終章 雪月花
終わりです
龍之助が死んだ。
身内によくない卦がでたので紺之助が篭目村へ戻ると弟はすでに亡くなっていた。秋近く体調を崩し、そのあとは寝たきりで意識も危うく春を待たないまま身罷ったという。すでに葬式は終わり、村共同の墓地に葬られた後だった。墓地は天井を覆う満開の桜の花びらで白く埋もれており、新しい石が置かれた墓に紺之助はそっと野の花を添えた。
「百歳を超えて生きたんだから十分だったんじゃないかい」
同行してきた天貝がやれやれといった風に言った。
「最期を看取ったのは雨宮の嫁だよ。手伝いに来ていたんだが目を離した隙に亡くなっていたそうだ」
「……そうですか……」
「こちらから報せられればよかったんだが、稲葉と違って我々に式を飛ばせるものなどいないしね。これで稲葉は君だけ……まあ君は歳を取らないし心配はないんだけど。おっと軽口だったかな」
「いえ」
「まあ久方ぶりの帰郷なのだからゆっくりしていきなよ。本当ならこの見事な桜だから今年も花見をするつもりだったんだが、龍之助さんが亡くなったばかりだと虞世が言うのでね。やめになったのさ。篁が来る気配はないのだろう?」
「はい」
「ま、今後のことは村でおいおい話し合いになるさ。戻ろう」
最近は人形の売れ行きがいまいちでねえ――そんなことを天貝はぺらぺらと喋りながら歩いた。紺之助は黙って風がそよぐ森の葉音に耳を立てた。村の道まででるとそれじゃあなんかあったら言って、と天貝は屋敷へ帰っていった。春とはいえまだ肌寒い。紺之助は待たせていた桜を伴って稲葉神社へと向かった。龍之助が倒れた後も手入れは怠っていなかったようで神社は綺麗なものだった。一瞥してから懐かしい実家へと足を向ける。玄関は綺麗に掃かれていたが、どこか違和感を感じた。
(ああ……龍之助が掃いていたわけではないのだな)
龍之助はもっと、神経質なまでに掃き清めるところがあった。それが感じられない。本当に死んでしまったのだと、紺之助の顔に影が差した。そのまま玄関前でうずくまってしまう。体が震えた。でも涙が出ない。
「龍之助」
帰ればいつも温かく出迎えてくれた。もう寿命だったとはいえ――また失ってしまった。今度は弟を。そう思う紺之助の頭を、桜がなでる。
「……ありがとう」
紺之助は心配そうな桜の頬を撫で、たちあがると家に入った。家の中は静まり返っている。台所には軽い食事の用意がされていた。天貝が手配したのだろうか。あまり食べたい心地ではない。用意してもらったのに悪い、とは思いながらそのまま手を付けなかった。もう夜になる。少し横になりたかった。
「……」
着替えもせずゆっくりと畳の上に体を投げ出した。行灯の火がちらちらと揺れて部屋をぼう、と照らしている。桜は部屋の隅に座っており、紺之助はゆっくりとこれからのことを考えた。
(龍之助が死んで……雪之助兄さんも死んでいる身……僕も死んでいるようなものだけれど、これからどうするか……)
篁を捕まえることは絶対だ。そういえば、そのあとのことは考えていなかった。篁を捕まえるなんてこと――どこかで夢みたいな無理難題だと思っていたから、そのあとのことなんて考えることがなかったのだ。
(もし、篁を捕まえたら、そうしたら)
――いつか篁を捕まえて兄を取り戻したら、その墓を守って暮らそう。桜を天貝に帰して渦正のように墓守になろう――永久に。それが自分の宿命、兄の人生を奪った罪と罰。だから償いをしなくては。その時が来るまでただ追いかけ続ける。篁姫を。
「……明日発とうか、桜」
桜はこくりとうなずく。龍之助のいなくなった屋敷はどこかよそよそしい。主を失った家は今後墨染なり天貝なりが手入れをするのだろう。
「見送りはもういい……朝早くにいこう」
