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東方連小話  作者: 北見哲平
小野塚小町 〜 死神と少女と赤いスケジュール帳
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小野塚小町 - その13

 暫らくの間、音のない時間が流れた。いや、実際は草木が風に揺れる音。鳥のさえずり。自然が発する様々な音が周囲を巡っていたはずだけど、あたいの耳には入って来なかった。


「こまっ、ちゃん……が、私を、殺す。本当に?」

 あ、あたいはそんなことを言ったのか?……いや、確かに多少勢いに任せてそうは言ったが、それは限りなく確率が「0」に近い選択肢でしかない。あたいだって、そんなことを本当に望んでいるわけじゃない。望むわけがない。

「本当だよ。あたいは嘘をつかない死神なんだ」

 ただ、どうしてか分からない。それが何故か現実味を帯びてきて……あたいの大鎌が、今にも碑妖璃の首に届きそうで、それが無性に恐ろしくなってきた。

 碑妖璃の寿命が見えなくなった……初めてなんだよ、こんなことは。

 確かに、あたいはこんな能力要らないって言った。もし、誰かがその願いを聞き届けてくれたってんなら、今すぐ教えてほしい。

 どうして?どうしてあたいには碑妖璃の寿命が分からないんだよ!


 ……何て様だ。不要な能力だと言いながら、いざその能力が怪しくなったら教えてほしいだなんて。こんなにも不安になるなんて。カッコ悪いにも程がある。

 畜生!


「私には、こまっちゃんを傷付けることはできない。私は、こまっちゃんのこと大切な友達だと思っています。こまっちゃんも、私の味方だと言ってくれました。……それでも、私のこと殺せるんですか?」


 殺せる?


 それは、死神に対してする質問か?

 それが、今まで人間を手に掛けたことがない死神に対して言うことか?

 確かに、そう言い出したのはあたいの方だけど……知っているんだろ。あたいがどんな死神なのか。


「否定しろよ!否定して、あたいはそんなことを絶対しないって言えよっ!そんな、まるで自分が死にたいみたいな、もうすぐ死んでしまうみたいな言い方するな!……あたいが本当に、碑妖璃を殺したいと思っているはずがないだろ。そんなことしたくないに決まっているだろ。そんなことを言わせるな!あたいが、風吟達を動けなくなるまで痛め付けて優越感に浸っているとでも思っているのか?人間の子供達を守って、正義の死神を気取りたいとでも思っているのかよ!」

 やっぱりまだ、先程からのイライラ感は収まりきっていないようだった。自然と口調が荒くなる。

 碑妖璃はそんなあたいに、少し押されるように怯んだが、すぐに顔を引き締めて言い返してきた。

「思ってない!思ってないです!こまっちゃんが私のこと殺したいはずが無いし、意味も無くみんなを傷付けるようにも思っていない!……でも。でも、こまっちゃんには私の言葉は届かなかった。私が止めてと言っても、そのままみんなに鎌を振り下ろした。私が一番耐えられないのはみんなが傷付くこと。そう言ったばかりなのに。……こまっちゃんは、その一番耐えられないことをするのに、一切の躊躇いがなかった」

「躊躇うわけないだろっ!躊躇って、中途半端にダメージを与えて不覚をとるわけにはいかなかった!どんなことがあっても、子供達を殺させるわけにはいかなかったんだよ!そりゃあ確かに、少しやり過ぎだったかもしれない。でも、あたいもそうだから分かるけど、妖怪そう簡単に死んだりはしない!」

 それに、きっと風吟達はこんなことをしたあたいを許してくれると思ったから。

「だからっ!だからどうしてそこまでして人間を守ろうとするんですかっ!こまっちゃんにとってはどうでもいいはずの人間を、どうしてそこまでして守ろうとするんですかっ!」


