レティ - その6
花見の席が開演してそれなりの時間が経過していた。時間を数えているわけではないが多分2時間くらいだろう。
「レティ〜!このお肉滅茶苦茶美味しいよ〜!」
「レティさん。こっちのなんかよく分からない天ぷらさんも美味しかったですよ」
チルノと大妖精が料理を勧めてくる。まあ確かに美味そうなんだけど……もう一つずつしか残っていないのはどう言うことだ。
美味いからって、ひたすら同じものばかり食べているからこういうことになる。もっとバランスよく食べるべきだ!って、妖精に言っても無駄か。
「それじゃ、頂こうかな」
実際のところ、まだほとんど食べ物を口にしていなかった私。酒も最初に一口飲んだだけだ。初めて目に映る春の景色と、花見の雰囲気を味わっただけで正直腹いっぱいになってしまった。ダイエットにいいかもしれないと思ったのはここだけの話。
でも、折角二人が勧めてくれているので食べないわけにはいかない。これから迎える春眠の為に、腹ごしらえをするということを考えても悪くない。
食べてすぐ寝たら太る?……別にいいんだよ、今日くらいは。
一人でそんなことを考えながら、チルノが持ってきた肉に手を伸ばしたその時。
ガバッ!
「うあっ」
突然何者かが背後から抱き付いてきた。
「くっ!何だこの強い力は!離せっ!私は肉を食うんだ……こらっ!どさくさに紛れて胸を揉むんじゃない」
信じられないほどの力……これは、強い!しかも、腕の上から抱き締められているので一切の抵抗ができない。
これは、新手の妖怪?
……あれ?
でも、この可愛いお手てに細い腕。背中に当たる僅かな膨らみ。そして何より、この着物の袖は……。
私は、首を90度回転させて確認する。
「あっ、阿求!」
なんとこの怪力の持ち主は、目が据わり顔が真っ赤に染まった、更に瞳に涙を溜めて今にも泣きそうな阿求だった。
こんな、いかにも華奢で虚弱そうな少女がまさかこれほどの怪力を……これがお酒の力!って言うか、私に絡んで泣くなよ。
「うっ」
うっ?
「うわあぁぁーーーん!」
泣きやがった!
「ねぇれでぃさん、ぎいでぐださいよぉ〜。しずはったらひどいんでず」
恐らく相当量の酒が入っているであろう阿求は、周りに涙を飛散させながら私に絡んで来た。
「ちょっ、ちょっと阿求!あまり涙を飛ばさないでよ。お弁当の中に入っちゃったら、みんな食べにくくなるじゃん」
なにぃ!チルノにまともなことを言わせるとは!……これが、泣き上戸のあっきゅんと言うわけか。それにしても鬱陶しいな。一番おとなしそうに見えた彼女が意外と一番の曲者かもしれない。
くそう!まだ腕が封じられているので拳骨が放てない。
「ねぇれでぃさんきいてまず〜。しじゅはってば、わたじかさいきんふとったとがいうんでずよ〜」
くっ!酔っているくせに私への当て付けか!更に質が悪い。
こうなったら……。
「阿求、このお肉って美味しいらしいよ。私に抱きついてないで食べてごらん」
お肉と言うのは、当然チルノが私の為に一つだけ残してくれていた……多分唐揚げっぽいものである。
「あっ、ありゃがどえごじゃいます〜。……いだたきま〜ず」
阿求が肉に手を伸ばした瞬間、腕の戒めが解けた。
今が好機っ!
ゴツンッ!
「ガッ!……あ〜、何これ、一気に酔いがさめるわ~。……それにしても美味しいなぁ、本当に美味しいなぁ〜この拳骨。……ぐふっ」
これで悪は去った。グッジョブ私!
