秋穣子 - その4
約2時間弱という短い時間で、一年ぶりに会う里の住人達にあいさつをして回った。案内役は十矢。十三は明日の収穫祭の打ち合わせに出向き、千歳は友達に誘われてどこか別のところへ行ってしまった。彼女は、いつも仲良く絡んでくれる姉さんがいないものだから、代わりに私に色々と話しかけてくれた。でも、私は姉さんの代わりにはなれなかった。千歳の掛けてくる言葉に対して、どう返せば彼女が喜んでくれるかなんて、全く分からなかった。
もう、姉さんのバカ。
ほとんど八つ当たり。やっぱり私は最低の妹です。
里の皆は、いつも通り私を歓迎してくれた。今年も大豊作の為か、皆表情が明るかった。そして、頻りに私にありがとう、ありがとうとお礼を言ってくれた。
……ありがとう。それは、非常に大切で重要な言葉だと思う。でも、その言葉を何度も聞くうちに、それは次第に安っぽいものに変わっていくような気がした。恐らく、私は今日その言葉を、この里の人口よりはるかに多く聞いた。
果たして、私はそこまでお礼を言われるようなことをしたのだろうか?
自問する。
そして、そんな気持ちになってしまう自分にも少し嫌気がさした。あるいは、私の方からもちゃんと言うべきだったのかも知れない。
毎年豊作が続くのは、決して私の功績ではない。作物達もよく頑張った。そして何より、毎日作物の世話をした皆さんのおかげなんだって。それに比べたら私なんて、少し手助けをした程度。私は豊かに稔った作物が大好き。だから、本当にお礼を言わなければならないのは私の方かもしれない。
そう、皆がいなければ、私は姉さんに話す些細な自慢まで失ってしまう。
……だから、
「ありがとう」
「えっ、穣子様、今誰かにお礼を言いましたか?」
「あっ! いえ、何でもありません」
一通り里を見回った後、そのまま今日泊めていただく予定の、十矢の家に落ち着いた。さっきも言ったとおり、十三も千歳も別行動をとっているので、今この家にいるのは私と十矢だけになる。
「…………」
こういう時は何の話をすればいいのだろうか? 若い異性の人間と二人きりなんて、今までほとんど経験がないので少し困ってしまう。
「十矢はすごいですね。十三や千歳の世話をしながら、あんなにも立派な田畑を維持できるなんて……作物の手入れって大変ではないですか?」
突然の質問に、十三は少し驚いたように顔を上げる。
「そうですね。……でも、恐らく穣子様が思っている程大変なことではないです。じいさんもまだまたしっかりしていますから現役です。大変な時期は里の皆も色々フォローしてくれます。千歳は……16にしては確かに子供っぽいかもしれませんが、最近は料理が作れるようになりました。……それが、とても美味しいんです。センスがいいのかもしれません」
「そうですか。千歳も頑張っているのですね」
「はい。千歳、今日は静葉様に会えるってすごく楽しみにしてたんです。静葉様に美味しい料理を食べてもらうんだって。僕自身としては、正直なところ少し……あの、えぇ~」
十矢は口ごもる。やっぱりこういうことは言いにくいのだろうか。
「別に、はっきり言ってくれてもいいですよ。……去年は、姉さんの酒乱で被害を被ったのだから、当然です」
「すみません。……でも、千歳のことを考えると、やはり静葉様が来られないのは残念です」
あっ、そうか。
「十矢も、本当は姉さんに来て欲しかったんですね。貴方は、本当に千歳のことを想っているから」
「僕は、静葉様には本当に感謝しています。……あの時、千歳を立ち直らせてくれたのは静葉様ですから。……あっ、勿論穣子様にも感謝しています」
収穫祭に呼ばれたのは私のはずなのに、これじゃまるで私の方がおまけみたいだと思った。でもこれはどうしようもなく仕方がないことで、何より誰より私自身が一番理解していた。
あの時、か……。
あの時。
3年前の同じ時期、千歳は体から魂が抜けてしまったかのように落ち込んでいた。それが、突然流行り病で両親を失ったからだと言うことは、収穫祭の前日に十矢から聞いた。1カ月間、ずっとあの調子なのだと。どうにかして助けてあげたいと……。彼は、必死だった。そして、妹をずっとそんな状態のまま立ち直らせることができない自分を嘆いていた。
