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東方連小話  作者: 北見哲平
ルーミア 〜 笑顔の魔法
36/67

ルーミア - その12

 私には全く計画性がない。つくづくそう思った。お腹が空いたらとにかく食べる。好きなだけ、満足するまでとにかく食べる。そんなことを続けていたもんだから、イモリが残して行ってくれた食料がいつの間にか底をつくことになっていた。

 志新たに数日、状況は何も変わっていない。バカになるったって、そこまでバカになる必要性は無かったように思えるけど、これはバカと言うよりは性分なのかもしれない。私は食べるのが好き・・・食べ物さん達だってきっと私に食べてもらうのが大好き・・・何、この幻想郷は自分を中心に回っているみたいなものの考え方は。・・・いかにもバカっぽいでしょ?

 でも、あまり冗談を言っている場合ではない。私は食べ物が無いと死んでしまう。人間は最低水だけあれば生きていけるみたいな話を聞いたことがあるけど、私は無理。とりあえず、草とか木の葉っぱとかで食いつないではいるんだけど、スカッスカで全然お腹が膨れない。だから、ここ最近は毎日のように空腹が続いていた。


 あれからミスティアとも会っていない。自由気ままに生きて行くのが妖怪なんだから、どこに行けば会えるのかも分からなかった。どこに行けば会えるのか分かっていたとしても、私の方から会いに行くことは出来なかったと思う。次に会う時は、きっとミスティアの方から来てくれるって、私は信じている。

 その時は、ちゃんと謝らなくちゃ。本来だったら、本当に失いたくなかったら自分の方から会いに行って仲直りするのが多分一番いいんだと思うけど、今の私にはそんな余裕はなかった。



「また逃げやがった!ちくしょう、降りてきやがれ!」

 今日もまた不発・・・むしろ不毛。いつも通り打ちのめされた後、飛んで人間の里を後にするところだった。

 みんな今日も笑ってくれなかったな・・・どうしてだろう?蹴っても殴っても妙に明るいのが、逆に気に障るのかな。やっぱり世の中そんなに甘くは無いってことか・・・。

 体中が痛くて涙が出そうだった。

 でも負けない、泣かない、気にしな~い。


 ・・・明日も頑張ろう。


グゥ~

「あぅ」

 どんなに前向きなバカになっても、お腹だけはいつもと何も変わらないようだ。あるいはバカ正直なお腹の虫と言った方がいいのかな。

 今はあまり果実が稔る季節じゃないから、森での食料調達は本当に大変だったりする。さて、今日は森のどの辺りの葉っぱを食べてみようかな。雑草もいいな~。

 ・・・はぁ~、何かいつの間にかサバイバルしてるな私。こんな生活でしぶとく生きていられるんだから私ってつくづく妖怪だと思う。 

 お米が食べたいな・・・お米。ふっくら熱々で、すごく美味しいの!


 人間の里の上空をふわふわと浮遊する。地上から、料理の美味しそうな匂いが微かではあるが私の元まで届いてくる。サバイバル生活に目覚めて数日、妙に鼻が利くようになってきた気がする。

「匂いだけじゃ、お腹はおきないんだよね・・・残念なのか」


ドスッ

「えっ!」

 突然だった。あまりにも緊張感がなく、あまりにも能天気なことを考えていた私。別に油断をしていたわけではなく、私はそんな慎重なキャラでもない。いつだって隙だらけ・・・それが私。

「うぅっ、痛い・・・何なのか、これ?」

 一瞬で体中に駆け巡った痛み。何が起こったのかはすぐに理解した。

 何か長いものが私の右肩の辺りから突き出している。それは恐らく、人間がよく使う武器の一つなんだと思う。長い木の棒の先に鋭く尖った鉄を付けた射撃用の武器・・・確か「矢」って言ったっけ。

 とりあえず、私はすぐに現状を理解した。


 ・・・そうか、私は射撃されたんだ。

 どこから?・・・地上から。

 誰に?・・・そんなの決まっている。

 人間だよ。


 私の体を貫通した矢の先端は、赤いシャワーを浴びた後の様で、太陽の光を受けてとても綺麗に輝いていた。

「くぅぅ~、痛い」

 飛行のバランスを崩す。ただでさえボロボロで飛ぶのがやっとだったっていうのに、こんなアクセサリーを肩につけた状態じゃもう飛べるはずがない。むしろ、このまま落ちるのは必然だった。

「うぅ」

 ものすごい勢いで迫ってくる地上。何だかもう慣れた感覚だった。だから怖くはない。痛みは我慢できる、我慢してきた。

 でも、ここはまだ人間の里の上空。このまま落ちると私は・・・。でも、駄目だ。踏ん張れない。


グァガーン!

「あぐぅっ!」

 まるで地上に降り注ぐ隕石の様に地面に落下した。柔らかい土が多少クッションになってくれたみたいで、落下と同時に気を失うことはなかった。でも、仰向けになったまま体がピクリとも動かない状態で、痛覚すらほとんど麻痺して、本当だったら物凄く痛いはずなのに意外と大丈夫だった。そんな中でしっかり働いてくれているのは、視覚と聴覚・・・そして思考だけのように思えた。