 それは……、


「あたいも、慧音の理想に乗っかってみたいと思っただけだよ。碑妖璃が望んだ未来を見てみたくなっただけさ」

 そう。あたいはそれが理想の幻想郷だと、近頃そう感じるようになった。

 それを聞いた碑妖璃は、ハッとするように口を開けると、眉を吊り上げて反論してきた。

「慧音さんの理想……ちがうっ、私はそんなことを望んで無い!」

 ま、否定するとは思ったけどね。

「隠さなくてもいいよ。……碑妖璃は慧音さんと話してどう思った?慧音さんの語る幻想郷の未来像を聞いてどう思った?……あたいは、正直バカだと思ったよ。慧音さん自身、誰かの影響を受けてそんな理想を掲げるようになったみたいだけど、他人の影響を受けるなんてらしくない、どうしたの慧音さん?ってな感じだった。でも、だとしたらあたいもバカなんだと思った。なぜならそれは、信じるに値する、信じてみたくなるような理想だった。あたいは今まで通り仕事を続けるだけだけど、慧音さんと、同じ理想の為に頑張ってる連中を本気で応援したくなった。そして、にゃん子ちゃんから碑妖璃のことを聞いた時、碑妖璃も同じなんだと思った。あんなことさえなければ、人間が碑妖璃のことを認めていれば……今より一歩も二歩も、その理想に近付いてたんだろうなって」


 そしてにゃん子は言っていた。自分はその頃の碑妖璃が一番好きだと。その頃の碑妖璃に戻ってほしと。


「それは慧音さんの理想でしょ!私は違うっ!……確かに慧音さんは優しいし、すごいと思いました。話を聞いて驚きましたし、人間も悪いところばかりじゃないことも理解できました。もしかしたら妖怪と人間が本当の意味で共生できる日が来るかもしれない。そう思いましたし……そうなれば、きっとたくさんの妖怪や人間が幸せになれるんじゃないかとも思いました」

 おお~。

「なんだよ、碑妖璃もそう思っているのなら」

「でも私には関係ないっ!私はここでの暮らしに不満は無いし、大好きなみんなに囲まれてとても幸せです。その中に、人間が割って入る隙なんて一切ないし、絶対に入れたりしない。慧音さんは信じられる、でもやっぱり人間は信じられない。……人間は私達に不幸しかもたらさない。……ごめんなさいこまっちゃん。やっぱり私、そんなに短い時間で自分の考えを変えられません」

 ようやく前向きな本心を言ったと思ったのに、また否定的なことを……でも、これも碑妖璃の本心だと言うことは間違いない。

 短い時間で自分の考えを変えられない……それは言い換えれば、自分には長い時間が無いという意味にも取れる。死神のあたいにだけは、絶対に分かるメッセージを投げ掛けてきたように感じた。そして、あたいはそれを見逃すことができなかった。

 でも、あたいにはそれを肯定することができない。なぜなら、今あたいには碑妖璃の寿命が見えないから。どうして見えなくなったのかは相変わらず分からない。

 ただ嫌な予感がする。あたいの予感は、当たる時はよく当たる。


「だからやっぱり、その人間の子供達を生かして帰すわけにはいかない」

 くっ!

 ……どうして。どうしてそんなにも覚悟を決めたような顔で、あたいの方を見るんだ。

「その時は……あたいが碑妖璃を殺すって言ったはずだよ」

 予感は不安へと昇華し、あたいの心を侵食する。

 今のあたいは、それが確信に変わらないことを願うしかない。

「……構わないです。それがこまっちゃんの信じることなら」


 碑妖璃の信念は折れない。折ることができない。あたいに殺されても、決して変わることは無い。

 考えたくなかった一つの可能性。碑妖璃の寿命が見えなくなったのは、つまりそういうことなのか。


 本当に碑妖璃の寿命は……もう尽きているのだろうか?

 あたいが碑妖璃を殺すと言ったその瞬間、変わらないと思っていた運命は書き変わってしまったというのか?


 ……そんなバカな!


「でも、どんな結果に終わっても、私にとってこまっちゃんは大切な友達です。……私は友達を恨んだりしませんし、この地に居座り続けてこまっちゃんのお仕事に迷惑を掛けるようなこともしません」

「碑妖璃は勝手だ。何が迷惑は掛けないだ。掛け替えのない友人、しかも自分が殺した人間の魂を彼岸へ送り届ける死神の気持ちが分かるのかよ。あたいは……分からないよ。そんな気持ち知らないし、知りたくもないことだ。そもそも、碑妖璃を彼岸に送る前にあたいは失業だよ。下手すりゃ告発されるかもしれない。現職死神の不祥事ってな感じで……地獄裁判だなんて、本当に洒落にならないよ」

