、すっごく落ち着くんだもん」

 深雪は他人の部屋でくつろげるタイプである。

「そうそう、おとといは試合だったよ。結果言ってなかったよね」

「あ、そういえばこないだ試合があるって言ってたよね。どうだった?」

 2月11日は建国記念の日。それに合わせてかどうか、辛木小学校の体育館にて剣道大会が毎年行われている。辛木市及び周辺町村の剣道クラブ20チームほどで行われる、なかなか規模の大きい大会で、辛木小6年生の引退試合ともなっている。深雪は団体戦と個人戦の両方に出場していた。何気に辛木小女子のエースだったりするのである。

「団体は準優勝! それに、個人でも3位になれたよ!」

 辛木小の実力はこの付近では中の上、といったところであり、準優勝は何年ぶりかのことだ。決勝戦は強豪である隣町の二輪ふたわ小と代表戦までもつれ込む接戦を演じており、敗れこそしたものの、ここ数年で一番良い試合だったと絶賛された。

「わ、すっごいね! おめでとう!!」

「決勝戦、すっごく惜しかったんだけどね……。でも、最後にいい成績残せて嬉しかったよ」

「みゆはどうだったの? 勝った?」

「勝ったよ。でも、代表戦で負けちゃってさ……」

 深雪のポジションは先鋒であり、試合内容は一本勝ちであった。しかし、チームの勝数と取得本数が同じだった場合に行われる代表戦―この大会の代表戦は指名式―で惜しくも敗北を喫してしまったのである。しかも代表戦の相手とは個人戦の準決勝で再度戦うことになり、そこでも負けてしまった。

 中学に入ったら、必ず借りを返す。

 深雪はそう心に秘め、今日も練習に励んでいたのである。

「そっかー。みゆはいいなぁ、そういう特技があって」

「特技ってほどじゃないよー。それに、ちとっちゃんみたいに可愛いほうが、どう考えてもいいけどなぁ」

 ボーイッシュな外見のせいか、はたまた趣味や性格のせいか。深雪は女子扱いされることが少なかった。ちょっとしたコンプレックスである。

 だからこそ、可愛くて、おしとやかで、頭もいい千歳は深雪の憧れでもある。彼女とは二年生のときに一緒に転校してきて以来の付き合いであり、今では一番の親友だと思っている。

「あはは、褒めても何も出ないよ。それに、チョコも作ってあげないから」

「げげっ、ホントに?」

 今日ここに来た目的は、バレンタインのチョコレート作り。千歳は皐月に、深雪は剣道クラブの男子に。今までは既製品のチョコレートで済ませていたのだが、千歳がチョコを手作りするとのことで、付き合いで手作りすることになったのだ。手作りチョコなんてのを男子に渡せば、男女扱いも少しは晴れるかもしれない。だが、料理があまり好きではない深雪は、千歳を上手いことおだてて、ついでに作ってもらおうと目論んでいた。

「もう、めんどくさがらない」

「ちとっちゃんはいいよ。本命なんだから気合も入るでしょ?」

「……う、うん。まぁね」

 本命、という言葉で千歳は背筋を伸ばす。

「ずっと好きだったんでしょ? いいのを作ってあげなきゃ」

「もう、みゆ!!」

「ごめんごめん」

 夏休み中に皐月が引っ越してきてすぐ、千歳は深雪に「好きな人が引っ越してきた」と上機嫌で報告してきた。今のところは二人の秘密となっているが、千歳は皐月のことを意識していると思われても仕方ないような言動を取っているため、クラスメイトに感づかれていてもおかしくはない。

