レティ - その3
「うぅ〜、やっぱりまだ桜は咲いてないみたいです」
チルノ、大妖精と共に人間の里を訪れた。成程、ここが桜の名所として花見に使われるのがよく分かった。
話しに聞いていた通り、辺り一面に桜の木が広がっていた。今はまだ蕾だが、これらが一斉に花開くときには、辺り一面に舞い散る花吹雪と、花弁が敷き詰められた大地の絨毯の上で楽しげな宴が催される。酒を酌み交わしながら陽気に談笑したり唄ったり……桜の開花を知らない私にだって想像はついた。
それくらい見事な桜の木だった。
こんなものを見てしまうと、今より春という季節がずっと嫌いになる。
どう足掻こうと、結局私は桜の開花を越えることはできないんだけど……。
「仕方ないよ。桜は春に咲くものだからね。今年も目標は達成できそうにないけど……二人の気持ちは嬉しかったよ」
「レティさん、ごめんなさい。私に桜を咲かせる能力とかがあればよかったんですよね」
がっくりと項垂れながら大妖精は言った。随分と都合がよくて、随分とピンポイントな能力だと思った。でも、彼女の素直さと、真っ直ぐな気持ちは、とてもストレートに伝わってきた。そして、そんな彼女の気持ちが素直に嬉しかった。
「大ちゃんが気に病むことはないよ。私にだってどうしようもないことなんだしさ」
「があぁ〜!こうなったらあたいが桜を咲かせてやるー!」
「おっ!チルノ何をする気だっ!」
それまで桜の木とにらめっこをしていたチルノが急に張り切りだした。
魔力がチルノに収束する。放っておくと何か良からぬことをやらかしそうなので、とりあえず拳を握って振り上げておく。っておい、スペルカード!
「カチンコチンになっちゃえ!凍符「パーフェクトフリー」」
ゴツンッ
すかさず降り下ろした。予想以上の唐突さだったので、流石の私も少し驚いた。
「やめんかい!突然何をするかあんたは!パーフェクトにフリーズさせてどうするよ。私の花見どころか、人間の花見まで無くなってしまうだろうが」
全く、チルノの場合はボケが重すぎて疲れる。これで本人は大真面目だと言うのだから更に質が悪い。
「痛いよレティ!何で急に殴るのさ……う〜、痛いよ〜。すごく痛い~」
私ってばチルノには手加減しないから。
むしろ、チルノに手加減は無用だ。
「何で急に?それはこっちのセリフ!」
「だって、花って寒いと咲くってよく言うじゃない!」
言わないっ!
「チルノは自分の知識を信じるな。……そりゃあ、寒くなって咲く花も探せばあるかもしれないけど、桜はむしろ暖かくなったら咲くんだ!」
ん、間違ったこと言ってないよな私?
「えっ?暖かい時に咲くって……と言うことは、パーフェクトフリーズじゃダメじゃん」
「おお、分かってくれたか」
チルノはしょんぼりと視線を落とす。どこからその自信が湧いてくるかは不明だが、多分本気で上手くいくと思っていたんだろう。
……。
……う~ん。
しかしなんだ。落ち込んだチルノを前にすると、悪いのは自分に思えてくる。私は桜の木を救ったヒーローだと言うのに。
……感情の浮き沈みが激しいのも妖精の特徴か。
全く、これだから妖精ってやつは。
「でもあたいはあきらめない。最強のあたいだったらこれくらい楽勝で。待っててねレティ!」
チルノは腕を組んで「う~ん」と考え込む。ある意味、チルノには一番似合わない行為だった。
「もういいよチルノ。私は所詮冬の妖怪。花見なんて縁もゆかりもなかったんだよ。二人とも、私の為に色々考えてくれて嬉しかった。これだったら、来年はきっと一緒に花見ができるよ」
二人にこれ以上気を使わせないように掛けた言葉だった。
……しかし、
「何言ってんのよ!みんなでお花見するのはレティの目標なんでしょ!簡単にあきらめちゃったらおしまいじゃない。それに目標って、達成するためにいっぱいいっぱい努力して頑張るものでしょ。あたいも一応目標があるけど、達成するために、あたいなりにだけど一生懸命頑張ってるんだから!……だからレティも頑張ってよ。まだ何もせずに、それであきらめちゃうなんて目標じゃない。ただのわがままだよ!……これじゃ、そんなレティのわがままを叶えようとしていたあたいと大ちゃんがバカみたいじゃないか!」
チルノはいつにも無く声を荒らげて、私に言葉を吐きつけてきた。誰かに何かを伝えるのがお世辞にも上手だとは言えない彼女。一生懸命体全体を使って、必死で言葉を選んで。
私は、この時初めてチルノに叱られた。
……あたいと大ちゃんがバカみたいじゃないか!
普段の私だったら、いつものノリだったら、冗談のように返すことができた言葉。
でも、今回ばかりはそうもいかなかった。
その言葉は、私の心に直接響いた。
それは、とても痛かった。
「もういいよレティなんて……大ちゃん行こっ」
「あっ、チルノちゃん!まっ、待ってよー」
……。
…………。
二人がどこかへ飛んで行った後、私は一人取り残されてしまった。
チルノが去り際に見せたのは、とても悔しそうな表情だった。
何となく分かる。チルノは私を嫌いになったわけでも、私に失望したわけでもない。
……ただ悔しかったんだと思う。友達の、私の力になれなかったことが。
似た体温を持つ私との間に感じた温度差が、歯痒くて仕方なかったんだろう。
そんな心から友達の為に頑張れる彼女達だからこそ、私は一緒に季節を巡りたいと思ったんだ。
そして、一緒に花見をするのはそれを達成するための第一歩。
だからこそ大切で、だからこそ難しい。
でも、それを達成するために私がしたことは?