「……ごめんなさい。こまっちゃん」

「謝るくらいなら、初めからあたいにこんな思いをさせるな……バカ」


 そう言いながら、あたいはゆっくりと鎌を振り上げる。碑妖璃との距離は5メートル以上はある。ただ先程の様に、鎌を振り下ろした剣圧で確実に捕らえられる自信はあった。むしろこの距離では、狙って外しようがない。これを思い切り振り下ろせば、碑妖璃は恐らく数10メートルは後ろに吹き飛び、場合によっては絶命するだろう。

 それは、当然人間にとっての死。肉体の死を意味するわけだけど……。


「ダメだよー!」

ザザッ

「にゃん子ちゃん。それにみんな!」

 この状況を見兼ねたにゃん子ちゃんと、金太、こうちん、たーあんの非戦闘員カルテットが碑妖璃の方に駆け寄ってくる。皆考えることは同じ。もしあたいが攻撃してきた時の盾になるつもりだろう。

「来ないでっ!」

「ひ、ひよりん……」

 碑妖璃が制止するように叫ぶと、にゃん子達はピタッと動きを止める。そして彼女は、皆の居る方へ振り向いて言った。

「いいんだよこれで。みんなお願い、こまっちゃんのこと怒ったりしないでね……こんな勝手な私を許してね」

 碑妖璃は優しく微笑んだ。あたいの気持ち蔑ろにして、何ていい表情をするのだろうと思った。


ザッ

「よくなんかない!全然よくなんかないよっ!」

「にゃん子、ちゃん」

 にゃん子は、勢いよく碑妖璃の前に飛び出すと両手を大きく広げ、あたいと碑妖璃の間に立ち塞がった。


「にゃん子ちゃん!危ないからそこをどいて!」

「どかないっ!」

 声を荒らげるにゃん子。

 彼女が、自分の意志で碑妖璃の言葉に逆らった。これは、もしかしたら初めてのことかも知れない。

 いや、違うか……にゃん子は碑妖璃の言葉に逆らわずに生きてきたわけじゃない。碑妖璃の為に生きていくことを決めてたんだっけ。だとすると、にゃん子はここで碑妖璃が生きることが、碑妖璃自身の為になると考えている……ふっ、そんなの当たり前か。


 そして、あたいが碑妖璃に言いたい言葉は……、


「それに危なくなんてない!だって、こまっちゃんはひよりんのこと殺したりしないからっ!」

 にゃん子は、首を左右に大きく振る。

 でも、あたいに碑妖璃は殺せないと言いながらも、必死で彼女のことを庇おうとするにゃん子の行動は、どこか矛盾していた。


「碑妖璃の言う通り、どいた方がいいよにゃん子ちゃん。怪我じゃ済まないかも知れない」

「凄んだって無駄だよ。あたしはこまっちゃんの言葉を信じたんだから。こまっちゃんは、ただサボるのが大好きなだけで、ひよりんをどこか遠くに連れていったりはしない。こまっちゃんは嘘吐きだけど、あたしはさっき言ってくれた言葉を信じてるよ」

 成程。それは随分、大層な理由だね。

「にゃ……にゃんこ、ちゃん?」

 碑妖璃が驚いた表情でにゃん子の背中を見つめる。自分が隠していた秘密が、よりにもよって一番知られたくないにゃん子ちゃんに露見していた。その事実に気付いたのだろう。

「これがひよりんの最期だなんて思ってないよ。だって、ひよりんはまだまだこれからだもん。言って無かったけど私はね……人間のひよりんが一番大好きなんだよ」

「……そうか。なら最後までそれを信じてみな!」

 よく言ったよ、にゃん子ちゃん!


 あたいは思い切り振り上げた大鎌を目一杯後ろに引き、反動をつけて全力で振り下ろした。

「でやあぁーーー!」

「こまっちゃん、あたしは信じてるよ!」

ブワンッ

 鎌を振り下ろす音。そして、それと同時に発生したカマイタチが空気中を疾走する音が森の中に響き渡った。

ザザザ……ドンッ!

