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雪の章

投稿したのそのままコピペしてるので読みづらいかもしれないですすみません!



――今日は表に出てはいけない。兄さんが帰るまで家で待っているんだ。

 ――約束だよ、紺。



 誰の声だろう。

ああ、そうだ。兄さんの声だ。雪之助兄さん。あれは吹雪の日だった。篁姫を捕らえるために出かける姿を見送ったあの日。まだ幼く力になれないことが歯がゆいまま、白い浄服姿の兄さんの無事を祈った。なのに――。


 「う……」

 紺之助はぼんやりと目を覚ました。天井を無感情に見あげる。体のあちこちに痛みが走って、夢の名残りは跡形もなく消えた。冷えていることを感じ、そこで初めて水をかけられたのだとわかった。

 「お目覚めですかね」

 紺之助は暗い座敷牢の中で手足を縛られて転がっていた。その傍に墨染莞爾がニコニコと笑いながら立っている。手に麻縄を幾重にも巻き付けた棒を持っていた。横に痩せ老いた下男がバケツを持って控えている。

 「……兄さん……」

 「おや、まだ目が覚めていないのかな?」

 そういうと墨染は持っていた棒で笑顔のまま紺之助の背を何度も打った。

 「ぐっ……!」

「今度こそ目が覚めましたかね。いやあ、ほんとに勘弁してくださいよ。私ももう歳なのでね、力仕事はしたくないんですよ。こんなことはしたくないのに」

 そう言いながらまた打った。紺之助は痛みに目をつぶり、耐える。

 「昨日の夜から打たれて少しは頭も醒めましたかな? まったく雨宮を逃がすなんて……おまけに篁も捕り損ねた。本当に稲葉は昔から愚図で仕方ない。少しはこの村に救われた恩を返そうとは思わんのですかな。困った血筋だ」

 「……」

 「まあいい。雨宮はいずれ戻りますよ。土蔵を覗いてしまったようだし。また余計なことをするようなら今度はもう少し長く仕置きしますよ。どうせ死なない身だからどうということもないでしょうが……時間は惜しいですからな。さあ、さっさと仕事に戻ってください。おい、縄を」

 墨染が顎でしめすと下男が紺之助の手首と足首に食い込むように巻かれた縄を解いた。跡が血で滲んでいる。

 「骨を折るくらいはしたかったけれど龍之助さんがうるさいんでねえ。まったく早く篁を取り戻してもらわないと困りますよ……大体雨宮に手紙を置いてきたのは貴方なのに今更逃がすなどバカバカしい」

 そう言って墨染は下男を従え座敷牢のある部屋から出て行った。紺之助もなんとか立ち上がり、牢から出てぎこちなく歩き出す。ポタポタと髪の毛の先から雫が垂れた。墨染の屋敷の奥には座敷牢があって、紺之助に関わらず村民がなにか「しでかす」とここで酷い責め苦を受けるのだ。座敷牢を持っていいのは村長の墨染だけであり、村人への折檻は墨染の特権だった。紺之助は篁を取り戻せなかったという理由で度々この牢で打たれている。元々墨染はそういうことにどこか楽しさを覚える質であった。紺之助が知る限り代々墨染はそういう男が多い。

 (戻らないと……)

 紺之助は自宅に戻ることにした。雨宮の子孫に手紙を置いてきたのは墨染の命だ。逆らうことは許されない。天貝の目もある。だが、住所が記された封筒は処分して違うものに変えた。これならたどり着かないと思ったが甘かった。本当に篭目村を訪ねてくるとは思わなかったのだ。

 (つくづく……僕は愚かだな……)

体中が痛く、火がついたように熱い。稲葉神社の階段まで来ると幼い姿の桜と龍之助が立っていて、紺之助の姿を認めると兄上、と泣きそうな顔で龍之助は満身創痍の紺之助の帰りを迎えた。

 「兄上、大丈夫ですか、墨染の奴、また……」

 「大丈夫だよ龍之助。足が悪いのに外で待っているなんて身体によくない、家に入って」

 「それより兄上の方がお辛いでしょう。風呂と寝床の用意をしておりますから、すぐに体を温めて横に」

 びしょぬれの紺之助の姿をみて、何があったか龍之助は悟っている。いや、こういうことは幾度となく繰り返されてきたのだから。

 「……すまないね。風呂はいいから横になりたい……」

 とにかく疲労している。家に入ると紺之助は自室で濡れて汚れた服を脱いだ。続いてきた桜が甲斐甲斐しく世話を焼く。身体を拭いて、黄色い軟膏を塗りつけた湿布を体中に貼った。紺之助は新しい着物にそでを通すと、痛む身体をさすりながら敷かれた布団に入った。

 「桜、僕は大丈夫だから龍之助の面倒を見てやっておくれ。少し寝る」

 そう声をかけると桜はこくりとうなずいて紺之助の黒装束やらなにやら籠に入れると静かに部屋から出て行った。

 (……疲れた)

 一昼夜にわたって乱暴を受けていたのだから当然だが、「疲れる」ことにふと紺之助は後ろめたさを感じた。紺之助は人の道から外れている。打たれれば痛いが死にはしない。本当はもう睡眠など構わない身だ。それでもこうして布団に寝て、疲れを癒そうとしている。それが浅ましく思えた。自分にはまだ人間の感覚が残っている。

 ――兄はとうに人をやめさせられたというのに。

 紺之助は片手で目をこすった。



 稲葉雪之助は村の中で随一の変わり者と呼ばれた男だった。

 若いが祈祷も占術も巧みにこなし、一族悲願の篁姫調伏に積極的。雪之助は篁を捕まえることに自信があったようで、かならず仕留めて見せると豪語していた。術師として確かにそれだけの腕を持っていたから、尊大だと呆れられても文句は言われない。ただ、篭目村の村民からすると雪之助は「珍妙」な男だった。雪之助は生まれつき真っ白な髪の色をしていた。眉毛や睫毛も同じさまで、もともと冬に生まれたため雪之助と名をつけられたのだが、名は体を表す、の通りになってしまった。それだけでも異色であるのに彼は村の外の事を知りたがり、新聞も本も洋書も取り寄せて読むものだから、外界と隔絶されたこの村の中で一人まるで東京見物でもしてきたかのように世間に明るい。それを面白く思うものもいたが、篭目村は基本、保守的で排他的だ。当然村長の墨染はいい顔をせず、稲葉の家に度々文句を言っていた。稲葉の一族の中でも雪之助の扱いには困っていたが、腕はいいし何度諭してもうまくかわされてしまう。

