小野塚小町 - その2
面白そうな話を聞いた翌日。あたいは予定通り仕事をサボり、幻想郷に広がる大森林の上を飛行していた。
いやぁ、それにしても本当に予定通りのサボり。いつもながら、予定通りに行き過ぎて怖いくらいだ。もう、こうなったらスケジュール帳に堂々と「サボタージュ」と書き込んでもいいかも知れない。紛失して四季様の手に渡ったらラストジャッジメントでお仕置きされそうだけど。
ふっふっふっ……。絶対に無くしてはいけないスケジュール帳を常に持ち歩くというこのスリル。やっぱり堪んないね。聞くよりも先に考える。考えるよりも先に……よしっ、早速無言実行だ!
この日のあたいは妙にテンションが高かった。目的地に向かいながらスケジュール帳を広げ、日付に印を付けていく。
……まず、土日は赤丸。そして、祝日は赤三角、更に肝心のサボタージュ予定日は赤四角で囲ってみると……。
「うぇ~い、真っ赤じゃないか。これは赤い!」
本当に真っ赤だった。出勤日がほぼ週1のペースである。これだけ見れば、なんて素晴しい人生なのだろうと思ってしまいがちだが、実際はサボタージュが赤印の半分以上を占めていることを忘れてはいけない。……いや、これで死神をクビにならないのだから十分に素晴らしい人生だと思うが……。
因みに、あまりにもサボっていることがバレ過ぎると当然のことながら処分が下される。ただ、この仕事は前にも言った通り人気が無いので、部署の異動と言うのはまず無い。更に、幻想郷は十分すぎるほど地方なので、これ以上地方に飛ばされることも多分無い。その点に関しては安心である。むしろ、部署を異動させて真面目に働かざる得ない状況を作った方が、あたいを更生させるのには効果的だと思うのだが、人事担当の死神はどうやらそれが分かっていないようである。
ふっふっふっ……無能め!と、まあそう言うことなので処分のほとんどは減給処分という形になる。本来であれば客からの渡し賃がそのまま給料代わりになるのが船頭死神だが、減給処分が下るとその一部を納めなければならない。そして長い時間を掛け、減給を繰り返したあたいの取り分は既に雀の涙ほどだ……。しかし心配ご無用。客からの渡し賃なんてまちまちなので、それをごまかして自分の懐に収めれば、それだけでかなりゴージャスな暮らしが出来る。他の死神職と違って売り上げの10割が収入になる為、採算制度が確立されていないのがあたいにとって好都合だった。売り上げが自己申告って、そりゃあごまかし放題でしょうよ!
これだからこの仕事は止められない。
「確か、聞いた話によるとこの辺りになるはずだが……」
人間の里から妖怪の森に足を踏み入れて、東に約20分程飛行した場所。……歩けば5、6時間は掛かる。あの男も随分と無茶をしたものだ。肝が据わっていると言うか、やっぱりただのバカだったんだな。
「ん?……成程、あそこか」
男の言った通り、上空からでも例のミステリアスガール……否、美少女妖怪が暮らしているであろう場所はすぐに発見出来た。枯れ木と青木が森を彩る中、その一角だけは異常なほど周りの景色に溶け込めていなかった。
スタッ
「ふぅん……こりゃあ確かにあまり気持ちのいい風景じゃないね」
地上に降りて確認する。そこには、まるでここが森の中とは思えないほど惨憺たる光景が広がっていた。無造作に切り倒された木々。切り株に残された切り口はあまりにも平坦で美しかった。斧よりもずっと鋭利な刃物で一太刀に切り倒されている印象を受ける。しかし、それとは対照的に切り倒された幹の状態は非常に無残で、切り傷や獣の爪で引っ掻いたような引っ掻き傷、更には黒く焦げた焼き傷の様なものまである。
切り傷は、浅いものから深いものまで様々で、恐らくこれは木を切り倒したのと同じ者の仕業だと考えられる。引っ掻き傷は非常に痛々しく、掻き毟ったと表現するのではあまりにも生ぬるすぎる。力任せに思い切り爪を立て、皮と幹ごと抉り取ったという表現の方がしっくりくる。周りに散乱する木の枝や皮は、恐らくこの過程で幹から分離させられたのだろう。焼き傷に関しては、いまいちよく分からないが、周りに落雷に遭ったかのように、縦から真っ二つに裂けている木が倒れているところからすると、恐らくこれは何者かが起こした落雷・放電による熱傷。この周辺が落雷多発地帯だと言う可能性は、この際除外しても全く問題は無いだろう。
それにしても、ここまで状態が酷いと、もうこれは木材とは言えないかもしれない。……木の死体。そう形容するのが最も相応しいような気がする。そしてその死体は、あたいの四方数10メートルにわたり広がっている。強力な妖怪と人間が争ったにしてもここまで酷いことにはならない。妖怪と森が戦ったとしか言い様がない。しかし、そんな説明で納得する奴は、恐らく変人揃いの幻想郷にもほとんどいないだろう。
それにしても木の死体か……。
「冗談。あたいが彼岸まで送るのは人間の魂だけだって」
危険、恐怖、死。
人間が本能的にそれを感じてもおかしくない光景だった。ったく、あの男はどこまで馬鹿で無神経なのだろうか。こんな場所にわざわざ近付くなんて、もはや正気の沙汰とは思えない。
ま、それでもあたいは近付くけどね。って言うかもう近付いてるしね。なんせあたいは死神。そう簡単に死んだらシャレにならないでしょ!