 森すらも一刀両断したかのような、それくらい確かな手応えがあった。にゃん子を挟んだとしても、なお碑妖璃を数10メートルは吹っ飛ばしてしまうほどの威力だったはずだ。


 ……。

 …………。


 しかし、あたいが放ったカマイタチはにゃん子も碑妖璃も捉えなかった。あるいは、にゃん子の尻尾くらいには掠ったかも知れない。

 ただ、大きく風になびく碑妖璃の黒髪と、二人の後方にそびえ立つ、立派な新築一戸建ての内装が外から丸分かりなところを見ると、あたいは攻撃を上手く外せたらしい。

 無論、意図的だ。やっぱりあたいに碑妖璃は殺せなかったらしい。あれだけ見栄を張っておいて、結局碑妖璃に向かって鎌を振り下ろすことはできなかった。これで、あたいは自他共に認める嘘吐きってことか。

 でも、そんな自分に不思議と安心した。

 ……安心して、自然と笑みがこぼれた。


「ちょっと気張りすぎて、手元が狂っちまったかな」

 あたいのその言葉を聞いて、にゃん子は恐る恐る瞼を開いた。本当は怖かったのか、瞳には薄らと涙を含んでいた。

「バカこまっちゃん!……本当に、本当に本気なのかと思っちゃったよ~。尻尾にちょっとだけ掠ったような気がするし~」

 あ、やっぱり掠ってた?

 あたいは小さく息をついた。

「少し前までは、多分本気だったんだよ。……でも、にゃん子ちゃんがあまりにもあたいのことを信じてくれるもんだからさ」

「こまっちゃん……」

 ゆっくりとにゃん子の隣に並んだ碑妖璃は、嬉しいような悲しいような寂しいような、どれともとれる困惑した表情だった。

「碑妖璃、にゃん子ちゃんは言ったはずだよ。碑妖璃はまだまだこれからだと……」


 そう、あたいにはずっと言えなかった言葉。

 それがあまりにも無責任だと思ったから。短命を知りながらそんな気休めの様な、心にも無い様なことを口にして、それで励ました気になって。いずれ寿命が尽きる時には、その言葉の意味の無さを痛感させられる。本当にバカみたいな話だ。バカみたいな話だと思っていた。


 でも、2か月は本当に短い時間なのだろうか?

 1ヶ月では何も残せないのだろうか?


 ……違う。

 あたいは碑妖璃と出会って1ヶ月、その考えが過ちだったことに気付いた。


「碑妖璃……あたいは碑妖璃に生きてほしいんだ」

 そう。それがあたいから碑妖璃に言える最善の言葉。

 死神「小野塚小町」じゃなく、碑妖璃の友人であるあたいの本心。

「だからやっぱりあたいには、碑妖璃は殺せない」

「……こまっちゃん」

 あたいの目に碑妖璃の寿命が映らなくなった今、これからの碑妖璃を作っていけるのは碑妖璃自身。そして、碑妖璃を周りで支えている家族や仲間。



ザッ

「……!?」

 あたいは大鎌を地面に突き刺した。

「ふ~」

 そして気を集中させて、能力を発動させる。無論「距離を操る程度の能力」だ。


 ……。


「……えっ?」

 突然、あたいの眼前に広がる景色が変わった。

「あれっ、こまっちゃんいつの間にあたしの隣に……それにひよりんもいつそっちに?」

 あたいの隣にはにゃん子が居て、碑妖璃の目の前には人間の子供達が居た。

 突然で驚いただろう。「脱魂の儀」自分自身と対象の位置を一瞬で入れ替えてしまう技。あたいの能力をフル活用するとこんなこともできる。

「碑妖璃。さっきも言ったように、あたいに碑妖璃は殺せない。だから、碑妖璃は碑妖璃の信念に従って人間の子供達を殺せばいい。特別に、あたいの鎌を貸してやるよ」

 あたいの声を聞いて振り返った碑妖璃は、目の前に突き刺さっている大鎌を見て、ようやく何が起こったか理解した。

「わ、私が……人間を、殺す……」

「そうさ。相手は子供なんだ。わざわざ風吟達の手を煩わせるまでもないだろ?」


「こ、こまっちゃん、そんな……守ってくれるって言ったのに」

「い、妹だけでも無事に里まで……お願いします!」

 あたいの裏切りというまさかの展開に、人間の兄弟も信じられないといった表情であたいの方を見てくる。

「悪いね、あたいは見ての通り嘘吐きなんだ。……その代わり、後で船代はまけてやるよ」

「そんなっ!」

「こまっちゃんのうそつきっ!……やだっ!やだよー!」

 絶望した少女はその場にへたり込んだ。少年は、動けなくなった妹を守ろうと必死の形相で碑妖璃の前に立ち塞がる。その姿は、先程にゃん子が碑妖璃を守ろうとした姿に似ていた。


