小野塚小町 - その6
「あたしがひよりんと出会ったのは今から10数年前……10数年なんて妖怪からしたら大した時間じゃないって思うかもしれないけど、あたしにとってはそれまで生きてきた時間の何倍も意味のある時間だった」
にゃん子はそう切り出し、続けて過去を語り出した。
質問に答えることを交換条件として、碑妖璃が人間を憎んでいる理由、碑妖璃の過去をにゃん子に問うたあたい。にゃん子はそれを聞いて、答えるのを少し躊躇った。でも、彼女にはそれ以上あたいに聞きたいことがあるのか、ゆっくりと頷いて口を開いた。碑妖璃の過去を勝手に口外するなど、絶対に気乗りはしないはずなのに。
もしかすると、それはにゃん子なりの碑妖璃に対する思いやりなのかもしれない。自分が碑妖璃のことを話さなくても、いずれあたいはそれを本人に直接聞く。碑妖璃に、それを口にさせるくらいなら自分がと……有り得ない話ではない。
「その年は、例年よりもずっと冷え込みが厳しい年だった。今程でないにしても、元々寒いのが苦手だったあたしにとっては死ぬほどつらかった。いや、実際死にそうになった。あたしはその時、人間が捨てた廃屋を住処にしていたんだけど、冬の間はずっとそこで丸くなって寒さをしのぐ毎日が続いていた。でも、あたしだって生きているんだから食料を調達しなくちゃいけない。人間は食べない。川魚や森に住む動物が主食だった。だから、比較的寒さの緩い日を見計らって外に出ることにしていた。でも、その年は誰かの悪戯だったのかな、寒さは緩むことなく吹雪も続いていた。あたしは生きる為に、仕方なく外に出た。吹雪は予想以上に強く、知らないうちに体力は奪われて行った。そして、気が付くとあたしの体は満足に動かせなくなっていた。人間で言ったら凍傷って言うんだっけ?あたしはあれだけ嫌だった寒さすら感じることができなくなり、白い雪の上に倒れ込んだ。……ここで死んじゃうんだ。そう思った。でも、あたしは死にたくなかった。死にたくなかったから必死で足掻こうとした。でも、体は動かないし意識は遠くなっていく。その時何ができたかと言うと、それは心の中で「助けて」と叫び続けることだけだった。あたしもバカだと思ったよ。こんな吹雪の中、誰が助けに来てくれるんだよってね。……それでもあたしは叫び続けた。助けて、助けて。何百回、何千回、何万回……そして、もう心の声すら弱々しくなったその時……「助けに来たよ」って、吹雪の音を切り裂いてあたしの耳に届いた。小さな人間の少女。本当に小さな少女がそこに立っていた。寒さ、雪、吹雪、妖怪の森……そんなことお構いなし。少女はあたしを励ますかのように、涙を流しながら笑った。あたしには何がなんだか分からなかった。でも、少女の笑顔を見て思ったんだ。もしかしたら、あたしは助かるかもしれないって。……少女はすぐに地面に倒れるあたしに覆いかぶさった。まるで、吹雪からあたしを守ってくれる様に。まるで、親鳥が雛の卵を温めるかの様に。それでも少女は小さかったから自分の衣服を脱いで、カバーできなかった部分にそれを巻き付けた。そして、裸同然の体であたしを抱きしめてくれた。どれだけ急いでここまで来てくれたのか、少女の体は信じられないくらい暖かかった。でも、あたしの体は冷え切ったままで、少女の体温を奪う一方だった。信じられない。どうして人間の少女が……それ以前に、どうして人間があたしの為にここまでしてくれるの?どうして妖怪の為にここまでできるの?あたしは泣いてしまいそうになった。涙すら凍ってしまう寒さの中、頻りに「大丈夫だよ、大丈夫だよ」って少女は励ましてくれる。当たり前だけど、少女は震えていた。声も、体も。……あたしの死にたくないって気持ちはもっと強くなっていった。人間の少女がどうしてあたしを助けてくれるのかなんて今はどうでもいい。とにかく、この少女の為にもあたしは絶対に死んじゃいけない」
にゃん子は、口調を強めて言った。そして続けた、
「そう思った途端不思議なことが起こった。あれだけ冷え切っていたあたしの体に、次第に熱が戻るのを感じた。氷の様に硬かった全身に解凍が施されていくかの様に感覚が戻る。生きたい想いの強さがここに来て特別な力を発揮したのか、もしくはそれは小さな奇跡だったのかもしれない。気が付けば、あたしは少女を抱き抱えて冷たい雪の上に立っていた。少女は意識を失っていた、そして冷たかった。あたしは、ただひたすら一つのことを考えながら住処にしている廃屋に走った。……死なせるものか!誰かの為に、しかも人間の為に、こんなにも強く想い、願うことがあるなんて、自分でも信じられなかった」