…………。
出来ないことを自分の体質のせいにした。
出来ないことを春のせいにした。
出来ないことを幻想郷のせいにした。
「はぁ……」
溜め息一つ。
その意味を繰り返し考えるまでも無い。それは、私自身既に理解していたこと。
……私は、情けないくらいまだ何もしていない。
だから、チルノの言ったことは正しい。正しすぎて、ぐうの音もでなかった。
確かに春は怖い。心をどう持っていようと、体はどうすることもできずに畏縮する。この感覚は、一年中健康で元気よろしく生きていける者には分からない。私がどんな想いで春を迎えているかなんて分かるわけがない。
ましてや妖精ごときに、チルノや大妖精に分かるはずがないんだ。
でも、そんなのはただの言い訳。
決して、私自身の弱さを覆い隠してくれるものではない。
何かあるごとに言い訳を考えて自分を納得させようとするのも、私自身の弱さ。
やっぱりこれは、目標ではなく夢なのだろうか。いや、夢と言っていいのかも怪しいところだ。
私は、とても弱い。目標を目標だと、自分自身で自信が持てなくなるくらい……。
「あたいと大ちゃんがバカみたいじゃないか!」
チルノの言ったことを、心の中でもう一度復唱する。
「違う。バカは私だ……」
目標などと言い張って、彼女達に話すべきではなかった。今更ながら後悔する。
聞いてもらうことで何かが変わるとでも思っていたのか?冬の妖怪である私が、彼女達と一緒に花見を迎えられるとでも思っていたのか?
……いや、違う。そんなこと思うはずがない。これは、彼女達にはどうすることもできない。
だから、初めから何も期待などしていない。
でも、それならばなぜ話したのだろう。
どうせ出来やしないことを話して、結果的に彼女達を傷付けてしまう可能性について、少し考えれば分かっていたはずだ。冬の間だけとはいえ、彼女達をここ数年側で見てきたんだ。それくらい分かる。
…………。
チルノだったら、大妖精だったら、私の言葉に対して、きっとこんな反応を返すだろうな。
「うん。大体分かる。分かるけど。ただ、チルノに叱られるとは……これだけは無かった」
どうでもいい相手を、どうでもいいことで叱ったりはしない。それは妖怪でも妖精でも、恐らく人間でも同じ。
だとすれば、これは嬉しいことなのかもしれない。いや、多分これは嬉しいことなんだ。
でも、素直に喜べない。
……それどころか、急に悔しさが込み上げてきた。
「あの子達は、こんな私に対して精一杯の気持ちで応えてくれたのに……それなのに私は、私はっ!」
そんな彼女達の行為を無下にしてして、あまつさえチルノの心を傷付けた。
どうして、彼女達に話してしまったか?……そんなこと、もう分かり切ってる。
「……気付いてほしかったんだ。冬の妖怪である私なんかが、春に足を踏み入れるのは二人のことが好きだから。……春なんて嫌いだ、夏なんて、秋なんて嫌いだ。……でも、二人と一緒ならそれも悪くない。そんな気持ちにさせてくれるほど、私は二人のことが好きなんだ」
……だから、ずっと二人と一緒に居たい。確かに私は冬の妖怪だけど、幻想郷の決めたルールなんて無視して「冬の妖怪だって、花見の席でぐでんぐでんに酔っぱらうことは出来るし、夏の太陽の下で日焼け出来るんだ!秋には、旬の味覚を嫌と言うほど堪能して、食った分運動だってしてやる!」って、そんな幻想郷のルールに縛られることなく、二人と一緒に生きていける自分になることが、それが私の目標。
きっと、本当はそう言いたかったんだ。
見栄っ張りなくせに臆病で、後ろ向きな上に自分に自信がなくて……こんな簡単なことすら伝えられずにいる。彼女達とは対照的に、素直になれない自分。中途半端な言葉で気付いてもらおうとして、見事に自滅した。
自業自得。
でも明日になれば、チルノはきっと今日のことなんか忘れてしまったかのように、小生意気な態度で私と接することが出来るようになる。大妖精だって同じ。それが妖精であり、それが彼女達なんだ。
だからどうしても、私はそんな彼女達に甘えてしまう。
「保護者面して、悪戯にだって嫌々付き合ってやってるんだよって態度で、いつもバカバカってバカにしている私が……本当に笑っちゃうよ。本当に……」
……。
言葉通りに笑うことすらできず、ただ茫然と立ち尽くす私の隣を、暖かな風が通り過ぎて行く。厳しい冬の終わりを告げる風。それはきっと、人間達にとっては、世間一般ではとても優しい風なんだと思う。
だから、この優しさを感じることができない私は、それだけで不幸な妖怪なのかもしれない。
笑いたくても笑えない私は、どこの誰かも分からない、もしかしたら自分自身かもしれない誰かに向かって、小さく文句を言ってやった。
それでどうにかなるなんてことは、天地が引っくり返っても有り得ないって分かっていたけど……。
それでも、自然と口から出てきた言葉は抑えることが出来なかった。