 まぁ、深雪にできることは、千歳と皐月が一緒に何かできるように千歳の背中を押してあげることぐらいしかないのだが。

 千歳のことは精一杯応援する。そう決めていた。



 チョコレートを湯煎して、ハートの型に流し込む。あとは冷まして固まらせるだけだ。これで千歳のぶんは一段落。

「ちとっちゃん、爪とか髪の毛とか入れないの?」

「入れないよっ!!」

 おまじないになるのにな。そう言おうと思ったが、千歳はおまじないなんかに頼らなくても、皐月を落とせるに違いない。

 何せ、千歳はクラスで一二を争う容姿の持ち主だ。少々人見知りでおとなしい部分があるとはいえ、女の子らしいという点ではマイナスに働くことはなさそうだ。

 そして、深雪は気付いている。皐月が愛称で呼ぶの女子は千歳だけなのだ。幼なじみという気安さがそうさせているのか、それとも好意が隠れているのか。

 そんなことを考えていると、一つの疑問が浮かんできた。

 千歳は皐月のどこが好きなんだろう。チョコ作りに付き合っているのだ。それぐらい教えてもらってもいいだろう。

「ね、ちとっちゃん」

「ん?」

「ちとっちゃんてさ、キサ君のどこが好きなの?」

「え、えええっ!?」

 千歳の顔が一気に赤くなった。急にもじもじしだした彼女の姿は、見ているこっちが恥ずかしくなってくるほどだ。

「い、言わなきゃダメ?」

「まぁ、できれば教えてほしいなー」

「うー……。な、内緒だからね?」

「まっかせなさーい」

 立ち話もなんなので、キッチンの椅子に腰掛ける。千歳も向かいに座った。

「さっちゃんと会ったのは、私が三つぐらいの頃だったの。私、昔から人見知りで、なかなか友達できなくて。そんな私と仲良くしてくれたのが、隣に住んでたさっちゃんなの」

 千歳はなんだかんだ言ってノリノリだ。惚気話を聞かされている気分である。

「へー。幼馴染って聞いてたけど、そんな前からの付き合いだったんだ」

「うん。それでね、ずっと一緒に遊んでて。それに私、こんな性格だから、男の子からイタズラされたりしたんだけど、そのときもさっちゃんがいつも助けてくれて」

「うわ、それは惚れちゃうかも」

「そのときに『好き』って言ったし、勢いでその、キスとか、しちゃったり」

「ええええ!?」

 告白してキスまで。それじゃもうできてるじゃないか。ファーストキスすらまだである深雪はなんだかむかついてきた。

「それってもう恋人って言っていいじゃん! あー、もう!」

「だ、だって子供の頃の話だよ! それに、その後すぐに私が引っ越しちゃって、ちょっとの間文通してたけど、すぐに終わっちゃったし!」

「それに、キサ君と同じようなこと、あたしもしたんだけどなー?」

 むかつきを晴らすかのように、少し意地悪な質問をする。

 深雪と千歳は同時期に転校してきた、いわゆる転校仲間である。そのためずっと一緒に遊んできたのだ。転校したての頃に千歳がいじめられたりしたときも、真っ先に助けに行っていた。

「あ、え、えと、みゆのことも好きだよ! だけど、みゆは女の子だし……」

「あはは、わかってる。冗談だよ、冗談」

 冗談とは言ったものの、深雪の胸には何かもやもやしたものが残っていた。

 千歳と最初に仲良くしていたのは皐月だ。それは先程の惚気でわかる。だけど、今の千歳と一番仲良くしているのは自分だ。最近転校してきた皐月に、千歳の何がわかるっていうんだろう。幼馴染ってだけの皐月に、親友の自分が負けるだなんて。