ザザッ
その時、背後から何者かの足音が聞こえてきた。景色を見ることに半ば夢中になっていたせいか、今の今までこれだけ堂々と気配を消さずに近付いてくる存在に気が付かなかった。
意識を集中させるまでも無い。間違いなく背後に誰かが居る。距離は、10メートル……いや、あるいはもっと近いかもしれない。
あたいはすかさず振り返り、臨戦態勢を取る。腰を少し下げて鎌を寝かし右手側に構える。こんな鎌、元々ただの飾りにしか過ぎないのだが、それでも相手を威嚇するには十分過ぎる迫力と殺傷能力を兼ね備えた武器なのだ。
「うん?」
背後から現れた正体を確認した瞬間、あたいは自分の目を疑った。
腰辺りまで伸ばした長く美しい黒髪。吸い込まれそうなほど深い漆黒の瞳。フリルを施した黒のワンピースドレス。そして、体に纏っている強力な妖気。
ただ一点、昨日男から聞いた話とかけ離れていることがあったものの、その人物で間違いないと思った。
……ただ一点。
どういうわけでこんなにも大量の妖気を帯びているのか見当も付かないが、死神であるあたいには、はっきりと分かったことがある。
「人間、か?」
まだにわかには信じられないのだが、そこに立っていた少女は人間だったのだ。……成程、これはますますミステリアスだ。
更に警戒を強めるあたいに向かって一歩足を踏み出した少女は、あたいよりも先に口を開いた。
「警戒しなくてもいいですよ。私達は貴方を傷つけたりはしません。……はじめまして死神さん、私は碑妖璃。よろしければ、お友達になってくださいね」
……私達?
碑妖璃と名乗った人間の少女は、優しく微笑する。確かにこれからケンカをおっぱじめようという雰囲気ではなかった。彼女からは、全く敵意の様な物が感じられなかった。
ただ、まだ分からないことだらけだった。
どうして人間である彼女が、こんな人里離れた森の中で暮らしているのか。どうして人間である彼女が、同じ人間の命を奪ったのか。どうして人間である彼女が、これほどにまで強力な妖気を纏っているのか。
「いかにも、あたいは死神。よく分ったね。……まあ、この鎌を見れば誰だって一目で想像がつくけどね」
彼女に敵意が無いことを確認したあたいは、一切の警戒を解き、鎌をクルリと回転させ肩に掛けるようにして持ち直した。
「お友達になるのは結構。あたいは見ての通り、すこぶる友好的な死神なんでね」
「本当ですか。……嬉しいです」
ミステリアスな雰囲気から一変、年相応の表情で笑顔を作る彼女。ますます分からない。どうしてこんな少女が……。
聞くよりも先に考える……しかし、考えても分からないときはやっぱり聞くしか無い。
「お友達になるのは結構。でも、友達って言うのはもっとお互いのことを知っておく必要があるとは思わないか?」
「……はい。それは凄く思います」
「でしょ。と言うことで、あたいはあんたについていくつか知っておかなければならないことがある」
彼女は軽く首を傾げる。最初は10メートル弱あった彼女との距離はいつの間にか縮まり、目の前まで迫っていた。
近くで見ても相変わらず端整な面立ちの美少女だった。ただ一つ、新しく分かったことは、彼女が着ている黒のワンピースが酷く痛んでいるということだった。あちこちが破け、ややみすぼらしい印象すら受けた。弾幕勝負に負けた時より酷かった。
「お友達になってくれるなら何でも話します。……それと、私のことは碑妖璃と呼んでください。あっ、因みに死神さんのお名前は何ですか?」
「今はあたいの方が質問をしているんだから、碑妖璃の質問は後回しで頼むわ。大体、お友達になって欲しいと言ってきたのは碑妖璃の方なんだから、まずはあたいの質問に答える義務がある」
「は……はい。ごめんなさい」
……謝られてしまった。申し訳なさそうに頭を下げる顔がやや綻んで見えたのは、あたいが彼女のことを名前で呼んだからだろうか。
