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人形の章

よろしくお願いします。


「おや、いくのかい」

 そういって天貝成(なり)比佐(ひさ)は村の外へと出ようとした紺之助に声をかけた。

「また篁を探しにどこかへ行くのかい、ご苦労様だね」

「それが役目ですから……」

「ま、稲葉だもんねえ」

紺之助は桜太夫と共に年中どこかへ出かけて行って、村に戻るのは二、三年に一度あるかないかといったところだ。篁を追っているから当然なのだが、いつみても面白いものだ。稲葉の次男と言っても成比佐が子供のころから年恰好が変わらない。稲葉の三男はもう相当に老いているというのに。何かの呪法で歳を取らなくなったと聞いたが、まあ成比佐にとってはどうでもいいことだ。

 成比佐は役者のような男である。上等な着物を羽織り、女形のような柳腰。今年で二十八になるがもっと若く見える。

「駅まで行くなら一緒に行かないかい。タクシーを呼んである。もうすぐ来るから」

「いえ……天貝さんはまた街に行くんですか」

「稼業だからね。東京までいくのさ。銀座の小さなギャラリーで人形展があるんだ、売りに出すものは送ってあるから購入相手と会うだけ。いい店があってね、帰りに上等の紅茶を飲んでいくつもりだから、一緒にどう? 気晴らしになるよ」

「すみません、役目がありますから……失礼します」

そういうと紺之助は立ち去った。

(相変わらず白い顔して愛想ないね)

紺之助の姿が見えなくなると成比佐はフンフンと鼻歌を鳴らしながら一旦自宅へと戻っる。住人の姿は他に見えない。

 (いつものこととはいえ、たまには皆も見送ればいいのにねぇ)

 紺之助に桜太夫を「貸した」こともあり、総じて天貝家は紺之助に期待しているのだ。魂を食われない限り紺之助はいつまでも篁を追える。これまでもそうだったようだし、これからもそうであるだろう。老いない器というのはいいものだ。まさに人形。

 (さてと)

 自宅近くまで歩いてきた成比佐はチラリと左を見やる。天貝の家は墨染の家のすぐ近くにある。天貝の家はもう少し奥にあるのだが、雑木林を間にして手前に墨染の屋敷が建っている。

 (稲葉が出発したこと、言ったほうがいいのかねぇ)

 言っても言わなくてもいいが言わなけりゃ怒る。

 (苦手だよ。莞爾さんは)



 「というわけで莞爾さんに伝えといておくれよ」

 墨染の家を訪ねると下男が出てきたので、成比佐は言伝を頼んでさっさと墨染の家を後にしようとした。

 「あっしにはそんなたいそうな真似は出来やせん」

 「言うだけだよ。たいしたことじゃない。頼むよ」

 「しかし……」

 なかなか承諾しない下男と押し問答になっていると、

 「どうしたのかね」

 右の廊下のほうから声がして玄関に男が現れた。墨染莞爾である。そろそろ六十というわりに油ぎった精力を感じさせる男で、ぎらぎらと髪を撫でつけ、錆鼠の着物を着、葡萄茶の成比佐とは対照的だ。ではあっしはこれで、と下男がそそくさとその場を辞してしまう。逃げられたなあと成比佐は思った。

 「成比佐君か。天貝が何かようかね」

 「用ってほどじゃ。稲葉の紺さんが外へでましたよ、篁を探しに。誰も見送りに出ないんでねえ。私が見送ったんですよ」

 「いつものことだろう」

 「そりゃそうですがね」

 ――すずしい顔の墨染を盗み見るように値踏みする。この男は何カ月か前に紺之助を家に連れ込んでいる。折檻をするためだ。前に雨宮の跡継ぎを逃がしたとわかったのでその仕置き――なのだそうだ。墨染はよくこういうことをする。莞爾に限ったことではない。墨染の跡継ぎは皆そうなのだという。背中を強く打たれて稲葉の次男は熱を発し、しばらく床に伏した。村の誰も何も言わない。稲葉は篁を捕まえられないから一つ下に見られている。天貝である成比佐は見舞って、墨染さんはちょいとおかしいよ、あれは治らないんだねえ、などと味方をするように講釈をたれてきた。稲葉の機嫌は取れれば取れるだけいい。