 って、これじゃ皐月に嫉妬してるようなものじゃないか。千歳の恋は応援する。千歳から報告を受けて以来、そう決めたじゃないか。

 ひょっとして、千歳の一番側というポジションを奪われるのが嫌なのか。だとすると、自分は嫌な女だ。

「……みゆ?」

 気がつくと、千歳が心配そうな表情を浮かべていた。どうやら顔に出てしまったらしい。

「ん? あ、あはは、なんでもない。ちょっと滑っちゃったかな、なんて」

 心配されないよう、努めて平静を装う。

「まぁキサ君カッコいいしねぇ」

 そして、話題を無理矢理変えてみる。

「そうなんだよね! 久しぶりに会ってみたらすっごくカッコよくなってて、それで私、本当に好きになっちゃったんだと思うの」

 皐月はなかなかの男前かつ気が利くところから、女子からの評判は上々である。女子の扱いに慣れているのか、どことなく大人びたところも感じさせる。

「それじゃ明日、がんばらないとね」

「うん。……うまくいく、よね?」

「大丈夫だよ、きっとうまくいくから!」

 そうは言ったものの、素直に応援することのできない自分に、深雪は心の中でため息をつくのだった。




 2月14日。バレンタインデー。

 朝から霞の様子がおかしかった。おおかたこっそりチョコレートでも作っていたのだろう。そして入れ知恵したのは弥生だろう。帰ってから騒がしそうだ。

 いつものように同じ団地に住んでいる井上とエドワードこと角田と一緒に学校に通う。話題は日曜夜のバラエティ番組やロードショーの話。いつもと変わらない、何気ない朝。

「……ん?」

 靴箱で靴を履き変えていると、角田が変な声を出した。

「エドワード、どうした?」

「なんかあった?」

「……手紙が入ってた」

 角田はそそくさと手を後ろにやる。どうやら手紙を隠したようだ。

「手紙ぃ?」

「誰から来てるの? っていうか、今日靴箱に手紙って……」

「「ラブレターだろ!?」」

「ちょ、ここ靴箱だからー!」

 皐月と井上の声がハモったことで、周囲の視線が集まってきた。さすがにこの状況はちょっと恥ずかしい。井上とアイコンタクトを取り、二人で角田の肩を叩く。

「よし、続きは教室でだな!」

「カンベンしてよ……。僕、消しゴムとノート買って行かないといけないから、先に行ってて」

 角田がそそくさと売店に向かった。

「キサ坊、あれは絶対ラブレターだよな」

「絶対そうだよ。売店行った後、中身読んで来るんじゃないかな?」

「まさかエドワードがなぁ。確かにあいつは運動できるし頭もいいけど」

 二人は手紙の内容を推測しながら教室に入る。それぞれの机に荷物を置くと、井上が皐月の机まで来て、角田が来るのを待つ。

 それにしても、教室の雰囲気はどこか変だった。心なしか、男子がみんなそわそわしているように思える。去年はこんなことなかったのに。少しだけ年を取ったことを実感する皐月だった。

「そういえば、なるちゃんはチョコもらえるの?」

「あー、まぁ母ちゃんと妹からだろうなー。キサ坊こそ、どうなんだよ?」

「お姉ちゃんと、あと従姉妹からかなぁ」

 弥生は毎年友達間でチョコを交換しているらしい。寂しいとバカにすると、夕飯の内容に関わるため、批判はしない。

 皐月と雷電に回ってくるのは、その失敗作である。ほとんどは見た目が悪いだけだが、なかには酷い味のものも混じっている。どうやら弥生なりの遊び心らしい。毎年父親とちょっとしたロシアンルーレット気分だ。

 そうこうしてるうちに、角田が教室に入ってきた。彼が荷物を置くやいなや、皐月と井上は角田の机に近付く。

「手紙の内容は?」

「……まぁ、予想通りだよ。ラブレターだった」

「マジで。……誰から?」

「……それは言えない」

「は!? なんでだよ!?」

 角田のノリの悪い答えに、井上が強い口調になる。そこまで言われたら気になってしまう。皐月も前かがみで角田を見つめていた。

「別に、僕が恥かくぶんはいいけどさ。なるちゃんやキサ君に教えて、手紙くれた人が恥かくのは、その人に悪いでしょ」

 角田の答えは、よくできていた。井上と皐月は思わず背筋を伸ばした。

 まぁ、自分が同じ立場でも、同じようなことを言ったのかもしれない。霞が恋人だってことをばらしていないのは、彼女のことを変な目で見て欲しくないからだ。だが、同じ行動でも、角田がやると品がよく見える。