 「俺のような奴が一人くらいいても構わんさ」

 そう言って笑った。物事に明るいだけに、口で敵う者がいない。二十も過ぎていたので虞世の女が嫁に行くと言い出したが、篁を捕まえるまで待ってほしいと話を保留にし、気ままな身でいる。雪之助はまだ父から当主の座を譲られたわけではないが、事実上の跡継ぎであった。どの家も跡継ぎは二十歳になるまでには婚約をするのが習わしだ。だが、習わしに縛られるような男ではなかったようで、周りの曇り顔もどこ吹く風といった具合なのだった。

 「兄さま、お嫁様はもらわないのですか」

 紺之助は不思議に思って縁側でのんびりと新聞を読む雪之助に聞いた。最近地方のあちこちで新聞が流行っているらしい。雪之助が読んでいるのも地元で発行された新聞だ。だが村の者が読むことはあまりない。ほかにいるとすれば墨染の家くらいだろうか。

 「どうしてそんなこと思うんだい、紺」

 「華さんがいきそびれるのは嫌だからお前の兄さんになんとか言えっていうのです」

「は、十の子供に妙なことを吹き込む。いいか紺。虞世の言うことはまともにとりあうな。あそこはちょっとおかしいところだからな」

 「気にしなくていいの……」

「彼女たちは変わっている。俺も変わっている部類だろうが、まあ虞世の女だけが女じゃあるまい。おっとこれは二人だけの内緒だぞ。誰にも言っちゃあだめだ」

 紺之助は笑いながらうなずいた。雪之助が「二人だけの内緒」と言う時の内容は本当に二人だけしか知らない秘密だ。敬愛する兄から二人だけの内緒、と言われるたびに紺之助はうれしいような、誇らしいような気分になった。

 「まずは篁をやっちまわないとね」

 「兄さまならきっとやってしまいますね」

 楽しそうに紺之助は雪之助の隣に腰かけた。雪之助と紺之助は稲葉の兄弟だ。紺之助にとって一回りも年の離れた雪之助は親代わりのようなもので、実際両親は忙しかったから雪之助は紺之助をよくかわいがった。学問を教え、遊び相手になり、昼寝の添い寝まで、まるで紺之助を守るように育てた。紺之助はそんな兄に一種の憧憬を覚えている。雪之助にとって紺之助はただ一人の弟で、紺之助にとってはただ一人の兄だった。いずれ篁を捕らえるためにその身を捧げる者同士となる。まだ紺之助にその覚悟はなかったが雪之助との絆は深く感じていた。

 雪之助は――雪之助自身は何を思っていたのかはわからない。だが紺之助を大事にしていたことは確かだった。仲睦まじいその姿は両親には微笑ましく映り、村では過剰に思われていた。紺之助が生まれた時雪之助は十五で、おくるみの中の赤子の弟を自慢して村を回った。その際、印象的な台詞を残している。

 「稲葉に殉ずる人間は俺だけだと思っていた」

 紺之助をあやしながら雪之助は言う。

 「俺だけならいいと思ったけど、こんな小さい弟に稲葉の宿命を背負わせてしまうのは酷だ。俺が、絶対に、そうはさせない。紺之助は俺が守る。紺は俺のたった一人の弟だから」

 そう言い切った。

 それを聞いて村長の墨染兼(かね)(なり)は雪之助に執着はいかんとくぎを刺す。

 「我々がこだわっていいのは篁だけだ。他者への執着は、村の、我々の意識に綻びを生む」

 墨染に注意をうけながらも雪之助は笑って応え、それ以上何も言わなかった。

 そうして幾ばくかの月日がたった。



 「近いうちに、奴はくる」

 父・()(とう)が占いに使う式盤を見ながらつるりと顔を撫でた。

 「まず間違いあるまい」

 「父上、俺も同じ卦がでたところだ。ついにくるのか」

 雪之助は感慨深げに古来からの占い結果を記した本を見ながら言った。

 「会うのは初めてだ」

 「私も実際会ったことはない。いつも寸でのところで逃げられてしまうからな。篁自身の中で何か周期のようなものがあるようだ。この村を訪れる周期がな。それはあやふやでよくはわからない」

 「なんのために来るのだろう」

 「さあな。故郷だからかもしれん。たまに帰りたくなるのかもしれんな。今回のように桜が咲くころにやってくることが多いようだ」

 「そんな気まぐれにこの村は振り回されているわけだ。父上、俺には考えがある」

 「奴をうまく捕まえる方法か?」

 「そうじゃない、捕まえた後のことだ。俺は」

「雪之助、はやるな。篁は我が一族が何百年かけても捕らえることができずにいる傀儡なのだ。まず奴を手にしてから、それからだ」

 「――俺は、自分でもよくわからないが、そうやって先のことを考えずに来たことで稲葉(うち)は何か大きな間違いをしている気がする」

 「雪。先祖を愚弄することは許さんぞ。慎みなさい」

 「……は」

 「準備に取り掛かる。大捕物だ。墨染に話を通さなくては。言い伝えの通り、目をあわせてはならんぞ」

 「目をあわせると魂を食われる……運が悪いと連れていかれる、か」

 初めて篁に連れていかれたのは稲葉家初代の嫡男だった。それに続いて渦正、雨宮からも攫われるものが出た。他にも数えきれないほどの無名の輩が犠牲となっているはずである。

 「これを」

 そう言って詩籐が鉢巻きのようなものを取り出し、雪之助に渡した。

 「これは?」

 見た目は白い布だがよく見るととても薄い藤色だ。

 「目隠しだ。これで目を覆って篁を迎える。つけてみるとわかるが、布はとても薄く透けて見える。もちろん明瞭とはいかんが、人が動いていることくらいはわかる。篁の目をやり過ごすことはできるだろう。当日は巻いておけ」

 「確かにあらかじめ誰がいるかわかっていれば問題はないか……父上と俺と」

 「氏子が何名か」

 氏子と言ってもこういう時だけ村の「家」から人を集めるだけだ。

 「母上は?」

 「この頃具合が悪かったろう。昼過ぎに里に帰った」

 「紺が見当たらないがついて行っているのかな」

 「虞世の家に入り込めるわけないだろう。あそこは男を入れない。今は外に遊びに行っている」

 「じゃあ紺之助は家に留めおきましょう。手伝いをさせるにはまだ幼すぎる」

「お前は紺之助には甘いな。まあいい。私とお前が中心となってやろう。墨染にはなるべく口を出す暇を与えないよう説明するか」

「あの家は本当に篁を捕まえたいのか疑問ですよ父上。篁が他の家の者を食うのを楽しんでいる節がある。夫の余裕ですかね。むしろ天貝のほうが欲しがっている」

 「墨染と天貝の確執など、かかわっても無駄だ。狸の化かしあいのようなものだからな。どちらが篁を手に入れるか長年争っている」

 ふうんといって、雪之助は鉢巻きを目にあて、顔の右横側で結んだ。

 「ああ、これは詳しくは見えない。父上のことはわかりますが」

 「なんだその結びは」

 「助六」

 ――はあ、と詩籐はため息をつくと、

 「今はしまっておいて当日に使うんだ。ほかの家には内緒で作ったものだからな」

 「わかりました」

 雪之助は目隠しをしたまま笑った。



 それからばたばたと騒がしくなり、篁が来ることは村中に知れ渡った。墨染は村の数名を氏子として出し、とかく篁を傷つけないようにと口を酸っぱくして言った。着物が切れるくらいは許してくださいよ、と雪之助が言うとそれもまかりならんと譲らない。初代墨染が娶ったその姿でないとだめだというのだ。わかりましたと雪之助は適当に言う。村は篁の帰還を待ち望んでいるが、ただの人形に戻すための稲葉の苦労などはどうでもいいのだ。