「さあ碑妖璃。たまには皆に頼らず、自分で何とかしてみたらどうだ!」

「……」

 碑妖璃は無言のままあたいの大鎌に手を掛けた。柄を両手で握り、地面から抜く為にグッと力を込めた。

ザッ

「うっ!」

 ある程度予想はしていたようだが、恐らくそれ以上の質量だったのだろう。碑妖璃の体は、地面から鎌を抜いた勢いでそのまま持っていかれそうになった。

「うぅっ!」

 それでも碑妖璃は、地面をしっかりと踏み締めて立て直すと、ゆっくりと、恐る恐る鎌を振り上げた。

「お、お姉ちゃんやめてっ!……こまっちゃん、助けてよー!いやぁぁぁーーー!」

 少女は、遂にまた泣き出してしまった。


「さあさあ!人間からにゃん子ちゃん達を守りたいんだろ!だったら早くその鎌を振り下ろすがいいさっ!」

 あたいは、声を張り上げて碑妖璃を促した。少女の泣き声は一層大きくなり、森の中に響き渡る。

 碑妖璃は鎌を振り上げたまま、ピクリとも動かなかった。

「さあさあさあ!何を躊躇ってるんだよ。折角、自分の手で皆を守れるってのに」

 あたいは更に催促する。酷い言葉だと思う。でも、今の碑妖璃に優しい言葉じゃ意味が無い。


 ……。

 …………それでも碑妖璃は動かなかった。


 動かない。動かない。動かない。


「碑妖璃の信念はその程度のものだったのか!あ~あ、これじゃみんな殺されるね。皆殺しだ!ま、あたいの仕事は特に増えないから別に」

「こまっちゃん止めてっ!……もうこれ以上、ひよりんを責めないで」

 にゃん子が懇願するようにあたいに抱き付いてきた。

「こまっちゃんも知ってるんでしょ!ひよりんに人間を殺すことなんてできない!」

 にゃん子は碑妖璃にも聞こえるように、そんなの当然だと言わんばかりに言った。


 ……。

 …………碑妖璃の後ろ姿は、それでも変わらなかった。


「……あっ」

 ただ、その体は激しく震えていた。今にも大鎌を落としてしまいそうなほど危なっかしく、小刻みに振動していた。

「知ってるよ。知ってて言ったんだ。……でも悪かった。確かにちょっと言い過ぎだったかもね」

 そう言いながら、あたいは碑妖璃の後ろに歩み寄った。振り上げたままの大鎌の柄を右手で握り、左手は震える手にそっと添えてやる。

「やっぱり碑妖璃にこんなもの似合わないね。ってか、似合わなさ過ぎだって。……返してもらうよ」

 ほとんど力が籠っていなかった。柄を引くと、碑妖璃の手から大鎌がスッとこぼれた。

「……碑妖璃。こんな物騒の物持たせちゃって、本当に悪かったね」

ズサッ

 碑妖璃は、ガクッと膝から崩れ落ちるように地面に伏した。頭を深く下げて、自分の体を支えるように両手で地面を抑えつけ、そして小さく嗚咽のような声を漏らした。

「わ……わたし。こまっ、ちゃんの気持ち……ようやく、わかっ、た」

 そう言いながらあたいの方へ振り返った碑妖璃は、とても弱々しく、とても綺麗な涙を流していた。

「お姉ちゃん……大丈夫?」

 さっきまで泣いていたはずの少女が、そんな碑妖璃を見て心配そうに声を掛ける。

「うぁ……あ、ありがとう。こんな、こんな私の心配を……してくれるの。あなたのこと、殺そうとしていた……私なんかを。……ありが、とう。優しいね」

 少女は、まだ乾き切らない潤んだ瞳のまま、ニッコリと笑った。少年は、そんな少女の頭を優しく撫でた。


「こまっちゃんが、私のことを殺すだなんて……そんなこと、言うはず無いって、そんなことしないって思ってました。こまっちゃんは確かに死神だけど、友達だったから。……だから、こまっちゃんに殺されちゃうかもしれないって時、本当は怖くて、悲しくて、つらかった……。きっと、そうしようとした理由を後で話してくれるんだって思ってました。……でも、やっぱりこまっちゃんはこまっちゃんで、ここまでしてもらって、ようやくこまっちゃんの気持ちが分かりました」

