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東方連小話  作者: 北見哲平
上白沢慧音 〜 満月の輝く下で
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上白沢慧音 - その5

 11月も終わりに近づいた頃、里では大きな問題が発生していた。里の住人が、夜中に妖怪に襲われていると言うのだ。しかもここ数日で5件の被害が出ている。皆、大した怪我ではないらしいのだが、ここ暫く妖怪とのいざこざが無かったことと、連続して発生していることにより、現在では里の住人皆が知る話へと進展していた。

 そして被害者は皆、口をそろえて言う。自分を襲った妖怪は幼い少女だったと。・・・そして、夕衣に似ていたと。彼女が100年生きてきた人妖のハーフだと言うことは皆が周知の事実。徐々にではあるがこの里での夕衣に対する風当たりが強くなっていくのが分かった。見た目がまだ子供だということを考慮しているのか、皆夕衣の前ではいつも通り振る舞ってはいるが、彼女が居ないところでは素直なものである。

 私も、他の先生から「あの子には気を付けた方がいい」とか「彼女の担任は大変ですね」とか色々と言われた。

 馬鹿げていると思う。お前たちに、夕衣の何が分かる。この里で彼女と最も長く、親しく付き合ってきたのは私だ。

 夕衣が犯人のわけがない。夕衣が人間を襲うはずがない。

 そもそも、夕衣はこの里で100年間何事もなく過ごしてきた。それは、彼女のことを皆が認めてくれていたという意味ではなかったのか。里の一員として、仲間として。人間と言うのは、こんなことでその意識が薄れてしまうものなのか。

 私の愛している人間は、そこまで薄情な生き物だったというのか?

 私は、どんなことがあっても夕衣のことを疑ったりはしない。すぐに犯人を退治して、無実を証明するつもりだ。

 ただ勘違いしないでほしい。私は、別に人間に失望したわけではない。彼らは学ぶことができる種族だ。一度目は夕衣を疑ってしまったが、次に同じことがあった時は彼女を信じてくれる。私は、この里で人間と共に、人間の成長を見守って来た。文化も・・・心も。だから、ここは出来るだけ前向きに考えることにしよう。これは、人間が成長する大きな機会なのだと。

 必要であるのなら、その経験を決して忘れないように、歴史書に綴ろう。

 私にはそれが出来るのだからな。


 因みに、数日前から私は夜の見回りを始めることにしたのだが、残念ながらまだ成果は上がっていない。人間時の私は、夜目が利く方ではないのだ。提灯を片手に、決して狭くはない里を歩いて巡回しても、目的を達成するのは難しいと言うことは初めから分かっていた。

 しかし、ハクタクの姿となれば話は別だ。妖怪の姿になるとやたらと夜目が利く上に、妖力もより敏感に感知することが出来る。人間の時には叶わなかった、空からの巡回が可能だ。歩くと広く感じる里が、空を飛ぶと急に狭く感じるようになる。

 夕衣・・・明日までの辛抱だからな。


 明日訪れる満月の夜を境に、夕衣にとっても私にとっても以前より幸せな時間が戻ってくる。この時の私は、まだそれを信じて疑わなかった。




「夕衣・・・最近の授業は楽しいか?」

 いつも通り、皆が帰った教室にただ二人残る私、そして夕衣。

「うん。とても楽しいよ。20年も通い続けてたら、流石に算数の授業とかは内容がかぶっちゃって、それ前にもやったよって感じになっちゃうんだけど。体育の授業は皆と思いっきり遊べるから大好きなんだ。あ、でも慧音先生の歴史の授業が一番好きだよ。慧音先生は凄いよ。だって、私20年間慧音先生の歴史の授業を受けてきたけど、いつも知らない歴史の勉強を教えてくれるんだもん。あ・・・勿論、大切な歴史については何度か聞いたけどね。私だけの為に授業を行ってるわけじゃないんだから当然なんだけど」

 夕衣は本当に楽しそうに話す。子供らしい無垢な笑顔で私に応えてくれる。

 こんなにもいい子が、夜な夜な人間を襲うはずがない。

「幻想郷の歴史と言うのは、とても膨大なものだからな。授業のネタには困らないんだ」

「慧音先生は、そんな膨大な歴史を纏めるお仕事をしているんだよね。・・・本当にすごいよ」

「ハクタクになれば、嫌でも幻想郷中の歴史の知識が流れ込んでくるのだから、大してすごい話でもないのだがな」

「ハクタクって、変身慧音先生ですよね。そう言えば私、見たことがないかも。慧音先生とは長い付き合いなのにおかしいね」

 夕衣が、私のハクタク姿を見たことが無いのも仕方ない話である。私は、出来るものならあの姿を、里の住人にあまり見せたくは無いのだ。あんなにもおぞましい怪物の姿・・・出来れば誰にも見られたくない。

「ハクタクになった時は、基本的にずっと家に籠って歴史の編纂作業だからな。時々気分転換に外を歩いたりするのだが、誰かに出会うと、大抵大声を上げて逃げ出していくよ」

「え、どうして?」

「ハクタクは怪物だからな・・・仕方がないさ、この里で、ハクタクになっている私の姿を知っている者すらほとんどいないのだから。・・・突然、角と尻尾が生えた化け物が現れたら、誰だって逃げるだろう」

