ルーミア - その14
新しい一年を迎えて一番最初に見る夢が初夢なら、二番目に見る夢は何て言うんだろう?
自分の回想がそのまま夢になるなんて、いかにも分かりやすいというか・・・安上がりな感じだけど、私にも夢で見て懐かしく思えるような想い出ができたんだ。
例えつらくたって、大切な想い出があるのは、とても嬉しいことなんだと思う。
「う~ん」
私って、何してたんだっけ?
突然現実に引き戻されたような感覚と若干の気だるさから、自分が目を覚ましたところだというのはなんとなく分かるんだけど・・・ここは?
今にも落ちてきそうな黒ずんだ天井。どこか安心する匂い・・・千穂の家?
そうだった・・・。
確か私、初詣に行ってて階段から転げ落ちそうになった千穂を・・・。
「目が覚めましたか、ルーミアちゃん」
視線を寝かすと、すぐ隣には横になったおばあちゃんが居た。千穂の姿は・・・見当たらない。
「おばあちゃん。千穂は?・・・大丈夫だった?」
気を失う前に、確かに千穂を守り抜けたんだという感覚はあったけど、今思うとはっきりしたものではない。何分頭を強打したこともあってか、まだ意識が若干ぼんやりとしている。
「千穂はとても元気にしてましたよ。今は、慌ててお医者さんを呼んでくると言って出て行きました。今頃、里中を駆け回っていると思います」
「・・・そっか」
よかった。本当によかった。
それにしても、やっぱり千穂は心配症なんだね。
「あの時とおんなじ。・・・私が初めてここに来た時も、千穂は慌ててお医者さんを呼びに行ったんだっけ」
夢で見たこともあってか、その時の出来事がまるで昨日のことのように思い浮かぶ。
「確か、そうでしたね」
あの時は、結局私のことを診てくれるお医者さんは見つからなかった。・・・でも、今は状況が違う。もしかしたらお医者さんが来てくれるかもしれない。勿論初めてのことなので、ちょっとドキドキかな。
「えへへ、私ってば、千穂に心配掛けてばかりだね」
「そんなことはないですよ。ルーミアちゃんは体を張って千穂を守ってくれたんじゃないですか。だから、千穂はルーミアちゃんの為にできることを必死でしようとしているんですよ。私からもお礼を言います。千穂を守ってくれてありがとう」
元々私のことが発端なんだから、若干複雑な気もしたけど・・・お礼を言ってもらえるのは素直に嬉しかった。
「初詣・・・とても楽しかった。大好きなみんなと一緒にいっぱい楽しいことをして、遊んで、はしゃいで、食べて、食べて・・・楽しかった。千穂とも久しぶりに遊べてよかった」
「そうですか。それは何よりです」
・・・ただ、
「私、今さっきまで夢を見ていたんだ。すごく最近のことのはずなのに、とっても懐かしく感じてしまう夢だった。・・・そこには少し前の自分が居た」
「どんな夢ですか?」
「私、いっぱい泣いてた。・・・初めて千穂と出会った日、初めておばあちゃんと出会った日。私の持ち前の笑顔なんてどこにも無くて、ただ嬉しくて泣いて、ただ嬉しくて泣いて、ただ幸せで泣いた。そんな日の夢」
そう、確かに私はあの日たくさん泣いた。後にも先にも、あんなに泣いたことは無かった。どうしようもなく自然に涙が流れてくる感覚。夢の中のはずなのに、まるでそれが現実であるかのように瞼が熱くなって、リアルに痛みを錯覚して、感情も大きく揺らいだ。
ミスティアにぶたれたのは痛くてしようがなかった。でも、ミスティアが助けに来てくれた時は嬉しくて堪らなかった。千穂に抱きしめてもらったときはとても温かく感じた。おばあちゃんの作ってくれたおにぎりはとても美味しかったし、頭を撫でてくれている時はとても心地よかった。
「ちょっとつらいこともあったけど、でもとても温かい夢だった。泣いたのは、別につらくて悲しかったからじゃない。・・・本当に嬉しかったんだ。本当に、自分で自分のことを叱りたくなるほど泣き虫で、子供のようにわんわん泣いて・・・千穂とおばあちゃんのせいだよ。あんなにも優しい顔で笑うから、私を包み込んでくれるから。私は、笑おうにもなかなか笑えなかった。笑えないけど、幸せでいっぱいになった・・・こんな私に幸せをいっぱい分けてくれたから。・・・それは、それはとても」
あれっ・・・どうしてだろう?