 そうするうちについにその日がやってきた。

 父や兄は大層忙しそうだと紺之助は思った。今日は篁がやってくる。紺之助はこの家に留まることになっていて同じ稲葉であるのに力になれないことが残念だった。

 「村に結界を張った。一部だけ入れるようになっている。墓場のほうに少しな。渦正には今夜は来なくていいといってある」

 「誘導ですか。場所はうちの祭事用の敷地だが……誰が誘導する? 俺かな」

 「安心せい。墨染と天貝が集めた人形がたくさんある。これを置いて道を作るのだ。最終的に我々のところまで来るようになっている。篁は魂を欲しがっているからな、辿ってくるだろう」

 父と雪之助が何か話し込んでいる。篁を捕まえるための段取りだろう。紺之助は一人蚊帳の外のようで寂しかった。家に人が出入りする中、畳の部屋の隅にちょこんとうつむいて座っている。

 「紺」

 顔を上げると雪之助の笑った顔があった。

 「不服そうだな、ほれ」

 そういってかがむと紺之助の両頬をつかみ伸ばした。

 「おおよくのびる。かわいい大福餅だ」

 「痛ひゃいですよ兄さま」

 「じゃ、そんなつまらない顔はやめるんだな」

 ぱっと雪之助は手を離した。紺之助は頬をさすりながら、

 「みんな一生懸命なのに……」

 「優しい子だね。だが大人にしかできないことがある。紺が落ち込むことはない。そのかわりにな」

 紺之助の視線にあわせて片膝をついたまま雪之助は言う。

 「今夜は遅くなる。だからこの家を守るのは紺、お前の仕事だ。いいかい、今日は表に出てはいけない。行灯の明かりを絶やしてはいけないよ。兄さんが帰るまで家で待っているんだ。家を預かることは大切なことだ。約束だよ、紺」

 紺之助は黙ってうなずいた。

 「そうしょげるな。そうだ、すべてが終わったら桜を見に行こうか。村の墓場の桜の森だ。桜は散る寸前が一番美しいから、満開になったら観に行こう。きっと綺麗だ。村の連中と花見をするのではなく、二人だけで」

 「兄さまと二人きり?」

 「そうだ。嫌か?」

 「まさか! 嬉しい!」

 紺之助の顔に笑顔がもどる。

 「それともう一つ。桜を見たら……」

 「見たら?」

 「……秘密の話をしてあげる。誰にも内緒。誰にも言ってはいけない話」

 「秘密のお話……?」

 「そう。俺が長年考えてきたことだ。でも紺以外に話すつもりはない。お前はたった一人の俺の弟だからな。誰にも内緒。約束できるか」

 「うん!」

 よくわからないが、兄との秘密の共有は紺之助をどきどきさせた。

 「約束だ。ではいってくるよ」

 「兄さま、気を付けて……」

 まかせておけ、そういって家から出ていった雪之助を紺之助は見送った。



 日が落ちて村に闇が満ちてくる。空には雲が出始めていた。そのせいかにわかに寒気がしてきて、村人たちはいそいそと家の中に入っていく。

 「参ったな。星は晴れと読んだのだが。俺もたいしたことはないもんだ」

 雪之助が愚痴っている間にぽつぽつと雨が降ってきた。空気が凍り付くように寒い。氷雨だ。まだ完全に春になるには少し遠いか、と息を吐いて手の甲をさすった。

 (雪に変わるかもしれん)

 この地方は雪深い。冬は雪に埋もれて暮らす。それでもゆっくり春はやってくるもので、その気配が見えていたところだった。そんな時に奴が来る。

 蛍雪篁姫。

 はやいところ捕まえて墨染に渡したい。それで終わりだ。雪之助は村の道に人形を置いてまわる氏子たちに挨拶をしながら、稲葉神社の裏にある儀式用の敷地へ幕を張りに出た。準備はあらかたできていたが、この雨である。皆、篁を追い込むための布製の幕を張るのに難儀していた。

 「ご苦労様です」

 雪之助は氏子の一人に声をかけた。

 「稲葉殿。いやあ、幕がしけってどうにも張りにくい」

「油紙を使った幕でも用意しておけばよかったかな。悪天候で篁に足元をすくわれないといいが」

 「雨宮が言うには悪天候の日でも篁は来るらしいですからね」

 「それは記録が物語っているということかい」

 「雨宮ですからね。根拠はそれしかない」

 「それで充分ですよ。」

 雨宮の記録は限りなく絶対だ。一生を篁について記して終わる奇妙な一族。彼らは墨染以外にその記録を見せることはない。記録から察せられることを口にするだけ。それを稲葉の占いと照らし合わせたりする。どちらも統計学のようなものだ――よりよく篁を捕まえる算段が取れればなんだっていい。いっそ雨宮に答えを求めたほうが早いのではないかと思うが、肝心の雨宮が記録を完全に明らかにしないので無理だろう。

 (きっと篁のことを知られるのが嫌なのだ)

 この村は篁を取り戻すことについて熱心だが、篁を迎えることについてはお互い腹の探り合いをしている。表向きは本来所有していた墨染に収まることになっているが、どの家も篁を欲している。

 (雨宮は我々の知らない篁のことを知っている。なにせ篁の世話をしていたのだからな)

 その時のことも記録されているはずだ。それは雨宮だけの秘密。

 (なあに、どうでもいいことさ)

 とにかく稲葉としては篁を取り返せればそれでいい。雪之助は今回ですべてを終わりにしたかった。そうすれば紺之助にこんな役目をさせずにすむ。――辺りはだんだんと薄暗くなり次第に闇が濃くなった。降っていた雨はみぞれとなり、やがて雪へと変わる。視界が悪くなったので、篁をおびき出す人形たちに沿って提灯が掲げられたが、雪でだめになるものもあり、氏子たちは対応に追われた。雪之助は父とともにこの日のために精進潔斎している。白の浄服を着て篁を待った。例の特殊な鉢巻きを手でもてあそびながら刻刻と待つ。白湯を一口飲んで体を温めた。雪はやむことなく降り積もり、村の所々が白く染まっていく。雪之助が篁を調伏するための祭壇に積もった雪を払っていると、詩籐が近づいてきた。