 さっきは我慢できるとか言っちゃったけど、本当は痛いのは嫌い。大嫌い。だから麻痺してくれてちょっとラッキーだったかな。・・・なんてね。


タッタッタッ・・・

 地面を伝って聞こえてくる足音。間違いなく人間達のものだと思う。


 ・・・早く逃げなきゃ。どうでもいいことを考えている場合じゃない。このままじゃ全部終わっちゃう。

「はぐぅぅー」

 全身に力を込めてもう一度飛ぼうとするけど、飛ぶどころかやっぱり体がピクリとも動かない。


タッタッタッ・・・

 次第に大きくなっていく足音。

 ・・・怖い。すごく怖い。

 今まで生きてきて、こんなにも怖いと思ったのは初めてだった。


 追う者と追われる者・・・そうか、私に襲われた人間達はこんな怖い思いをしていたんだ。まさか、自分がその立場に立たされるとは夢にも思わなかったけど、今になって、改めてどうして人間が私のことを憎んでいるのか考えさせられた。

 許してくれるはずがない、見逃されるはずがない・・・だから必死で逃げた。


 だから、もう逃げる力すら残っていない私は・・・私にとっての、無力な人間とおんなじなんだ。



「ようやく追い詰めたぜ妖怪が!」

 青い空を隠すように私の視界に入ってきたのは、人間の男の人だった。確か、妖怪に大切な家族を奪われたって言ってた人。・・・ごめんなさい。

ガシッ

「あぎゃぐぁぅぅーーー!」

 右肩の傷口を思い切り踏みつけられた。その瞬間、突然痛覚を取り戻した私は、自分でもよく分らない、断末魔の様な叫び声を上げた。地面に落下した衝撃で矢の先端は折れてどこかに飛んで行った。でも、私の体を貫通していた木の部分はまだ体の中に残っている。肩を抉られるような激痛でそれが分かった。

「痛いっ!痛いっ!痛いやめてなのかー!」

 グリグリグリと、何度も私の肩を踏み潰すように足を捩り込む人間。どうしようもなく痛くて・・・涙が出るほど痛かった。実際泣いていたのかもしれない・・・多分。

「それにしても、流石里一番の弓の名手ですね。あの距離から射抜くなんて、もはや神技ですよ!・・・本日は来てくれてありがとうございました。こいつは危なくなるとすぐ逃げるんで、なかなか仕留められなくて困っていたんですよ」

 ゆ・・・弓の名手?

「弓道教室師範の名は伊達ではない。拙者は世の為人の為、弱き者を守る為に、己の武芸を磨いてきたのだ。これっ、もういいだろう。足をどけんかっ!」

「あ・・・はいっ、すみません」

 白い髪が目立つ、人間にしては結構お年寄りに入る男の人。目付きが鋭いおじいちゃんだった。弓の師範?・・・そうか、この人が私の肩を射抜いたんだ。

 偉い人なのかな?それともこれが年の功ってやつなのかな?

 少し怒鳴っただけで、私の傷口を踏み付けていた足がどかされた。

「う・・・うぅ~」

 激痛を伴いながら徐々に引いていく痛みが気持ち悪くて、つい低い唸り声を上げてしまう。このおじいさんは私をどうするつもりだろう・・・殺すつもりなのかな。多分そうだよね。

「このような小娘が・・・少々気は引けるが、許せっ」

 おじいさんはそう言うと矢の中央を握り、先端の鉄を下に向けて私に振りかざしてきた。妖怪ってどこを刺せば死ねるんだろう。人間の体についてはよく知っているけど、妖怪の体がどうなっているのか全く知らなかった。

 ・・・心臓ってあるのかな?

 そういえば気持ちが高ぶった時とか、トクントクンってしてる気がする。

 それが心臓かな。

 おじいさんは人間にとって、それがあるべき場所をじっと眺めている。もし、私にも心臓があるとしたら・・・それを一刺しにしたら、すぐに死ねるかな?


 ・・・いくら私がバカでも、もう痛いのは嫌なんだ。

 心も、体も。

 だから死ぬ時くらいは・・・楽に死にたいよ。


「許せっ」

 おじいさんはもう一度小さく呟くと矢を振り下ろした。私は見ていられなくて、すぐに目を閉じた。何が見てられないかって?・・・おじいさんの本当に申し訳なさそうに思う表情が、何故か見ていられなくなったから。きっと一度や二度刺しただけで私は死ねない。妖怪のしぶとさは、妖怪である私が一番よく知っている。

 ごめんねおじいさん。こんなことさせちゃって。

 人間は、例えそれが敵であったとしても、相手の命を奪うことでとても心を痛める生き物だって知っている。おじいさんの本当に申し訳なさそうな表情はその証拠。

 ・・・本当にごめん。こんなことさせちゃってごめん。

 たくさん迷惑かけちゃってごめん。


 ミスティア・・・思い切り歌える場所と、お客さん集めてあげられなくてごめんね。

 イモリ・・・幸せって、思っていたのよりずっと遠くて難しいものだったんだね。


 先立つ不孝を許してね・・・お父さん。



 ・・・。

 ・・・・・・ん?


 どうしたのだろう?

 確かに矢は振り下ろされたはず。そのはずなのに、いつまでたっても体を貫かれた感じがしない。あるいは、もう自分は死んでしまっているのかもしれないという錯覚を起こすほど何も感じなかった。一体何が起こっているのだろう?

 私は恐る恐る目を開けてみた。


「えっ?」

 何が起きているのかが全く理解できなかった。矢は私の横に落ち、おじいさんは両手で両耳を押さえて苦しそうに何かに耐えていた。

「なに?」

 それによく見るとおじいさんだけじゃない。周りに居る人間みんなが同じように耳を押さえて苦しんでいた。

 ・・・一体何がどうなっているの?

「な、なんじゃ!この不快な音は!」

 ・・・音?