もう夢から覚めているはずなのに・・・まだ夢の続きを見ているみたい。
何で?・・・泣いてしまいそうだよ。
「おばあちゃん・・・死んじゃいやだよ」
涙とおんなじくらい自然に、ほぼ同時に出てきた言葉。
・・・私、突然何言ってるんだろう?
「ルーミア、ちゃん?」
人間と関わりを持って少し、人間の世界ではまだまだ未熟な私だけど、簡単なことくらい理解してる。ただ単純に、寿命の違いによる別れ。以前慧音から言われたことがある。ある特定の人間と仲良くなっても、大抵の場合別れを経験することになる。人間と付き合っていくには、その覚悟が必要だと。それは、私が妖怪である限り仕方のないことだとも言っていた。
私はその時「大丈夫、私は人間の死を悼まない」って、確かそんな風に答えたんだったと思う。私は知った。人間が仲間の死を、家族の死を深く悼み、深く心を痛める生き物だってこと。そして私は、そんな人間達の命をあまりにも簡単に奪い過ぎた。・・・無情に、非情に。
だから正確には、私は人間の死を悼まないのではなく・・・悼めない、その資格は無い。そう答えたかったんだと思う。
それを聞いた慧音は、とても複雑そうな顔をしていた。
人間がどう思うかじゃない。多分私自身が許せなかったんだと思う。
人間の死をおんなじように悲しめなかった自分自身を何度も責めて、ただひたすら自問する。
どうして、どうして、どうして・・・。
多分、そんな自分を想像するのが怖くて、そんな想像をしてしまう自分が嫌で逃げていただけだったのかもしれない。
・・・そんなこと、出来っこないのに。
慧音には始めからそれが分かっていたんだと思う。その上で、それを伝えるべきかどうか迷っていたんだと思う。そして最終的には、その事実に私が自分で気付くまで待つことを選んだ。
気付かないふりをしていたのはいつものことかもしれないけど、やっぱりそれは苦しいだけで、自分がいかに口ばかりの嘘付きだってことを思い知らされた。
いつからか、寝たきりになったおばあちゃん。出会った当初は、全くそんなことも無かったんだけど、今は千穂の手を借りないと起き上がる事すらできない。皺がまた増えた、反応が遅くなった。・・・たくさんお話をしたんだ。そんな大きな変化に気付かないはずがない。
そしてそれは、おばあちゃんに死期が近付いている証拠だということも分かっていた。
「おばあちゃん死なないで、死んじゃやだよ、いやだよー!」
平気なように振る舞っていたけど、内心ずっと怯えていた。もしかしたら、もうすぐ大切な人との別れが来てしまうのではないか?・・・それが明日になるかもしれない、今日になるかもしれない、今この瞬間になるかもしれない。
そんな怯えを必死で隠して、涙を見せずにいつもみたいに笑っていようと努力した。それは決して笑顔の魔法ではなかったけど、私は無理をして明るく笑い続けた。そんな自分に、半分は感心して、半分は失望した。
ううん、失望感の方がずっと強かったかも知れない。
おばあちゃんがそれを望んでいるのかどうかは分からない。でも意地を張ること、自分自身に制約を掛けることに意味があるのかどうかが次第に分からなくなってきた。
どうして素直に悲しめないの?
どうして素直に涙を流せないの?