 「日は悪くないのに天気は最悪だな」

 「なに、これくらい普通ですよ父上」

 「こんな雪の日はお前が生まれた時のことを思い出すな。やはり深い雪の日だった」

 「雪の日に生まれたから雪之助とは、安直だなあ」

 どこか他人事のように雪之助は言う。

 「そういうな。雪はやがて水に代わり不浄を祓う。いい名だろう」

 「まあ構いませんがね」

 「そろそろ九時になる。もういつ奴が来てもおかしくないだろう」

 「今、篁の「足」になっているのは誰かな」

 「さてな。「足」になったものは年をとらないという。だが篁の気まぐれで「足」はとっかえひっかえだ」

 「困ったもんです。でも今日でそれも終わりだ」

 「過信は禁物だぞ、雪之助」

 「わかっていますよ」

 雪之助は薄藤の鉢巻きを目にあてがうと右横に結んだ。



 「あ」

 紺之助は居間の壁に掛けられた時計が夜九時をさしたのに気づき、読んでいた書物から顔を上げた。本来ならもう寝ているはずの時間だったがこんな時に当然眠れるはずもなく、兄や父が帰ってくるまで待とうと居間の隅で本を読んでいたのだった。

 「篁姫を捕まえられたらいいな……」

 捕獲に出ている皆は今頃どうしているだろう。紺之助はそわそわし始めて、読んでいた本を棚に戻した。居間から廊下に出ると意味もなくウロウロ歩く。その時。

 「誰かおらんかねー」

 玄関口を叩く音が聞こえた。紺之助ははじかれたように、

 「は、はい! います!」

 そういってぴゅうと廊下を飛び出し、玄関の戸の鍵を開けた。

 「やあ、失礼失礼」

 やってきたのは氏子の一人だった。男は手ぬぐいを頭にかぶって顎下に結び、蓑を来ている。雪にまみれて肩が白い。

 「詩籐さんは?」

 「父ならもう出ています」

 「そうかそうか。もうそんな時間なんだなぁ。道の提灯用意してたもんで気が付かなかった。早いところ祭事場にいかねえといけねえな。ところで蝋燭が余ってないかい。数が足りなくて困ってるんだよ」

 「待っててください」

 紺之助はすぐに奥の部屋に向かうと箪笥の引き出しを開けた。そこには綺麗な模様が描かれた和蝋燭が二本だけあった。その二本を手にすると玄関へ戻った。

 「すみません、二本しかないです」

 「ううん、二本か。どこの家もこういう時に限って持っていないんだよなあ」

 男は困ったように言った。

 「もう虞世まで取りに行くには時間がないし……しかし提灯はつけないと」

 「あ、あの」

 紺之助は思わず、

 「僕が虞世まで取りに行きましょうか」

 ――そう言ってしまった。

 「え、いいのかい。外は結構吹雪いてるよ」

 「大丈夫です。虞世まで行って」

 すぐ戻ってきますから。紺之助は上着をとってきて番傘を手にすると、

 「僕、足は速いんです」

 男の返事を待たずに、中で待っていてくださいと言って家を飛び出した。

 (せめてこれくらいなら)

 いいだろう。紺之助は興奮気味に思った。篭目村では多くの家で和蝋燭を使う。その蝋燭は虞世という一族が作っていて、住まいは村のはずれにある。村ではこの家の蝋燭以外は使ってはいけないといわれているのだ。提灯に使う蝋燭ももちろん虞世が作ったものである。

 (僕も少しくらいは役にたてる)

 すぐ行って帰ってくる。走ればそんなにかからない。それだけだ。それで父上や兄さまの助けになるのなら。外の道に出ると提灯がところどころ燈っていて道を照らしている。そのおかげで吹雪の中でも駆けていくことができた。しばらく走ると村の端にある虞世の家が見えてきた。玄関に明かりがともっている。

 「すみません! 稲葉の紺之助です! 誰かいませんか」

 玄関の戸を叩き、紺之助は大声で家の者を呼んだ。そうするとしばらくして、はい、はいと人の声がすると戸が開いた。

 「そんな大声出さんでも聞こえてますよ」

 応対に出たのは面識のある女性――虞世家の長女であるキヨであった。虞世の家長でもあり、四人の子供の母だ。四十を過ぎて歳を感じさせるが、虞世家特有の美貌は衰えない。

 「あら稲葉の坊ちゃん、何しに来たの」

 「提灯の蝋燭が足りなくて……ありったけの蝋燭をくれませんか」

「わかったけどたくさん持っていくならその手に抱えきれないでしょう。ちょっと待ってて。中に入っていいわよ」

 「ではここで待ちます」

 紺之助は玄関土間に入って戸を閉めた。虞世の家は虞世家の男以外の男が入るのを良しとしない。その理由は知らないが、そういうものだと聞いて育ったから紺之助はなるべく「外」にいたかった。虞世の家は村で一番広い。蝋燭を作る作業場があるせいだ。村長である墨染の屋敷のような立派さは無いが、その敷地にひっそりとただ確かに根付いている女系一族の家。

 (兄さまはどうでもよさそうだったけど、うちにもいつか華さんが来るのかな……)

 村の男はそれなりの歳になっても村の中で伴侶が見つからない場合、虞世の女を娶る風習がある。村の「外」から嫁いでくる女性は極めて少ない。篭目村の家々には大抵虞世の血が入っているのだ。華は現在の虞世の三女。雪之助と一緒になることを望んでいる。