「……うん」

 あたいは、何を言うわけでもなく小さく頷いた。


「みんなのこと……みんなの為に私を止めようとしてくれてたんですね」

「慧音さんから聞いたんだ。一人の、妖怪の少女の話。少女は元々人食いの妖怪で、たくさんの人間を殺めてきた。それは当たり前のことだったし、特別悪いといった感情も無かった。でも、ある時から少女は人間に魅かれるようになってきた。人間の世界で、人間と一緒に暮らしたいと思うようになっていた。そして、それと同時に金輪際人間を傷付けないことを心に決めた。……でも、人間はそれまで少女が行って来た行為を忘れはしなかった。必死で許しを請う少女を、人間達は容赦なく痛めつけた。でも、それは仕方のないことだって少女も分かっていた。いや、分かったからこそ以前の自分に後悔した。悔いて、悔しくて涙を流した。そんな少女の話」


「私には殺せなかった。……体が震えて、どうしようもなかった。だって……だって、誰かの命を奪うって、そんなに簡単なことじゃなかったんだもん。この子達だって、きっと誰かに愛されてる。誰かは分からないけど、私なんかよりずっとたくさんの人に想われてる。……そっか、今は人間だけじゃないんだよね。妖怪や妖精にだって想われてるかもしれない。だから、私がこの子達を殺してしまったら、そのたくさんの人達に悲しい想いをさせてしまう。……それは、すごい罪悪。どれだけ悲しい気持ちになるのか、私はみんなを失った時に知ったから。こんなに心が捻じ曲がっちゃうほど、それはとても重たいことだから!」

「碑妖璃の心は捻じ曲がってなんていないよ。……だって、碑妖璃は常に皆のことを考えながら生きてきたじゃないか」

「違うっ!みんなを守りたいだなんて……そんな独り善がりな優しさや信念を振りまいて、みんなにつらいことを強いてきたに過ぎない!風吟達は、どんな気持ちで人間を殺したの?私の為に、私が望んだことが達成できて、それで幸せだったの?……きっとそうじゃない。そんなはずが無い。だってみんな、こんな私とずっと一緒に居てくれるくらい優しいんだもん。私の為に、私の身代わりになってでも命を守ろうとしてくれるくらい、本当はいい子達なんだもん。……心を痛めないはずが無い!……私の為に、たくさん我慢してきたんだ!そんなみんなの気持ちに気付けなかった自分が情けないよっ!……にゃん子ちゃん、ごめんね。ごめんね……うぅ、うぐっ……うあぁぁぁーーー」

「ひ……ひよりん」

 碑妖璃は、まず一番側に居たにゃん子に謝り、そのまま泣き崩れた。

 確かににゃん子は、碑妖璃の為に一度だけ人間を手に掛けた。でも、それはあたいとにゃん子本人しか知らないはず。

 となると、やっぱり……。



「にゃん子ちゃん。あたいはこの子達を人間の里まで送るよ。……だから、碑妖璃のことは任せた」

「えっ、こまっちゃん!……う、うん」

 あたいが唐突に帰ろうとしたからだろう。にゃん子は若干困惑の色を見せつつ、それでも了承してくれた。今日は変に疲れた……早く人間の里まで送って、そのまま知り合いの家で寝たい。

 本来なら、あたいなんていち死神が口出しするようなことじゃ無かったんだ。……でも、少しだけすっきりした。これも事実。


「また明日も来るよ」

「しばらく来ない方がいいんじゃないかな」

 にゃん子は言った。それは気持ちの整理とか、口出ししないはずだったあたいがしゃしゃり出てしまったことに対する、若干の怒りも込められていたのかもしれない。


 でも、それでもあたいが言うことは決まっている。


「絶対来るよ。あたいは明日もサボりで暇なんだ!」

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