「誰かがやられているところを見て初めて分かるよ。レティの拳骨って、やっぱり容赦無いね。でも、毎日のようにそれを受けながらも、こんなに天才的な頭脳を誇っていられるなんて、やっぱりあたいったら最強ね!」
「チルノちゃん。余計なこと言ったらまたレティさんに……」
…………。
「あれれっ?」
「どうしたのレティ?いつもだったら、突っ込み代わりに「じゃあこんなのどう?」って感じで拳骨してくれるじゃん」
「……ん!えっ!そうだっけ?……いや、まあ。そう言えば、毎日私の拳骨を受けてくれるのはあんたたちだけだからね。って言うか、チルノは拳骨してほしいわけ?」
ん、私も変なことを言ったかもしれない。
「べ、別にそういうわけじゃ。痛いのは嫌だし。……でも、なんか調子が狂うって言うかなんと言うか」
私はいつもこんな感じじゃないか。
「レティさん。大分お酒を飲んでるんじゃないですか?」
「いや、そんなには。そりゃあ少しは飲んでいるけど、久しぶりに飲む奴が調子に乗るとまずいでしょ。それに折角の花見なのに、あんな感じにはなりたくないからね」
あんな感じ……私は側でぐったりしている阿求と静葉を指差して言った。因みに静葉は、慧音に絡んで拳骨を喰らったらしい。
二人の座っていた場所を見ると、空になった一升瓶が所狭しと並べられていた。……全く、この二人は飲み過ぎだ。
宴は長いんだから、もっとペース配分考えようよ。
「そうだよレティ!絶対あんな感じになっちゃダメ!レティはあんまりお酒を飲んじゃダメだよ!」
そう言いながら、チルノが顔をグッと近付けてくる。ちょっと、マジで近い、近いって!
「ど、どうしたの急に」
「そうですよレティさん。あの二人はいつもあんな感じですからあまり気にしないでください。絶対に真似しちゃダメですよ!」
今度は、両手をグッと握り締めながら大妖精が迫ってくる。チルノはともかく、彼女がこういうアクションを起こすのは珍しい。
「いや、まあ絶対に真似はしないと思うけど、大ちゃんまでどうしたの?……っていうか、あんた達の方がいつもより違うことない?」
そう聞くと、二人は一瞬だけ顔を見合わせてから再び私の方へ向き直し、
「そんなことない(です)よ」
と、声を揃えて言った。
それは、どう考えても怪しかった。
「とにかくさ、お酒を飲むことだけがお花見の楽しみ方じゃないんだしさ」
「そ、そうですよ。桜見ましょう桜。……綺麗ですね〜。去年よりも綺麗に咲いているかもしれませんね」
話し方も急にぎこちなくなった。
これはやっぱり何かある。
口の端と端に指を突っ込んで、広げて無理矢理吐かせてやろうと思っていたその時。
「おーいチルノ。お酒持ってきたよ〜」
三月精が一人一本ずつ一升瓶を抱えてやってきた。
「あっ、バカまだ早いって!」
「むむっ!何でチルノにバカとか言われなきゃいけないの。それにチルノがお酒持ってきてって言ったんじゃない」
「え〜、あたい記憶にないな〜」
「覚えてないって?やっぱりチルノがバカじゃん」
「な、なにお〜!……まあいいわ。じゃあ約束通り、慧音の選んだ「記憶がぶっ飛ぶお酒」一気に飲み勝負だ!」
ってか、覚えてるじゃん。
「ちょっと。お酒を飲むだけが花見の楽しみ方じゃ無いっていうのはどこにいったのよ」
「えっ……だぁいじょうぶだよ!あたいは最強なんだから、絶対にこんなになったりはしないんだから」
チルノは近くに転がっている阿求を指差して言った。
……阿求の扱いが若干可哀そうになってきた。あんな風にしたのは外でもない私なので何も言えないけど。
「それじゃあ大ちゃん。お酒選んでよ」
「う、うん。え〜っと、どれだったっけ……あっ、サニーちゃんの持ってきたお酒にするよ」
「おっけー!じゃあ今回はこれで」
