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東方連小話  作者: 北見哲平
秋穣子 〜 収穫の季節と豊穣神
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秋穣子 - その7

 私がスペルカードを発動させて、大体2時間程が経っただろうか。ひたすら集中して結界を維持することだけに力を尽くすというのは、思った以上に大変なことのようだ。少し体が重たくなってきた。

「くうぅ〜。……私、甘かったかな。想像以上に厳しい」

 1枚目のスペルカードは既に破られ、この2枚目もそろそろ限界が近づいてきた。このままでは、嵐が過ぎ去るまで持ち堪えられそうにない。

 一番の誤算は雨の重さだった。広く展開された結界の、あらゆる面に激しく突き刺さる雨粒。その一粒一粒の質量が、結界に僅かな歪みを生じさせる。そしてその歪みに、強烈な空気砲をぶつけられたかのような暴風。私の脆く儚い結界は、これではひとたまりもない。

 分かっていたことではあるけど、どうも頼りない。……いかにも私らしい結界ではあるんだけど。

 自然の猛威。雨と風の波状攻撃は、まるで弱者をじわじわといたぶるように結界を破壊していく。

「だったら!」

 私はすかさず、左手に掴んでいる残り1枚のスペルカードを書き直す。自分のイメージを送り込んで、一部の属性だけを変換する。……一か八かだった。

「あっ!」

 しかし、別のことをしながら結界の維持に集中出来る程、私は器用ではなかった。


ビキビキッ……

 緩まった結界に亀裂が生じ、

「いけないっ!」

バリィィィーー!

 呆気なく2枚目のスペルカードも破壊された。もう少し持ち堪えてくれると思っていた結界が破られたのは、完全に私の失敗だった。でも、今それを気にしている余裕はない。

 嵐は待ってくれない!

 私は、書き換えが済んだ最後のスペルカードを右手に持ち直し高く掲げる。

「豊符『豊穣守護結界改』」

 これまでの2枚と同様、薄い光の膜が展開される。でも、この結界で遮断するのは風のみ。雨は……、

「ごめんなさい、こうすることしか思いつかなかった」

 嵐が去るまで結界を維持するには、どちらかを捨てるしかない。だとしたら、豊作の作物達にとって、今一番の脅威なのは風だ。そう判断しての一か八かだった。

 しかし、行き過ぎた水は植物達にとって毒にしかならないし、降雨量がこの田園地帯の許容を越えてしまうことも考えられる。そして何より、この容赦のない勢いで大地に降り注いで来る雨が、作物達にとって痛くないはずがない。

 私だって、

「冷たくて痛いよぉ」

 雨がここまで冷たいものだと感じたのは初めてだった。普段は植物に恵みを与える雨。でも今は、私の体力を容赦なく奪っていく、まるで回避不能の拡散弾幕。雨粒が痛くて、つい情けない声を出してしまう。


 ……それもそのはず、この雨は嵐が連れてきた雨。

 暴風に勢い付けられた豪雨は、私の結界を素通りして中に進入してくる。全くの無風の中、鋭い角度で私を叩きつけてくる雨粒が憎たらしくて仕方がなかった。

「ごめんね皆。雨には耐えて。私も、負けないから」

 ……私、頑張るから。


 正直つらかった。私の頬を殴りつけてくる雨が、痛くて痛くて堪らなかった。自分自身の弱さを痛感させられる痛み。風さえ防げば何とかなるかもしれないと思ったけど、やっぱり甘かったのかも知れない。雨が、こんなにも痛いものだったなんて……。

 今の状況で、一体私はどこまで頑張れるのだろうか?

 先が見えなくて不安だった。


「穣子様っ!」

 その時、背後から私の名前を呼ぶ声が聞こえた。

 結界に吹き付ける風の音と、大地に降り注ぐ雨の音で、その他の音なんてほとんど聞こえない状況であるにも関わらず、私にはしっかり聞こえた。

 きっと里の住人だろうな。こんなところ、本当ならあまり見られたくなかったんだけど……誰だろう?

