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東方連小話  作者: 北見哲平
上白沢慧音 〜 満月の輝く下で
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上白沢慧音 - その10

 夕衣と別れたあの時から早くも1か月が過ぎていた。光陰矢の如しとはよく言ったものだ。結局、1か月前に多発していた住人連続襲撃事件の犯人について、里では結論を出さずじまいだった。ただ、夕衣が里から出て行ったことは皆知っていたし、その日を境に事件が起こらなくなったのは明らかだった。しかし、それを口にしてまで、公に取り上げようとした者はいなかった。まだ幼かった夕衣のことを考えてか、夕衣と仲が良かった私やクラスメイト達のことを考えてかは分らない。ただ、そんな皆の計らいに、私は少なからず感謝した。

 私自身、夕衣のことについて皆に真実を話すべきか迷ったが、結局は話せず仕舞いだった。あの夜の出来事を頑なに話さず、口をつぐみ続けた仁枝を見たら、私がそれを話してしまうわけにはいかなかったのだ。仁枝にとっては、本当のことを話してしまうことが夕衣に対しての裏切り行為だと感じたのかもしれない。

 そんな仁枝の怪我もすっかり完治し、今ではいつも通り元気よく寺子屋に通っているそうだ。何度か見舞いに行った時には元気な笑顔を見せてくれた。彼女自身、まだ夕衣が居なくなったことを完全に吹っ切れてはいないはずだ。しかし、私の前で明るく振る舞い、この里で夕衣と一番付き合いが長かった私のことを気遣ってくれた。

 しかし、当の私ときたら夕衣のことを吹っ切るどころか、未だに夕衣が里を去った事実を受け入れることを躊躇っていた。もしかしたらまた夕衣に会えるのではないかと森の中を探してみたり、最近起こった出来事をあれこれ考えることに時間を費やしていた。

 夕衣は、果たして父親と再会できたのだろうか?・・・そんなことばかりを考える毎日が続いていたのだ。

 なので、寺子屋には暫く行っておらず、他の先生方にも諸々の事情で休ませてくださいとの一報を入れてある。

 それは紛れも無く逃げだったのかもしれないが、ただ少し時間が欲しかった。


 しかし、いつまでもこのままでいいはずがない。それくらいは理解している。私が歴史の授業を行わなければ、誰が子供達に歴史を教えるというのだ。この里で幻想郷の歴史に精通している人物と言えば、思い当たるのは稗田家の阿求様だが、何分彼女はまだ幼すぎる。そして何より、私自身が子供達に歴史の授業を行うことを望んでいるのだ。

 確かに、人間は書によって歴史を伝え残してきたし、私もそれを承知の上で歴史書の編纂作業を行っている。しかし、そんな時ふと思うことがある。

 この歴史は直接伝えたい。口から発せられる言葉と一緒に心で伝えなければ、決してその本質まで伝えることはできない。そう言う歴史も間違いなく存在するのだ。もしかするとそれを伝える為に、私は寺子屋で教鞭をとるようになったのかもしれない。私の教え子達が大人になり、いつか子供が誕生する。その時に親から子へと、私の伝えたかった歴史が伝達されること・・・それが私の思い描いた理想だ。

 ・・・だから、私も早く立ち直らなければな。

 もうすぐ日付が変わると、明日は今年最後の日。年明けの頃には、強がりでも何でもいい。皆の前で笑顔が作れるようになればいいのだが。

 子供ではないのだから、いつまでもずる休みしているわけにもいかない。


 窓際に立つ私は、少し厚めのガラス窓越しに掠れた満月を見る。

「あの日、夕衣と一緒に見た満月は本当に奇麗だったな・・・」

 一つの周期を終えた月は、何も変わらず同じ輝きを放っている筈なのに、今日の満月は哀愁をさそう。これからは、満月を迎えるたびにこんな気持ちになるのだろうか。

 ・・・はぁ。

 小さく溜息をついた私。

「こんな調子で、私は本当に迷いを吹っ切ることが出来るのだろうか?」

 ガラスに薄らと映る妖怪の少女に問いかける。

 すると少女は、自信が無さそうに私を見つめ返してくる。

 ・・・どうしてだ。どうしてもっと自信に満ちた表情を返してくれないんだ。そんな今にも泣きそうな表情を見ていると、私まで泣きたくなってくるんだ。

 後悔なんてしない。後悔なんてしたくない。私は、あの時夕衣のことを引き止めなかったことを後悔してなどいない。夕衣は、自分の意思で里を出ていくことを決めたのだ。そして私は、それを良しとしたではないか。

 ・・・だったら、だったらこのどうしようもない後悔の念はどうしてなのだ?