だって私は・・・たくさんの人間を殺したから。
いつになってもついてくる事実。きっと人間が忘れても、私が忘れない限りずっと付いてくる。私だってもっと・・・本当は素直になりたいんだ。
今日、チルノが私の前で初めて泣いた。口では強がっていたけど、自分の感情を隠さず、あるいは隠せず、有りのままの気持ちを素直に表に出して泣いた。私は、それが羨ましかった。素直に泣けるチルノが羨ましかった。つられて泣いてしまいそうになった。もう、泣くのも仕方がないとまで思った。
私には、チルノの様に綺麗な涙は流せないだろうけど・・・それでも、泣けば少しは楽になるかもしれない。そんな風に思った。
今となっては、あの時一緒に泣けなかったことを少しだけ後悔している。
だって、私は結局泣いてしまったから。
結局私は、自分自身のちっぽけな制約を守り切れなかった。
それからの私は、何かが外れたかのように、何かから解放されたかのように泣き喚き続けた。あれから1年以上経ったけど何も変わっていない。私はまだまだ子供のままなんだと思った。こんなところを見られたら、千穂はどう思うだろう。想像したくないし、今の私じゃ想像すらできない。だから、今だけは千穂が帰ってこないように、そう心の中で願った。
千穂は以前に、私のことを強いと言ってくれたけど・・・やっぱりそんなことは無い。こんなにも脆くて、こんなにも子供で、こんなにも崩れやすい。弱くて弱くて弱すぎて・・・強くなることを心から願っている妖怪の女の子に過ぎないんだよ。
泣くのに疲れを感じるくらい泣いたら、割と心は落ち着いた。勢いよく泣いたので割と限界は早く、千穂が帰ってくる前に泣き止むことができた。少し安心した。
「おばあちゃんの頭なでなで・・・気持ちいいのか」
寝たきりのおばあちゃんに今は体を預けることはできなかったけど・・・その心地良さと安心感は、やっぱり何も変わっていなかった。
「こうやってルーミアちゃんの頭を撫でてあげられるのも、後少しになるかもしれませんからね」
・・・。
「そんな寂しいこと言わないで。私、今日神様にお願いしてきたんだよ。おばあちゃんがもっとずっと長生きしますようにって」
「ありがとうルーミアちゃん。あなたは本当に優しい子ですね。・・・でも、私はもう十分すぎるほど長く生きました。ルーミアちゃんとも出会えましたし、毎日が本当に充実して楽しかったです」
「そんな、すぐにお別れが来るみたいな言い方やめてなのか。もっと、もっともっと長生きできるように神様にお願いしたんだから」
元々、そこまで神様に期待しているわけではない。神様だって、聞いてくれる願いと聞いてくれない願いがあるんだと思う。人間の寿命を延ばすのなんて、到底聞き届けられることのない願い。
それに、神様なんて案外頼りにならないもの。静葉や穣子みたいによく分らない神様だって幻想郷には多分たくさんいる。
でも、それでも、少しでもおばあちゃんを励ましたかった。
「千穂だって、一生懸命神様にお願いしてたよ!・・・多分、私とおんなじことを、私よりももっと長く長くお願いしてた!」
「千穂・・・そうですね。あの子もルーミアちゃんと同じで優しい子です。私の体が弱ってからは、随分と苦労を掛けてしまいました」
「それでも、千穂にはおばあちゃんが必要なんだよ」
千穂はおばあちゃんのことが大好きで大好きで本当に大切なんだ。
「でも、もうあの子は私がいなくても十分に生きていけます」
「そんなっ、無責任なこと言わないでよっ!」
無責任・・・このとき私は初めておばあちゃんを責めた。私がそんなことを言うなんて、厚かましいにも程があるけど・・・ただ、あまりにも坦々と話すものだから。
普段は見せなかった感情の高ぶりを前にしても、おばあちゃんは表情を変えなかった。いつもの穏やかで優しい表情が続いていた。
そんな様子を見て、私にも一つだけ感じたことがある。
おばあちゃんは弱気になっているのでも、死ぬのを恐れているわけでもないんだ。自分の死期を悟った上で、私に何かを伝えようとしてくれているんだと、そう感じた。