 すぐに、声がした方向に振り替えって確認したかったけど、今の私にそんな余裕はなかった。そして何より、今にも泣きそうな顔を人間に見せるのが恥ずかしかった。

 どうして私はそんなことを思うようになってしまったんだろう? 神が人間の前で泣いたって、別に構わないはずなのに……。

 私を呼んだ声の主。人の気配は、次第に近付いて来る。この無風の豪雨の中、一歩ずつ、一歩ずつ。

 そして、その人の気配は私のすぐ後ろでピタッと止まった。

「……誰ですか?」

 私は、半分泣きそうな声で尋ねた。

 きっとある程度は、周りの音がかきけしてくれるはず。……まだそんなことを考えていた。

「僕です。十矢です」

「……十矢」

 私を呼んだ声の主は十矢だった。

 うん、確かにあれは十矢の声だったかもしれない。


「どうしてここに?」

「穣子様こそ、ここで何をなさっているんですか?」

 ……なさっているんですか。

 私の質問は無視されて、逆に質問を返されてしまった。

「先に私の質問に答えてください! 十矢はどうしてここに来たのですか?」

 私は、今自分に出せる、精一杯の声を絞り出す。

「田畑を覆う、薄い光の膜が見えました。そして、その中心で輝く鈍い光を。……そこに穣子様がいると思ったんです」

 私が展開する結界の明かりなんて、有って無いような仄かな光。スペルカードの光は、今にも消えてしまいそうなほど微弱なもの。十矢はこんな暗闇の中、豪雨に体を打たれながら私を探しに来てくれたということ? ……それって、もしかして、

「私のことを心配して、来てくれたってことですか?」


 …………。


 十矢は何も言わなかった。でも、その沈黙が、私の質問を肯定しているのと同義だということは、私にもなんとなく分かった。

 そうか。十矢は、私が人間から心配されるほど弱い存在だってことを知っていたんだ。

 彼は、今私がつらくて泣きそうになっていることを知った上でここまで来てくれたんだ。

「十矢は馬鹿です。以前貴方は私にこう言いました。一番身近にいる大切な人も守れないのに、里の皆が守れるはずがないと。今が正に、一番大切な人達を、この嵐から守ってあげなければいけない時なのではないですか」

「家族と、里の皆のことなら心配はありません。ただの大雨で崩壊してしまうほど、この里は脆くありません。里の居住区を囲うようにして、ここと同じような光の膜が張られていました。あれは恐らく……」

「姉さん」

 そうか、姉さんも頑張っているんだ。しかも、私と同じこと考えてる。尤も、姉さんはちょっとやそっとの雨じゃ、全く動じないと思うけど。

「やはりそうでしたか……」

「でも、それでも十矢は間違っています。例え姉さんがいたとしても、十矢は家族と一緒に居るべきです。姉さんの結界だっていつ破られるか分かりません。十矢、その時貴方が居てあげなくてどうするんですか!私の心配をしている場合ではありません。……早く帰ってください!」


 早く帰ってください。


 私は、なんて冷たい言い方をしたのだろうか。

 本当は、彼がここに来てくれたことがとても嬉しかった。

「僕は、穣子様の前で見栄を張ったり、建前を言ったことは一度もありません。ダメですか? 神様である穣子様を、身近で大切な存在だと思うことは?」


 ……

 …………あっ!


 十矢から私に発せられたあまりにも意外で、あまりにも衝撃の言葉に、私の意識が宙に浮いた。

 結界が大きく歪む。

「穣子様と初めて出会った時。「神様」なんて、どうしてそんな遠い存在が僕達人間の里に来てくれるんだろう? どうして話をしてくれるんだろう? ……そう思いました」

 それは普通の人間だったら、誰しもがそう思う。神様と聞いて全く引け目を感じない人間なんて、精々霊夢とその知り合いぐらいだろう。

「でも」

 ……でも?