 どうやら人間達は音に苦しんでいるらしい。確かに耳を塞いでいるのでそれは間違いないようだ。

 でも・・・私にはその不快な音らしきものは、何も聞こえない。どういうことだろう?


バサッバサッバサッ・・・

 そんな私の耳に入ってきたのは多分別の音だった。翼を羽ばたかせている音。

バサッバサッバサッ・・・

「・・・あっ」

 この音は知っている。もう絶対忘れたりしない。

 人間達の視線が上がると、一歩ずつ、一歩ずつと私から後ずさりしていく。

スタッ

 その対象が私のすぐ隣に着地すると同時に、よく聞いた羽ばたきの音は止まった。

「・・・ミスティア」

 私よりも少し大人びた風貌に、鳥っぽい羽。美味しそうな太ももに、美味しそうな腕。美味しそうな顔に、美味しそうな・・・。

「ちょっと!折角助けに来てあげたのに変な想像しないでって」

 呆れたように、まるで可愛くて仕方無い妹を優しく叱りつけるような口調で言う。

「へへ~、バレてたのか~」

 傷だらけの体、怪我の痛みを忘れたかのように軽く舌を出しておどけて見せる。そんな私を見てミスティアは、ゆっくりと溜息をついて私に言い聞かせるように言う。

「っていうか、何簡単に諦めてんのよ!そんなのルーミアらしくないし、応援している私の身にもなりなさいって」


「・・・」


 返す言葉が無かった・・・確かにその通りだと思ったからだ。

 折角応援してあげているのに、その応援している相手に、勝手に死なれたんじゃ堪ったものではない。


「でもごめん・・・あれからゆっくりと考えてみた。私やっぱり、ルーミアが死んじゃうと悲しいから」

 ミスティアは少し照れくさそうに私からスッと視線を逸らしながら言った。私も少し照れくさく感じた。

「うん、知ってたよ。だから助けに来てくれたんだよね。ありがとうみすちぃ」

 そう。ミスティアは私を助けに来てくれた。

「み、みすちぃ?・・・何よそれ」

 気の抜けたような声で聞き返してきたミスティア。

「ミスティアの愛称だよ。ほらっ、こっちの方が何かいかにも親しい友達って感じでしょ?」

 私がそう言うと、ミスティアはさっきよりも一層照れくさそうに頬を赤らめながら答えてくれた。

「べ、別にいいけど・・・私は今まで通りルーミアって呼ぶからね」

「いいよ~」

 別に、今度会ったときはそう呼ぼうとか考えていたわけでもなくて、何だか自然に出てきた愛称だった・・・そして、案外呼びやすかった。

 ミスティアが来てくれたことが嬉しくて、私は痛みを忘れて満面の笑顔を返した。あっ、それとそうそう忘れてた。

「私の方こそごめんね、みすちぃ。この前は酷いこと言っちゃって。私、もう大切な友達にあんなこと言ったりしないから。絶対に言わないから・・・本当にごめん」

 悪かったのは全部私。本当だったら私が先に謝らないといけなかったはずなのに・・・。遅くなったけど、ごめんね。

「いいよ。ルーミアの気持ち、何となくだけど分かるから。・・・妖怪だって考える事のできる生き物なんだから、もっとしっかり考えないといけないって、そんなことを思ったりもした。ルーミアの辛い気持ち、友達だったらもう少し分かってあげなければいけなかったんだって・・・反省してる」

 本当ならミスティアは何も悪くないのに。今ここに、私を助けに来てくれただけでも、有り得ないくらいの奇跡なのに。それだけでも、もう私はミスティアに頭が上がらないのに。・・・何かしらの非を探し認め、私の罪悪感を和らげようとしてくれる。そんな、忘れかけていた人間の優しさの様な温もりが、妖怪であるミスティアから感じられたのが嬉しくて堪らなかった。

 そして改めて、ミスティアは私にとって掛け替えのない大切な友達だと思った。


「貴様、その小娘の仲間か」

 私を弓で射たおじいさんが、険しい形相でミスティアを睨みつける。私みたいに力の弱い妖怪は、それこそ睨みだけで威圧され、殺されてしまいそうなほど強力な眼力だった。もはや、私に矢を振り下ろそうとしていた時とは別人だと思った。世の為人の為、弱き者を守る為に強くなった。・・・きっと、私には聞こえなかったけど、さっきの歌声(多分)を人間達への攻撃だととらえたんだろうな。

 でも、本当にどうして私には聞こえなかったんだろう?

 ミスティアは振り返りざまに目付き鋭く、表情を強張らせておじいさんを睨み返した。一切引くことなく、臆することなく。

「仲間?・・・なんか言葉が堅い感じで私は好きじゃないね。・・・ルーミアと私は友達よ!それも親が付くほど大切な」

 ・・・親友。それって、友達よりも仲良しなのかな?

「だから私は今、物凄く腹が立っている。ルーミアをこんな目に遭わせた奴らを今すぐ八つ裂きにしてやりたくてうずうずしてるんだよ。あんたも覚悟しなよ」

 ミスティアはそう言うと、長い爪を立てて人間達を威嚇した。

 ちょっ、ちょっと!