「む、無責任だよ・・・おばあちゃんなら知ってるよね。千穂がどれだけおばあちゃんのことが好きなのか、千穂がどれだけおばあちゃんのことを頼りにしているのか、千穂がどれだけおばあちゃんが死んじゃうことを恐れているのか。・・・千穂、今日初詣に向かう途中で言ってたよ。・・・兄弟が欲しいって。自分のことを大切に想ってくれている誰かが側に居てほしいって。・・・千穂は一人になることが、何よりも怖いんだよ。・・・それに千穂、今日おばあちゃんのこと想ってたくさん泣いてた」
このことは、おばあちゃんには内緒にするって千穂と約束したことだけど・・・。
「周りにたくさん人が居たけど、そんなこと全く気にせずに大声で泣いたんだよ。私の小さな体に顔を埋めて・・・たくさんたくさん泣いてた。千穂にはいつも笑顔でいてほしい。明るく元気でいてほしい・・・それに、私だって千穂が悲しそうにしているのに本当の笑顔で笑えるはずがないよ。私は、あんなにも悲しそうにする千穂を、もう見たくないんだよ」
あんなにも悲しそうな顔をする千穂を、もう見たくない。確か夢の中で、ミスティアが私に対して同じようなことを言ってくれてた気がする。
大好きな人には、いつだって一番明るい表情でいてほしい。ミスティアの気持ちがよく分かったよ。
相変わらず表情を変えなかったおばあちゃんだけど、私がそこまで話したところで少し顔のしわを動かした。
「よかった。ルーミアちゃんが居てくれて本当によかった」
変化した表情は、私が考えていたのとは全く逆だった。おばあちゃんはいつも以上に穏やかに、優しい表情で微笑んだ。これ以上、私が何も言えなくなるくらい。おばあちゃんを責めていた自分が恥ずかしくなるくらい素敵な表情だと思った。
「幼い頃に両親を亡くしたあの子は、誰かを失う悲しさをよく理解しています。理解しているからこそ、誰よりも失うことを恐れているのです。ルーミアちゃんの目には、千穂のことが強い女の子に映ったかもしれませんが・・・あの子はとても臆病で、傷付くことが怖くて仕方ない、とても弱い女の子なのです。でも多かれ少なかれ、それは誰しもが持っている感情です。ルーミアちゃんが、今私の為に泣いてくれたように・・・」
「そこまで分かっているなら、千穂の為にもっと長生きしてよ」
「・・・ルーミアちゃんよく聞いてください。おばあちゃんはもう、長くはありません。それは、私自身で自覚もありますし、お医者様にもそう告げられました」
・・・っ!
「でっ・・・でもっ!」
「人間は、いずれ必ず死を迎えます。でも、それは妖怪でも同じことなのでしょう?」
「そう、だけど・・・」
それは分かっている。いくら私が子供でも、生きていれば必ずいつか死ぬことくらい理解している。でも、それでも納得いかなかった。・・・いや、納得がいくかどうかの問題じゃなくて、おばあちゃんが死んでしまうのが嫌で嫌で仕方がなかった。
「私はもうじき77歳になります。この世に生を受けてから77年が経とうとしているのです。この77年という年月、ルーミアちゃんにとってどう感じるかは分かりませんが、私にとってはとても長い時間だったと思います。とても長くて、充実した、1分1分、1秒1秒全てに大きな意味がある時間でした。これだけの想い出があれば、いつ天国に旅立っても退屈しませんね」
でも私がどんなに足掻いても、どんなに叫んでも、どんなにお祈りしても、きっとどうにもならないことなんだ。そんなこと、きっと探せばいくらでもある。何でも自分の思い通りになると思ったら大間違い。私はそれを、この数年で学んだんだ。
私が納得行こうが行くまいが、認めようが認めまいが・・・どうすることもできない。
だから、おばあちゃんはもうすぐ死んじゃうんだ。
私がいくら子供だからって、これは受け入れなきゃいけない事実なんだと・・・。
「お医者さんにいつ診てもらったの?その時、何て言ってたの?」
せめて、私がおばあちゃんの為にしてあげられることが何か無いか、何ができるのか考えよう。このままじゃ、何も恩返しができないまま終わってしまう。いっぱいおにぎりを食べさせてくれた。楽しい話をいっぱい聞かせてくれた、優しく頭を撫でてくれた・・・他にも、他にも。
「お医者様には、今日来ていただきました」
っ!