「毎年収穫祭に来ていただいて、いつからか静葉様も一緒に来ていただけるようになった。そして、僕等人間の作った作物を美味しそうに、幸せそうに食べていただける。そんな穣子様と静葉様を見て……思い切って言わせていただきますが、本当に可愛い女の子だと思いました」


 美味しそう、幸せそう。

 ……可愛い女の子。


 そうか、彼の目に、私の姿はそんな風に映っていたんだ。

 姉さんは本当に世話が掛かるけど、ある意味すごいと思っていた。人間達の前で、あれだけはしゃいで、酔っ払って、暴走して、周りの人に迷惑を掛けて。私と二人きりでいる時より、姉さんに近い姉さんの姿。そんな、有のまま過ぎる自分で人間と接することが出来る姉さんは、きっとこの幻想郷に存在するどんな神様より、威厳も尊厳も無いのだと。ただ、その一番が何よりもすごいと思った。

 でも十矢にとっては、私も姉さんもそんなに大差は無かった。

 先日の収穫祭で、私は自分でも無意識の内に焼き芋を20個も30個も平らげたらしい。そんな私を見て、里の人間は何て思っただろう?

 焼き芋好きの、食いしん坊だと思われてしまっただろうか? 初めて私を見る人だったら、私を焼き芋の神様だと勘違いしてしまうかもしれない。

 だとしたら、私はこの幻想郷で姉さんに続いて2番目に、威厳も尊厳も無い神様だ。

「確かに、穣子様も静葉様も僕達人間にとって、非常に尊い存在だと思います。でもそれは、お二人が神様だから尊いのではなく、きっと親友のような、仲間のような、家族のような、いつも一緒にいて欲しいと願う存在だから……だから尊いと感じるんだと僕は思います」


 ……二つの尊さ。

 神であるが故の尊さと、大切な存在であるが故の尊さ。

 今の私は、そのどちらとも言えない中途半端な位置でずっと迷っている。

 前者を選ぶことが出来ればどれだけ楽だっただろう。それこそ私が、存在するだけで幻想郷全体に影響を持つ程力の強い神だったとしたら。人間なんて取るに足らない、ちっぽけな存在だと思えたかもしれない。八百万の神々の中には、そういう考えを持った神も当然存在する。それはそれで、一つの在り方だと思う。

 でも私には、前者になれるだけの力は無かった。そして、私は人間と関わりを持つことにより、人間が好きになり。後者になりたいと心から願うようになった。神様というしがらみに囚われることなく、私を必要としてくれることを望んだ……。

 でも、今の私はそれを簡単にあきらめてしまっただけでなく、心のどこかでそれを人間のせいにしていた。人間達が、神である私との間に距離を感じている限り、私にはその距離を縮めることが出来ない。人間が私に望んでいるのは、私の豊穣神としての力だけ。だから、私の存在意義はそこにしか生じない。そう一人で思い込んでいた。人間と一緒に生きたいという願いは、その存在意義を守ることでしか満たされない。そして、その満たされた願いが、例え形だけのものであったとしても、私はそれに甘んじることしかできないと思っていた。


 でも、十矢は言ってくれた。

 例え私が神であろうがなかろうが、それでも大切な存在だってことに変わりはないと。

 私を豊穣神「秋穣子」としてではなく、一人の女の子「秋穣子」として見た上で、それでも大切だと言ってくれた。

「嬉しいです。……私、嬉しいです」

 自然と涙が溢れてくる。止めることなんてできない。私の瞳から零れ落ちた涙は、頬を伝うことなく雨にさらわれて行く。

「十矢。私はこんなにも情けなくて、か弱くて、泣き虫な神です。……守ってくれますか?」


 ……守ってくれますか?


 何言ってるんだろう私。十矢の言葉があまりにも嬉しかったから? それとも、疲れが限界にきて弱気になっているから? ……十矢は普通の人間なのに。

 案の定、少し待っても十矢から返事は返ってこなかった。

「ごめんなさい。わがままなお願いでした。無理ですよね、だって十矢は」

「違うんです! そうじゃないんです。確かに僕は普通の人間です。特別な力は何も持っていません。穣子様にはいつも守っていただいてばかり。情けない限りです。今だって、これからどうするべきなのか迷っている。本当だったら、今すぐにでも穣子様を連れて帰らなければならないのに。こんなにもつらそうな穣子様が目の前にいるのに、それでも僕は躊躇っている」

「……どうして、躊躇うのですか?」

 また、何言ってるんだろう私。心のどこかで、助けて欲しいと思ってたから? それとも、つらくてこんなことやめたくなってるから?

