捜査官の矜持
「それで? 今回は一体何をやらかしたんです?」
不機嫌そうな顔でテーブルに着いたアリスを見ながら、ライアンは開口一番にそう言った。
「酷い言い草だな。まるで私がトラブルメーカーみたいじゃないか」
むっとしてライアンを睨みつけると、彼は苦笑して肩を竦めた。
「これは失礼。先日のタウンゼント邸での事を聞き及んだものですから」
「ああ……まぁ、酷い事件だったよ。人が一人死んだんだからな」
「ええ。痛ましい事です」
沈痛な表情でライアンが俯く。丁度スコーンと紅茶が運ばれてきて、アリスはまだ温かいスコーンを手に取り、マーマレードを塗りながらライアンに問いかけた。
「タウンゼント卿ってのはどんな人だったんだ?」
「様々な事業に手を出していましたが、慈善家としても有名な方でしたね」
「慈善家?」
「孤児院や傷痍軍人の為の病院に出資したりで有名でしたよ」
「ほう。夫婦仲はあまり良くないって聞いたが、そんな一面もあったんだな」
あの守銭奴そうな男の意外な一面にも、大して興味なさそうにアリスはスコーンに噛り付いた。
口の中にバターの香りと少しほろ苦いオレンジの酸味と甘みが広がる。評判のカフェだけあってジャムも美味いなと顔を綻ばせた。
「そうですね。タウンゼント卿はかなり奔放な方でしたから……夫人は随分と苦労していたそうです」
「まぁ、あんくらいの金持ち貴族には愛人の一人や二人珍しい事じゃねえだろうな。夫人だって分かってたかもしれん」
「随分と客観的なんですね。ミス・ガーフィールド」
ライアンが紅茶を口にしながら言った。
アリスはジャムを塗ったスプーンを指差すようにライアンへ向けた。
「事件ってのは全体を俯瞰で見なきゃならねえのさ。どんな善人や悪人だろうが、てめえの偏見や価値観を一度真っ新にして掘り下げていかねえと、真実なんざ見えてこない。これは受け売りだけどな」
アーサー・バートレットがまだ巡査だった頃、師と仰いでいたジェイソン・ドイルという捜査官がいた。スコットランドヤードの中でも変わり者として名が知られていたが、彼が捜査に行くと聞くと、半ば強引に付いていった。老齢の捜査官は若い警官に対して面倒臭がりながらも捜査のイロハを教えてくれた。
『俺達は捜査権限がある以上、真実を明らかにする義務がある。冤罪なんかもってのほかだ。てめえが納得するまで何千回何万回でも現場に行って、聞き込みをしろ。お前はくだらねえ見栄や忖度の為にてめえの正義を曲げるなよ』
そう言った彼は、退職する四日前に病で亡くなった。最期まで、デスクで自身が担当していた事件の書類を調べていた。
アーサー・バートレットにとっては彼は、数少ない本物の捜査官だと思っている。
「やっぱり、更に貴女の事が知りたくなりました」
「はぁ?」
ライアンの思わぬ言葉にアリスは間の抜けた声を出していた。彼の翡翠色の眼は好奇心できらきらと輝いていて、頬は少年のように紅潮していた。
「あのなぁ……」
「だから、貴女の手伝いがしたいんです。何か大きなことを成し遂げようとしているのではないんですか?」
そう言われて、アリスは口を噤んだ。普段ならば貴族のボンボンの遊びじゃねえんだと頬桁を張り倒している所だが、あまりにも真剣な眼差しで見つめられるとどうにも落ち着かない。
「それに、タウンゼント卿のパーティだって、普段パーティ嫌いな貴女が珍しく進んで行ったと御父上が話していましたよ」
「ぐ……お父様……」
どうして私を誘ってくれなかったんですか!?と子供のようにごねられてアリスは何とも言えない表情で、凛々しい眉を八の字に下げたライアンを見つめた。
これ以上誤魔化しても面倒になるだけだと判断して、アリスは睨みつけるようにしてライアンを見つめた。それは数々の凶悪犯罪と戦ってきた歴戦の捜査官の鋭い眼差しそのもので、がらりと変わったアリスの雰囲気にライアンが息を飲んだ。
「……分かった。お前の言いたいことは。だが、この事は絶対に他言無用に願いたい。できるな?」
低い声でそう言うと、ライアンが右手を上げて「名誉にかけて。誓います」と厳かに言った。
それを見て、アリスは周りをちらりと見やると、ライアンへ向けて身を乗り出した。
「私は、【サウスエッジの人喰い狼】を追っている」
翡翠色の眼が、驚きに大きく見開かれた。
「それって、一家七人と警官一人が惨殺されたっていう……あの……」
「そうだ。理由は聞かないでくれ。私は絶対に奴を見つけなきゃならないんだ」
低い声でそう言うと、ライアンは何か言いかけたようだったが、そのまま何も言わず目を伏せた。
クリーニング店の住人、そして妹の家族になるはずだった自分の後輩。
恋人の無惨な亡骸に縋りついて泣き崩れる妹の背を見て、絶対に犯人を捕まえると誓った。
「タウンゼント卿のパーティだってロンドン警視庁の人間が来ると聞いて行っただけだ。収穫は特になかったがな」
まさかあんな事態になるとは想定外だったが。とアリスは冷めかけた紅茶を啜った。
ライアンは顎に手を当てて何かを考え込んでいる様子だった。
「どうした?」
「いえ、数日前に、タウンゼント卿からとあるクラブに誘われまして。もしかしたら、何かお役に立てるかと」
「とあるクラブ?」
「【プワゾン】という紳士クラブでした。紹介状は貰ったのですが、中々行く機会が無くて」
ああ、ここにあったとライアンが上着のポケットからカードを出した。漆黒に近い花の絵が描かれている。毒々しい色だ。
中々に、きな臭いとアリスの勘がそう告げていた。
「秘密の紳士クラブってやつか。なるほどな」
カードの裏側には簡単な地図と住所が記されている。ソーホーのチャイナタウンの中だった。ソーホーは小劇場やパブ、売春宿が多い。そういう場所としてはうってつけだ。
紅茶を飲み干し、ソーサーに置くと、アリスは腕を組んでライアンを見た。
「よし。ライアン。お前、そこに行って情報収集してこい」
ライアンが「ええ!?」と声を上げたのは、それから二呼吸ほど後であった。