 天貝は墨染に成り代わりこの村の支配者になりたいのだ。

「篁姫を逃したのは痛いが、紺さんが雪之助さんに会えたのは初めてなのでしょう? 雪之助さんが篁の「足」になってから百年ぶりくらいなのかな。稲葉にとってはいいことかもしれないねえ」

 「君は稲葉に肩入れしているようだな」

「そりゃ、篁を連れて帰れる唯一の家ですからな。桜も貸してるし。私は彼を気に入ってるんですよ。まあそれだけです。それじゃ失礼しますよ」

 「成比佐君」

 「なにか?」

「天貝は何か勘違いをしているようだが篁は墨染のものだよ。いくら君の家が天児の人形の残りを管理しているとしても、篁は天貝のもとにはいかない」

 「まあ、確かにうちは桜大夫と伽羅、ほかにひな祭りの人形くらいしかありませんがね」

 「桜は稲葉のものになったし伽羅は虞世の家のものだろう。天貝の家にはほぼ何もないではないか。あるのは他の出来損ないと蒐集した物ばかり」

 「いえいえ。桜や伽羅の修理はうちがしてますからね。それに桜はいつか帰ってくる。伽羅も虞世にいつか返すようにと言っていますよ」

 「女の約束などわからん」

 「なんにせよ、我々は天児の血を継ぐものですよ。天児の人形を大切にしてます。篁は……帰ってきたら天貝で眠るか墨染で夫婦ごっこか決めさせればいい」

 「――言うようになったな、君も」

 「いやあ。そういえば快君は元気ですか。次期墨染の当主でしょう」

 成比佐はニコニコしている。

 「相変わらずの三文文士だ。趣味の物書きなど見苦しくてたまらん。雨宮を知らぬではない癖によく書く気になるものだ。ではそろそろ夕餉なので失礼するよ」

 「では私も。商売がありますのでね」

 どうも、と莞爾に会釈すると成比佐は玄関を出た。



 天貝の家の祖先は(きり)(きち)という幼い子供であった。日がな同じ年頃の篭目村の子供たちと泥んこになるまで遊び、たまに親の畑仕事を助けるというどこにでもいる童だった。切吉が村に変わった人形師がいることを知ったのは母親たちの井戸端会議を耳にしたがためである。

 「人形ばっかり作って、飯も食わないそうだよ」

 「人形は売れてるらしいけど、ぶっ倒れやしないかね」

 切吉は人が良かった。特別につくってもらったぼた餅をその人形師……天児とか言うその男に差し入れに行ったのだ。村は羽振りがよかったので長者の墨染の家に頼みに行けば大抵のことは叶えてもらえた。ぼた餅は墨染の家で作ってもらったものだ。人形師の住処だという家に着くと切吉は叫んだ。

 「天児さんや、おら切吉じゃ。大根畑の家の子じゃ。飯を食っていないと聞いたからおら、ぼた餅もってきたで。あけてくんろ」

 しばらく返事がなかったが、戸がすうーっと開いた。切吉が中に入ると家の中は薄暗く、作りかけの人形がそこら中に転がっていた。床の上に、男が背を向けて人形作りにいそしんでいる。時々咳をした。