私は、十矢は立派な兄だと思った。彼だってつらいはずなのに。いや、もしかしたら彼の方が、よりつらかったかもしれない。両親と過ごした時間は、彼の方が長いのだから。
……でも、十矢はあの時しっかりと前を見て、こう言った。
「自分はこれから一家を支えていかなければいけない。それに我が家は代々、里の長を務めてきた。じいさんはまだまだやれると言っているけど、もし何かあれば、自分が継がなければならない。じいさんを見てきて、里長の仕事は分かっているつもりだ。……でも、自分の一番身近に居る大切な人も守れないのに、里が守れるはずがない。両親が死んで、たくさん泣いた。ただ、いつまでも泣いているわけにもいかないから」
あの時の、十矢の真剣で強い眼差しが今でも忘れられない。尤も、その後は「こんなこと、じいさんの前で言ったらぶん殴られそうだけど。わしはまだまだ現役を引退する気はないぞってね」と、苦笑しながら十矢は言っていた。
結局、私は千歳に対して声を掛けてあげることすらできなかった。だから、あの時のことで私がお礼を言われるのは間違っている。……千歳を救ったのは姉さんだったのだから。
あの収穫祭前日の晩、姉さんは急に千歳と二人っきりで寝たいと言ってきた。私には、姉さんが何を考えているのか全く分からなかった。十矢は「千歳を宜しくお願いします」と、それを了承した。恐らく、彼にも姉さんが何を考えているのかは分からなかったはずだ。
……でも。
朝になって二人が起きてくると、千歳は笑顔を取り戻していた。まだぎこちないものではあったが、その笑顔を見た十矢は、すぐに千歳の元に駆け寄り彼女を抱きしめた。
私も心から良かったと思った。
ありがとう姉さん。
でも、姉さんはどうやって千歳を立ち直らせたのだろう?
千歳を抱きしめる十矢の耳元で、姉さんが何かを囁いたのが分かった。その瞬間、十矢は驚いたような、動揺したような表情を見せた。
姉さんはこの時十矢に、私の疑問の答えを教えたのだと思う。
私がその答えを姉さんに聞いても、適当にはぐらかされてばっかりで、結局は分からずじまいだった。
きっと、私に知られたら恥ずかしいことなんだ。
「実はと言うと、姉さんは昨日、別の里で行われた収穫祭で飲みすぎて、二日酔い中なんです」
自分でも驚いた。姉さんの恥をこんなにもあっさり誰かに話してしまうのなんて、恐らく初めてだった。
「う~ん、やはりそういうことでしたか。いかにも静葉様らしですね」
十矢は苦笑した。ここは、私も笑ってよいところなのだろうか? でもやはりって……もうこれくらいのことは、予想の範疇ということになるのだろう。
「あっ!」
私は、急に何かを思い出したように声を上げた。
「どうなされました?」
「私、今日の間に済ませておきたい用事かありました。夜までには戻るので、少し行ってきます」
私がそう言って立ち上がると、十矢も、それなら外まで見送りますと立ち上がった。
私の用事とは他でもない。豊穣神としてのお勤めである。ここから、飛んで20分位の場所と1時間位の場所に人間の里がある。遠目でいいので少し様子を見て回りたいと考えていたのだ。
ガラガラガラ……
玄関の戸を開けて外に出る。やっぱり土の地面は足に馴染む。非常に心地よかった。
……しかし、次の瞬間。気持ちの悪い風が私の前を通りすぎた瞬間。その心地よさは全てかき消され、この上ない心地悪さだけが残った。ゆっくりと目を閉じて集中する。
さっきより空気が重く、冷たくなっている。
……まさか!
その瞬間、私の体は凍りついた。
この感覚、今までにも何度か味わったことがある。長い時間を、この幻想郷で生きてきたからこそ発揮できる直感。
……そして、私は確信した。
もうすぐ秋の大嵐が来る。
あまりにも強大で、無慈悲な自然現象。
豊かに稔った作物と、里の皆の笑顔を思い出す。
でも今の私には、それを守れるだけの力は無い。
悲しいくらい、その認識がある。
惨めなくらい、その自覚がある。
愚かなくらい、その確信がある。
「私は、どうしてこんなにも無力なのだろう? ……でも、でも何とかしないと!」
自分の無力さを嘆きながら、心地悪さを全て払拭するように地面を強く蹴り、私は空に飛び立った。