にゃん子はそこまで話すと、一度小さく息をついた。
「それがにゃん子ちゃんと碑妖璃の出会いってわけか」
「ひよりんが目を覚ました時は、本当に安心して、本当に嬉しかった。今まで生きてきてあれだけ不安だったのも、あれだけ安心したのも無いよ」
「にゃん子ちゃんが碑妖璃の体を暖めたんだろ。やるね~」
あたいがそう言うと、にゃん子はカァっと目で見ても分かるくらい全身を火照らせながら答えた。
「し、仕方ないでしょ。火をおこそうにもその術がなかったんだから。……それに、元々あたしが体温奪っちゃったんだし」
思っていた以上に可愛い反応が返って来たので、あたいは若干の満足感を覚えた。にゃん子もやっぱりまだまだ子供だということだろうか。
「それで、その後あたしは気になっていたことを聞いたんだ。どうして助けに来てくれたのかって。……するとひよりんはとても明るく笑いながら答えた。「妖怪さんの声が聞こえたからだよ。間に合って本当によかった」ってね。……あたしは今度こそ本当に泣きそうになった。いや、もしかしたら泣いていたのかもしれない。ひよりんはあたしの声を、心の中で何度も叫び続けた心の声を、誰も聞いてくれないと思っていた「助けて」を、しっかりと聞いてくれていた。そして、自分の命を投げ打つ覚悟であたしのことを助けに来てくれた。……あたしはその時決めたんだ。これからはひよりんの為に生きて行こうって」
にゃん子は心に決めた固い意志を口にした。彼女が碑妖璃のことをどれだけ大切に想っているのか、それがよく分かった。
「因みに、それ以降あたしはもっと寒さに弱くなっちゃって。それで今はこんな感じ。寒いのが怖いんだ。情けないことこの上ないんだけどね。でも、あの時みたいにどこかで倒れて、ひよりんに心配を掛けるよりかはずっとマシ」
成程。結果的にそれが碑妖璃との出会いを引き寄せたとはいえ、その為に碑妖璃を一度命の危機にさらした。恐らく、体が無意識の内に寒さから逃げてしまうのだろう。……無理も無いことか。
「それで、出会った当初から碑妖璃は人間を憎んでいたのかい」
にゃん子は首を横に振って答えた。
「違うよ、その時はまだひよりんは人間と一緒に人間の里で暮らしていた。お父さんやお母さん、それに友達の話もたくさん聞かせてくれた。それも当然、ひよりんは人間の女の子だったからね。……でも、人間でありながら毎日あたしの住処に来ては一緒に遊んでくれたりもした」
「子供が一人で毎日森の中に入っていくとは、今と違って10年前は物騒だったろうに……」
「今でも、十分物騒だと思うけど……。まあ、あたしも心配だったから、ひよりんにこっちから迎えに行くとは言ったんだけど……何か妙に説得力がある言葉で跳ね返された」
う~ん。何となく想像は付くが……。
「で、気が付いたらあたしの住処も結構賑やかになっていた。ひよりんが森で出会った妖怪をどんどん連れてくるものだからさ。まあ、あたしは全然嫌じゃなかったんだけどね。ただ、なぜかあたしの住処が集合場所みたいに勘違いする連中が多くて、毎日ひよりんが来る時間帯になるとゾロゾロやって来たりして。挙句の果てには、あたしの住処で居候する奴まで現れた。もう毎日がうるさくてうるさくてしょうがなかったよ。……でも、同時に毎日が楽しくて楽しくてしょうが無かったって言うのも本当。それに、あたしみたいな妖怪に、人間で言う家族みたいなものができたような気がして、それがとても嬉しかった。不思議だね。別にそんなもの必要ないと思っていても、いざ手に入れるとそれが異様に嬉しくて、今度は手放そうにも手放したくなくなってる。むしろ依存しているって言った方がいいのかな。ひよりんにこの気持を話したら「私もにゃん子ちゃんやみんなが居なくなるなんて耐えられない。だからずっと一緒に居てくれる」って返された。あたしは二つ返事で「勿論」って答えたよ。きっと、あの時集まっていた連中誰に聞いても、その答えは同じだったと思うよ。みんなひよりんが大好きで、ひよりんもみんなのことが大好きだった。……でも、この時ひよりんは大きな悩みを抱えていた……」
にゃん子は少し言葉に詰まり、表情を曇らせた。そろそろ回想話も終盤に向かって行くようだ。