 「何しに来た」

 しゃがれた男の声がした。

 「飯を持って……ちゃんと食べないと体を壊すって母ちゃたちが言ってた!」

 「そうかい」

 男が少し笑ったような声音で行った。

 「適当に置いていけ」

 「うん。――あ」

 そこで切吉は薄暗い部屋の中にもう一人誰かいることに気付いた。

 「す、すまねえ。おら気づかなくて……あれ?」

 挨拶をしようと思って頭を下げた切吉は相手がピクリとも動かないことに不信を抱き、その顔を覗いた。

 「うあああ!」

 白い能面のような顔が薄暗い部屋の中で浮かんで見える。人ではない。人形なのだ。だが人のように大きい。

 「こ、これは人形だ……おどれいたなあ」

 人形はまだ作りかけのようであった。それでも白い顔はだいぶ整っていて、伏せた目が愛らしい。

 「こんな綺麗な人形は初めて見ただなあ……今にも喋りそうだ」

 「まだそれは完成していない、私の娘なのだよ」

 「むすめ?」

 「そう。私はずっと娘が欲しかったのだ」

 「天児さんは親兄弟ばいないんか? 嫁もらわんのか?」

 「私は家族はいらない。愛する姫が欲しいのだ」

 「お侍様だったのけ?」

 「いいや。ぼうず、飯をくれた代わりにお前にだけ教えてやろう」


 私は遠い土地に住んでいたが、そこで疫病が流行ったのだ。

 飢饉も重なり村は地獄と化した。人が人を食う有様よ。

 村は放棄され、私も逃げ出すことにした。私も食われる寸前だったからな。

 人は醜い。

 当時子供だった私は食い扶持を減らすために何度も殺されかけた。

 殺そうとしたのは私の親だった。私を食おうとしたのは年の離れた私の兄弟だった。

 村を出てあてもなく彷徨い続け、やがてここにたどりついた。

 一緒に連れてきたのは己が作った厄除けの人形のみ。

 そして今ここにこうして住んでいる。


 故郷の村はつぶれたと聞く、と天児は言った

 「人形を作ることだけが私の取り柄だ。それからずっと人形を作っている。そして究極の人形を作ることが私の夢。――その人形がそうだ」

 「確かに髪が長くてきれいで姫様みたいだな。おらは姫様なんか見たことねえけど」

 「その娘はいつか喋る。動く。私の娘になる」

 「でもはだかんぼうだな」

 「着物はあるのだがところどころ傷んでいてな。まだ着せていない」

 「それなら腕のいいお針子知ってる。今度呼んでくらあ」

 「それは助かる」

 じゃ、また! と言って切吉は天児の家から出て行った。切吉は早くも次に何を差し入れようか考えていた。あの人形をまた見てみたいと思ったのだ。

 それから度々切吉は人形師の家に行った。食べ物を持っていくので村では切吉の善行を褒めて、何かと物を持たせてやった。切吉は天児の家を訪れるたびに美しくなっていく人形にすっかり夢中になっていた。ある日山菜を持ってやってきたときは人形の肌が玉のように光ってそれはもう見事なものだった。目じりと唇に紅が差されて幼い顔に女の色気が漂った。その食い違いがまた蠱惑的なのである。天児はどこから手に入れてきたのか、銀髪の人形の髪を櫛で梳いていた。人形の着物は白の単衣を重ねたずっしりとしたもので、一番上には薄緑の単、下には緋色の袴をはいている。

 「美しいだろう」

 切吉はすぐさまうなずいた。

 「これは竹取の姫よ。月から来た、人ではない存在。雪のように白い肌、目は蛍のように怪しい黄色なのだ。よって蛍雪篁姫と申す」

 たかむらひめ。なんて綺麗な姫様だ。切吉はぼう、と篁の顔を眺めた。

 「お前からもらった食べ物を与えている」

 えっ、と切吉は驚いた。人形が稗や粟を食うのだろうか。

 「大切な娘だ。とても大切にしている」

 「目を閉じているけど、このままなのか」

 「普段は閉じている。この娘は盲目なのだ。この目が開いても光は見えない。だが魂の姿は見えるかもしれない。目に蛍が宿っているから、ぼんやりとな」

 「なんで盲いてるんだ」

 「この世は穢れている。それを見せないためだ」

 「ふうん。こんなにきれいなのに誰かに見せないのか?」

 「これは私だけの娘だよ」

 「おらは見ちまったけど……」

 「差し入れをしてもらった礼だ。それに……」

 そこで天児は大きくせき込んだ。慌てて切吉は背中をさする。

 「体悪いならだれか呼んでくる」

 「かまわん」

 男は柄杓で甕の水を飲むと口を拭った。

 「俺は人間を信用していないからな」



 やがて切吉も成長し、家の畑の手伝いによく駆り出されるようになった。人形師の家から次第に足は遠のいてせっせと田圃の稲を刈る毎日だ。そんな中突然思いがけないことを聞いた。

 天児を人柱に立てるらしい。

 川の氾濫が続き、この村や近隣の村々が疲弊しきっていたことは切吉もわかっていた。そのためついに人柱を立てるのだということも。天児は流れ者だ。元から村にいたわけではない。おまけにどうやら少し前から肺を病み、長くはない模様。そのために選ばれた。そう聞いた。そのとき切吉の頭に一瞬「あの人形」がよぎった。

 篁姫はどうなる。

 急いで天児の家まで行くと家の前に村の者が何人かうろうろしていた。村長である墨染の姿が見えた。切吉が人を押しのけて家に入ると目隠しをされた天児が縛られ、戸板にのせられて連れて行かれるところだった。が。

 (いない。いない、いない!)