 「お待ちどうさま」

 廊下の奥からキヨが現れた。手には紫の包みを持っている。

 「十五本ほど入っているから気を付けてもっていきなさいね。まだ足りないかしら」

 「たぶん大丈夫だと思います」

 「そう。風呂敷は返さなくてもいいからね。何かに使って頂戴」

 「母様の具合はどうですか」

 「心配しなくとも明日には帰れますよ。うちにもやっと「姉様」が帰れるかしら」

 「……キヨさんは儀式に出ないのですか」

 「あれは男たちの仕事だからね。うちは「姉様」が帰ればそれでいいんだから」

 キヨが言う姉様とは篁姫のことである。

 「わかりました。では、僕いきます」

 紺之助はお辞儀をすると玄関を出て道を急いだ。



 「そろそろ時間だ」

 祭壇に向かって祈っていた詩籐が、霊符の確認をしている雪之助に声をかけた。

 「篁が餌を置いた通りにここまで来るといいが……誘うために全体の結界は解除しているから村に入っても篁の気配は掴めないのでしょう父上」

 「うむ……祭壇までくると信じるしかない」

「餌で釣られた篁が幕内に入ってきたら俺が符で出入り口を閉じ、父上が悪しき心を祓う……あとは篁にこれだけある霊符を貼って捕獲完了――」

 「わかっているじゃないか。しかしこの雪はどうにかならんかね。祭壇にすぐ積もってしまう」

 「これでも何時か前まではマシですよ。そのうち止むでしょう。案外俺が呼び寄せたのかもしれない」

 そう言って雪之助は浄服をはたいた。

 「お前が「雪」之助だからか? たまたまだよ」

 「そういってもらえると助かります」

 「気にしていたのか」

 「少し」

 「天気はまさに天の采配。人がどうこうできるものでなし。お前でもそんな心配することがあるのだな。さて、準備の再確認だ。全員集まったか」

 「ひい、ふう、み……氏子が足りませんよ父上。まだ人形を並べているのか」

 詩籐は近くにいた氏子に声をかけた。

 「揃っていないようだが」

 「四方がまだ来ていない。何か手違いでもあったか……」

 「おーい!」

 皆で話し始めた矢先、蓑をかぶった男が幕内に入ってきた。

 「ああ、四方さん、これでそろったな。人形は置けたのかい」

 詩籐が安堵の表情で男――四方を見た。

 「やあ雪之助君、人形はとっくに終えてるよ」

 「その割には遅かったね」

 氏子の一人が不思議そうな顔で言った。

 「いやぁ、提灯だのなんだのと使う蝋燭が足りなくなってしまったんで、家々をまわっていたんだ。それでも足りなくて困ってたら稲葉の坊ちゃんが虞世まで取りに行ってくれたんだが」

 稲葉の坊――紺之助だ。その名が四方の口から出たとたん、雪之助の背筋がざわりとした。

 「すぐ戻るって言ったんだけどよ、稲葉の家で待っていたが帰ってくる気配がないもんで、祭事がもう始まるし、こっちにきたんだよ。もう今頃は稲葉の家に戻ってるんじゃないかな」

 「虞世まで取りに行かせたのか」

 雪之助が声を荒げると四方は縮こまって、

 「俺も時間がなくてよぅ。虞世に行くのも気が引けたし……別に無理強いしたわけじゃないぞ。すぐに帰るっていうから……」

 四方の言葉を最後まで聞く余裕はなかった。

 「雪之助!」

 父の声を無視して雪之助は駆けだした。急ぎ幕内から出ると稲葉の家に勝手口から入り、大声をだして、

 「紺! 紺! 紺之助! いるか!」

 そう呼びかけたが返事はない。家じゅう探し回っても誰もいなかった。提灯を取り出し火を入れ、右手に持つと雪之助は表の玄関から飛び出した。

 (嫌な予感がする……紺之助、無事でいてくれ……!)



 前が見えない。

 明かりを持ってくるんだった。そう後悔しながら紺之助は真っ暗闇を歩いていた。虞世の家からの帰り道、来た時とはまるで景色が変わっていた。道に沿うように燈っていた提灯の明かりは消え、降っている雪ばかりが暗闇に浮いて見える。

 (雪のせいで火が消えたのかな……)

 少し目は慣れてきたものの、降る雪の白さと、道を歩いているということくらいしかわからない。

 (せっかくの蝋燭が……急がないと間に合わない)

 雪と砂がまじりあった道がべちょべちょと音を立てて歩きにくい。紺之助は走りだした。裸足に草履という格好なので足元から急激に冷えていくのがわかる。とにかく早く帰ろうと急いだ。道をまっすぐいって右に曲がれば神社の入り口のはずだ。だがこの暗闇と雪で道中は妙に長く、遠い。

 (どうしよう)

 感覚ではもうかなり進んだ気がする。目が暗闇になれても、積もった雪が灰色に見えるだけだ。どこかに曲がり道があるはず。探さねば。そう思って少し足を止めたら、

 「わっ!」

 何かにつまずいて紺之助は倒れた。

 「?」

 何か大きなものがある。驚いて手を動かすとそれは布に包まれたもののようだった。横に長く、凹凸がある。

 (これは――)

 人だ。

 「ヒッ」

 目を凝らすとどうやら大人の男が倒れているようだった。暗がりでよく顔は見えず、そしてピクリともしない。篭目村の住人ではないように思われた。

 「ど、どうしましたか」

 慌てて紺之助は男の上に乗っかっていた上半身を起こすと声をかけた。返事はない。まさか生きていないのか――? そう思ったその時、紺之助は頭上に視線を感じた。顔を上げると真っ暗闇の中、雪がべたべたとなにかにあたって紺之助の前に形を成して立っている。ふっ、と暗闇に白い手が現れた。紺之助は息をするのを忘れたようにその手を見つめた。目が離せない。手はおいでおいでと小さく手招きしている。背が高いのか、その位置は紺之助よりずっと上だ。手招きされたままその手に近づこうと更に上を見た。

 「紺!」

 大声で自分を呼ぶ声が聞こえてハッとした。雪之助の声だ。

 「見るな! そいつは鬼だ! 目をあわすな、閉じろ!」

 息を切らせて走ってきた雪之助は自分の鉢巻きを外すとシュッと紺之助の目に巻き付けた。そして肩を掴んで自分の後ろに庇ったことで――雪之助はその「相手」を真正面から見る形になった。紺之助の目に巻き付いた鉢巻きは完全に結ばれず、ずれて頬までおち、雪之助の白い浄服が視界に入ってきた。

 雪之助は動かない。

 紺之助をかばったまま鬼と――篁姫と対峙した。まったくの暗闇であることに関わらず、篁姫の手は白く、そしてその顔もまた白い。手から順々に浮かび上がってくるその仄暗い白さは真白の雪と似たようで異なり、相容れなく不気味である。見事な十二単をまとっていてしかし重さを感じさせない。それもそのはずで、彼女は宙に浮いているのだ。

 盲目の目は見開かれていた。

 瞳の中に蛍を飼っているかのようにおぼろげな光が点滅しているように――見えた。雪之助は視線を受けて目を離すことができない。

目を閉じろ。そう思うのにそれができない。

焦りと共に自分の中から――何かが消えていく。それは自己。いや、精神、心なのか。確かな重さをもっていた四肢から力が抜けていき、まるで毛先まで透明になっていくかのような感覚。