ふと龍之助の顔が浮かんだ。これで終わり、というわけではないが、龍之助の墓をもう一度拝んでからいきたい。そう思って紺之助は立ち上がり玄関に向かった。音をたてず桜がついてくる。夜遅いから渦正はいないだろう。もう一度、村の者がいない場でゆっくりと相対したかった。兄として、龍之助にしてやれることはほとんどなかった。もう花を添えることしかできない自分がいて――でもきっと龍之助は責めたりしないだろう。いつものように優しく庇うのだろう。生涯をかけて稲葉家を守り続けてくれた弟。拝んでも拝み切れない。龍之助の人生を決めたのもまた、自分が原因なのだから。
「すごい……」
墓場のある桜の森に近づくと昼間より一層風が強く吹きこんできて桜の木々がその身を揺らしていた。地面は花びらで覆い尽くされ真っ白な絨毯のようだ。満開の桜が吹雪のように花を散らしている。陽が落ちてからの方がその白さが際立って見え、花々は夜の中で美しくささめきあっているようだった。天蓋からわずかに満月の光が射しこみ、辺りを照らす。闇夜でも明かりが要らないほど視界が冴えている。
「何度もここの桜は見てきたけれど、今日は格別だね」
多分、明日渦正が急いで墓の掃除に来るだろう。放っておくと皆、桜の花びらに埋まってしまうからだ。舞い散る桜を手で避けながら紺之助は墓場へと入り――足を止めた。
視線の先に、雪之助が立っている。
突然の逢瀬に紺之助の思考が止まった。心臓がドッドッと強く鳴る。
――なぜここに?
額がじっとりと汗ばみ、息がうまく吸えない。
「兄さん……」
幻を見ているのだろうか。篁がやってくるという卦は出ていなかった。ならばやはり夢幻に違いない。
「兄さん……龍之助が亡くなりましたよ……もう稲葉は僕と兄さんだけ……」
篁姫を抱えた雪之助は変わらずこちらをじっと見ている。花吹雪はいっそう強くなり二人の間を駆けた。雪之助の白の浄服と髪が桜と溶けあっている。長く時を重ねているはずなのに一点の穢れもない。肩に抱え上げた篁姫は目を閉じ、眠っているかのようだった。だがきっと「起きて」いるのだろう。起きていて、雪之助を通してこちらの様子をうかがっているに違いない。
――稲葉の役目を果たせ。
ハッと我に返り紺之助は頭を振った。これは――現実だ。篁姫を捕まえなくては。桜に合図を送ろうとした途端、
「紺之助」
――はっきりと。そう、はっきりと雪之助がしゃべった。紺之助は動揺する。なぜ兄がしゃべるのだ。兄は篁に――喰われたはずだ。
「大きくなったものだな。俺と同じくらいか」
雪之助は懐かしむように紺之助を見て笑った。その笑顔に紺之助は震えた。遠い昔、夕日を背に紺之助のおねだりに応えて竹とんぼを飛ばして笑っていた兄。その鷹揚とした笑顔そのままだった。
「……兄さん。ほ、本当に……まさか本当に雪之助兄さんなのか」
「そのようだ。他人には見えまい?」
「馬鹿な……兄さんは篁に食われたはずだ! そうじゃないならなぜ」
「食われたさ。あの雪の日――俺は確かに篁姫に食われた。自分でもそう思った」
雪之助はそういって足を一歩踏み出す。紺之助は一歩下がろうとして――押しとどまった。雪之助は苦笑して、
「だが俺は存外しぶとい奴だったらしい。篁姫に食われながら魂はまだどこかで生きていたんだな――決定的だったのは人形遣いになったお前を見た時だった」
雨宮の息子が村に来ていた時のことだろう。紺之助はあの時、初めて篁に連れ去られた後の雪之助と対峙したのだ。
「稲葉の外法は跡継ぎだけがその存在を伝え聞く。当然俺は知っていたのだがなぜかお前が術を使っていた。俺はお前を守るはずだったのに、稲葉の外法なんぞに手を出させてしまった。人形遣いなど、お前を追い詰めてしまった。お前を大事に育ててきたのに――まったくふがいない事この上ない」