「ストォーップ!それはあたいと大ちゃんが選んだやつなんだから、あんたたちは別のにすることね」
「な、なによそれぇ。それじゃ不公平じゃない!」
「それなら問題ないよ。慧音はどれもそんなに変わらないって言ってたし」
「えっ、そうなの。……ならいっか。スター、ルナが持ってきたのとどっちにするか選んでよ」
「う〜ん。じゃあこっち〜」
スターは自分が持ってきた方の一升瓶を高く掲げた。
コポコポ……
妖精達は容器に酒を注いでいく。猪口などという洒落た容器ではなく、その数倍の容積があるであろうガラス製のコップである。
私は、もしかしたら彼女達を止めた方がいいのかもしれない。そんなことを思ったりもしたが、とりあえずこれはこれで面白そうなので放置することにした。
うん。確かにこの肉も天ぷらも美味しい。
「みんな無事にお酒を注げたようね」
「うっ。何か匂いを嗅いだだけでふらふらになりそう」
「ルナってば情けないわね。あたいは全然平気だもんね。やっぱり最強ね」
「あの〜、レティさんも飲んでみますか~?」
スターが尋ねてくる。彼女は、この五人の中では一番気が利く方である。
「それじゃ、折角だから少しだけ」
「ダメーーー!」
突然チルノが大声を上げ、私の前で両手を開いて制止する。右手にコップを持ったまま、更には限界ギリギリまで注いでいたものだから、手を広げた振動で酒が溢れた。
「急にどうしたのよチルノ。ルーミアのまね?」
「そーなのかー?……えっ!そうだっけ?……いや違う違う!そうじゃなくて、レティはこんなに危ないお酒を飲んじゃダメだって」
ノリツッコミをするのかと思いきや、ただのボケだったという。流石はチルノだと思った。
それにしても危険って……爆薬が混入しているわけでも有るまいし。
全く、何をやらかそうとしているんだか……。
「なによ〜、そんなのチルノが決めることじゃないでしょ~。レティさんだって飲みたそうにしてたじゃな~い」
いや、別にそこまで飲みたいわけじゃないんだけど。
「ダメなの!レティさんは、普段お酒をあまり飲まないから、いきなりこんな強いお酒を飲んじゃったら……死んじゃいます!」
死ぬのか私!ってか、勝手に殺さないで大ちゃん。
妖怪が急性アルコール中毒で死んだとか、そんなことになったらカッコ悪すぎる。
「うぅ~、悲しいのは嫌です~」(スター)
「な、なるほど……それは流石にまずいよね。飲ませた私達の責任問題に発展しそうだし……」(ルナ)
「そ、そうよね。……楽しいお花見だもんね」(サニー)
三月精の表情が急に重苦しいものに変わる。
ってか、思いっきり真に受けてるし。
チルノと大妖精が共謀して何やら企んでいるみたいだが、この様子だと、どうやら三月精は関与していないようだ。
んっ。
手の甲が湿っていることに気付く。恐らく、先程チルノが溢した酒が飛んできたものだろう。
……甘っ!
どう足掻いても飲ませてくれなさそうだったのでこっそりと舐めてみると、それはこの上なく甘い水だった。酒は甘いものだと聞いたことがあるが、それにしたってこれは甘過ぎる。
……うーん。
「よーし。それじゃ、せーので一気に飲むよ」
「私達はいつでもおっけーよ。グダグダに酔っぱらった醜態、幻想郷中の妖精に言い触らしてやるんだから」
「ふんっ、挑むところね!あたいの最強伝説はここから始まるのよ!……レティお願いっ」
何やら突っ込みたいところは多々あったが、取り敢えず我慢してみた。
「うーん。それじゃいくよ。……せーのっ」
私の合図と共に、一斉にコップに口を付ける妖精達。良識がある大人であれば、やはり止めなければいけなかったのかも知れない。しかし残念だ。私は良識がある大人ではない!
ただ、お酒を一気飲みするのは、妖精や妖怪で無い限り非常に危険なので絶対に止めましょう。レティお姉さんとの約束だ!