 ――食われる。

 焦る雪之助を尻目に篁はその顔のすぐ近くへと寄ってきて、その耳に囁いた。

 『  』

 その言葉を聞いて雪之助は――落ちた。

 魂はいずこかへと消え失せ、からになった。



 雪が降っている。

 紺之助はがくりと膝をついた雪之助にすがろうとして手をのばしたが届かなかった。兄さま、と声をかけたが雪之助は屈んだと思うと途端に跳ねるように起きて、その場に降りてきた篁姫を愛おしそうに抱き寄せると肩へ乗せた。目を閉じた篁姫は微笑をたたえて口元を袖で覆っている。

紺之助は何がおきたのかわからなかった。

ただ、兄はいまや紺之助の目にもはっきりと見える篁姫を抱えて虚空を見つめており――やがて濁った眼で紺之助を一瞥すると篁を連れてあっという間にその場を去った。

 「に……兄さま」

 雪之助がやってきてほんのわずかの時間。

雪は降りしきり、紺之助の肩に塊となって積もった。たくさんの松明をもった氏子たちが探しに来るまで紺之助は兄の鉢巻きを握ったままその場に座り込んで動けなかった。雪はひどくなる一方で、もう雪之助の姿などどこにも見えなかった。



 ――右頬に鈍い音がして紺之助は床に転がった。殴られたのだとわかったがどこか他人事のような痛みで呆けている。詩籐が怒りと悲しみをないまぜにした顔で怒鳴った。

 「なぜ外に出た! 外に出るなと、言われていただろう!」

 ふらふらと起き上がると紺之助は無言のまま俯いた。自分がどんな失態をおかしたか、その結果何がどうなったかもう誰に言われなくてもわかっている。

 雪之助は篁に連れていかれてしまった。

 稲葉の家には人が集まっており、悲劇が起きたことは村中に知らされていた。

 「なんということだっ……! 雪之助が、雪之助が。紺之助、おまえはッ……」

 「詩籐さん、詩籐さん、もういいではないですか。紺之助君もわかっているはずだ」

 氏子たちが、駆け付けた村の家々の当主が沈痛な面持ちで詩籐をなぐさめる。その一人が石のように固くなっている紺之助の背中をさすった。

 「墨染殿、申し訳もない」

 詩籐はやってきていた墨染に頭を下げた。

 「今回は残念なことになった」

 墨染は表情を硬くして答える。

 「今日はもう遅い。とにかく皆、一旦それぞれの家に帰って、後始末は明日にしよう。話はそれからだ」

 墨染がそういうと溜息やすすり声が漏れた。それぞれの家の下男たちが墨染にひそひそと耳打ちする。墨染は顔をしかめると、

 「それは埋めてしまうがいい」

 そういって場を解散させた。紺之助がつまづいたもの――外に転がっていた男は篁が足として使っていた人間と思われ、すでにこと切れていた。流石に放置できず、下男たちが始末に困っていたのだ。見知らぬ男であった。稲葉家の下女が紺之助を部屋で寝るようにうながして、腫れた頬をおさえるようにと濡れた綿布を渡してくれた。

 「……ありがとう、でも大丈夫」

 布団に入ってからも紺之助はこれは夢ではないかとぼんやりしていた。雪之助の姿が断片的に頭に浮かんできては消え、浮かんできては消える。

 だが兄はもう戻らない。

 篁に捕まったら魂を喰われてしまうのだと聞いた。

 つまり兄は死んだ。

そしてそれは自分のせいだ――急速に感覚が現実へと引き戻される。両目から涙があふれ、紺之助は急いで拭った。

 (泣くことなど許されない)

 自分の過ちで兄を死なせた。なのにどうして泣いていいことがあるだろうか。己の軽率さが兄を殺した。どうやって償う? 償えるのか。いや。

 償え。

 一生をかけても。

 紺之助は雪之助の柔らかい笑顔を思い出して――手をのばした。空を掻いただけの手は、虚しく灰色の闇を掴んだだけで何にも届かない。失ったものの大きさに小さな躰は押しつぶされんばかりで息が吸えず、紺之助は自身の罪にあえいだ。



 雪之助が篁姫に連れ去られてから数日、吉報が届いた。具合の悪かった母親が懐妊していることがわかったのだ。ばたばたと月日がたち、まるで雪之助と入れ替わるようにしてその子は産まれた。愛くるしい男の子で、詩籐は龍之助と名付けた。

 「お前がよくよく世話をするように」

 そういって詩籐は龍之助の子守を紺之助に命じた。

 「雪之助のことは、忘れよう……。篁の手の内に落ちた以上、我らにとっては敵となる。紺之助、お前ももう兄はいないと思いなさい。雪之助は奪われたのだ。命運は尽きた」

 「……父上」

 「もうそれだけでいい。龍之助を可愛がってあげなさい」

 ――そうだ兄さまは奪われた。ならば。

 「これからはお前が稲葉を率いていくのだ」

 とりかえさなくては。篁に奪われたのなら取り戻す。

 たとえその身が朽ちていようと生きる屍であろうとも必ずや稲葉の家に雪之助を。小さい紺之助の身の内に青い炎が燈る。

兄を取り返す。それが――過ちを犯した自分の償い。使命だ。



 紺之助は龍之助をあやしながら以前にもまして家業に邁進するようになった。特に卜占の腕をめきめき上げ、詩籐もこれ以上教えることがないという具合に。龍之助は式盤をおもちゃにして育ち、先が楽しみではないかと墨染が笑った。――が、龍之助が生まれてから五年たったある年、村は流行り病に襲われた。篭目村の外でも流行っていたこの病は閉鎖的な環境にあった篭目村じゅうを総なめし、村人たちを瀕死のどん底におとした。進んだ医療がこんな田舎まで届くはずもなく、隣村の人間が篭目村を気にして訪ねた時はもう遅かった。墨染の家の下男、雨宮の三女、そして稲葉詩籐とその妻・銀杏が熱病でこの世を去った。後遺症が残った村人も多かった。稲葉家はわずか十五の紺之助が継ぎ、この流行り病の件を重く見た墨染が「外」との繋がりを考えるようになる。それを天貝が請け負うようになり、外との繋がりは天貝を通してわずかに入ってくるようになった。

 「外国では古い人形が売れるようなのだ」

 そういって天貝は持っている大量の人形を売りに村の外へ出た。帰ってくると中央の政治だの流行だのを村の子供たちに言って聞かせる。紺之助はその姿にかつての雪之助を重ねてため息をついた。

 詩籐が亡くなってから数年経ち、篁の行方を占うのは紺之助の仕事となっていた。篁の行方というのは奇妙で、気配が見て取れたと思えば途端に近づいてきたり遠くに逃げたり掴みどころがない。必ず現れる、と断定できることはほとんどないのだ。だが篁は必ずこの村にやってくる癖がある。どういう理由かわからないが、村を完全に去るということがないのだ。

 (篁姫はこの村に何か未練でもあるのだろうか)

 しかし今日の結果はさっぱりだった。占いの道具を片付けようと、ガラクタ置き場になっている奥の間にやってきた。ここも少しかたづけないと、と思ったその時、棚に載せられた箱がカタカタと揺れ始めた。

 (……! 地震か!)