「だっ、ダメだよみすちぃ。人間を傷付けちゃダメだよ」

 ミスティアが怒ってくれるのは嬉しい。すごく嬉しいけど・・・人間が傷付くところを見るのは悲しい。それに、いくらミスティアでもこれだけの人間を相手にして無事に済む保証はない。

 私は誰かが傷付くところを見るのが嫌だった。たくさんの人間を傷付けてきた私がこんなことを言うのは、あまりにも虫のいい話かも知れないけど、誰にも傷付いてほしくなかった。もし、あえて一人だけ傷付く必要があるのだとすると、それは私であるべきだと思っていた。

「ごめんルーミア。・・・あんたが一生懸命頑張っているのをぶち壊しちゃうみたいだけど・・・こんなことあんたは望んじゃいないだろうけど・・・でも、これは私の問題。私は許せない。滅茶苦茶一途に頑張ってるルーミアを寄ってたかって痛め付けて、こんなにも傷付けて、傷口を踏み付ける。ごめんだけど、怒りが収まらない。やっぱり私には、ルーミアがどうして人間に惹かれたのか分からないんだ。私にとっては、大切な友達を傷付けた憎い連中にしか思えない・・・ごめん」

「み、すちぃ・・・」

 何度もごめんをはさみながら、それでもどうしてもこのまま引くわけにはいかないと言うミスティア。

「それに、こいつらが私達をここから簡単に逃がしてくれるとも思えないから。・・・ごめん、私はルーミアを守りたいの。理解して」

 ミスティアは再び人間達の方に向き直し対峙した。

 その言葉はとても嬉しかった。嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。・・・でも、私は止めたかった。止めなきゃいけないと思った。嬉しいけど・・・嬉しいんだけど・・・何だかよく分らない。どうすればいいのか、当然このままでいいわけないんだけど、だけどミスティアの想いを無駄にすることもできない。そもそも私の言葉はミスティアには届いていないってくらい怒ってた。でも、その怒ってくれたことはまたすごく嬉しくて。それでも怒らないでほしい。人間と対峙しないでほしい。

 でも・・・涙が出るくらい嬉しいんだ。


 ただ、一つだけ確実に言えることは・・・私にはミスティアを止めることはできない。


 だって今、人間達と対峙するミスティアは同じだったから。私に対して恨みや憎しみをぶつけてきた人間達と同じ表情をしていたから。

 これがどういうことなのか、今の私になら分かる?


 それは・・・ミスティアが今、目の前に存在する人間全員を心から憎んでいるということ。


 私の為にこんな表情をしてくれたのは、ミスティアが初めてだった。きっと、イモリなら同じ表情をして私を守ってくれたとは思うけど、あの場所には私とイモリの二人しかいなかったから。イモリが作ってくれた私の居場所は、いつだって明るい感情に満ち溢れていたから。

 ミスティアの抱いた感情は、人間の深い感情と全く同じもの。だとしたら、それを止めることなんて私にできるはずがない。

 どうしよう・・・このままじゃ、このままじゃ私にとって大切な何かを必ず失うことになってしまう。


ギリギリ・・・

 臨戦態勢に入ったおじいさんは矢を弓の弦に番えてゆっくりと引く。そして、ミスティアに向かって構える。距離はものの十メートルあるかどうか。手を離すと、恐らく物凄い速度でミスティアの体まで到達するだろう。

「ふ~ん。あんたがルーミアを酷い目に遭わせた張本人ってわけか。確かに私はあんまり弾幕避けるのは得意じゃないけど、あんたのぬるい射撃なんかには絶対当たらないからね。・・・遠慮しないで撃ってきなって。その瞬間、八つ裂きにしてやるから」

 ミスティアは長い爪を剥き出しにしておじいさんを挑発する。私の前では決して見せた事のない姿だった。

「貴様がいくら速かろうと・・・この至近距離からでは、拙者の矢はかわせまい。妖怪風情が粋がるでない」

 睨み合う二人。もしミスティアが攻撃をかわしたなら、宣言通りおじいさんを含むこの場に居る人間全員を八つ裂きにするだろう。もしミスティアの体に弓が突き刺さるようなことがあれば、その時は容赦なく二本目、三本目と、ミスティアの命が尽きるまで弓を引き続けるだろう。・・・そして、私もそれに続くことになる。

 ミスティアまで巻き込んでしまうのは絶対に嫌だった。いや、例えミスティアを巻き込むことが無かったとしても、それ以前に私自身死にたくなかった。だって、私が死んじゃうと悲しい思いをする誰かがいるって、今はっきり分かったから。

 ・・・そんな、一番大事なことに気付くのが致命的に遅れてしまった自分のバカさ加減が、全然可愛くなくて・・・こんなどうしようもない場面を招いてしまったことを心から後悔した。

「みすちぃ・・・心配とか迷惑とか、いっぱいかけちゃってごめんね」

 双方が守るべき者の為に敵対している。これはいつもみたいに妖怪と人間との関係が引き起こした争いじゃない。私達妖怪だって、今となってはお腹でも空かない限り、むやみやたらに人間を襲ったりはしない。ただ単に、私達妖怪にはあまりにも守るべき物が無さ過ぎただけ。

 だから、誰かが傷付かなければ、もうこの場は収まらない。


 でも、そんなの嫌。何度も言うようだけど、私は誰かが傷付くところなんて見たくない。ミスティアも、人間達にも、ずっと笑顔でいてほしいんだ。


 だから・・・お願いだから誰か止めて。私にできることなら、何だってするから・・・。


 しかし、そんな私の願いもむなしく、二人の睨み合いは更に鋭さを増す。


 ・・・そして、


「いざっ!」

 お互いの緊張感が最高潮に達し、今まさにおじいさんが矢を放とうとした、その時だった。


「やめてー!」

 二人の距離の間で激しく入り混じっていた互いの強い気持ち。それを切り裂いていくかの様に、突然その場に響き渡った少女の叫び声が、一時この状況を硬直させる。


ザッザッザッ・・・

「はぁっはぁっはぁっ・・・」


 そして、息を切らしながらこちらに駆け寄ってくる声の主。恐らく、ここまでずっと急いで走ってきたのだろう。私を痛め付けていた人間達や、ただこの状況を傍観していた人間達とも少し違うのは何と無く分かった。