 おまえは、自分がいい格好をするために夕衣にあんなことを言ったのか!

「・・・あっ」

 いつの間にか、ガラスの中の少女は泣いていた。歯を食い縛って、小刻みに体を震わせながら、心底悔しそうな表情で。

「悪い・・・言い過ぎたよ」

 少女は、手の甲で涙を拭って俯いてしまった。


 夕衣と別れた時のことを思い出す。


「私、頑張るから。だから慧音先生も頑張って」

 夕衣はとても前向きで明るい表情で言った。・・・私は、決して明るい表情とは言えない迷いと未練のある顔で夕衣を見ていたような気がする。

「そうだな・・・頑張るぞ」

 私がぎこちなくそう答えると、夕衣は歯を見せて明るく笑った。

「・・・バイバイ慧音先生」

 振り向いて、一歩ずつ遠いところに行ってしまう夕衣。私は、結局別れの言葉すら告げることが出来ずに、そんな夕衣が見えなくなるまでじっと目で追い続けるだけだった。


 また会う約束の一つでも切り出したらよかったのかもしれない。あの時、ただ見送ることしか出来なかったことを後悔している。

 もし、夕衣にまた会うことが出来たなら、この心の靄は晴れるのだろうか?

「・・・はぁ」

 今日は月に一度の満月なのに・・・こんな気持ちでは歴史の編纂作業も出来そうになかった。



ドンドンドン・・・。

 突然、玄関の扉を激しく叩く音が耳に入ってきた。時間は夜の10時をやや回ったところ。この時間に私の所を訪ねてくる者は普段ほとんどいないのだが。一体誰だろうか?

 今は誰かに会いたい気分ではなかったが、尋常ではないくらいに激しく扉を叩く音に緊急性を感じ、私はすぐさま拭い残した涙を指で擦りながら玄関扉の前まで走る。

ドンドンドン・・・

「慧音先生、慧音先生・・・」

 私のよく知っている声。

「仁枝か。すぐ開ける」

 ギィィ~

 鍵すら掛け忘れていた玄関扉を内側に開くと、そこには血相を変え、今にも泣き出しそうな仁枝が立っていた。

「慧音先生っ!琢磨君がっ、小百合ちゃんがっ!」

 !!

「どうしたんだ仁枝っ!琢磨と小百合に何があったんだ!」

 ひどく落ち着かない様子の仁枝。

 琢磨と小百合の身が危ない。そして、これは一刻を争うほど大変な状況。そう直感した。

「琢磨君と小百合ちゃんが・・・森の中に入ったまま、なかなか帰って来ないんです」

「森っ!・・・まさか妖怪の住む森か?」

 仁枝が小さく頷く。

 妖怪の森は、人間にとっては非常に危険な場所である。腕に自信がある大人でも滅多に立ち入ることは無く、子供に対しては絶対入らないようにと厳重注意がなされているはずだ。

 確かにここ数十年、妖怪達も随分おとなしくなってはいるものの、中には本能のまま人間を襲い、糧とする妖怪も当然のことながら存在する。そんな妖怪達にとって、森に迷い込んだ人間の子供は正に恰好の獲物。・・・体が戦慄を覚えた。

「どうしてっ!どうしてそんなことになったんだ!?」

「えっ・・・えと、あの・・・それは」

 言いにくいことなのか、仁枝は口籠る。琢磨と小百合は、確かによく問題を起こす奴らだがそこまで馬鹿ではない。ただの好奇心で妖怪の森に足を踏み入れたりは絶対しない。何か、それなりの理由があるはずだ。

「仁枝っ!どうしたんだ。何があったんだ!」

 急かされた仁枝は、私の目を見ながら答えた。

「・・・慧音先生の誕生日に贈る花を、探しに行ったんです」

 わ・・・私の誕生日?