試しているわけではないのだが、割と素直でいい娘なのかもしれない。
それとも、世間知らずと言うべきだろうか。どう考えても無茶を言っているのはあたいの方だ。名前も知らない奴に自分のことを何でも話そうなどと、普通なら考えられない。
「言っておくが、碑妖璃に拒否権は無いからな」
「はい」
……素直だった。
「あたいは昨日、碑妖璃に殺されたって言う人間に会った。まあ、正確には碑妖璃に殺された人間の魂だけどね。……どうして人間である碑妖璃が人間を襲ったのか、その理由を教えて欲しい」
あたいは疑問に思っていたことの一つをストレートに投げかけてみた。それを聞いた碑妖璃の表情が気持ち曇ったように感じた。
「……よくご存じなんですね」
「死神の情報網は意外と侮れないよ。嫌でも色々情報が入ってくるからね……幻想郷通と呼んでくれ!」
あたいは白い歯を見せて爽やかに笑って見せた。
「そうですか……つまり、何か目的があって私に会いに来たんですね」
そう言った碑妖璃が少し寂しそうな表情を見せた瞬間、彼女が纏う妖気の流れが少し変化した。あたいを警戒するような慎重な妖気と、あたいを威嚇するような攻撃的な妖気が交差する。
「分かっているなら話は早いね。さあ、どうしてか教えてくれないか?」
そんな変化を全く気に留めることも無く、急かすように聞くと碑妖璃はあからさまにそっぽを向いて俯いた。
何故だろうか。彼女からは敵意とかそういう感情は微塵も感じられないのに、妖気の方は明らかにあたいに対してプレッシャーを掛けてくる。何一つはっきりしない。
しかし、あたいにとっては心地良いプレッシャーだ。ケンカっぽい空気は嫌いじゃない。
「ただ単に、人間のことが嫌いなだけです……本当にそれだけです」
碑妖璃は、あたいと視線を合わせないまま言った。
「それじゃあたいは納得しないね。どうして人間のことが嫌いなのか話してくれないか?」
「えっ、でもそれは死神さんには関係ない話だと……」
碑妖璃はそれ以上何も話せなくなったのか、黙りこんでしまう。
これじゃあ、まるであたいが彼女のことをいじめているみたいじゃないか。いや、実際にそのようなものか。
少し可哀相なことをしているみたいだけど……悪いね、あたいは飽くなき探求心を抑えることができないタイプの死神でね。
「関係ない?……冗談。あたいは人間の魂を彼岸まで送り届ける仕事をしてるんだ。大した理由も無く人間を殺されて、あたいの仕事を増やされたんじゃこっちとしては堪ったものじゃないんだよね」
「大した理由も無く?……何も知らないくせに」
碑妖璃の表情が一変した。適度の怒りが籠った鋭い眼光であたいのことを睨みつけてくる。どうやら、さっきの言葉がよほど気に障ったようだ……何か訳ありってことか。まあ、訳がなければこんな森の奥で人間の少女が暮らしているはずがないか。
「ああ、確かに何も知らないさ。でも、友達になるんだったらそれくらい話してくれないと困るね。あたいは死神やってるけど、本業はサボりじゃないかってくらい、サボるのが好きなんだ。だから……もし話せないって言うのなら問答無用であんたはあたいの商売敵とみなす。……もし話してくれても、どうせつまらない理由だから結局は敵になるわけか……残念な話だね」
あたいはバックステップを踏んで碑妖璃から距離を取る。そして、再び鎌を右手側に倒して構え臨戦態勢を取る。
「……折角、お友達になれると思ったのに」
質問するよりこっちの方が手っ取り早そうだからな。ちょっと荒事になるけど許してくれよ。
「安心しな。お友達になりたいと言うのにはあたいも大賛成さ。碑妖璃は世間知らずそうだから教えてあげるけど、友達になる為にはまずケンカから。それが今、幻想郷での流行スタイルさ」
……さあ、碑妖璃の力を見せてもらうよ。
ヒュン
その瞬間、碑妖璃からあたいに向かって風の刃が繰り出された。