 姿を確認すると、それは外見が私と同じくらいの少女だった。同じくらいの背丈に、同じくらいの幼い顔立ち。

「米さん所の千穂ではないか!危険じゃ近付くでないっ!!」

 おじいさんは声を張り上げる。

 近づくでないっ!・・・それは怒声の様な響きだった。

 しかし、そんなおじいさんの制止の声も全く聞こえていないかのように、女の子は駆け寄ってくる。

 そうか・・・この子は、千穂っていうんだ。


ザッ

 次の瞬間ミスティアが動く。お爺さんに向かってではなく、千穂と呼ばれた女の子に向かって。

「みすちぃダメっ!」

 その距離が限りなくゼロに近付く時になってようやくそれだけの言葉を発した。ミスティアの意図が理解できた。ミスティアは私を守ろうとしてくれているのだから、敵意が有る無しに関わらず、今私に近付く存在を認めるわけにはいかないんだ。

 目で追うのがやっとなくらい素早い動きだった。こんな動きができるのなら、この至近距離からおじいさんの攻撃をかわせると言ったのもうなずける。

「あんた・・・何勝手にルーミアに近付いているのよ。死にたいの?」

 千穂と呼ばれた女の子の喉元に長い爪を押し付けるミスティア。その気になれば、いつでも千穂の喉をズタズタに引き裂くことができる状態。私の声が聞こえたのか、ミスティアはそんなギリギリの状態で動きをピタッと止めた。目を細めて、声を低くして・・・脅すように。恐怖を誘うように。いつも私に食べられそうになって情けない顔をしているミスティアが、私の前で初めて見せた妖怪らしい姿だった。

「ダメっ!ダメだよみすちぃ!絶対にダメだからね!」

 今にも手を出してしまいそうなミスティアに対して、何度も念を押して制止の声を掛ける。よく分らないけど、きっと直感のようなものだと思う。この状況で、何の力も持たずに飛び込んできた千穂という女の子は、それなりに特別な理由があるに違いない。そしてそれは、きっと私にとって大きな意味を成す理由・・・何だかそんな感じだった。

「貴様!人質を取るつもりか。卑劣なっ!今すぐ千穂から離れろっ!」

 おじいさんが怒りの声を張り上げる。限界まで引き切った矢先は、確実にミスティアをとらえていた。

「人質?・・・勘違いしないでよ人間。それに、勝手に近付いてきたのはこの子の方なんだからね」

「くっ」

 これではおじいさんも迂闊に手を出してはこれない。相変わらず標的がミスティアから逸れることは無かったけど、矢が放たれることはまず有り得ない状況だった。このままミスティアが動かなければ暫く硬直が続くように思われた。

 これで、最悪の状況だけは一旦先延ばしすることができた。でも、私には先延ばしを回避に持っていけるだけの考えが無かった。

 体中が痛いし、お腹も空いたし・・・こんなくだらないことを考えている自分が嫌になってきた。


 そのままの状態でどれくらいの時間が経っただろうか・・・きっとそれは十数秒という僅かな時間だったと思うけど、私にはそれよりも遙かに長く感じられた。


 そして、ミスティアが口を開いた。

「あんた、怖くないの?・・・言っておくけど、私があんたを殺すのなんて、真っ暗な部屋の出口を探すのよりよっぽど簡単なんだからね」

 喉元に爪を突き付けられても、体一つ震えさせることは無かった千穂。恐怖は無く、怯えも無い・・・私にはそう見えた。だから、それはミスティアが抱いた率直な疑問だったんだと思う。

 千穂は答えた。

「怖いよ・・・とても怖くて、こんなの全部やせ我慢。もう爪の先が喉元に触れるだけでチクッとして痛くて・・・刺さるともっと痛そうで泣いちゃうくらい怖い。それに・・・死んじゃうのはもっと怖いんだよ」

 ・・・何だか、あまりにも坦々と答えるものだから本当に怖がっているのか分からなかった。

 やせ我慢?・・・人間が怖がる時って体が震えたり、顔がぐじゃぐじゃに歪むものだと思っていた。私は、これまでにそんな人間をたくさん見てきたから。そして、どうして人間がそうなるのか今、身をもって体験したところだから。

 目の前にいる相手に、自分の生き死にを完全に握られた状況。そんな状況に陥っても、千穂の表情は恐怖に歪むことすら無く、ミスティアをしっかりととらえていた。まるで、こうなることが始めから分かっていたかのよう。それがさも当たり前で、むしろそれを望んでいたかのようだった。

 ミスティアはそんな千穂に、少し感心にも関心にも似た感情を覚えたのか、強張った表情を僅かに緩める。油断をしたわけではないと思う。おじいさんは今も変わらずミスティアを狙っている。それは十分に承知しているはずだ。

 でも、ミスティアはそんな中、千穂という小さな女の子に対しての警戒を全て解いた。近くから見ている私にはそれがよく分かった。周りから流れ込んでくるのは、全身を刺すような容赦の無い視線と胸を圧迫するような緊張した空気。でもそこだけは、それらの障害を全て取り払ったかのような落ち着いた空気が停滞していた。

 ミスティアの温度が少しずつ下がっていく。千穂は、相変わらず不安そうな顔一つ見せなかった。


「・・・あんた変わった人間ね。でも、そんな怖がりのあんたがどうしてこんな場所に飛び込んできたの?言ってることとやってることが明らかにおかしいから・・・何だかおかしいよ」