 切吉は一心不乱になって部屋中を探した。篁のような大きな人形はあったが、篁はいなかった。

 (どこへいったんだ)

 あたりを見渡す切吉の姿を異様に思ったのか、村の者が声をかけてきた。

 「どうしたあ、切吉。なんぞ探し物でもあるんか」

 「人形だ」

 「ああ? 人形なんてそこら中にあるべ」

 「これじゃねえ。篁姫が」

 おや、と墨染が部屋に入ってきた。

 「篁姫を知ってるのか。あれは天児からの願いで私が嫁にもらったんだよ。もうここにはいない。うちで大事にしているよ」

 切吉は慟哭した。墨染の家に嫁にだって?


 あれはおらが先に見せてもらったんだ。だからあれはおらがもらってもいいはずだ。

 おらからの握り飯も食ったって天児は言った。

 おらぁ、篁姫が好きだあ。長者様でもあの人形はやれねえ。


 切吉は篁を見せてほしいといった。だが墨染は拒否した。切吉の剣呑な雰囲気を感じたからだ。そのうち天児が生き埋めにされ、川が収まった。村は氾濫の被害から立ち直り元の平和な暮らしが戻ってきた。しかしそのあと何度も切吉は墨染を訪ね、篁姫を見せろといったが墨染はけして見せることはなかった。

 残された人形だらけの天児の家をどうしようかと皆で思案していたところ、切吉がこの家に住みたいと名乗り出た。切吉は少々早いが嫁を貰ってもいい頃合いだったし、これ以上付きまとわれるのは困ると思った墨染は切吉に家をやることにした。切吉は家の中を大掃除し、器用に箱を作ってたくさんの人形を収めた。篁のような特大の女の人形が一体あり、篁の姉妹のような気がしたので桐の箱を用意し大事に保管した。それから村の女と夫婦になり、畑仕事もしながら、古い人形の収集も始めたのである。

 篁姫が異変を起こし、村を訪れた稲葉の失敗によりその身が篭目村から離れたことで、切吉はいい機会だと思うようになった。稲葉が篁を持って帰ったら無理やり自分の物にする。それが墨染から篁姫を奪還する唯一の方法だと考えたのだ。元々そのために切吉は稲葉の儀式の邪魔をしたほどなのだ。切吉の家にはたくさんの子供が生まれ、そして跡継ぎ息子には篁をこの家に戻すのだと切吉は話した。切吉が死に、その息子が話を伝え、また孫、ひ孫へと託されていく。

 近代になって切吉の子孫は天貝と名乗るようになった。天児と似た響きであるという理由である。実際天貝は自分たちは天児の子孫だといつの間にか勘違いしていたし、天児の血縁者として人形を管理していたので自然な成り行きだったのかもしれない。持っていた畑は四方という下男に売り払い、蔵に眠る膨大な量の人形を骨董品として売買し巨額を得た。今でもこの商売で生きている。



 成比佐は家に帰ってくるとその足で蔵へ向かった。雨宮の蔵より随分と大きな蔵で、ここにはたくさんの人形が収められている。母屋の方にも人形を移動させているが、特に大事なものはここにある。ほとんどが天児制作のものである。また、村の外から来た人形も一時的に置いてある。何しろ量が量だけに、墨染とわけあって取り置いてあるのだ。

 「ああ、みんな今日も元気かい」

 成比佐は一つ一つ人形に声をかけて回る。これだけで一日の半分は過ぎてしまう。だがこれが天貝の役目だと思っているから面倒ということはない。このほとんどが先祖が丹精込めて作った代物なのだ。

 そう、成比佐もまた自分が天児の子孫であると信じて疑わない――篁に魅入られた一人だ。ただの百姓の末裔だなどと考えるわけもなかった。天児の子孫である自分こそが篁を独占できる身であるはず。そう考えている。成比佐が篁姫を見たのは子供のころだ。突如村に現れた。紺之助は不在で誰にも捕まえることができず、ただその姿をぼんやりと眺めるしかなかった。口伝の通り篁姫は美しかった。盲目の目を閉じたまま、成比佐に向かってふんわりと笑みを浮かべた。