「その悩みっていうのはなんだい?」
あたいは続きを促した。つらいことをにゃん子に話させることになるのは分かっていた。そして、それは酷なことだとも思った。
でも、あたいはもっと碑妖璃のことが知りたかったのだ。
「……ひよりんはあたしと二人きりの時にそれを話してくれた。きっと、みんなに心配を掛けたくなかったんだね。ひよりんらしいと思った。でも……それでも、あたしにだけは相談してくれた。ひよりんが悩んでいるのにこんなことを思うのは不謹慎かもしれないけど、正直それが嬉しかった。自分だけがひよりんにとっての「特別の特別」で、だからこそ力にならなくちゃいけないと思った。あたしにできることなら何だってやってやる。……そう思った」
誰だって大切な人の、特別な存在になれることを望んでいる。それは、なにも恋人同士や家族の関係に限ったことではない。碑妖璃とにゃん子のように種族を超えた親友の間にだって芽生える感情である。
きっと碑妖璃は、そんなにゃん子の気持ちを知っていたからこそ、彼女にだけは悩みを相談できると考えたのだろう。
正直、あたいにはまだそう思えるほど親しい者はいないけど……いや、いらないと言った方が適切なのかもしれない。何と言ってもあたいは死神……いや、そう言えばさっきにゃん子が言ってたっけ。
「別にそんなもの必要ないと思っていても、いざ手に入れるとそれが異様に嬉しくて、今度は手放そうにも手放したくなくなってる」
分からない。でも、何となく分かるような気がする。
でも、誰かに依存する生き方は、本当に幸福なものなのだろうか?
……分からない。これは本当に分からなかった。
にゃん子の話は続く。
「人間は本当に愚かな生き物だと思うよ。その頃、里でひよりんがどんな扱いを受けていたか分かる?……妖怪使いの魔女だって。汚い言葉で罵倒され、周りの人間には疎まれ、友達は離れていき、ついには親にまで見捨てられた。でも、それでもひよりんは人間の里から出て行かなかった。馬小屋同然の場所で寝泊まりしていた。あたし達との関係を終わらせれば、少しは元に戻るかもしれないっていうのに、ひよりんはあたし達のことを見捨てなかった。人間として生きて来て、親にまで見捨てられた幼い少女が、それでもまだあたし達妖怪と一緒に居たいって、遊びたいって言ってくれた。ひよりんは、決して人間を捨てたかったわけじゃないんだ。遠くに行ってしまった友達ともまた一緒に遊べるようになればいいなって言っていた。またお父さんやお母さんと一緒に暮らせるといいなって言っていた。……そんなことを、そんな簡単なことを、そんな人間だったら当たり前のことを、大粒の涙を溢しながらこんな少女に言わせるなんて。そして挙句の果てに、ひよりんが妖怪達を引き連れて人間の里を襲うつもりだなんて、そんなふざけた噂まで立っていた。あたしだって、妖怪として一応の知識ぐらいある。妖怪と人間の関係が良好で仲良し小好しじゃないっていうのも分かってる。……でも、こんなのは無い。こんなの酷過ぎる」
あたいは、妖怪にしては人間との付き合いが長い方だと思っている。商売の相手が人間なのだから当たり前だ。だから、人間の汚いところも綺麗なところも嫌と言うほどよく知っている。
人間は仲間意識が強い生き物だ。……それはそれでいいことなのかもしれない。でも、仲間以外の者に対しては容赦しない。妖怪であれば、群れから離れた者に構ったりはしないが、人間の場合は群れから追い出しただけでは飽き足らず、徹底的に虐め抜く。言葉は悪いが、その者が潰れていくのを見て快感を覚え、優越感に浸る生き物なのだ。それは、日頃のうっぷんを晴らすための娯楽の様なものだ。人間の世界の中で人数が多いこと、つまり多数派は圧倒的な力を持ち、少数派は力なく惨めな思いをする。
碑妖璃は、言ってしまえば異能。その上、彼女が妖怪のことを人間と同じように愛したい気持ちは揺るがない。となれば、彼女は少数派ですらなく皆とは全く考えが違う個人。人間達にとっては格好の的だったに違いない。あることないことを噂として撒き散らされ、それを真実だと信じて疑わない周囲の人間のせいで、出鱈目な噂は人間にとっての真実へと昇華していく。
誰よりも純粋な心を持ち、誰よりも非日常な幸福を願った碑妖璃は、そんな腐った人間世界の被害者なのかもしれない。
……その時、碑妖璃の話を聞こうとした者が、誰一人居なかったのだろうか?