「キサ坊……」

「なるちゃん……」

「「……負けたな……」」

 顔立ち、頭脳、運動神経、それに加えて性格までも良いとは。皐月は井上と肩を組んで、盛大なため息をついた。

「で、どう返事するんだ?」

「まぁ返事言うのは放課後に会ってからだよ。そんな訳で今日は先に帰ってて」

「はいはい」

 よくよく考えてみれば、今日は日直だ。今日の帰りはバラバラになりそうである。

 そうこうしてるうちにチャイムが鳴ったので、皐月は自分の席に戻った。


「ねぇねぇ、如月君。これこれ」

 五時間目の授業中に、隣の席の女子から手紙が回ってきた。表には「如月君へ」と書かれている。

「ちぃからだよ」

 千歳からか。先生にばれないようにこっそり折り目を開く。

『今日の放課後、日直が終わったらでいいので、体育館裏に来てください。 ちとせ』

 はぁ!?

 声に出さないように驚いて、二列向こうにいる千歳を見る。視線がぶつかって、千歳は目を逸らした。

 バレンタインの放課後に体育館裏。これって、ひょっとして。

 告白なんじゃ。

 いや、ただ単にチョコを渡したいだけなのかもしれない。でも渡すだけならわざわざ体育館裏に呼び出さなくてもよさそうなものだ。ということは、やはり。

 確かに子供の頃はお互い好きと言っていたが、あれは子供の話だ。今になって考えてみれば、霞に言った「好き」とは全く異なる。

 でもそれは自分の話であって、千歳がどう思っているか、それとはまた別の話。温泉旅行の時の微妙な土産も凄く喜んでくれたし、去年の年末に席替えで一緒の班になったときも嬉しそうだった。

 そこから推測すると、やはり千歳は自分のことが――。

 そんなことを考えていたら、なんだか訳がわからなくなって、授業の内容など全く頭に入らなかった。

 6時間目は凄く長く感じた。

 ともあれ、帰りのホームルームが終わって、日直の仕事で黒板を消していると、角田がそそくさと教室から出るのが見えた。

「キサ坊、帰ろうぜー。黒板消し手伝うからさ」

 井上が寄ってくる。いつもなら一緒に帰るのだが、千歳との約束をすっぽかすのも悪い。かといって馬鹿正直に伝えると、噂話のネタになってしまう。自分が恥ずかしいだけならまだマシだが、今回は千歳も絡んでいる。さすがにそれは避けたほうがいい。