「今日?・・・あ、私達が初詣に行ってる時・・・」
「自分がもう長くないことは容易に想像がつきました。ルーミアちゃんには、日に日に弱っていくのが見て分かったと思いますが、これでも精一杯元気に振舞っていたのです。千穂に対しても、なるべく自分が弱っているのを見せないように必死だったのですよ。私は最後の最期まで、千穂の前で精一杯元気に生きていこうと思っています。可愛い孫の前でくらい、見栄を張りたいじゃないですか・・・」
・・・。
おばあちゃんは自分が死ぬことに絶望しているわけじゃない。むしろその逆。最後まで千穂のおばあちゃんとして立派に生き切ろうとしているんだ。
・・・でも、やっぱり千穂の気持ちは、
「どんなに見栄を張っても・・・千穂は悲しむよ。おばあちゃんが死んじゃうと千穂は泣くよ。・・・千穂が悲しむ姿は、もう見たくないよ」
「だったらルーミアちゃんが、千穂を笑顔にしてあげてください」
「私には無理だよっ!私にはおばあちゃんの代わりになることなんてできない!・・・だって私は、私はっ!」
おばあちゃんが私に言いたいことは何となく分かっていた。だっておばあちゃんが居なくなった後、千穂にとって一番近い存在は、きっと私のはずだから。一番千穂の側にいて、一番千穂を元気付けてあげられるのは私だから・・・。
・・・でも、
「私は今日まで、千穂の涙を知らなかった。いつも明るくて、強くて・・・私はその明るさに何度も救われた。その強さに何度も守ってもらった。周りを巻き込んでしまうくらい前向きで、笑顔を絶やすことがなかった。まだ虐げられることが多かった時期は、私に対して容赦なく投げ付けられてくる石から、身をていして庇ってくれた。そして、本気で怒ってくれた。私は体が頑丈だから、千穂は怪我をしちゃうからこれくらい大丈夫だよって言っても・・・それでも「大切な友達を庇うのは当たり前」と、一歩も引かなかった。怪我をしてもこれくらい大丈夫だよって、強気な笑顔で私を励ましてくれた。大人と言い合いになった時もたくさんあったけど、理不尽な意見に対しては猛然と反論して、時には声を荒らげて怒ってくれた。・・・私がこれまでずっと見てきた千穂は、元気で明るくて、優しくて、強くて・・・いつでも私の味方でいてくれる友達。そんな千穂が突然見せた涙は、表情は、私の中には一切無かった。・・・だから、私は千穂が泣いた時どうすればいいか分からなかった。確かに今日の千穂は、以前の千穂とは違っていた。それは、いくら私でもすぐに気付いたし、それはおばあちゃんのことが原因だってことも、考えるまでも無く分かった。でも、それを分かっていながら・・・私は千穂の本当の笑顔を引き出せなかった。おばあちゃんと初めて会ったとき約束したのに。私がみんなを笑顔にするとか、幸せにするとか。そんな大口を叩いておきながら、一番身近に居る一番大切な友達に対して、私は何もしてあげられなかった。もしかしたら、千穂だけは笑顔を絶やさないでいてくれる、泣いたりなんかしない・・・そんなことを考えてたのかもしれない。だとしたら私はバカだ、大バカだ・・・こんなバカな私におばあちゃんの代わりが務まるはずが・・・ないよ」
言いたいことがちゃんと言えたのか、それとも私が言いたかったことはこんな事じゃなかったのか・・・もう自分でもどうしたいのか分からなくなっていた。
バタンッ
その時、突如家の扉が開いたと思うと、後ろから荒い息遣いが聞こえてきた。この状況で、こんなにも息を切らして帰ってくるのなんて一人しか思い付かない。
お医者さんを探して、随分里中を走り回ってくれたみたいだね。
「あっ・・・ち、千穂。お、おかえりなのか・・・」
全体的に何だか疲れきったような千穂は、目をうるうるさせて、冬場にも関わらず顔中に汗を滲ませる。お医者さんは・・・居なかった。
「ルーミア!起きて大丈夫?」
心配そうな声で聞いてくる千穂。体が小刻みに震えているようにも見えた。汗をかいて、決して寒いわけではないはずなのに。
私に、もしものことがあったらと・・・不安だったのかな。
だったら、早く安心させてあげなくちゃ。
「私は大丈夫なのか。・・・ほらねっ!」
両方の腕を大きく左右に広げ、いつものポーズで健在ぶりをアピールする。やっぱりまだ若干の気だるさは残っていたけど、それくらい平気だった。
「ルーミアっ!」
・・・っ!