 次第に揺れはひどくなり、積んであった巻物やら道具やらが倒れて中身がぶちまけられた。慌てて頭をかかえて丸くなると、おさまったのか揺れは止まった。

 「ひどいなこれは」

 ただでさえぐちゃぐちゃだった部屋はさらにひどいことになってしまった。もっと早く片付けていればよかった。そう思いながら散らばった草紙などを片付ける。

 (龍之助は大丈夫だろうか)

 先に確かめよう、そう思ってガラクタから顔を上げようとして――目の端にうつったものがあった。長方形の長細い桐の箱。埃にまみれていた。

 『禁・稲葉方術風姿化伝』

 箱の蓋にはそう記されていた。墨の跡からみてかなり古いものだ。

(なんだろう。初めて見る)

紺之助が箱を開けると巻物が入っていた。紙は古くボロボロと崩れてしまう。気を付けて広げると前置きが書かれていて、そのあとは呪術と思われる作法の図が書かれていた。雨宮から古文書の読み方を習っていた紺之助は――それが読めてしまった。


 師ヨリ伝ワリシ術ヲ此処へ記ス。望ムトコロ使ワズ朽チテ消エルコトヲ祈ラン。外法ナレバ此レヨリ先心シテ読ムベシ。


 「これは……!」

 稲葉の禁呪だ。昔稲葉の先祖は都から落ちのびてくるにあたり秘伝の方術を手にしてきたのだと、小さいころ聞いたことがある。が、ただのお伽噺だと思っていた。紺之助は埃にまみれたままじっとりと巻物を開いた。いわく、


 この術は己の姿を変えてしまう外道の法である

 この世にめったにない真の魂の宿る人形(ひとかた)を用意せよ

 その人形と魂を分け合うことで己もまた人形と等しくなる

 歳をとらずいつまでも若いままでいられることだろう

 ただし人形が壊れれば己もまた死滅する

 外法であれば、人に戻ることは二度とできない


 ――これだ。

 巻物を持つ紺之助の手が震えた。これこそ――願っていたものではないか? この外法が確かなものなら、生涯雪之助を追える。龍之助の手を煩わせることもない。人形――天貝のところに、天児の作った人形がある。篁を作ったのならそれに準ずる人形があってもおかしくはないはずだ。高揚感におもわず紺之助は震えた。

 嬉しいのだ。兄を、雪之助を取り戻せるかもしれない。

 死なない身になればいつまでも追える。一生をかけて償えとあの日――心に誓ったことを、叶えられる。紺之助は慎重に巻物を箱へ収め、手にすると部屋から出た。そうっと自分の部屋へ入り、文机の引き出しに箱を入れてため息をつく。誰にも悟られてはならない。これは秘密。自分だけの秘密だ。その時遠くから甲高い声がした。部屋を出て廊下に出ると、

 「紺兄!」

 龍之助が小走りでやってきて、

 「揺れた、がたがたしたよ」

 そういって半べそ顔で紺之助に抱き着いた。

 「それは怖かったね。大丈夫大丈夫。もう地震は止まったよ」

 「紺兄……紺兄も怖かった?」

 「え?」

 紺之助はその時初めて自分が泣いていることに気付いた。目に手をやるとポロポロと涙が落ちてくる。

 「紺兄怖い?」

 龍之助が不安な顔をした。

 「はは……いや、これは……感動してるんだ……」

 そういって紺之助は手の甲で目を拭った。

 「カンドウ……?」

 「龍之助、龍之助」

 紺之助は龍之助を抱き寄せた。そっと優しく。稲葉の家は龍之助に任せることになるだろう。その分自分が稲葉の宿命を背負うから、どうか至らぬ兄を許してほしい。

 「紺兄……?」

 黙ったまま紺之助は龍之助の頭をそっとなでた。昔、雪之助がしてくれたように。


紺之助は龍之助が十になるまで静かに待った。置いていくにはまだ早い。そう思ってのことだ。何も知らない龍之助ははつらつと成長し、兄と共に稲葉を盛り立てていくと信じて疑わなかった。だが紺之助は稲葉から離れた。いや、稲葉ではなく、人の道から離れてしまった。遠く、遠く。


 小雨の降るある日。十九を迎えた紺之助は浄服に身を包み、天貝を訪れていた。兄・雪之助と同じ浄服だがその姿は黒子のように真っ黒に染め上げられた地。兄の形見の鉢巻きを額に縛っている。これから外法に手を染める身なれば――この姿が正しい。そう思ったのだ。紺之助が禁忌に手を出す。そのことはすでに村の家々に知れ渡っていた。墨染の許可を得ていたからである。外法を行うにあたって最も協力を得なければならなかったのが天貝だ。この家は天児の傑作を所持している。篁ほどではないにしろ、残されたのは見事なものばかり。それを一つ――譲ってほしい。紺之助は天貝の当主、天貝佳奈出に話を持ち掛けた。


 ――ほう、稲葉の外法とね。

 ――なるほど、人の形が必要なのか

 ――篁を取り戻すためなら構わないよ

 ――ただし条件がある。篁を捕まえたらちゃんと返してほしいのだよ

 ――我々は篁が戻りさえすれば過程はどうでもいいのだ

 ――では一つ眠っている人形を紹介しよう

 ――持ち主である我ら天貝にも心を開かなくてねえ……

 ――ちょうどいい、君に貸そう。ただし貸すだけだよ

 ――篁が戻るときこの娘もまた戻るということだね

 ――君を気に入ってくれるといいが


 天貝は外法を使うという紺之助のことを大いに褒め讃えた。これほどの勇気の持ち主はない、我々篭目村の誇りであると言った後、もうこれで君がいる限りいつか篁は戻るのだな、と満足そうに笑った。すりへらない身体とはよいものだと――嗤った。

 そして蔵の中。案内されたいくつかの蔵の中でも作りは少し小さい。ここにあるのは一体だけの生人形なのだと佳奈出は蔵の真ん中に置かれている大きな桐の箱を指した。その上には埃が積もっている。あまり可愛がられていないようだ。

 「傾城桜大夫」

 それがこの箱の中に収められている人形の名だと天貝の当主は話す。名前は江戸時代ごろの天貝がつけたものだという。篁を作る過程で試しにつくられたものだそうで、完成してはいるが天児の愛情は得られなかったらしい。素裸のままだったので、着物やら帯やらは天貝が着させて遊女の最高位、花魁を模したそうだ。篁の妹にあたるだけあって姿は美しいという。話すだけ話して佳奈出は蔵から出ていき、紺之助は箱の扉をゆっくりと開くと、薄暗い蔵の中に天窓からわずかに入ってくる光でその全体像を見ることができた。