人を捨てた弟の姿は、失われた雪之助の魂を呼び覚ます。
――弟を取り戻さねば。
「どうしてくれよう、こんなことになるとは。あんまり頭にきたもので――俺は篁を食ってしまった」
その魂を。
雪之助は、楽し気にはははと声を上げて笑うと、抱えていた篁姫を揺らした。カクリ、と首が横に折れる。ぶらぶらと揺れて何の反応もない。目は閉じられたまま、その長い髪のうえに桜の花びらがどんどん積もっていく。何の情念も感じられない。もはや「ただの人形」なのは明らかだった。紺之助はあまりのことに驚いてうまく言葉が出ない。
「食うって」
「腹が満たされたせいか四肢に力が入って俺は肉体を取り戻した。篁の魂を食ったことで奴の邪念も俺の中にある。つまり今のお前とまあ、似たようなものだ。ところで篁の魂を取り込んでわかったことがある。なぜ篁が人を食らうかわかるか?」
「いえ……」
数百年間誰にもわからなかった。
「実に簡単な理由さ。篁はずっと探していたんだ」
「何を」
「天児だよ」
天児。篁姫の生みの親。
それはすべての――発端だった。
「篁は己を作った「父親」である天児を愛していた。篁の魂はすでに天児とともにあったのさ。だが天児は篁を墨染にやっちまったろう。そしてそのまま人柱となり死んでしまった。となればこの哀れな人形の、天児への想いはどこへいけばいい?」
あの人を探している。
盲目のわらわにみえるのは魂の形だけ。
どうかわらわを捨てないでくださいまし。おそばにおいてくださいまし。
わらわにとってわらわを生んでくれたあなただけがすべて。
呼びかけたら返事をしてくださいませ。
『――父様 (ととさま)』
「それが合図だ。本人は意図していないがな。ととさま、そう言って相手の魂をむしゃむしゃ食っちまう。篁は天児の魂と共にありたかったからな。でも篁は目が見えないからこれかと思ったものを食べてしまうだけだ。最凶の悪食だな」
「そうか……だから篁は度々村へ「戻って」きたのか。天児が住んでいるはずのこの村へ、天児を探しにきていた……。天児が死んだことをわかっていなかったのか……じゃあ、篁と目をあわすなというのは……」
「魂の在り処を探られてしまうから危険だということだ。篁は姿は見えていないが相手の魂はみえるからな。だが食いすぎて本体の魂が汚れた。何百という有象無象の魂が篁の中で暴れ狂って、本物の「篁姫」がどこまで存在していたかわからん」
「兄さんは……その篁の魂をすべて食った……んですか……」
「俺にも譲れないものはあるのでな。欲が篁に勝ってしまったのだよなあ。だから今の俺はお前と同じく、人形と魂を共有している……篁の中はもう伽藍洞だが。まあそんなことはどうでもいい。紺之助、この村を出ないか」
「え……」
突然の申し出に紺之助は戸惑う。雪之助はごく真面目な顔をして答えた。
「驚くことでもない。俺は生前からずっと思ってきた。なぜ稲葉はこの村に居続けるのか、根を下ろしたのか……篁のため? 先祖のしくじりのためか? 違うね。我々稲葉はこの村に囚われたのだ。もっと言うなら篭目村の連中にからめとられたんだ。俺たちはこの村にいる必要などなかったんだよ。稲葉は早くこの篭目村を出るべきだった。篁を捕ってきて喜ぶのは稲葉か? 喜ぶのは墨染や天貝……篭目村の連中だ。稲葉は元々篭目村の人間ではなかったのに、ちょいとこの村に立ち寄っただけで子々孫々にわたり犠牲を払ってきた。もっと早く気付くべきだった。篁の取り合いに稲葉は本来関係ない」
「でも、ご先祖様が篁の祈祷を失敗したから」
「その失敗は俺たちが受け継ぐべきことなのか? 何百年も前の人間の過ちなど知ったことか。そもそも祈祷が失敗したのは稲葉のせいではない。篁のことは篭目村の奴らの問題だ。村のためにお前を人形遣いにさせることになっても仕方ない――なんて理屈は俺はごめんだ。もう遅いが。お前も俺が犠牲になってもいいと思うか。お前がいいというなら、いいよ」