バサッ
「・・・千穂」
無防備になった私の胸に飛び込んできた千穂。広げていた両腕を、そのまま千穂の背中にまわしてゆっくりと抱きしめる。・・・とても、熱いほど温かかった。
「ルーミアっ!よかった、よかったよぉ~!私、もしルーミアが死んじゃったらと思うと・・・怖くて、怖くて・・・よかったよぉ~」
「・・・ごめんね千穂。心配掛けちゃったね。私、本当に全然大丈夫だから」
「謝るのは私の方だよ。だって、だって私が足を踏み外しちゃったのがいけなかったんだもん。もしそれでルーミアに何かあったら私、私・・・うぅっ、えぐっ、うあぁぁーー」
なんだ・・・千穂って案外泣き虫だったんだね。うん。私といい勝負かもしれない・・・いやそれは、流石に私の勝ちかな。
「嬉しかったよ。ルーミアが、ルーミアが階段から落ちる時に言ってくれた言葉。とても嬉しかった。嬉しくて、嬉しくて・・・」
私、何て言ったんだっけ?
・・・。
・・・・・・あ。
なんだ・・・頭を派手に打ったけど結構覚えているものだね。
確かに私、咄嗟に言ったよ。
「大丈夫だよ千穂。私はそう簡単に死んじゃったりしないよ。・・・千穂は私が守るから」
「ルーミア・・・ありがとう」
相変わらず自分勝手。私、さっきおばあちゃんに何て言った?
おばあちゃんの代わりになるなんてできない。
バカ・・・おばあちゃんの代わりになんかなれるはずがないだろ。
だって、私は私なんだから。
・・・だから、
私の代わりだって・・・誰にもできるわけないじゃないか。
弱気なことを言って、何逃げてるんだよ。
私は、これからもずっと千穂と仲良しでいたいんだ。友達でいたいんだ。親友でいたいんだ。
一緒に夢を叶えようって、そう約束したんだ。
私の小さな胸の中で泣き続ける千穂。
何でだろう?初詣の時は何もできない自分が、何もしてあげられない自分が情けなくて仕方無かったのに、今は千穂のことが愛しくて堪らない。
私が死んでしまうかもしれない。もしかしたら、このままずっと目を覚まさないかもしれない。
怖くて、不安で、怖くて、恐ろしくて、怖くて、体が自然と震えるほど私を失うことを恐怖してくれた。私の為に泣いてくれた。千穂は、きっとこんな私のことを頼りにしてくれている。
だからなの?こんな気持ちになってしまうのは。
守ってあげなきゃ。
ううん、約束したんだから守ってあげないとダメ。
やっぱりおばあちゃんの代わりにはなれないと思う。だけど私には、私として千穂の側で、千穂のことを支えてあげることができるはず。
・・・きっとそれも、守るってことなんだ。
今まで涙一つ見せずに、ずっと私のことを守ってくれた千穂。私はそんな千穂を心から頼りにして、心から信頼していた。私よりもずっと大人っぽくて、時には本当のお姉さんの様に接して・・・家族ごっことか言って、目一杯甘えさせてくれた。