 一度目のおかしいは千穂に対しての言葉。でも、二度目のおかしいはミスティアの正直な気持ちだったんだと思う。僅かに口元を緩めたのは、それのいい証拠。

「あ、あれ。何か変だったかな?・・・私は、ただ単に戦うのを止めてほしくて必死だっただけだよ」

 千穂がそう言うと、ミスティアは若干驚いたように目を見開いた。

「ふ~ん。争い事は嫌いなんだ?」

 ミスティアがそう聞くと、千穂は少し困ったような顔をして俯き加減で答えた。

「争い事が好きな人なんていないと思うよ。私も、大嫌いだよ。誰かが傷付いて・・・ましてや死んじゃうのなんて、自分死んでしまうことよりもずっと怖い。妖怪さんだって、好きで戦おうとしていたわけじゃないんだよね。・・・大切な友達が傷付けられたから、だから怒っちゃっただけなんだよね。自分の命を掛けてでも守りたいって思ったんだよね」

 千穂が私の方を見る。すると、自然に目が合った。

 ボロボロの私を憐れんでいるわけではなく、ましてや天敵を睨み付ける目であるはずも無い。こんな私を心から心配してくれている。そんな表情だった。

 ・・・人間から心配してもらえるなんて、イモリと別れて以来久しぶりだな。

「そんな私は、人間からすれば随分と短気で、凶悪で、最悪な妖怪なんだろうね。いなくなれば、死んでしまえば・・・それで人間達は安心するんだろう」


「違うっ!」


 ・・・あっ、


 自分でも無意識の内に、つい大きな声が出てしまった。こんなにもボロボロの状態で、こんなにも大きな声が出るんだって、自分でもびっくりするくらい突発的に出てしまった声。ミスティアは、驚いた表情で私の方に目を向けた。少し恥ずかしい感じがした。

「・・・ルーミア」


「あっ、あっと・・・えと、人間にとってのみすちぃだよね。・・・私は妖怪だから、お呼びじゃない、かな。どうぞ気にせずに続けてくれていいのか・・・のか~」

 な、何言ってるんだろう私。何だか無茶苦茶で、無茶苦茶に緊張感が無くて、私自身の気持ちは、もう既に緊張とかそういうのとはすごく遠い所に行ってしまっているような・・・よく分かんない感じ。でも、何だかすごく慌ててしまって。咄嗟に何を言ったのか、もう忘れてしまった。

 そんな私を見て、ミスティアは呆気にとられたように口を中くらいに開ける。千穂はどことなく嬉しそうに表情を弛めた。

「よかったねみすちぃさん。友達想いで、頼りになって、優しくて、最高の友達だって言ってくれているよ」


 ほぇ?

 私そんなこと言ってないよ。

 ・・・でも、まあ私が言いたかったのは精々そんなところだけど。


「みすちぃさんはよしてよ。私の名前はミスティアだから・・・」

 顔を真っ赤にして照れるミスティアは、何だかとても可愛かった。そして可笑しかった。

「だったら、ミスティアさんもあんたはよしてくださいね。私は千穂って言います。日隈千穂です」

 妖怪に対して人間が自己紹介するのなんて、イモリと初めて会った時以来だった。そう言えばあの時は、お腹がペコペコでイモリの筋肉美味しそうとか、そんなことを考えてたんだっけな。懐かしいな~。


「でも、私もおんなじ気持ちかな。ミスティアさんと友達になれたら、妹みたいに甘えたり我がまま言ったりしてみたい。・・・あれっ?これじゃあ友達って言うよりはお姉さんかな」

 千穂がそう言うと、ミスティアは半ば諦めたかのように大きく息を吐いた。

 頬っぺたは、やっぱりまだ真っ赤だった。

「妖怪と友達になりたいとか、お姉さんになって欲しいとか・・・本当に、正気の沙汰とは思えないんだけど・・・。でも、千穂が嘘や出任せを言っているようには思えないしね。・・・分かった、私の負け。別に千穂と勝負していたわけじゃないんだけど、あんたが戦うなって言うなら今回は止めとくよ。いつの間にか熱も冷めちゃったみたいだし・・・ルーミアにとってもそれが一番いい選択だったはずだからね」

 それを聞いた千穂は、小さく白い歯を見せて微笑んだ。

「よかった」

 ミスティアは、参ったなと言わんばかりの表情で微笑した。

「怖い思いさせて悪かったね。尤も、千穂が本当に怖がっていたかは判断しかねるけどね。それにしても、千穂は勇気があるのか無謀なのか、はたまたバカなのか分からないな」

「えへへ~、あまり深く考えていないのかも。ただ私は、みんなが仲良く暮らせるようになればいいなって思っているだけ。人間とか、妖怪とか、妖精とか、お・・・おばけさんとか。そんな種族のしがらみに囚われることなく一緒に遊んだり、考えたり、ごはん食べたり、時にはケンカしたり、仲直りしたり、一緒にお風呂入ったり・・・恋愛とかもしてみたり。・・・私が勝手に一人で抱いてる夢なんだけどね。何か恥ずかしいかな?」


 ・・・あっ。


 私は知ってるよ。千穂の抱いている夢は、とっても楽しくて、嬉しくて、幸せなものなんだって。

 一人じゃ・・・無かった。


 その言葉を一番近くで聞いたミスティアは、ゆっくりと首を左右に振って答えた。

「全然恥ずかしくなんてないと思うけどね。・・・むしろ、私が男の妖怪だったら愛しちゃいそうなくらい、千穂は素敵に見えるけどね・・・人間は好きじゃないけど、千穂のことは嫌いじゃないかも」