それにな、と雪之助は続ける。
「どちらにせよお前が人形遣いになったということはもう稲葉は終わりだろう。そりゃ、篁を追うなら便利な身体ではあるが、村の連中はよく許したものだ」
「それは龍之助がいたから」
「誰だそれは? まあ断絶したのは都合がいい。もう篁姫は俺が食っちまったから魂は戻らないし稲葉の役目は終わりだ。つまるところ、俺はお前をこの村から自由にできるなら何でもいいのさ」
そのために来たんだ。
「お前の行方は捉えにくい。追えないよう術をかけているだろう。見つけるのに苦労したぞ。いい腕だ」
そう言って雪之助は腰に手を当てて桜の森を見上げた。吹雪のように舞い散る花びらは雪之助の表情をにごし、はっきりとしない。雪之助の白い浄服と紺之助の黒い浄服。どちらも桜の花にまみれて森の中に溶け込んでいく。ここの桜は変わらず美しいな、そういって雪之助は紺之助に近づく。もう一歩、もう少し。目の前に立つ雪之助の姿を紺之助は見た。
紺之助は――まだ疑っている。本当に兄なのか。
「みろ紺之助。俺たちを捕らえた奴らを」
雪之助が指さした先にはたくさんの墓石が並んでいる。数百年にわたる歴代の篭目村の人々。そのなかには稲葉も墨染もそして――天児も、いるのだ。
「行こう、紺之助。行こう」
楽しげに雪之助が手を差しだした。
「……どこへ」
「どこへでも。我ら兄弟、人の道を外れた者なれば」
そういって満足そうに雪之助は笑った。それは昔、雪の日に失った笑顔。紺之助を大事に育てたたった一人の兄の姿だった。
ああ、稲葉雪之助は帰ってきた。兄は戻ったのだ。たとえ人の身でなくても。
――ならばもうなにも嘆くものはない。
ためらっていた紺之助はひどく安堵し、雪之助の手を取った。そして昔のように屈託なく微笑んだ。一片の曇りもない――笑顔を。
「もしかして兄さんが昔僕に言った「秘密」とはこのことですか」
「その通り。さっさと村を捨てて二人で都会にでも出ようと思っていた。あの頃はまだ篁をどうにかしてからと思っていたが、村の連中につき合う必要はないってのは確信してた」
「いつからそう思うようになったんです」
「お前が生まれてからかな――ん?」
ふと後ろを見ると桜が刀を持ったままちょこんと佇んでいる。紺之助は声をかけた。
「一緒に来るかい」
桜は小さくうなずくと紺之助の元に走り寄ってくる。あれがお前の半身か、と雪之助は目を細めた。
「可愛いもんだな」
「篁はどうするんです……もう魂はないんでしょう」
「そうだな。だがこのまま置いていって連中を喜ばせるのもしゃくだ」
連れていこう。
雪之助は篁の曲がった首を直すと抱え上げた。目を伏せた篁の顔はやはり美しい。
天児の最高傑作なのだ。
「まったく天児はうまいことやったものだ。篁がどこへ行こうが、何者になろうが、結局この姫はこうして大事にされることになるのだからな。墨染に嫁に出したのはただの布石。その先まですべて見据えていたのかもしれん。奴は娘を失うことなく、永遠のものにできたのだからな」
「つまり我々は天児の手の上で踊っていただけ――と?」
「さてな。だがもうどうでもいいことだ。いくか紺之助」
「はい、雪之助兄さん」
桜舞い散る森の中から人影が二つ、村の外へとゆっくりと歩いていく。影はやがて生い茂る森を越えるとそのまま闇夜へと溶けるように消え、去っていった。ごう、と突風に木々が激しく揺れ、村の入り口の大注連縄がはずれて落ち、地面に叩きつけられて――。
それはそれはとても大きな音だったのだが、村の誰一人気づく者はいなかった。
了
ありがとうございました。