「ぷは〜!あたいいちば〜ん!ぶっちぎりであたいったら最強ね」
一番早くに飲み終えたのはチルノだった。
チルノは誇らしげに手を腰に当てているが、先程溢した酒を新しく注いでいないので勝つのが普通である。量的にはコップの半分程度しか満たされていなかった。なぜ開始前に、その不公平さを誰も指摘しなかったのかが謎である。第三者の私から見ればどうでもいことなのでスルーしたが、勝負をしている当事者からすれば、負けて納得のいく条件ではないだろう。
そして、そもそもチルノが飲んだのは恐らく酒ではない。
自称「最強」のチルノちゃんに対して、ハンディを与えてのハンディキャップマッチなど、勝てる方がどうかしている。
「ふぅ〜、ごちそうさま。えっと……二等賞かな。やっぱりチルノちゃんはすごいね!」
次に飲み終えたのは大妖精。因みに、彼女が飲んだのも酒ではなくあの甘い水だ。
つまり、明らかな不正行為により二人は圧勝した。
ところで三月精は……。
「なによこれ!苦いだけで美味しくない〜。まっずう、こんなの飲めるか!」(サニー)
「うっ。これは、レティさんの心配してる場合じゃなかったかも……マジで!」(ルナ)
「こんなものが飲める飲めないで妖精の価値は決まりませんから〜」(スター)
彼女達が手にしているのは、正真正銘慧音セレクションの酒らしく、三人とも4分の1程度まで飲んだところで止まっていた。
それにしても、表情を見る限りでは本当につらそうだ。瞳に涙を貯めて、必死で苦痛に耐えているような、普段の彼女達からは想像もつかない表情だった。
流石に可哀想になってきたのでこれは、
「キツいようだったらあんまり無理しない方が」
「ふっふっふ〜!大きな口を叩いておきながらこの程度なの〜。全く話にならないわね。まっ、あたいと大ちゃんが相手じゃ仕方ないかな〜。あたいったら最強ね!あんた達ったら負け妖精ね!」
不正を働いておきながらよく言う。
あまりにも調子に乗っているものだから、流石に殴ってやろうかと思ったけど……もう少しだけ我慢してみることにした。
「くっ、これはただの味見よ味見。本当の勝負は二杯目なんだから!」(サニー)
「そうよっ!美味しいお酒って聞いてたから、最初はじっくり味わってみたいと思っただけよ!」(ルナ)
「ということなので〜、次行ってみよ〜う」(スター)
「何度やっても同じこと。あたいの圧勝ね。つまり、あたいったら最強ね!」
「さっすがチルノちゃん!」
「あっ、でもその前に残ってるそれを全部飲んでからじゃないと、あたいと再戦する資格はないよ!」
「だよね〜、チルノちゃん」
「ぐうぅ〜、大ちゃんまでそんなことを。……わ、分かったわよ!飲めばいいんでしょ飲めば!……せーのっ!どりゃぁぁ!」(サニー)
「サニーが負けず嫌いなのは分かるけどさ、これもう一回飲む勇気ある?……はぁ~、何でこんなことになっちゃったのよ。てりゃー!」(ルナ)
「飲むよ~。だってお酒には罪は無いんだから~。……みぃぃぃーーー!」(スター)
三月精は、それぞれ謎の掛け声を発しながら、残りの4分の3を一気に飲み干した。なかなかの根性ものだ。不正を働いた二人には拳骨をくれてやりたいが、頑張った三月精には「よく頑張った」と褒めてあげたい気持ちになった。
「ぷっはぁ〜。……うっ!……の、飲んだわよ。さあ、もう一度勝負よ!」
「ち、チルノちゃん。全部飲んじゃったけど本当にもう一度やるの?……確か、あまり飲みすぎると危険なお酒だって慧音さんが……」
「うーん。まあその時はその時なんじゃない」
そんないい加減な!ってか、全部聞こえてるし。
「じゃあ特別に、最強のあたいがもう一度だけ相手になってあげるよ。感謝することね」
相変わらず調子に乗りまくりのチルノ。
「もう感謝感謝で涙が出てきそうだね。でも、次に泣くのはチルノっ!お前だっ!」
「ふんっ、望むところよ!最強のあたいが泣かし返してやるわ!」
……チルノ。あんたは泣きたいのか、それとも泣かせたいのか。まずはそれをはっきりさせろ。
「言い合いしてても仕方がないわね。ルナっ!直ちにお酒を注いで!」
サニーが指示を出すと、ルナは近くに立ててあった一升瓶を渋々手に取った。
「もう、どうなっても知らないふぁら……はれっ、なんかひゅうに、きゅうにめのまえが」
ゴトッ
「ちょっと!なにお酒落としてんのよ。それに、なんか顔がやったらと赤くない」
目で見ても分かるくらい、見る見るうちに顔が赤く染まっていくルナ。目も虚ろで、どことなく危ない感じだ。
「はりゃ、ごみぇん……うぅ、にゃによほれ~。……だかりゃ~、あたりゃはやめときゃばよきゃったってぇ、いっひゃにょ……にぃ」
ズサッ
そして、その場に潰れるルナ。酔いが回るのが早すぎだ。
「ち、チルノちゃん。ルナちゃん顔が真っ赤だったよ……大丈夫かなぁ」
「だっ、大丈夫に決まってるじゃない!間違って人間の熱いお風呂に入った時、あたいの方がずっと顔を赤く出来るんだから。……ルナってば情けないわね」
……赤さを競ってどうする?