「あー、この後、アゴ先生から呼び出されてるんだ。悪いけど、先に帰ってくれる?」

 アゴ先生とは六年生の副担任である。中年男性で、しゃくれた顎が特徴だ。名前は谷口だが、ほとんどの生徒がアゴ先生と呼んでいる。

「アゴに? 何やったんだ?」

「委員会のことだと思う。アゴ先生は話長いでしょ?」

 千歳と会う時間を作るための、とっさの嘘だ。井上には悪いが、千歳の方が先約である。

「あー、確かにな。しゃーないなぁ。一人で帰るか」

「ごめん。明日はエドワードから結果聞こうよ」

「おう、確かに気になる。んじゃ、また明日なー」

 井上と別れ、教室に残っている生徒を追い出し、窓を閉める。学級日誌を職員室に持って行って、いざ体育館裏へ。

 体育館裏は人一人が通れるほどの細い通路で、外からは生け垣で見えなくなっている。秘密にしたいことをするのには好都合だ。

 ここに角田とラブレターのお相手がいたら焦る。というか笑ってしまいそうだ。おずおずと様子を窺ってみる。

 体育館裏には、千歳と深雪の他には誰もいない。ほっと一安心。

「……ちーちゃん?」

「あ、さっちゃん! 来てくれたんだ!」

 声をかけてみると、千歳は凄く喜んだ。どうやら予想は当たってそうだ。

「白雪さんも用があるの?」

「ううん、あたしはただの付き添い。キサ君がちゃんと来てくれたから、あたしはここでー」

 深雪は千歳の背中をぽんと叩くと、体育館の入り口のほうに歩いていった。

 静かになった。

 聞こえてくるのは外の道路を車が走る音ぐらい。なんとなく気まずい雰囲気である。この雰囲気に耐えられなくなった皐月は、とりあえず話を切り出してみることにした。

「ちーちゃん、何の用?」

「あ、え、えっと……」

 千歳はもじもじしたままだった。見ているこっちがなんだか恥ずかしくなってくる。

 しばらくして、千歳は意を決したかのようにランドセルを地面に置くと、その中から綺麗にラッピングされたハート型の箱を取り出した。

「……ず、ずっと。……ずっと! 好きでした!!」

 千歳が箱をこちらに差し出してきた。

「だから、その……。よかったら、付き合って、くださいっ!!!」

 千歳の声は真摯なものだった。よほど緊張しただろう。自分も霞に告白したときはそうだった。

 告白されたからには、返事をしないと。

 千歳は可愛いと思う。それに昔からの付き合いで、お互いのことをよくわかっているつもりだ。皐月としても、女子の中では一番気安く喋ることができる。

 自分に恋人がいなかったら、二つ返事で了承していただろう。

 だが、今は違う。

 自分には、霞という大切な恋人がいるのだから。ここでOKを出すことは、霞を裏切ることにもなるし、千歳の気持ちも裏切ることになってしまう。

 だから、答えは一つ。

「……ごめん」

「っ!!」

 千歳の表情が変わった。呆気に取られたような、悲しそうな表情。

「……オレ、好きな人、いるから。ちーちゃんのことは好きだし、好きって言ってくれたのも嬉しいよ。だけど……」

 なんだか心苦しい。だけど、のらりくらりとかわすほうがよっぽど残酷だろう。はっきり言おう。そのほうが自分のためだし、千歳のため。

「その人のほうが、もっと好きだから。その人にも、ちーちゃんにも、嘘つきたくないから。だから……」

 思わず千歳から目を逸らしそうになる。だけど、ここで目を逸らしちゃいけない。こういうときこそ、相手の顔を見なきゃ。

「ごめん」

 千歳の目を見て、はっきりと言った後、頭を下げた。何の音も聞こえない。

 少しして、頭を上げる。千歳はうつむいていて、肩が震えていた。

「……そ、そっか。じゃ、そ、その、仕方ない、かな……」

