秋穣子 - その8
人のざわめきが聞こえる。
「う~ん」
意識を取り戻した私は、お布団のふっくらとした感触に浸りながら、ゆっくり目を開いた。
……少しまぶしい。
いの一番に目に飛び込んできたのは、見たことがある天井。ここは……十矢の家?
……そうか。私、力を使い果たして、気を失って。
「あっ、ようやく目を覚ましたのね」
「……霊夢?」
寝起き一番、私に声を掛けてきたのは霊夢だった。
バリ……ボリボリボリ……
…………。
「な、何よ! 私のがらじゃないって言いたいわけ? 仕方ないでしょうが。皆出払ってて、あんたの面倒見られるのは、完全に部外者の私くらいしかいなかったんだし」
バリ……ボリボリボリ……
いや、確かにそれはそれで新鮮な驚きがあるんだけど。突っ込むべきことは、恐らくもう一つある。
バリ……ボリボリボリ……
何でキュウリを食べてるんですか。しかも両手に3本ずつ持って順番にまるかじりって……うわっ! しかも足元に置かれたザルには、新鮮なキューカンバーが山積みに。
「ああこれ? 今年も豊作だからって、とりあえず頂いて来たのよ。畑で採れるお野菜なんてしばらく食べてなかったから……う〜ん美味い。にとりの気持ちが分かるわ〜。って言うか、収穫祭ってどんなお祭りかと思いきや、ただの立食パーティーじゃない。しかも食べ放題なんて、正直おいしすぎる。つうか、今度から私も呼べ! いえ、どうぞ呼んでくださいませ穣子様ぁ~」
ああ、またここに勘違いをしてしまった人が一人。大体、キュウリって秋のお野菜だったっけ? ……まあ、成せば何とかなるかな。
でも良かった。今日予定通りに収穫祭が行われてるってことは、私が気を失った後も霊夢がしっかり作物を守ってくれたんだ。
まあ、彼女はそんな中途半端なことはしないか。
それにしても、立食パーティーか。……神様そのものである姉さんも、神様に仕える巫女である霊夢も、何でこんなにも卑しいのでしょうか?
……ん、姉さん?
「そう言えば霊夢、今姉さんはどうしてますか?」
「うっ!」
霊夢はスッと私から目を逸らした。
ん? 何この反応?
「静葉なら……それが、残念ながら意識が……」
霊夢は深刻そうな口調で答えた。
えっ! 姉さんに一体何が?
「霊夢っ! 姉さんの意識がどうしたんですかっ! …………まさかっ!」
そんな、姉さんにもし何かあったら私……。
「静葉は、既に意識が……なくなるくらい飲んで、かなり暴走中」
「はうっ!」
やっぱりか! うぅ〜、一瞬でも心配して損したぁ。
「しかも、さっきあんたの様子を見に来た千歳っていう女の子の情報だと」
千歳の情報。姉さん、今年は何をやらかした!
「兄さんが森まで投げ飛ばされたぁ〜、とのこと」
「ま、またぁ!?」
「現在、里の住人総動員で捜索中」
って、皆出払っているってそういうこと!
「もーう! 姉さんも霊夢もばかぁ〜!」
私は、できる限りうんざりした口調で言った。
いや、うんざりしたのは本当だけど。
「ちょっとぉ~、何で私までバカになるのよ」
「もう、どうでもいいよぉ。……あっ! そうだ、私たちも十矢を探しに行かないと」
そう思い付いた私は、すぐに布団から起き上がる。うん、どれくらい眠ったかは分からないけど、体力もすっかり回復して体も軽かった。
「ほら、霊夢も一緒に探しに行くよ」
彼女の手を引いて、玄関の方へ向かおうとする。
「ちょっと穣子。あんた、かなり柔らかくなってない? ……それに寝癖で髪が乱れまくっているんだけどそのままで構わないの?」
私は、霊夢の方に振り向いて、思いっきり爽やかに答えた。
「別に構わないよっ!」
「ふーん。だったら、今あんたの服装うっす〜い肌着一枚だけど、それも別に構わないよね」
って、うわっ! 本当だ。
「いえ、それは当然構うでしょう」
いくらなんでも私、いきなりそこまで大胆にはなれません。
私は、多分午前中の内に誰かが洗濯してくれたのであろう自分の服に、すぐ着替えを済ませた。
「穣子、今のあんたにはもう余計なお節介かもしれないけど、昨日言い忘れてたことを一応言っておくわ」
「ん、何かな?」
「あんた、昨日自分が人間に嫌われたら、もう生きていけないみたいなこと言ってたけど、私はどんなことがあってもあんたのことを嫌いになったりはしないから。……まあ、好きになることも無いかもしれないけどね」
博麗霊夢。主な仕事は妖怪退治だけど、何者に対しても常に中立。
「だから、寂しくなったときは、いつでも博麗神社に訪ねてきなさい。お茶と雑草サラダくらいならご馳走するわよ」
雑草サラダか。それは随分なご馳走だね。
「うん。ありがとう霊夢。全然お節介じゃないよ。姉さんと一緒にキュウリを大量に持っていくよ」
「まじで! 流石は穣子ちゃ~ん。好き好き大好き!」
突然猫撫で声になる霊夢。彼女に「穣子ちゃ~ん」なんて呼ばれると、少し鳥肌立つんだけど。
……ま、いっか。
私は秋穣子。八百万の神々の一柱として今までこの幻想郷で生きてきた。これからも、恐らくそれは変わらない。私は豊穣を司る神様。その事実はずっと付いて回ると思う。私に対する人間の期待も、きっと変わらない。
でもそんな時、今ならはっきり言える。「皆で力を合わせて、今年も豊作で収穫祭が迎えられるように頑張りましょう」ってね。
今まで積み上げてきたものを、また一から積み直すのはすごく困難なこと。崩す勇気すらなかった私には、絶対に無理。でも、今回は一からじゃない。新しい土台は、自分でも気がつかない内に完成していた。そして、それを教えてくれたのは十矢。
後は土台に積み木を重ねていくだけ。
今度は絶対に間違えないように。そして、大胆にね!
「霊夢っ! 霊夢は自分が可愛いって誰かから言われたことある?」
「ん? 何よ突然……。そうねぇ、どうだったかしら」
「私はあるよ。焼き芋を食べている時が、超可愛いんだって!」
「はぁ? 何それ?」
霊夢が首を傾げる。
「さあ、早く十矢を探しに行こっ!」
「って言うかさ、静葉は放置しておいていいわけ? このままじゃまた犠牲者が増えるだけじゃない?」
「あ!」
そうだ姉さん。……確かに放っておくと危険かもしれない。
「何なら、私が博麗アミュレットで眠らせておこうか?」
……それなら、
「いや、私の穣子ちゃんキックで、暫く再起不能にしてくるよ」
私は実に爽やかに、清々しい笑顔でそう言った。
まあ、後で穣子ちゃんキックはちょっとやり過ぎだったかなと、後悔することになるんだけどね。
……そして穣子ちゃんキックは、この里の伝説になった。