「よくもルナを!……こうなったらかたきは私達が。スター!早くお酒を注いで」
…………。
「スター?」
「すぅすぅ……」
「ってか、既に寝てるし!……くっ、こうなったら私一人でチルノを……チルノを……あれっ?なに、なんか体が熱いよ。……あっ、そうか。だって私はサニー。心はいつだって熱く燃えているから……。だから、だかりゃちるのんにゃんてわたひがとかぁせて、やりゅん、だ……きゃりゃ……む、無念でござる」
ドサッ
ホットミルクと化したサニーは母なる大地へと還っていった。
やはり、酒が回るのが早すぎだ。
「やったね。あたいと大ちゃんの圧勝ね!」
「うん。チルノちゃんと一緒だったら私、空だって飛べそうな気がするよ!」
ってか、元々飛べるだろう!
……さて、突っ込みにもそろそろ疲れてきたところで、
「ちょっと二人とも!」
遊びはここまで。ズルをした悪い子には、お楽しみのお仕置きタイムだ!
腕が鳴るぜ!
「レティ、見てたでしょ!やっぱりあたいってば最強だったでしょ!えっへん!」
「わ、私はチルノちゃんの次に最強だったり!え、えっへん?……あれっ。レティさんちょっと顔怖いです。なんで?」
「なんでって、ズルしたからお仕置きかな~」
「ぎくぅ~!ずっ、ずるなんかしてないもん!」
「ちっ、チルノちゃんぎくぅとか言ったらダメだよ~。あっ、私達ずるとか絶対しないですよ~。ふぇあぷれいの精神が大切だって慧音さんが言っていましたから。……うわ~、迫ってくるぅ~。レティさんごめんなさ~い」
お決まりの反応を示すチルノと、勝手にあたふたする大妖精。
本当に分かりやすい二人。
……でも、そんなバカ丸出しの仕草や、騙すより騙してやりたくなるようなバカ正直さと素直さが、時々愛おしくて堪らなくなる。
「なに謝ってるのよ大ちゃん。あたい達はふぇあぷれいで勝負したんだからずるなんて……っていうか、ふぇあぷれいってなによ~」
「し、知らないけど~、なんか素敵な言葉っぽいじゃない。あぅ~、レティさん気絶は嫌ですやめてください~。うあぁ~!ぼ、ぼうぎょー!」
「あっ、あたいは最強だからレティの拳骨なんて怖くないんだから~!ぼーぎょなんて必要ないぞ~!」
大妖精は涙目になって顔を強張らせる。……ったく、これじゃ殴るに殴れない。ってか、さっきから時々「チルノちゃん可愛いよ~」と言う声が背後から聞こえてくるんだけど。
ここでもしチルノを殴って昇天させたりしたら、彼女が何をするか分からない。
何をするか分からない。……そうだ、ここは少し趣向を変えてみようか。
「お仕置きだっ!」
ぎゅむっ!