 ……いや、それは違う。だって、

「穣子様が、心から作物達を守りたいと願っているからです」

「……うん」

 だから、例えつらくても、十矢が止めてくれたとしても、私は絶対に止めようとはしなかった。


 でも、私はどうして作物達を守りたかったの?


 明日の収穫祭が無事に迎えたかったから?

 人間達の期待に答えたかったから?

 ただ単に豊かに稔った作物が好きだから?

 どれも正解。だけど、どれも少し違う。


 今、ようやく答えが分ったよ。

「きっと守りたかったんだ。大好きな人間の皆が育てた、大切な作物達を。皆が毎日、一生懸命愛情を込めて育てた作物だから、私も愛情を込めて豊作を願ったんだよ。……きっと、そんな作物達が私を幸せに、笑顔にしてくれるんだ」

 私は、泣きながら笑った。

「参りました。それでは、穣子様が可愛い女の子に見えて当然ですね」

 人間に捨てられるのが怖かったのは本当。作物達が凶作になるのが耐えられないのも本当。

 でも、今ようやく思い出したよ。私の原点。

「十矢、申し訳ないですが、私最後まで頑張ってみます。もう正直フラフラで、意識もぼんやりしてきましたけど。……心配を掛けてごめんなさい」

「構いません。僕なんかでよろしければ、側にいます」

 ごめんね。本当にごめんね。



「あ、あれっ?」

 突然、体中から力がフッと抜ける。膝が折れ、立っていることが出来なくなった私は、そのまま地面に倒れ込む。

ドサッ

 こんな脱力感は初めてだった。

「穣子様っ!」

 十矢が駆け寄ってくるのが分かった。私は仰向けになって何も無い天を見上げる。まるで、自分自身が大地の一部になったみたいな不思議な感覚だった。

バリンッ

 結界が壊れ散る音。辛うじて離さずにいたスペルカードが、完全に光を失った。


 ……私、大切な物を守れなかった。

 ごめんね皆。ごめんね、小さなカボチャさん。


 力尽きて、諦めてしまったその時。

「穣子、あんたはよく頑張ったわ」

 えっ?

 どこかで聞き覚えのある声が聞こえてきた。そして、突然眩しい閃光が私の目に入ってくる。

「うぅっ」

 反射的に目をつむった私は、暫くして恐る恐る目を開く。

 あ!

 そこには、淡い赤色の天井が広がっており、その淡い赤色の奥には、今夜も一番明るく輝く、一等星が見えた。それまで私を容赦なく殴り付けていた雨も、すっかり上がっていた。

 ……これは結界?

 天まで届き、雲までかき消してしまうほどの巨大で強力な結界。それは恐らくこの田園地帯全体、あるいはこの里全体にまで広がっている。こんな事が出来るのは、私が知っている限りではただ一人。

「なんだ、ちゃんと守りの結界も使えるじゃない。……霊夢」

「知らなかった? 私は楽園の素敵な巫女なのよ。楽園を犯す外敵から皆を守るのは、私の仕事だからね」

 彼女は白い歯を見せて得意げに笑った。

「あ、あなたは一体!」

 十矢の驚いた声。

 それは驚くに決まっている。目の前の少女が、一人でこの幻想的な光景を作り出しているなんて、すぐに信じられるものではない。

 でもこれが、博麗の巫女……博麗霊夢の力。

「私は、通りすがりの素敵な巫女さんよ。取り敢えずここは私が引き継ぐから、貴方は穣子の方をお願い」

「は……はい!」

 霊夢の、あまりに緊張感のなさに少し戸惑いながらも、彼女の指示に素直に従う十矢。


 今度は、もっと自信を持って言ってくれるよね。

「十矢、私を守ってくれますか?」

 私は今にも消えそうな程、小さい声で問う。

 ……瞼が重い。

 意識が飛んでしまう前に……答えを聞かせて。


「……守ります」


 もう声も出なかった。

 でも、不思議な安心感があった。

 ありがとう姉さん。

 ありがとう霊夢。

 ありがとう十矢。


 私、もう大丈夫だよ。

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