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東方連小話  作者: 北見哲平
上白沢慧音 〜 満月の輝く下で
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上白沢慧音 - その8

 仁枝の怪我は、夕衣の言っていたように、見た目ほど酷いものではなかった。体の至るところに出血を伴う傷があるが、どれも浅く致命傷というものからは程遠い傷だった。

 ただ出血量が気になったので、私は自分のスカートを破き、未だに流血が止まらない箇所の止血を行った。夕衣とは話したいこと、話すべきことがたくさんある。しかし、このまま仁枝を放置しておくことなどできる筈がなかった。当の夕衣は、この様子を少し離れた位置から見守ることしか出来なかった。また仁枝のことを傷付けてしまうことを恐れているのか、それとも仁枝に対する申し訳の無さからなのか、はっきりとは分からない。・・・でも、私は後者だと思う。今の夕衣は、寺子屋に居る時と同じ、とまでは言わないが、先程までと比べると随分人間に近い雰囲気に戻っていた。相変わらず目は赤く輝き、強い妖気を体中に帯びてはいるものの、それだけは確実に感じ取ることが出来た。

「・・・ありがとう。慧音先生」

 意識を取り戻した仁枝が私に礼を言う。まだ安心などできるはずはないが、彼女の表情を見ると、とりあえず最悪の事態だけは免れたのだと実感が持てた。私は、仁枝の上体を起こして両腕と胸でゆっくりと抱きしめる。すると、仁枝は少し恥ずかしそうに私の名前を呼ぶと、迷惑を掛けてごめんなさいと小さな声で呟いた。周りを照らす明かりは、側に転がっている提灯の明かりのみ。恐らく仁枝が持って来た物だろう。何とかまだ弱い炎を保っているみたいだが、いつ消えてもおかしくないほど微弱なものだった。日も完全に沈んだ今、これが消えてしまうと辺り一帯は漆黒の闇に包まれてしまう。

 それでも、決して消えることのない自然の光は変わらずに地上を照らしてくれるはずだが、果たしてそれで人間は家路につけるのだろうか。天体は、方角を示してくれるが決して道を示してはくれない。むしろ、心惑わされる。満月の魔力に・・・私は今までずっと踊らされて来たのでよく分かる。私にとっては、空に暗闇を照らしてくれる存在が居る安心感より、そこに自分を自分で無くしてしまう存在が有る不安感の方がずっと強かった。・・・尤も、今では常にお前が空に輝いてくれてもいい。そう思っているのだがな。


 しかしながら、この暗さでは、仁枝にとっては私の表情を確認するのも、やや離れた位置に立っている夕衣の姿を確認することも難しいのは間違いない。私がどれだけ仁枝のことを大切に想っているか、表情で伝えることが困難だと思ったからこそ、こうやって抱きしめることで、直接体温を与えることで伝わるはずだと考えたのだ。

 ・・・11月終りの冷たい空気に晒された身体と、血の気を失いかけた肌の冷たさが、私の体を媒体として心の中に直接流れ込んでくる。

「・・・慧音先生の体、とってもあったかいです」

 私の腕の中で、優しく微笑みながら穏やかに囁く仁枝。急に込み上げてきた愛おしさは、ずっと夕衣に感じてきたそれ以上のものだったかもしれない。頬に頬を合わせてそれを表現した。


 暫くして、そんな私達をただじっと見つめているだけだった夕衣が、ゆっくりと側に寄って来る。地面とお尻が接触している私よりやや高い程度の視線。

 ・・・夕衣ってこんなにも小さかったのだな。

 見下ろしてくる彼女に対して、私は正直にそう感じた。


 夕衣は私のことを一瞥すると、仁枝の方を見た。仁枝もその視線に気付き夕衣と顔を合わせる。

「仁枝、どうして二度も私のところに来てくれたの?」

 夕衣が仁枝に問いかける。

 確かに、私の記憶に間違いがなければ、夕衣は別れ際に家に帰ると言っていた。それが、どうしてまた夕衣の家の前まで来たのか・・・彼女の性格を考えるとなんとなく想像はついた。

「・・・ごめんなさい。やっぱり夕衣ちゃんのことが気になって」

 友達のことを心から大切に想う。そんな仁枝らしい回答だと私は思った。そう言えば、夕衣と仁枝の家は同じ方角にあったはずだ。

 ・・・迂闊だった。

「仁枝は、気付いていたんだね。私が里の皆を襲っていたことに」

「何となくだけど・・・だって、近頃の夕衣ちゃんは明らかにおかしかったから」

 結局、何も気付いていなかったのは私だけだったと言うことか。

「・・・私のことが怖くなかった?」

 どこかで聞いたような質問だった。


 ・・・数秒間をおいて仁枝は口を開いた。

「怖く無かったよ。・・・だって、私は夕衣ちゃんの友達だもん。本当のホントの友達だもん。危なくなったら逃げ出したり、いざというときに裏切ったり・・・そんな形だけの関係は絶対嫌だから。そんなの友達って言わない!・・・だから、夕衣ちゃんには伝えておきたかった。・・・例えどんなことがあっても私は夕衣ちゃんの友達だって」

