所詮この世はジグソーパズル
「テメェ、何処ほっつき歩いてたんだ」
安堵も束の間、アリスの口からはドスの効いた声が飛び出た。テディは唇を尖らせて肩をすくめる。
「ヤダなぁ。旦那。姿が見えないから誰かに連れ込まれたのかと探したんですよ」
「ああ!? ふざけんなよお前! 今しがたグローヴァーの野郎に連れ込まれたぞ! 何でいる事言わなかったんだよ!」
「え!? あいつに何かされたんですかっ!?」
テディが前のめりになりながらアリスの肩を掴む。どうも誤解しているようなので、テディの足を思い切り踏んづけてやった。
「いってえ!」
「ヘンな勘違いしてんじゃねえ。あいつに事情聴取されただけだ。あの野郎に言い寄られるなんて死んでも考えたくねえよ」
あの鉄面皮が色恋沙汰なんて天地がひっくり返るよりも考えられないが、テディは合点したようにそうでしょうとも、と頷いた。
「まぁ、確かにお淑やかとは言い難いもんな……」
「ああ? 何か言ったか……まあいい。面倒な事になっちまったが、何か収穫はあったか?」
テディは屋敷内や雪花から得た情報を全てアリスに教えた。
腕組みをしながらアリスはそれをじっと聞いていた。
「あの事件の事は全然じゃねえかよ……ったく」
眉間に深い皴を刻んだアリスががくりと肩を落とす。だが、有益な情報とは言い難いが、この屋敷はどうも胡散臭い事が良く分かった。
「奥方と旦那の仲は良いとは言い難いようだな」
「父親の外戚の息子らしいのですが、商才だけはあったみたいです。潰れかけていた事業を立て直して海外に幾つも鉱山を持ってる。大したもんですよ」
「そうだな。ま、死体になっちまったが」
奇妙な死に方だった。アリスは倒れたタウンゼント卿の無残な姿を思い出していた。
殺鼠剤を飲まされた死体を何度か見た事はあったが、それとよく似ていた。瞳孔が開き、顔が引き攣る。
「死因はなんですかね」
テディが顎をさすりながら言った。
「さぁ……毒物かとは思うが何とも言えんな。もう一度見てくるか」
「見てくるって……もう現場はヤードの連中が仕切ってますよ。入り込むのは……」
その言葉にアリスはニヤリと笑って右手を上げた。
「ああ、温室に手袋を『つい』忘れちまってな。取りに行かねえと。お供を頼むぜ。従僕さん」
「はぁ、なるほどねぇ。分かりましたよ」
アリスは呆れたように肩をすくめる従僕の背中を強めに叩くと、軽やかな足取りで温室へ向かって行った。
「申し訳ありません、ミス。ここからの立ち入りは……」
おそらくヤードの人間であろう燕尾服の若い男が戸惑いながらアリスを見た。
素早く周りを見る。まだ制服姿の警官がいない事から、まだ本署に連絡が行ってないか、はたまたタウンゼント家としては大事にしたくないかは定かでは無いが、アリスには都合が良かった。
アリスは若い男に近寄ると、きゅ、と眉根を寄せて悲しげな表情を作り潤んだ瞳で男を見上げた。
「ごめんなさい。この中に手袋を忘れてしまって……母が手ずからに作ってくれた物なのでとても困っているんです……」
今にも泣きそうな令嬢に、若い男はあたふたし始めた。見るからに女慣れしていなそうな男だ。アリスはトドメとばかりに宙に浮いた彼の手を取り、「お願いします。五分だけでいいので探させてください」と吐息混じりに訴えた。
背後でテディが肩を震わせて笑うのを堪えているのがありありと分かる。
「う、あ……そういう理由なら……五分だけですよ」
しどろもどろになりながら男が温室の入り口から退いた。
「ありがとうございます」
精一杯の健気な表情で礼を言うと、男の顔がリンゴのように赤くなった。
アリスは心の中でぺろりと舌を出すと、テディを連れて温室の中へ入って行った。
現場は既に遺体は運ばれていて、物が散乱したテラスしか残っていなかった。
付近には誰もいない。絶好の機会だ。
「誰もいないですね」
「遺体を運び出してそれに付いていってんだろ。丁度いいさ」
先程見た現場を思い出しながら、その場に屈みこむ。確かティーテーブルを挟んで入り口に向かって倒れていた。
周りにはチェス盤と駒。
誰かとチェスを打っていたのだろうか。
散乱した菓子を手に取る。
ごく普通のスコーンとショートブレッド。クランベリーのジャム。ジャムには既に蟻がたかっていた。
匂いを嗅ぐが、異変はない。普通のスコーンより薫り高いくらいだ。毒物の類があればと思ったが、イヤな刺激臭も変色も無かった。
温室の外から複数の足音が聞こえた。焦りに奥歯を食いしばる。
「クソ……何かねえか……」
辺りを探りながら、アリスは焦燥の声を漏らした。
「旦那、これ見てください」
テーブルの下で這い蹲っていたテディが、チェス盤をこちらに向けた。
H3、H5、E5に紅黒い色が付いている。
口紅の色ではないそれは、乾いた人の血だ。
「何だ……これは」
アリスは眉根を思い切りしかめながら、その光景を頭に叩き込んだ。




