妖精の庭でお茶会を
馬車に揺られている間、アリスは自分が売られていく牛のような気分になっていた。
街を行き交う辻馬車の石のような椅子とは違う、ふかふかの椅子が酷く落ち着かない。
「今日のパーティは軍や警察の高官方がいらっしゃるから、どんな逞しい殿方が来るのか楽しみね!」
向かいに座る母がレース飾りがついた扇子で肩口を扇ぎながら言った。娘よりも自分がはしゃいでいるような気がしないでもない。
「はぁ……」
気怠そうにアリスが返事をすると、クラウディアが目を見開いて、アリスの目の前に身を乗り出してきた。
「え、な、お母、ひゃま……? 」
クラウディアは扇子を傍らに置き、両手を人差し指でアリスの口の端をぐい、と上げた。
「駄目よ、アリス。乙女は笑顔でいなきゃ。殿方の前ではね、乙女の笑顔はどんな薬よりも効くの」
むにむにと頬を押され無理矢理笑顔の形にされて、アリスは心の底から勘弁してくれと逃げ出したくなっていた。
「さあ、会場に着くまで笑顔の練習よ!」
「ふぁ、ふぁい」
強すぎる母の愛情は、時としてこんなにも面倒臭いものなのかと、アリスは無理矢理笑みを作りながら、心の中で溜息を吐くしかなかった。
「さあ、奥様。お手を」
ようやく馬車が停まり、扉が開くと、従僕の服に身を包んだテディが完璧な所作でクラウディアの手を取った。どこぞの貴族とも見紛う程の整った顔面は、同じく会場に集まった他の淑女達の視線を集めているようだ。
次にアリスが降りようと身体をずらす。笑顔の練習とやらですっかり顔の筋肉が冷えたポークソテーのように固まってしまったような気がした。
「お嬢様。さあ、どうぞ」
白手袋の大きな手を差し出される。むすっとした表情でかりそめの従僕を見上げれば、美麗な笑みの中にほんの少し揶揄いの色が鳶色の瞳に滲んでいる。
『笑顔は?』と従僕の唇が音無く形作り、アリスは心中で中指を立てながらも何とか笑みを浮かべてその手を取った。
受付を済ませて会場に入ると、むせ返るような花の香りがアリスを包み込んだ。入り口のアーチには淡い黄色のバラが冠のように咲いていて、目の前の石造りの噴水の周りには、ローズマリーやセージ、ヤグルマギクなどの色とりどりのハーブが咲き誇っている。
まるでお伽話に出てくるような妖精の庭。かといって、ゲストの邪魔にならないように歩道は整えられているし、花や木々は絶妙な位置に植えられて剪定されている。ため息が出そうなほど見事な庭だ。
「はぁ~、なんて素敵なお庭なのかしら。ね? アリス」
「え、ええ。素晴らしいですね」
母の言葉に上の空で返事をすると、一人の年かさの婦人が声を掛けて来た。灰色の髪を後ろでまとめ、上品な紫のドレスに身を包んだ夫人は、溌溂とした若々しい笑みを浮かべて二人を見つめていた。年の頃は母クラウディアよりも一回り以上上だろうか。しかし、そのエネルギッシュな雰囲気は見た目以上に彼女を若々しく見せていた。
「あらあら、来たわね。噂のガーフィールド嬢が」
「レディ・ダントン! お久しぶりですわ。 先のパーティはとても素晴らしかったです」
クラウディアが背筋を正して挨拶をした。レディ・ダントンはかなりの有力者らしい。アリスもそれに倣った。
「ありがとうレディ・ガーフィールド。お久しぶりね。アリス、覚えているかしら?」
しまった。とアリスの表情が微笑のまま固まる。
だが、レディ・ダントンは可笑しそうに笑った。
「覚えていないのも無理は無いわ。貴女と会ったのは、ほんの小さな頃だもの。その時から仔馬みたいにお転婆で、幼い頃の自分そっくりだとマリーナが笑っていたのを思い出したわ」
マリーナとは誰だろうか、と頭の中で疑問符が並んだが、屋敷の中でマリーナと描かれた貴婦人の肖像画があったなとふと思い出した。
「母の事で本当にお世話になったのに、娘のデビューの相談まで……本当に感謝しておりますわレディ・ダントン」
クラウディアが薄く涙すら浮かべながら首を垂れた。
マリーナとはクラウディアの母、つまりアリスの祖母らしい。屋敷で見た肖像画は、アリスに瓜二つで、初めて見た時は驚いたものだ。
「いいえ、親友の娘は私の娘と同じよ。その子となれば私の孫。孫の為に手助けをするのは当然の事よ」
レディ・ダントンがアリスの手を取って微笑んだ。アリスの中身、アーサーにとっては見ず知らずの婦人にここまでの善意を向けられて若干戸惑ったが、何とか表情を保つことが出来た。
「ありがとうございます。レディ・ダントン」
「何か分からない事があれば、私に聞きなさい。社交界の事なら隅々まで知っているわ……それと、貴女は若い頃のマリーナそっくりね。今度はランチを共にしましょう」
そう言いながら悪戯っぽく片目をつむって、レディ・ダントンは去っていった。
「レディ・ダントンは社交界のご意見番とも言われているわ。王妃でさえ彼女に一目置いているもの」
クラウディアが憧れるような眼で言った。なるほど。とアリスは心の中で頷いた。あの堂々たる雰囲気はそこいらの貴族の婦人とは一線を画しているのは一目で分かった。
(あの人と仲良くしておけば、何かしらの実入りがあるかも知れねえな……)
アリスは颯爽と歩いてゆくレディ・ダントンの背を見ながらそう思った。
見事な庭園の中を見回せば、花々に負けないくらいに着飾った貴族の子女達と、ぴしりとプレスの効いた制服にこれ見よがしに徽章を飾り付けた軍や警察の高官たちが思い思いに歓談している。
傍にいた母は、何やら知り合いでもいたのか、傍を離れている。そのタイミングで背の高い従僕が音もなく現れた。
アリスは振り向きもせず、視線も前を向いたまま小声で言う。
「俺はとりあえず庭園内を回る。指示は出せねえから後はお前の裁量で頼んだぜ」
「承知いたしました。『アリスお嬢様』」
テディは笑みを深めてそう言うと、恭しく頭を下げた。