 ――花の如し。

 成比佐が魂を食われなかったのは篁への憧れが一族の中で連綿と受け継がれ、すでに出来上がっていたからなのかもしれない。このころから成比佐は墨染に強烈な敵愾心を募らせていくことになる。魂を食われなかった成比佐に対して被害が出たのが渦正の家だ。渦正は代々村の墓守をして暮らしている。村の奥の、桜の森の下にそれぞれ一族の墓がある。墓と言ってもただの石をのせたような塚だ。そこに毎日行き、ただ座って墓守をしている。食われたのはこの家の五人兄弟の末の子だった。成比佐は親と一緒にお悔やみを言いに行った。篁に魂を食われるとそのまま連れていかれるか、しばらくのちに発狂して死ぬかどちらかとなる。渦正の末は死ぬまでぶつぶつとつぶやいたまま死んだ。これはまだいいほうであるらしい。包丁を持ち出して自分の首を掻っ切ったものもいるという。しかし行ってみると渦正の家は普段通りだった。葬式を終え、子供たちも無邪気に遊んでいる。不思議に思った成比佐は子どもたちに聞いてみた。


 「弟がいなくなって悲しくないの?」

 「悲しいよ。でも篁を見れたからいいんだ」

 「僕も見たけど」

 「やっぱりきれいだよね。あのね、僕の家の先祖知ってる?」

 「うん。確か天児を葬ったお坊さんでしょ」

 「破戒僧っていうらしいんだ。村に厄介になっていた乞食坊主さ」

 「それがどうしたのさ」

 「天児は人柱になったから墓なんてほんとはないんだぜ。でもうちの先祖は菩提を弔いたいって言って、ずっと天児の墓守をしてたんだ。いつのまにか村の墓守になったけど、目的は天児なのさ」

 「だからそれがどうしたのさ」

 「天児を人柱に立てようって言いだしたのはうちの先祖なんだ」

 「そうなの?」

 「乞食坊主でも坊主には違いないからさ。率先して衆生のために犠牲にさせられることを恐れたってわけ。でも天児に対して罪悪感が消えなかったんだろうなあ。だから死ぬまで天児のために祈って果てたのさ。それでも村の女性と自分の子供をつくったんだからやはり破戒僧だね。おかげでうちは代々墓守の一族になるはめになった」

 「嫌だった?」

 「何とも。抹香臭い仕事だと思うけど、でも篁を見れたからいいや。ふふふ」


 その成比佐よりずいぶん年上の渦正の次男は今、墓守をしている。長男が病気で死んだのだ。娘たちは嫁に行ってしまった。本人たちが言っていた通り、抹香臭い一族である。しかし成比佐にとって渦正は貴重だ。渦正は篁の所有について墨染より天貝を支持している数少ない家である。渦正は生業が墓守なので無職同然なのだが、村の一員として墨染に食わせてもらっている。なのに篁が帰るところは墨染とは断定していない。支持は有難いが何を考えているのかよくわからない連中である。

 ふと成比佐は考える。この村はいつからこうだったのだろうか。天児が篁を作った時からだろうか。その姿を皆で拝んだときからだろうか。この村は篁姫という人形に魅入られていて、もはやその始まりもわからない。篁と直に関係のある墨染や天貝はともかく、村の人間すべてがどうしてこうまで彼女に魅了されているのだろうか。それこそが篁の誘惑なのだろうか。

 (まあ、どうでもいいけどね)

 成比佐は蔵の二階へと上がる。そこは特別な場所だ。三つの大きな桐の箱だけが並べられている。人が一人、十分入りそうな大きさ。蓋はガラス張りになっており、どれも空である。しかしよく手入れされている。箱の側面には墨で文字がしたためられていた。

 『傾城桜大夫』

 『蛍雪篁姫』

 『天ツ狗伽羅』

 そう記されている。そうだ、この箱に入る人形の名前だ――成比佐は薄く笑う。天児によってつくられた三体の生人形。篁は突出しているが――どれも人に生き写しの抜群の出来を誇った。桜は稲葉に、伽羅は虞世に貸しているが一番大事なのは……蛍雪篁姫。成比佐は真ん中の箱まで歩いてくると腰をかがめ、箱を白く細い指でゆっくりとなぞった。そして箱の上へと半身を委ねる。蓋がカタカタと鳴った。

 「おや、私がわかるのかい――」

 笑いながら成比佐はガラスに頬を寄せる。


 誰にも渡さない。ここに入るのは篁だ。

 私は天児の血を受けし者。正統な持ち主のもとにこそ篁はあるべきだ。


 早く戻っておいで――そう笑みを浮かべ成比佐は箱に身を任せて目を閉じた。


お読みいただきありがとうございます!

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