もしそうであるなら、それは悲しいことだ。
「あたしは怒りで頭が爆発しそうになった。ひよりん以外のすべての人間に対して憎しみを抱いた。……でも、分かってる。ここであたしが暴走して人間に牙をむいたら、ひよりんは完全に人間の敵とみなされてしまう。あたしはまず、冷静になるようにと自分に言い聞かせた。ひよりんがどんな気持ちであたしに相談してきたのか。ひよりんの為にあたしがしてあげられることは無いのか。それだけを必死で考えた。……でも、あたしは馬鹿っだのかな。どうすることがひよりんにとって一番いいことなのか結論を出せなかった。妖怪であるあたし達と縁を切ればいい。……そう一瞬口にしようとして喉の奥で止まった。あたしはやっぱり自分が馬鹿だと思った。どうしてひよりんが今こうして悩んでいるか……そんなことを言ってもひよりんを傷付けるだけだ。……でもあたしはひよりんの力になりたかった。その気持ちだけは幻想郷中のだれにも負けない自信があった。だからひよりんは、そんなあたしに対して一つのお願いをしてきた。……それは、里の長に会って欲しいとのことだった。会って話をすれば、きっと人間達もあたし達が人間を襲ったりしないって分かってくれるはずだからって……。それは、ひよりんからあたしへの初めての頼みごとだった。……正直、甘い考えだと思った。あたしは人間のことをあまり知らなかったけど、ひよりんのことをここまで追い詰めてしまう連中が素直に納得してくれるとは思えなかった。……でも、あたしには何も考えが思い浮かばなかったし、必死で思い悩んだひよりんが、縋る思いであたしに相談してくれたんだ。それを断ることなんてできるわけがなかった。腕の一本や二本、命すらくれてやってもいい。それでひよりんは、絶対に喜んだりはしないと思うけど。人間達に信じてもらえて、ひよりんがこんな表情をしなくて済むのなら惜しくない。それくらいの覚悟だった。……でも、ひよりんはそんな覚悟を決めているあたしに向かって「何かあった時は私が守るから」って、そう言ってくれた。すごく嬉しかった。そんな自信や根拠がどこにあるのか、もしくはそんなもの無かったのかもしれない。……でも、それだけであたしの気持ちはずっと軽くなって、より一層強くひよりんの側に居たいって思った」
話し通しのにゃん子は、ここで一度深呼吸をしてあたいが飲みかけていた、不味いお茶をすすり一服した。それはあたいの為に入れたお茶だろうが……まあ、どうぞ全部飲み干してくれても構わないけど。
「ん~、ちょうどいい温度まで冷めてるね。あたしってほら、見ての通り猫舌だけどこれなら大丈夫」
「それは、随分本当に見ての通りだね」
「それからひよりんとあたしは、二人で人間の里を訪れた。あたしにとっては、人間の里に入るのも、周りに人間がたくさんいるのも初めてだった。正直、思っていたより怖かった。あたしと二人きりだったのは正解だった。あまりたくさんの妖怪を引き連れていようものなら、噂通りだと思われて攻撃を受けていたかもしれない。そんなことを考えるほど、周りから浴びせられる視線は強烈で恐ろしかった」
あたいも妖怪だけど、にゃん子や一般的な妖怪のように、人間から攻撃的な目で見られたことは無かった。どっちかと言うと、あたいは人間らしい妖怪なのかもしれない。そして何より「死神」という仕事をしていることもあってか、人間と絡みだした当初は恐れられるのが普通だった。
そりゃあ、突然自分の前に大鎌を持った死神が現れたら、自分の死期を予感して恐れるものだろう。
「それで、結局はどうなった?」
「里の長は、意外にもあっさりと、拍子抜けするくらい簡単に首を縦に振ってくれたよ。何があっても絶対に人間に危害を加えないと約束するのであれば信じてくれるって」
「へぇ~、そりゃ確かに意外だね」
「うん。それから、ひよりんの周りの環境が少しずつ元に戻っていった。お父さんやお母さんともまた一緒に暮らせるようになったし、友達とも一緒に遊べるようになった。勿論、あたし達とも今まで通り遊んでくれたよ。事の経緯を話すと、みんな何も反論せずに人間に危害を加えないって約束してくれた。何も心配はしていなかったけど、あたしは嬉しかった。これで今まで通り、ここでみんな楽しく暮らしていけるんだって、そう思っていた……」
……思っていた、か。
にゃん子は一度顔を落とした後、「でも」と続けて話した。
「やっぱり甘かったんだね。あたしは、ひよりんは……この後、酷い裏切りを受けることになったんだ」
静かに話したにゃん子だったが、その瞳には確かな怒りが籠っていた。