 肩だけでなく、千歳の声も震えていた。悪いことをしたと思うが、こうするしかなかったのだ。嘘をつき通せるとは思えないから。

「あ、あの、これ。せっかく、作った、から……。よかったら、その、食べて……くれる?」

 千歳は笑顔を見せているが、精一杯の作り笑いに見える。そう、些細なきっかけで、すぐに壊れてしまいそうな。

「……うん。ありがと」

「きっと、おいしいと……思う、から」

 今にも泣き出しそうな千歳から箱を受け取り、ランドセルにしまう。

「……じゃ、また明日ね。今日のこと、秘密にしとくから」

「……うん。ごめんね、時間取らせちゃって……」

「ううん。大丈夫だよ。……それじゃ、バイバイ」

「……バイバイ」

 手を振ってくれる千歳に背を向けて、皐月は家路を辿りだした。

 これで良かったと自分に言い聞かせて。



 皐月が出てきた。声をかけようと思ったが、彼の表情は暗く、どうにもそんな雰囲気じゃない。

 ということは。

 深雪はおそるおそる、千歳の側へと歩み寄った。

「……ちとっちゃん?」

 声をかけてみると、それまでうつむいていた千歳は顔を上げ、深雪にしがみついてきた。

 しがみつくやいなや、千歳はそのまま声をあげて泣き出した。

 どうやら、ダメだったようだ。

 泣きじゃくる千歳の背中をさすりつつ、どこか安心している自分がいることに気づいた。

 千歳は取られなかった。千代田千歳の一番側にいるのは、白雪深雪。それは変わらなかった。

 違う、そうじゃない。こんなときにそんなことを考えるだなんて、自分は本当に嫌な女だ。

「……さっちゃんね、他に好きな人がいるんだって。私のことは好きだけど、その人の方がもっと好きだから、って……」

「……そっか。よしよし……」

 千歳が落ち着くまで、ずっと背中を撫でてやる。なんとかして元気づけてあげないと。さっきの気持ちは錯覚ということにしよう。

「キサ君、ちとっちゃんのこと、嫌いって言わなかったんでしょ?」

「……うん」

「じゃあ、まだチャンスはあるよ! その人よりも、もっと好きにならせればいいんだから!!」

 千歳の背中を優しく叩く。少しずつ、千歳は落ち着いてきたようだ。

「そうだ! あたしん寄ってさ、昨日のチョコ食べようよ。こういうときには甘いものだよ!」

「え? でも……」

「いいのいいの! あいつらには10円のチョコで十分だよ! それに、半分ぐらいちとっちゃんが作ったんだし!」

 深雪の無理な励ましに、千歳はゆっくりと顔を上げる。

「……半分というより、7割ぐらい作ったような」

 いつものやりとりに近い。だいぶ落ち着いたようだ。一安心。

「細かいことは気にしないの! さ、涙拭いてさ。目も真っ赤だから、カッコ悪いよ!」

「……がと」

「ん?」

「……ありがと」

 千歳は少しだけはにかんで、ランドセルを背負った。

 礼を言われるのは少し恥ずかしくて、それにはにかんだ千歳は予想外の可愛さで、深雪は思わず顔を逸らしてしまった。

「なーに、礼にはおよばないよ! ちとっちゃんが落ち込んでる姿、見たくないもん!」

 恥ずかしさを隠すかのように高いテンションを維持したまま、深雪は千歳の手を取って、家路を辿りだした。

 どこか安心した気持ちのままで。




「ただいま」

 皐月はゆっくりと自宅の扉を開ける。すぐに霞が玄関まで迎えに出てきた。いつもの光景。

「おお、遅かったのう。なんじゃ、成美やエドワードと遊んでおったのか?」

「ううん。別の用事」

 霞が珍しく元気だ。ここ最近は寒いせいか、彼女はいつもよりも明らかに元気がなかった。今日元気なのは、きっとバレンタインのせいだろう。本人が隠したがっていたようなので、チョコレートのことには触れないでいたが、手作りのものを用意していることはうすうす知っている。