「だったら、お友達になってくれないかな?」

 千穂がそう言うと、ミスティアはなぜか泣きそうな顔になって。必死で泣くのを我慢しているように、声を絞り出すように言った。

「よかった。・・・千穂みたいな人間が居てくれて本当によかった。・・・因みにだけど、私の方はごめん。まだ、そこまで覚悟も決心も決められて無いんだよ。でも、千穂と出会ってそれも悪くないって本気で思ったのは、私の正直な気持ちだから」

 人間に無関心なように装っていたミスティアだけど、きっと無関心なんかじゃなかったんだ。

 ミスティアは、私の大切な友達だから。

「そうですか・・・うん。ありがとう」

「だけど・・・私なんか別に構わないから。あの子と・・・ルーミアと友達になってあげて。私と違って、出会う前から相思相愛。ルーミアはきっと、ずっと千穂みたいな人間に出会うことを望んでたんだと思うから。ルーミアを守ってあげてほしい。・・・私は、ルーミアが辛そうにする顔なんてもう見たくないんだよ」


 ミスティア・・・ありがとう。本当にいっぱいいっぱい心配とか、他にも違うものいっぱい掛けちゃってごめんね。


 千穂が力強く頷くのを確認したミスティアは、百八十度振り返り、背中を向けて大空を仰いだ。

「私はひとまず森に帰るかな。私みたいに血の気の多い奴が居たら、収まるものも収まらなくなるかもしれないしね。・・・あっ、分かってると思うけど、千穂を信じてのことだからね。もし、ルーミアに何かあったら許さないから」

「うん。・・・後、ミスティアさんの歌。とっても上手で素敵だったよ」

 嘘っ!

 聞こえてたの?・・・そして、やっぱり歌だったのか。

「当然っ!これでも私、森の歌姫って呼ばれてるんだから」

 ・・・嘘付けっ!自称だろっ!

 でも、そんな大ボラが堂々と吹けるようになったのを考えると、ミスティアもやっと本調子に戻ってきたのかなって思えて嬉しかった。・・・いや、別にミスティアが嘘付きキャラって言う意味じゃないんだけどね。

「みすちぃ!」

 名前を呼ぶとミスティアは振り返り、私の方を見た。ずっと解けなかった難解な問題が解けたような、そんな清々しい表情をしていた。


「ありがとう」


「・・・うん」


 ミスティアは小さく頷くと、ニッコリと微笑んで空高く舞い上がっていった。

 私と千穂は、その姿が見えなくなるまでじっと見送っていた。



「どうしてっ!どうしてあの妖怪をみすみす見逃したのですか!あんなにも隙だらけで、撃ち落とすチャンスだったではないですか」

 ミスティアが去った後、一人の男の人が、弓の名手のおじいさんに詰め寄った。

 あっ、嬉しすぎて忘れてたけど、今ってこう言う状況だったんだっけ。


 でも、確かにどうしてミスティアを何もせずに帰して・・・。

「そうですよ!どうして、逃がしてしまったのですか!」

 それを皮切りにしたように、みんながおじいさんに理由の説明を求める。

 私にも、正直さっぱり分からなかった。


「どうしてっ!どうしてですかっ!」

「妖怪を見逃すと後で何をするか分からないですよ!」

「退治できる時に退治しないと、後で後悔」

「黙らぬかぁー!!」

「っ!」

 おじいさんが突然声を張り上げて怒鳴る。すると、詰め寄っていた人間どころかここに集まったみんなが、体をびくんとさせて硬直する。

私もビックリした。

 ・・・おっきい声。

「・・・わしがあの妖怪に勝てたという確証がどこにある!まだ小娘でありながら、わしはずっと気圧され続けていた。正直安心しているのだよ。己の振るった凶刃の報いを受けることなく、相手の方から去ってくれたことを・・・あの娘にとって、わしは永遠に許されることのない存在かもしれん。だが、わしはガラにもなく死ぬのが恐ろしいと、本気でそう思ってしまったよ」


 ・・・そうか!

 どうしておじいさんがミスティアを追わなかったのか、何となく分かった。


 おじいさんは、別にミスティアと戦いたかったわけじゃないんだ。勿論殺したかったわけでもない。むしろ、自分が負けたときのことを考えて、その責任の重さと必死に戦っていたんだ。

 だから、ミスティアを追わなかった。とても自重気味で、自惚れがなく、みんなの安全だけを考えた上での無行動。これも守るってことなんだ。


 みんなそれを悟ったのか、これ以上おじいさんに詰め寄る人はいなかった。



「もう知ってるかもしれないけど私、日隈千穂。よろしくね」

 千穂は嬉しそうな表情で、とてもいい笑顔で笑った。

 それは、忘れかけていた人間の笑顔。そうだった。こんな感じだったんだ。

 私が笑うと、イモリもこんな風に笑ってくれたんだ。

「幸せになれ」

 イモリが言ってくれた言葉。私には、幸せの意味が分からなかった。今でも多分よく分かっていない。

 でもイモリと一緒にいる時、私は幸せだった。それだけは疑いたくない。だって、イモリはあんなにも幸せそうな笑顔で笑ってくれたんだもん。

 嬉しいときの笑顔や、楽しいときの笑顔とも違う、もっともっと見てほしくて、もっともっと最上級の笑顔。

 ・・・それが幸せの笑顔なんだ。

 私って、なんて幸せの程度が低いんだろう。ちょっとしたことでも、些細な幸せを感じただけでも、まるで自分が幻想郷一幸せな妖怪だと言わんばかりに心と体が満たされる。嫌なこと、辛いこと苦しいこともそっちのけ。あるいは、私はバカだから完全に忘れているのかもしれない。