「あうっ?」
「えっ!」
私は二人一緒に、両手で包みこむように力一杯抱きしめた。拳骨が来るとばかり思っていた二人は、それぞれ間の抜けた声を発した。
「今日の仕置きは、特別コースだ」
ここに来る途中、私は何度も彼女達に自分の本当の気持ちを伝えようとした。……でも、未だに伝えられていない。
早く言わないと……。
忘れてはいけない。私は、もういつ消えてもおかしくない存在。ここで伝えそびれると、次の冬まで持ち越しになってしまう。
……それは分かっている。分かっているんだけど、やっぱり彼女達の顔を見ると、つい口を噤んでしまう。
もう意地を張っているわけでもない……ただ照れ臭かったんだ。
私にこんな言葉は似合わないと思うのかもしれないけど、私は極度の恥ずかしがり屋だったみたいだ。拳骨をするのに躊躇ったことは一度もない私が、いつも思っている簡単な気持ちを伝えるのに、こんなにも苦労するなんて……。
だから、いつも素直に、思ったことを何でもはっきり、時には分かりにくいこともあるけれど、それでもバカ正直なくらい一生懸命に伝えることができる彼女達は、すごいと思う。
私にできないことを当たり前のようにやってしまう。
認めてもいいよ。そんな彼女達だからこそ最強なんだって。
「……レティ。やっぱり今日は変だよ。こんなの、痛くもなんともないし……お仕置きとかそんな感じには思えないよ。それにレティ……いつもより温かくて、優しい感じがする」
「チルノちゃんの言うとおりだよ。……レティさん、お酒飲み過ぎたんじゃないですか?……でも、痛いのよりはずっといいです」
まとめて一緒に抱きしめてもまだ余る。彼女達はこんなにも小さかったんだと初めて実感する。
そう言えばそうだ。長い時間一緒に居たはずなのに、私は彼女達の大きさを知らなかった。いつだって手の届く距離に居てくれたはずなのに。彼女達が私を拒絶することなど、あるはずがなかったというのに。
自分が無駄に体だけが大きくて、中身が小さい妖怪だったかということを改めて思い知らされた。
二人の言う通り。
今日の私は少し変だ。……でも、これからは少し変な私がちょうどいいかもしれない。
「ああ、酔ってる。酔ってるな私。このまま1時間でも2時間でも、ずっとお仕置きを続けたい気分だ」
当然これっぽっちも酔ってはいない。穣子を見習って少しだけ大胆になってみたら、意外と心地が良かったというだけだ。
「えっ、ずっと?それはいくらなんでもお酒が入りすぎですよレティさん!」
「そんなことしてたらお花見終わっちゃうじゃないか~。はなせ〜!があぁ~!」
私の胸に噛み付いてきそうな勢いで暴れるチルノ。
「あ、そう」
抑えつけてやるのは簡単だったけど、取り敢えず私は、あっさりとお仕置きを解除して二人を解放した。
「えっ、もう止めちゃうの?」
すると、チルノは途端に不満そうな表情を浮かべる。……不覚。少し可愛いじゃないの。
「あれ〜、チルノちゃんはこのまま私の腕の中でお昼寝がしたかったのかな〜」
「なっ!そ、そんなことあるはずないじゃない!……ほんとにもう、レティってばお酒に弱いわね!」
顔を真っ赤にしたチルノは、分かりやすくムキになって喚く。
「そういうチルノこそ、顔が赤いけど酔ってるんじゃない」
「なっ!最強のあたいはこれくらいのお酒なんともないんだから!」
「ちょっとチルノちゃん!」
ん?