「別の用事?」

「……これ、もらった」

 ランドセルから先程もらった箱を出す。それを見た霞は驚きを隠せないようだった。

「これを? ……ずいぶんと立派な箱じゃのう。誰からなのじゃ?」

 霞の声は、少し嫉妬が混じっているようだ。無理もない。ハート型の箱など、中身は決まっているのだから。

「……ちーちゃん。告白も、された」

「……なっ……」

 霞が固まる。

「もちろん、断ったよ。ちーちゃんのことは好きだけど、もっと好きな人がいるから、って」

 フリーズしてしまった霞を解凍すべく、彼女の手を握ってみる。それで霞は我に返ったようだ。握っていた手を握り返してきた。

「……そうか。千歳がのう……」

 霞と千歳は何度か話したことがあり、顔見知り以上友達未満といった関係のようだ。なんだか複雑そうな表情を浮かべている。

「……どうして断ったのじゃ?」

「決まってるでしょ。オレには、霞って恋人がいるんだから」

 帰り道に考えていた台詞だが、実際に口にしてみると、予想以上に恥ずかしい。とりあえず、このまま勢いで言い切ってしまおう。

「二股かけるなんて、オレは嫌だよ。霞にも、ちーちゃんにも、嘘は付きたくなかったから、断っ……」

 皐月の言葉を遮るかのように、霞が抱きついてきた。そっと、優しく、皐月の顔を霞の胸に埋めるように。

「……すまぬな」

「すまぬなって、別に、そんなお礼言われるような……」

 そう、自分のやりたいようにやったまでのこと。礼を言われる筋合いはない。

「いや、礼も言う。千歳のような可愛い娘よりも、わしを選んでくれたのじゃ。嬉しいぞ、本当に嬉しいぞ……」

 霞の手に力が込められたのがわかった。霞が喜んでくれているのは、本当に嬉しい。千歳には悪いが、やはり今、一番嬉しいことは、霞に喜んでもらうことだ。

 そういえば、ここ最近は抱きつかれていない、この季節、霞の体温はかなり低く、抱きつかれると正直なところ寒い。それは彼女も自覚しているらしく、自重しているようだ。

 だが、今日は違った。確かに霞の体はひんやりしているが、それでも構わない。どんなに寒くても、霞が側にいることが何よりも幸せなのだから。

「そのチョコは、皐月が一人で食うとよいぞ。わしに食べる資格はないわ」

「そう?」

「うむ。そなたに食べられるように作られたのじゃ。それが本望じゃろう。しかし、後でわしが作ったものも食べてもらうからの?」

 どうやら今日はチョコ尽くしのようだ。チョコレートは嫌いじゃないからいいのだが。

 時計を見れば、午後5時過ぎ。もうすぐ姉が帰ってくる。その前に、したいことがあった。

「……霞、その……」

「うん?」

「巻き付いて、くれる?」

 皐月の言葉は予想外だったのか、霞は少しぽかんとした表情を浮かべる。巻き付かれるのをねだるのは、これが初めてだからだ。

「うむ、別に構わぬぞ。むしろわしからお願いしたいくらいじゃ」

 霞は二つ返事で、ゆっくりと巻き付いてくる。皐月は巻き付かれるのが好きだった。抱きしめられるよりも、霞を側に感じられるから。

 完全に巻き付かれた。霞の手が、皐月の髪を撫でている。

 鱗の冷たさが、ズボン越しに伝わってくる。霞がすぐ側にいる。

「……好きだよ、霞」

「わしもじゃ、皐月」

 少しの沈黙。

「「……キスして、いい?」」

 その後の台詞が完全に被って、二人とも思わず苦笑する。

 やがて二人は、夕日に照らされながら、そっと影を重ねた。


「コラーーーッ!!!」


 どれだけの時間が経っただろうか。弥生の怒鳴り声で、二人は我に返る。

 声の方向に顔をやってみれば、玄関で仁王立ちとなっている弥生の姿があった。

「今日はバレンタイン。いちゃいちゃしてもらうぶんには構わないわよ! だけど、場所は考えてよね!!」

 そう、皐月と霞がいた場所は、キッチンのど真ん中。キッチンを経由しないと居間にも弥生と皐月の部屋にも行けないような間取りになっているため、そんな場所でいちゃつかれていては、何もできやしない。

「い、いや、その、面目ない……」

「って、ただいまの一言ぐらい……」

「二回ぐらい言いましたー!! ホントにもう、爆発しろ!」

 弥生は悪態をつきながらも笑顔である。霞といちゃついているところを見られると、いつもこうだ。皐月もだんだん慣れてきた。かといって、見せびらかすつもりはないのだが。

「ま、いいもの見せてもらったけどさ。夕飯の支度するから、かすみんも手伝ってよ」

「う、うむ、任せておけ」

 皐月は霞の尻尾から解放されると、そっと千歳からもらった箱を弥生にばれないようにランドセルへとしまうのだった。

 

後日譚その2。

深雪が百合っぽい? 気のせいだ。

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