 人形は若い人間の娘そっくりの――まさしく生人形だった。赤を基調とした極彩色の振袖をきている。黒と緑、金銀の模様が見事な帯を締めていて、頭には無数の櫛やら簪やらが飾られていた。その中でも赤い玉――おそらく珊瑚の簪が極めて極上の物であり、この人形を飾っているものだけでもとんでもない金子になるであろうことは一目でわかった。綺麗な黒髪は頭の上で一つに結んでおり、遊女の髪形としては単純で珍しいものである。おそらく「桜大夫」の名の由来はこの見事な着物からだろう。布前面に桜吹雪が描かれていて、散っていく桜の花びら一つ一つがそれは細かく絵付けされている。

 (こんな見事な姿――桜が)

 紺之助はどこかで――この桜を見たような気がした。いや、まだ見ていない、でもいつか見るはずの――桜。

 (なんだこれは)

 変な感じだ。紺之助は手で顔を覆った。

 (既視感?)

 紺之助は桜大夫の顔を覗き込む。

 ――苦シイノカ

 突然紺之助の頭の中に声が響いた。驚いて辺りを見回す。誰もいない。ならば……。

 ――オ前ハ淋シイノカ

 紺之助は心を落ち着かせて答えた。

 「――お前は傾城桜大夫なのか?」

 ――ソウトモ言ウ。オ前は方術士カ? 陰陽師カ

 「どちらと思ってもらっても構わない。驚いた、天貝は心を開かない人形だと言っていたのに」

 ――オ前ノ心ハ散ル桜ノヨウデ儚ク、我ト似テイタ故

 「……お前と魂の入れ替えをしたいのだ」

 ――外法デアルナ

 「そうだ……」

 外で雨が激しい音を立てて降り始めた。遠雷が聞こえる。

 ――私ニハオ前ト同ジク心根ニ瑕疵ガアル。私ハ蛍雪篁姫カラソノ身清ラカナレト祓ワレタ悪鬼ヲコノ身ニ宿シテイル。人形トシテ愛サレルニハイラヌ呪イ……

 「篁姫からそんなものが? 試作品だったと聞いていたが」

 ――姉者ガ完成シタ折ニ父ガ私ニ移シタノダ、出来損ナイ故……コノ穢レガ身ノ内ニ巣クウ限リ悲シミハ消エヌ、膿ム傷ノ如シ、父ニ捨テラレタ悲シミ。オ前ノ中ニモアルゾ見エルゾ大キナ傷跡ノ痛ミガ

 ソレハ痛カロウ、そうぽたりと桜大夫の閉じている目の端から雫が落ちた。

 「……僕のために泣いてくれるのか」

 ――オ前ノ心ガ私ニ響イタマデノコト

 不思議ナ奴ヨノ、と目をつぶったまま桜大夫が心に問うてくる。紺之助は改めて桜大夫を眺めた。天貝が可愛がれないという人形。自分の作り親に捨て置かれてそれでいてまだこんなにも美しい。紺之助は箱から桜大夫を抱きおこす。

 「桜大夫。僕と魂を共有してくれ」

 ――……

 「家に家宝の破邪の太刀がある。それを持てば鬼は消える。きっとお前の穢れは落とされよう。お前は出来損ないなどではないよ。共に在ろう」

 ――人ノ道ヲ捨テルカ

 「捨てる」

 雷が轟音を立てて響いた。雨は一層激しく降り、しかし蔵の中は静かなままである。

 ――……ヨカロウ、ソノ心オ前ニシカワカラヌ傷ナラバ我ト同ジ……我ガ魂ヲヤロウ

 そういうと桜大夫は紺之助の腕の中でその瞳を開けた。澄んだ水のように青く柔らかな麗しいその目。真一文字にひかれた口紅がきりりと涼しげで、顔は小粋。一陣の桜吹雪が起こりその体を包んだかと思うと、花魁の姿はどこへやら、幼子の姿でちょこんと座っていた。

 ――常ハコノ姿ガ動キヤスクテ良カロウナ

 紺之助はうなずいて桜大夫を持ち上げた。軽い。そうだ、人形なのだから。そして自分も……特に何の変化も感じられないが、もう人ではない。あとは兄を追うだけ。兄を追って、それからはわからない。桜大夫を抱きかかえて蔵の外に出ると夜だった。いつのまにか豪雨があがり、かすかな風も感じられる。

 「……これからたのむよ桜大夫。そうだな……桜と呼ぼう」

 だれがこの道を祝福してくれなくても、茨の道であっても、きっとやっていける。兄を取り戻すまで。二人で一つならば。



 「――そう心に決めて百年……」

 暖かい行灯の光の中、紺之助は昔のことを思い出してため息をついた。あれから幾星霜、幼かった弟は老いていき自分は何も変わらないまま未だ兄を取り戻せていない。

 (兄さんとは百年ぶりに会った。ずっと篁を取り逃がしていたから……兄さんを見たのは子供の時以来だった。まるで何も変わっていなかった。兄さんは僕を見ていた――僕だと――わかっただろうか)

 そう思って紺之助は自嘲気味に笑った。魂を食われた雪之助が紺之助を認識できるわけがない。もう死んでいるのだ。枕元に用意してあった水差しの水を飲んで、ふう、と息をつく。すっと襖があいて桜が顔を出した。子どもの姿ではなく、本来の少女めいた成人姿である。隣に置かれた盆の上に強烈な匂いのする布をのせている。

 「……ああ、豪薬か。貼ってくれるのかい」

 「アノ男ハ好カン」

 そういって桜は紺之助をうつぶせにさせると背中に湿布を貼った。あの男というのは多分墨染のことだろう。貼り終えると浴衣を整え、横になったままの紺之助に布団をかけた。豪薬の匂いの中、疲れで紺之助はうとうとしはじめる。

 「桜は……見たかい……雪之助兄さん。僕のただ一人きりの兄だよ……今度こそ取り戻さなければ……」

 桜は紺之助の痛々しい姿に布団の上から優しくその身体を撫でた。寝息が聞こえてくるまで待って、紺之助が完全に眠ったのを確認すると部屋の外に出て再び子供の姿をとる。守り番のように太刀をもったまま部屋の前に陣取った。いつでもどこでも、こんなふうだ。

お互いの魂を半分づつ交換し合い、共有したあの日から。

 「我ラハ常ニ傷ダラケ――セメテ今ハ良キ夢ヲ、紺之助」

 桜は独り言のように言って襖を完全に閉めた。


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