「なによ大ちゃん?」
突然大妖精が大声を出してチルノに耳打ちする。
「ダメだよチルノちゃん。そんなこと言ったらごにょごにょ……」
「えっ!そうだっけ?……そうか、そう言えばそうだった。うん、分かったよ」
チルノは何かに納得したようだけど、私には何のことやら全く分からない。大妖精の絶妙な声量調整の賜物だろう。
察するに、先程からの妙な流れはまだ続いているようだ。ここまで来たら、もう逆に何を企んでいるか楽しみになってきた。彼女達なりに一生懸命頑張っているようだから、まあ最後までやりたいようにやらせてあげるとしよう。ただ、あまりにもがっかりするようなことだったら、今度こそお仕置きの拳骨だ。
スッ
「はぁ?」
さっき抱きしめてきたお返しと言わんばかりに、突然チルノが私に体を預けるようにもたれかかってきた。
「急にどうしたの?」
「ごめんレティ。あ、あたいね、ほんとはすっごく……お酒に弱いんだ。はふ~ん。だからね、頭くらくら目の前ぼんやりひてきひゃったにょ~」
なんだなんだ、酔った振りまでして、そんなに私の懐が気に入ったのか。……やめろやい、柄にもなく照れるじゃないか。
「ちょっとしっかり~。最強のあんたはどこに行ったの~。きゃっ!なにどさくさに紛れて胸もんでんのよ。……きゃ!とか言っちゃったじゃない」
「えへへ……、まへきゃらずっひょ、おおひくへうらやまひかったんだお~」
「……っ!」
チルノは、きょろきょろとなかなか焦点の合わない虚ろな瞳で私の顔を見つけると、少し恥ずかしそうに微笑んだ。いつもよりも真っ赤な顔はいいとしても、いつもの輝きが感じられない瞳には違和感を覚えずにはいられなかった。らしくないって言うか、いつもの根拠の無い自信に満ち溢れた瞳はどこに行ったんだ!
まさか……これは、まじなのか?
チルノは本当に酔っている?
いやいやそんなわけない!大妖精が何か耳打ちしていたし、明らかに酔うタイミングがおかしかっただろう……つまりこれは企みの一環?
しかしまてよ、よく考えてみろ。そう言えば三月精だって十分不自然な酔い方をしていたし、酔いが回るのも、回ってから潰れるのも尋常じゃないくらい早かった。となると、これは妖精の性質になるのではないか。それに、チルノのこの瞳。さっきサニーやルナ、それに阿求が見せたそれとそっくりではないか?……もしこれが演技だとすると、バカのくせにこんなに演技力があるなんて聞いてないぞ!
くそう、分からなくなってきた。
……こうなったら、
「チルノのバーカ!」
「ムッキー!あたいはバカじゃないもんあっ!……ば、ばくぁっていうほうあばかなのお~」
……はぁ~。
こんなバカの演技に引っ掛かりそうになったなんて、なんかすごい敗北感。
いや、でも演技は上手だと思うよ。これは本当に。……バカだけど。
そう言えば、チルノが飲んだのは酒じゃなかったんだっけ。……バカ。早く気付けよ私。
ドサッ
「だ、大ちゃん」
続いて、タイミングをずっと見計らっていたと言わんばかりに、大妖精が私の膝に倒れこんでくる。うつ伏せなので顔は見えない。
「レティさん。実は私もやせ我慢してたんです。体、熱くなっちゃって……わたし、とってふぉかえるしゃんなんでふぅ~」
……カエルさん?
かえる。即ち帰る?……いや違うな、やっぱり蛙だ。
つまり泣き声は「ゲロゲロ」もしくは「ゲコゲコ」!
酔ったので「ゲロゲロ」したいということか?……いやっ!大ちゃんのそんな姿は見たくない!そんなものを見たいと思うのは、一部のコアなマニアだけだ!
つまり「ゲコゲコ」を採用する。……ああ成程ね。
下戸下戸……つまり大ちゃんは酒が飲めないと言いたかったわけだ。理解した!(思考時間約8秒)
「私の体、程よく冷たいから冷やすのに使ってもいいよ」
「……ありがとうございます。レティさん」
そう言うと大妖精は、私の膝で顔をスリスリする。何だか主人に甘える愛玩動物みたいで可愛かった。……少しこそばゆかったけどね。
これからどうなってしまうのか全く展開が読めないんだけど、こうやって手の届く距離に二人が居てくれる。
それがこの上なく幸福なことなんだって、再実感させられてしまう少し変な私だった。