「・・・そうかなぁ。見た目が違っても中身は慧音先生なんだよね。・・・私は絶対に逃げたりしないよ」

「ありがとう夕衣。でも、夕衣と私は特に仲良しだからな。普段あまり会わない人は、なかなか夕衣みたいにはいかないものだ」

 私がそう言うと、夕衣はう~んと少し考えてから、しっかりとした瞳で私を見つめながら言った。

「でも、それって多分、慧音先生にも問題があるんだよ。きっと慧音先生の中に、ハクタクになった時の姿を皆に見られたくないって思いがあるから・・・だから、皆突然見たら驚いて逃げちゃうんだよ。確かに慧音先生は半獣人かもしれないけど、この里には慧音先生を嫌っている人なんて一人もいないんだから。・・・以前、ハクタク姿の慧音先生から逃げた人に会ったことがあるよ。その人、後で自分が出会ったのが慧音先生だと知って、とても落ち込んでたよ。悪いことをした、後で謝りに行こうとも言ってた」

 それなら、何度か経験がある。そんな時、私は相手を一切責めたりはしない。

 逆にお礼を言う。

 私のことを、認めてくれてありがとう。

「だからさ、慧音先生も満月の日はこそこそ隠れながら変身するんじゃなくて、堂々と里の広場の真ん中とかで変身すればいいんだよ。スーパー慧音先生にね」

 夕衣の言ったことは全て正しかった。正しいと思った。

 私にとってみれば、まだまだ子供な夕衣。でも、彼女は私にはっきりとものを言う。私が間違っていると思うことがあれば、それを的確に指摘する。そして、私を良き方向に導いてくれようとする。

 私は、夕衣のそんなところも好きだ。

「・・・そうだな。夕衣の言う通りだ。でも、私は別に、誰かにハクタクの姿を見られると、人間に嫌われるかもしれないなんてことはこれっぽっちも思っていない。ただ、なんとなく避けていただけかもしれない・・・里の広場で満月を見る、か・・・今度試してみるか。大怪獣慧音の襲来!って感じでな」

「あはは・・・。何それぇ。大怪獣って、慧音先生巨大化でもするの?」

「あっ、それもそうだな・・・大怪獣は言いすぎだな。フフフ・・・」

 二人して笑う。


 ・・・そうだ、夕衣が人間を襲うわけがないのだ。



「それにしても、ハクタクの力ってすごいよね。幻想郷中の歴史が分かるなんて、スーパー慧音先生って言うより、ミラクル慧音先生って感じだよ」

「どこが違うのか、私にはいまいちよく分からないのだがな」

「うんっ、実は私にも全然分からないんだ」

 ・・・なんだよそれ?

「例えばさ、慧音先生だったら私の生まれた時のこととかも分かるのかな?・・・あっ、そんな歴史にもならない小さな出来事は、流石に分からないよね」

 誰かの記憶に残ることが歴史の定義・・・すなわち、

「いや、そんなことはないと思うぞ。人間の里で人妖のハーフが誕生するなんて、そう滅多にあることではないからな。歴史書に乗るかどうかは分からないが、この里の歴史としては十分だと思う。どうだろう、稗田家が発刊している幻想郷縁起には、夕衣の記述があるかもしれない。最近、幻想郷縁起もガラッと内容が変わってきているからな。・・・何だ?夕衣は自分が生まれた時のことを知りたいのか」

「えっ、あ、うーん。どうかな・・・私、よく覚えていないんだ、その頃のこと・・・」

 その頃・・・つまり、夕衣は父親がこの里から追い出された時の事も覚えていないと言うことなのか。もしかしたら、母親が亡くなった時のことも覚えていないのかも知れない。

 まあ私も覚えていないので、今の時点で詳しいことは分からないのだが。いくら、長い時間を生きると言っても、100年前のこととなると、どうしても記憶がかすれてしまうものなのだろうか。

 ・・・いや、私は例え1000年前の出来事だって記憶に鮮明に残っている。それに、まだ生まれて間もなかった夕衣と、私の記憶を比べるのは少し違うような気がする。

 記憶に無い・・・本当にそれだけなのだろうか?