 それに、私は今までに一度だって自分が不幸だと思ったことはない。イモリと出会う前まではそんなの考えたこともなかったし、最近の毎日だって・・・。

 幸せに対して誰よりも鈍感だと思っていた私が、本当は誰よりも幸せに貪欲だったのかもしれない。

「幸せになれ」

 きっと、あの言葉の本当の意味は、俺の大好きだった笑顔をいつでも絶やすことなく、みんなに笑顔を分けてあげられるルーミアになってほしい。

 そう言うことだったんだねきっと。

 だって、幸せじゃない笑顔を見て誰が笑ってくれるって言うの?

 「笑顔の魔法」が一体どういうものだったのか、今になってようやく分かったような気がした。


 他人に幸せを分けてあげられるほど幸せな笑顔。


 本当は、誰にだって使える。

 ただ単に、私の得意技だということ。

 だって、私は単純だから。私の幸せはとても小さいものがいっぱいで・・・でも、どんな小さな幸せにも飛び付いちゃうほど欲張りで。そのくせ、不幸というものすごく鈍感で無頓着。


 イモリと初めて出会った時、イモリは幸せだったのかな?

 大切な家族と離れ離れになって、私と出会うまでは妖怪とも誰とも会わなかったって言ってた。

 きっと寂しくて仕方なかったんだと思う。きっと辛かったんだと思う。きっと、大好きな家族に会いたくて会いたくて仕方がなかったんだと思う。


 そんなイモリに・・・私が幸せを分けてあげられたんだよね。美味しいごはんをお腹一杯食べるとか、もうバカになるほど単純な幸せだけど・・・もともとイモリに貰った幸せだったけど、私の笑顔が少しでもイモリを救ったって、勝手に自惚れていいんだよね。

 もしそうだったら。私が人間にしてあげられることはきっとある。


 「笑顔の魔法」は「幸せの魔法」だったんだね。


「う、うん・・・わ、私はルーミアって・・・ルーミアって、いうのか」

 私が憧れる自分は、みんなを笑顔にしてあげられて、みんなを幸せにしてあげられる自分。

 でも、その為には私自身が幸せであることが絶対。

「なんて自己中心。なんて自分勝手。・・・こんな私が幸せになりたいだなんて。たくさんの人間を殺してきた私が、人間の世界で幸せにならなくちゃいけないだなんて。・・・一体こんなふざけた話、誰が認めてくれると思ってたんだろう。私は本当にバカだよ」

 でも、私は決めたじゃないか。バカになろうって。・・・バカは最強なんだって。

 そして、千穂と出会えた。


「千穂、さっき言ったよね・・・種族とか関係なく、みんなが仲良く暮らせるようになったらいいなって」

「うん。言ったよ。私の夢かな、理想かな。まだ、足も掛かっていないんだけどね」

「と、とっても素敵な夢だと、思うよ。・・・でも、その一番最初の一歩目が、わ、わわ・・・私なんかで、いい、の?」

 言葉が上手く回らない。気付いたときには、地面を濡らすほど大粒の涙が瞳から垂れ落ちていた。

「いいもなにも、私もう決めたんだから。それに、ルーミアちゃんの幸せも一緒に見つけよう」


 一呼吸おいて、きっと涙でぐしゃぐしゃになっているであろう私の顔を見ながら、きっと眩しいくらいの笑顔で言った。


「お友達になろうよ」


 涙で視界が滲んで、千穂の顔がはっきりと分からなかった。

 千穂はどんな笑顔を私に投げ掛けてくれているのかな。


 それは、もしかして・・・笑顔の魔法かな?


 ひたすら涙を拭ってそれを確認しようとしたけど、自然に溢れてくるそれは止められなかった。

「うあっ、うぅ・・・うあぁ~」

 涙と一緒に声も出た。

 喉の奥から勝手に出て来るような、何だか自分じゃどうしようもない声だったけど・・・。


「うわあぁぁぁぁぁーーーん」


 いつの間にか、子供の様な泣き声が辺りに広がっていた。

 私は・・・そりゃあ子供だけど。でも、今重要なのはそんなことじゃなくて。

「うあ~、あぅぁ~、ああひ、ひほと・・・ほぉあひにはるよ~。うあぁぁーん」


 私、千穂の友達になるよ・・・。


「うん」

 千穂は小さく頷くと、ボロボロでまともに動くことさえままならない私の体をギュッと抱きしめてくれた。

 私は、相変わらず子供のように泣き喚いていた。多分、暫らく泣き止めそうにない。そんな感じがする。


 これまでずっと私に向けられていた周囲からの敵意が、次第に消えていくのが何となく分かった。それは、別に私のことを認めてくれたからとかそう言うんじゃないと思う。いくら私でも、そんなに甘えた考えは持っていない。

 こんな私に、少し同情してくれているのかな・・・実際のところは分からない。

 でも、今はそんなに深くは考えないようにする。



 千穂の体は温かくて、傷口にじんわりとしみて来るほど温かくて、優しくて。おおよそ、子供の様に泣くことくらいしか出来ない今の私は、


「うわあぁぁぁぁーーーん」


 やっぱり安心して泣くことしか出来なかった。

 でも、今はそれでも構わないと思った。

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