「以前、夕衣ちゃんから聞いたんです。慧音先生の誕生日は年の明ける頃だって」

 それは覚えている。確か夕衣に聞かれたときに答えた自分で勝手に決めた誕生日である。

「しかし、どうして突然そんなことを」

 私がそう聞くと、仁枝は必死で何かを訴えかけるような表情で言う。

「琢磨君と小百合ちゃん・・・ここ最近ずっと元気が無かったんです。いつも、元気過ぎるほど元気な二人が、授業中もずっと寂しそうに、一言も喋らずに机を眺めて。話しかけても空返事が返ってくるばかりで・・・」

「それは・・・夕衣が居なくなったからじゃないか」

「慧音先生が寺子屋に来なくなったからですよっ!」

「なっ!」

 私が来なくなったから・・・どういうことだ?

「二人とも慧音先生が来なくなったのは自分たちのせいだって、すごく責任を感じているんです。あの日・・・あの夜、慧音先生の姿を見て酷いことを言ってしまったから、だから慧音先生が寺子屋に来られなくなったって・・・傷付けてしまったって、本気でそう思っているんです。私は、どうして慧音先生が寺子屋を休んでいるのか、その気持ちが何となく分かるから、だから二人にはそうじゃないって言ったんだけど・・・全然聞いてくれなくて」

 ・・・。

 ・・・琢磨。

 ・・・小百合。


 ・・・私は、出来るだけの愛情を子供達に注いできた。

「だから、私は二人に言ったんです。もうすぐ慧音先生の誕生日だから、プレゼントを贈って仲直りをしてみたらどうかって」

 ・・・でも、私の気持は全て空回りしてばかり。

「そうしたら二人は、以前慧音先生が好きだって言っていたお花をプレゼントしようって言いだして」

 ・・・堅苦しい授業と、手の早い性格が災いして誰も慕ってくれない。

「でも私は、そのお花は妖怪の森にしか咲いていないからやめた方がいいって、お店に売っているお花でも慧音先生は喜んでくれるはずだって言ったんです」

 ・・・嫌われているとは思っていないが、決して好かれることも無い。歴史の知識だけは誰にも劣ることはないが、先生として最も大事なものが欠けている。

「二人もそれで分かってくれたと思っていたんだけど・・・今日午後の授業になったら急に二人とも居なくなってて、それで心配になって私、里中を探しまわったんだけど、どこにも居なくて・・・だからきっと二人は」

 ・・・私が、先生として適任者かどうかは分からない。でも、何となく分かった。

「きっと、二人は慧音先生の一番好きなお花をプレゼントして、一番喜んでもらって、それで慧音先生と仲直りがしたかったんです。・・・だって、私達は慧音先生のことが大好だから」

 ・・・本当に、私に欠けていたのは「教え子に慕われるための振る舞い」ではなく「教え子の気持ちを悟ってやれる」心の余裕。

「馬鹿」

「えっ!・・・あ・・・ご、ごめんなさい。私がもっとしっかり二人を止めていれば」

「・・・違う」

「えっ?」

 私は、仁枝の方を見ながら言う。

「自分に言ったんだ」

 仁枝は半分口を開いたままで私を見返して来る。

「慧音先生・・・泣いているの?」

ズズゥー

 思い切りはなをすすって、出来る限りの笑顔を作った。

「泣いているぞ・・・私は泣き虫だからな」


 この涙を最後に、もっと私も強くなろう。人として、ハクタクとして、先生として。誇りを持ってこの子達の先生と胸を張れるように。自信を持って私の先生は慧音先生だと言ってもらえるように。

 人の記憶に残る出来事、人の心に大きな影響を及ぼす出来事。それが歴史。

 だから今この瞬間を、私は自分自身の心の歴史書に記そう。


 私が進んで行くべき道を、これから続く人生の中で、決して見失わないように。

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