 仁枝は私と同じだった。どんな状況に陥っても、絶対に夕衣の味方でいてくれる存在。自分のことよりも、夕衣のことを大切に想ったからこそ彼女は今ここに居る。私と決定的に違ったのはただ一つ、自分の理想に囚われることなく、真実を真実として受け入れる勇気。

 いつも少し控え目な仁枝だが、私よりもずっと勇敢だった。

「夕衣ちゃん・・・私達友達だよね」

 仁枝が聞くと、夕衣は小声で「うん」と言いながら小さく頷いた。妖気が強張り、体が小刻みに震えているのが分かった。悔しかったのだろう、自分のことをこんなにも想っている仁枝を傷付けてしまったことが。腹立たしかったのだろう、力を抑えきれず大切な友達を傷付けてしまった自分自身が。

 その場で必死に耐える夕衣を見ていると、胸が苦しくなってきた。

「よかった・・・ごめんね夕衣ちゃん。私が・・・私がしつこく夕衣ちゃんのところに訪ねてこなければ、夕衣ちゃんも私を傷付けなくてすんだのに」

 確か仁枝は言っていた。一度目に夕衣を訪ねたとき、半ば追い出されるように出てきてしまったと。それがどうしてなのか、仁枝にはすぐに分かったのだろうな。

 ・・・今なら、仁枝のことを追い出そうとした夕衣の気持ちが、私にも痛いほど分かった。

「本当にごめんね・・・辛かったよね、友達に怪我をさせちゃうのって・・・ごめんね」

 仁枝は私の腕に抱かれたままの体勢で、二度三度夕衣に「ごめんなさい」と謝った。

 仁枝は悪くない、悪いのは私だ。そう言おうとしたが、彼女が本当に申し訳なさそうに謝る表情を見て、口をつぐんだ。

 おかしな話だった。仁枝は夕衣に襲われる可能性を半ば覚悟していた。それでも彼女は夕衣の側に行くことを選んだはずなのに・・・その予測された結果になってしまった今、私の腕の中に居る少女は、今にも泣き出しそうな顔で友達に謝罪している。あまりにも矛盾した行動。お互いが傷付く結果になるかもしれないのなら、初めからやらなければよい。しかし、恐らく仁枝は、後で後悔するかもしれないと分かっていても、何かせずにはいられなかったのだ。驚くくらい純粋で真っ直ぐ。何の穢れも邪さもない、純真無垢な感情。それが生み出す、あまりに無計画な行動。・・・でも、それが子供の特権。

 ・・・いや、ただ単に大人が忘れてしまったことか。

 失敗を重ねる度に次第に臆病になっていく。私も同じだったのかもしれない。

「・・・私、仁枝を殺してしまったらどうしようって、自分じゃどうすることも出来ない体に、ずっと心から叫び続けてた。・・・仁枝を傷付けるのは、死ぬほど辛かったよ」

 死ぬほど辛かった。そう言った夕衣の声は震えていた。仁枝はそれを聞くと唇をグッと噛んで瞳を閉じた。

「でも・・・嬉しかった。・・・本当に・・・仁枝が来てくれたことが、すごく嬉しかった。・・・ほ、本当に・・・嬉しかったんだから・・・う、う~・・・嬉しかったよぉ~」

 夕衣は目一杯の声で泣きながら言った。何度も言葉に詰まりながらも「嬉しかった」と繰り返す。それは、疑いようのない夕衣の本音だった。地面に横になりながら私に上半身を預けていた仁枝は、それを聞くと私の手を弱々しくもしっかりと握り、私にしか聞こえないくらい小さな声で「よかった」と囁いた。


「ありがとう」

 私は、仁枝に礼を言った。

「えっ?・・・慧音先生、今誰にお礼を言ったんですか?」

 純粋すぎる涙目で見つめてくる仁枝。少し気恥ずかしくなった私は、笑顔を返すことでそれをはぐらしてみせた。


 夕衣のことを支えてくれてありがとう。


 ・・・仁枝はそんな私に対して頻りに首をかしげるのだった。



「ひ・・・仁枝っ!う、うわーー!ば、化物だー!」

 場に突然子供の叫び声が響き渡る。夕衣の家は里の外れにあるので、夜は人通りがほとんどないはずだが、偶然にも誰かに目撃されてしまったようだ。

 ん?と言うよりも今の声は。

「ひ、仁枝・・・いやぁー」

「馬鹿っ!近づくな小百合・・・相手は妖怪だぞ」

 偶然通りかかったのは、クラスの筆頭問題児である琢磨と小百合だった。・・・いや訂正、偶然のはずがないな。日も完全に沈んだ今の時間帯に、子供が二人でこんな里の外れを歩いていること自体不自然だ。秘密の夜のデートをしているのでなければ、夕衣に会いに来たに決まっている。恐らく仁枝と同様、夕衣のことが心配だったのだろう。