そんな千穂が、そんな強くて頼りになった千穂が・・・私の小さな胸の中でポロポロ涙を流して泣いている。ずっと守られてばかりだった私の前で、何も躊躇うこと無く、恥じること無く涙を流した。
私は、やっぱり強くなんかない。とっても弱くて臆病で、相変わらず誰かに守られてなきゃ生きていけない妖怪だけど・・・
だけど、
この涙に応えてあげるのは、応えてあげられるのは・・・私しかいないんだ。
私は、千穂の笑顔が大好きだから。
コラッ、しっかりしろ私。
「おばあちゃんごめんなさい。・・・私がさっき言ったこと、全部取り消すよ。大丈夫、大丈夫だから。・・・約束するから」
きっと、それがおばあちゃんにとって唯一の、自分が死んでしまうことに対する抵抗。だから、私がおばあちゃんの為にしてあげられることは、それを取り去ってあげること。安心して天国に行けるように、しっかりと約束をすること。
「ありがとう。ルーミアちゃん」
私だって、おばあちゃんが死んじゃうのは悲しい。とてもつらい。
でも、私は妖怪だから。大切な人の死は、これから何度も経験することだから。慧音もそう言ってたし、実際それを何度も経験してきたに違いない。人の死に耐えられないようでは、妖怪は人間と一緒に生きていけない。慧音が言っていたことが、今ならよく分かる。
ただそれは「人の死を悲しんじゃいけない」ということではない。誰かが死ぬということは、それは人間にとっても妖怪にとっても、すごく悲しいこと。
だから、私は・・・私にとって今一番必要なのは、大切な人の死を悲しむことができる素直な心と、それを乗り越えていける強さ。千穂を守ってあげられる強さ。
「ねぇ、ルーミア・・・おばあちゃんとどんな話をしていたの?何を約束したの?」
千穂が小さな声で私に問いかける。
「内緒だよ。でも、私・・・強くなるから」
千穂を守ってあげられるくらい強くなってみせるから。
「えっ?・・・あ、うん。ありがとう」
千穂は、恐らく自分でもよく分らないうちにお礼を言った。
でも、お礼を言うのは私の方。
千穂、おばあちゃん。
今まで私のことを守ってくれてありがとう。
ほんとに本当に、ありがとう。
ガッ!ガガガ・・・ガラガラッ、バタンッ
「ほえっ?」
今度は、騒々しく耳障りな音と共に、再び家の扉が開く。
「ルーミアお待たせっ!ごめんね遅くなっちゃって・・・怪我に効くのはやっぱりこれでしょ!」
「ルーミア~、里中探しまわってようやく探してきたんだよ・・・このアロエ!私達に感謝しなさいよ」
あ・・・アロエ!
「ふっふっふっ、そんな草よりあたいが持って来たこの「冷凍ガエル」の方が怪我にバッチリ効くって!赤いお屋敷の門番が言ってたよ「これぞちゅうごくよん・・・9年の歴史だって」ね。あー、それにしても今の時期にカエル探すの苦労したよ~」
れ、冷凍かえるぅ~!
穣子と静葉、それにチルノだった。どこに行ったのかと思えば、みんなそれぞれ私の為に走り回っててくれたんだね。
「あ、あれ?もしかして、何かお取り込み中だったりしたの、かな?」
状況を確認して穣子が遠慮がちに言う。
「ううん、全然そんなことないよ。・・・ふっ、クスッ・・・アロエッ、アロエ~!」
「ちょっ!何がおかしいのよ~!アロエはすごいんだよアロエは~」
何がおかしいって、アロエだよアロエ。
「ククッ・・・ごめんごめん。後で美味しくいただくのか~」
「って!食べちゃうんだ~!・・・まあいっか、何かルーミア元気そうだし」
そう言うと穣子は苦笑した。
「あとチルノっ!」
「なっ、なによ~」
「冬眠中のカエルさんを無理やり引っ張り出して氷漬けにするなんて可愛そうだよ。そんなことしてると、またどこかの神様に見つかってお仕置きされちゃうよ!」
「うっ」
自称最強であるチルノの表情が若干青ざめる。どこかの神様というのは、最近になってこの幻想郷に移り住んできた土着神ってやつで、おんなじ神様でも、穣子や静葉なんか比べ物にならないほど強い。勿論私よりも。チルノですら全く歯が立たない。でもチルノいわく、本気になれば勝てるらしい・・・どうだか。
「もう、私も後で手伝うから、ちゃんと解凍してあげよう。割ったらダメだよ。絶対ダメッ!」
「分かったよ。・・・でも、ルーミア何ともなくてよかった」
ありがとうチルノ。穣子と静葉もありがとう。
これからもよろしくなのか。
何か、また勇気と元気をもらった。
うん。私は大丈夫。大切な友達がたくさんいるんだもん。絶対に大丈夫だよ。
「みんなありがとうなのかー」
そんな大丈夫さをアピールする為に私は笑った。でも、笑顔は自然に出てきたものだった。それでいて、今日一番の笑顔だったような、もしくは今年一番の笑顔・・・それはおんなじか。でも、そんな感じに自分でも思えるほどの、自画自賛の笑顔だった。
おばあちゃんはそんな私を見て、いつも通りの穏やかな表情で微笑んでくれた。
安心してね、おばあちゃんとの約束は絶対に守るから。
絶対に・・・。
おばあちゃんが亡くなったのは、それからしばらくしてからだった。冬もようやく終わりを告げ、桜が開花を迎えようとする季節。暖かい、ポカポカとした陽気が眠気を誘う季節。
春の訪れと共におばあちゃんは天国に旅立って行った。
お医者さんの話では、おばあちゃんが生きられるのは、最長で冬の間までだったらしい。おばあちゃんは見事に、精一杯長い時間、千穂の側で優しいおばあちゃんであり続けた。立派だと思った。
おばあちゃんのお葬式には、たくさんの里の住人が集まった。
穣子や静葉、それにチルノは森で見つけて引っ張ってきた。チルノはどうせまた泣くだろうから、一緒に居れば私一人泣かずにすむなんて・・・まだ少しだけ素直になれない自分自身を軽く叱咤した。
それに、ミスティアも来てくれた。ミスティアは、人間の里で私を助けて以来、人間を相手に商売を始めている。商売と言っても屋台のお店なんだけど、人間の里から若干離れている場所であるにも関わらずそれなりに繁盛している。屋台の横を通り過ぎようとすると、女の子が口にしてはいけないような言葉が聞こえてきて、男の人は気が付くと座って注文をすませているらしい。何だか詐欺っぽい。まあ、私が里で宣伝しているのもあるんだけど、それに対しては素直にお礼を言ってくれた。千穂と一緒に食べに行った時もあり、まあそれなりに美味しかったのも覚えている。
ただ、ミスティアはあれ以来、一度も人間の里の敷地には入っていなかった。人間との関わりが強くなっても里の中に入ろうとだけはしなかった。もう、里にミスティアを恐れる人間はいないはずなのに。理由を聞いても、適当にはぐらかされてばかりで答えてくれなかった。
そんなミスティアにおばあちゃんの訃報を知らせた時、とても寂しそうな顔をした。そして、お葬式に一緒に参列すると言った。今まで、どれだけ誘っても里に入ろうとしなかったミスティアが、どうして突然そう思ったのかは分らない。
・・・でも、
「ルーミアのこと、本当にありがとう・・・」
私の隣で何度も何度もありがとうを繰り返すミスティアを見たら、そんなことはどうでもよくなった。
四方のどこやかしこからすすり泣きの声が聞こえ、式場は悲しみに包まれていた。私は涙を必死でこらえ、ゆっくりと瞳を閉じて手を合わせた。
・・・おばあちゃん、私達のことをずっと天国から見守ってください。
最後はとても人間らしくて、とてもありきたりなお別れの言葉だった。
でも、私は心からそれを願った。