 ・・・本当に、私の教え子達はいい子ばかりで世話が掛かる。私も人のことは言えないのだがな。

 声がした方を向くと、提灯の明かりに照らされた二人が、怯えた表情で私の方を見ていた。

 ああそうか、この状況で化物と言ったら、それは私のことになるのか。

 大怪我を負って倒れている友達と、その友達を襲ったおぞましい妖怪。今の二人には、現状がそう映っているに違いない。二人はまだ私のハクタク時の姿を知らないので無理もないことだった。夕衣も居るが、二人との位置関係、更に仁枝が持ってきた今にも消えそうな提灯の明りが照らす範囲から死角になっている可能性が高い。何より、私の姿と仁枝の姿のインパクトが強すぎて、元々目に入っていないと言うことも考えられる。

「琢磨っ!とにかく皆を・・・大人の人をよんで来なくちゃ!」

「そっ!そうだな。待ってろよ仁枝!」

 そう言うと、二人は踵を返して、一目散に民家が建ち並ぶ方向へ二手に分かれて走って行った。

「あっ!琢磨、小百合!ちょっとまっ・・・」

 どうしようかと考えているうちにまたしても出遅れた私。別々に別れて走って行った二人を追いかけて事情を話すのは難しい。そもそも、仁枝を襲ったと思いこまれている私が追って来て、二人が冷静に話を聞いてくれるとも限らない。そして、必要以上に二人のことを怖がらせたくなかった。だから、もう少ししたら里の住人が武器を携えてここに押し寄せてくる。それも、もはや仕方のないことだった。


 私は、別に構わない。説明したら皆分かってくれるはずだ。仁枝も医者の元でしっかりと手当を受けることが出来る。私にとっても、今はそれが最優先事項だと思えた。


 ・・・でも。


 私は夕衣を見る。夕衣も私の方をじっと見ていた。さっきまで泣いていた彼女は、腕で目元をごしごしと拭って涙を飛散させると、また泣きそうな不自然な笑顔を無理矢理作り・・・。

「慧音先生・・・今までありがとう」

 私にお礼を言った。また滲んで来た涙を瞳から溢れさせまいと、必死で堪えながら。

「ゆいっ!」

 思わず彼女の名前を叫ぶ。しかし、その時にはもう彼女は走り出していた。脱兎の如く、常人では決して追い付けないほどの速さで。妖怪たちが住まう夜の森へ。

 私は腕の中に居る傷だらけの仁枝を見る。

「何してるんですか慧音先生!早く夕衣ちゃんを追ってくださいっ!うぅ・・・ゴホンッ!ゴホンッ・・・」

 仁枝が、今出せる精一杯の声で私を促す。

「しかしっ!」

 苦しそうに咳き込む仁枝をこのままにして、夕衣のことを追いかけるべきかどうか、私は決めかねている。どうするべきなのか、どうすることが一番正しいのか分からない。

 だから仁枝!・・・もっと私を催促してくれ。

「何で躊躇っているんですか!私は大丈夫です。もうすぐ琢磨君達が人を呼んで来てくれますし、二人には慧音先生のことも話しておきます。それより今ここで追わなければ、もう二度と夕衣ちゃんに会えなくなってしまうかもしれないんですよ。お別れの言葉さえ言うことが出来ないまま。慧音先生はそれでいいんですか?一杯話ししたいことだってあるんじゃないですか?きっと、夕衣ちゃんも慧音先生ともっとたくさん話がしたかったはずです。夕衣ちゃんにとって今この場に来てくれて、一番嬉しかったのは私でも、琢磨君でも小百合ちゃんでもなくて慧音先生なんです。私よりもずっと長い時間夕衣ちゃんと付き合って来て、そんなことも分からないんですかっ!」

 ここに来る前、広場で仁枝が言っていた言葉を思い出す。私がここに来る切っ掛けになった言葉。

「私よりも慧音先生がお見舞いに行った方が夕衣ちゃんはすごく喜んだんじゃないかな」

 ・・・仁枝は、そこまで考えて。

 何て・・・何て愛おしい子供達なのだろう。

「仁枝、すまないっ」

 私は、すぐさま仁枝を優しく地面に寝かして立ち上がる。そして何も考えずに駈け出した。

 さっきまでここに居た夕衣の妖気がまだ微かに残留し、満月の明かりに照らされたそれが光り輝く道を作る。

 きっとこれなら大丈夫。迷わずに夕衣の元まで行ける。


 空を飛ぶよりも更に速い速度で、私は森の中へと駆けて行った。

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