「そうか・・・でも、昔の想い出と言うのは、必ずしも良いことばかりではないかもしれないぞ」

 良いことばかりではない・・・私はなぜこんなことを言ったのか。

 夕衣が生まれてきてくれたことは、私にとってこれ以上ない幸運な出来事だったはずなのに・・・。

「うんっ、分かってるよ」

 夕衣は、少し寂しそうな表情で頷いた。



「慧音先生、それじゃあ私、そろそろ帰るね」

 夕衣は自分の机まで行き荷物をまとめ始めた。

「そうか、いつも私の話し相手になってもらってすまないな」

 私がそう言うと、彼女は首を軽く横に振って答えた。

「ううん、私も慧音先生と話をするの大好きだから。それに、慧音先生とお話しがしたくて、みんなが帰っても教室に残っているのは私の意志だから。私の方こそごめんなさい。慧音先生、お仕事もあると思うのに・・・」

 夕衣は少し申し訳なさそうに頭を下げる。確かに彼女の言う通り、皆が帰ってからやらなければならない先生としての仕事もある。しかし、夕衣と二人で過ごす時間があるのならばそんなことは二の次にしても私としては全く差支えは無い。先生としてはどうかと思うが、もともと私はそれほど立派な先生ではない。

 子供達には人気が無いし、授業は難解でつまらないと評判だし、頭突きが度を越して子供達に恐れられているし・・・そして、何より子供達からあまり信頼されていない様な気がする。・・・ただ一人、夕衣を除いては。

 子供達には愛情を自分なりに注いでいるつもりなのだが、どうも空回りしている感がある。・・・やはり、頭突きはやめた方がいいのだろうか。

「それならば、教室に残った夕衣と話をしたいと思うのも、私の意志ということだな。お互いが今の状況を望んでいるのだから、どっちが悪いなんてことも一切無いっていうのでどうだ?」

「うん。・・・だったら、私は慧音先生とずっとここで一緒に居たいな。・・・悩みや、嫌なことも全部忘れられる。この空間に、大好きな慧音先生とずっと一緒に居られるのなら、妖怪の寿命なんて別にいらない」

 夕衣はさっきよりも一段と寂しそうな顔をして言う。これまでにはあまり見たことがない表情だった。

 悩み・・・。いつも元気な夕衣が、こんなにも寂しそうな表情をするほどの悩みなんて、一つしか思い浮かばなかった。夕衣は、今回のことで予想以上に傷付いている。それはそうだ、今まで何事もなく人間と共生して来た彼女にとって、初めて人間との間に生じたわだかまり。人間と妖怪・・・そして、最も微妙な立場にあると言ってもよい人妖のハーフ。そんな立場の夕衣が選んだのは、人間と生きていくことだった。

 だからこそ、今の状況で夕衣は悩んでいる。・・・私と一緒に居られるのなら、妖怪の寿命なんていらない。そんな弱気なことは言ってほしくない。

 私は妖怪の寿命で今まで生きて来たのだ。ずっと夕衣に一緒に居てほしい。

「夕衣っ!」

「なあに、慧音先生?」

 私を真っ直ぐに見据える夕衣。その瞳の青は、いつもと何ら変わらないように思えた。

 ・・・でも、

「私は、夕衣のことを信じているからなっ!」

 私にとって絶対に不変なこと。そして、今改めて伝えたかった言葉。今は不安で仕方が無いかも知れないけど、絶対に一人になることはないから。

 だから私が夕衣の悩みを、不安を消し去るまで、私のことを信じてほしい。

「信じる・・・そうだよね。慧音先生だったらどんな時でも私を信じてくれるよね」

 多くは語らなかったが、夕衣は私が何を言わんとしたか、全てを理解したようだ。ああ、信じてる。私は夕衣を信じているぞ。

「私は慧音先生をずっと見てきて、誰よりも信頼してる。だから、慧音先生の気持ちが私には何となく分かるんだ・・・うん、慧音先生は、例え里全体が私を疑ったとしても最後まで信じてくれる。・・・だから、そんな慧音先生だからこそ・・・私は大好き。・・・大好き・・・なんだ」

 大好きと言う言葉を心の奥底から絞り出すように口にする夕衣。でも、その言葉とは裏腹に、彼女はすごく苦しそうに見えた。


「・・・ありがとう」


 ・・・ありがとう。

 そう言った夕衣の表情に私は釘付けになった。さっきまでの寂しそうな顔とも違う、普段よりも僅かに眉を眉間に寄せて、瞳も半分以上閉じている。私に向けてのありがとうの筈なのに、視線の先は明らかに私の方を向いていなかった。俯き加減で、一瞬低く嗚咽のような声を上げたが、歯を思い切り食いしばることでそれを抑制している。心底辛そうで、心苦しそうな、憂いに満ち満ちた表情。

 ・・・どうして?


「じゃあまたね、慧音先生。バイバイ」

 夕衣は、呆然と立ち尽くす私に対して無理に笑顔を作ると、別れの挨拶を告げた。そして、踵を返し早々と教室の出口の扉の前まで進み、取っ手に手を掛ける。

「ゆ・・・ゆい」

ガラガラガラ・・・バタンッ

 力なく呼び止めた私の声は、夕衣の耳には届かなかった。・・・あるいは、届いていたのかも知れないが、もし彼女が振り返ったとして、今の私は咄嗟にどのような言葉を掛けられたと言うのか?

 夕衣が今の状況を不安に感じるのは無理もない。辛いのも分かっている。

 だから・・・だから私はそんな夕衣を安心させてやりたくて言葉を放ったはずなのに。それは夕衣の心には届かなかったということなのか?それとも、今の場面で笑顔が作れないほど夕衣は追い詰められているということなのか?


 圧倒的に、教室に一人取り残された気持ちになった私は、ここ数千年の記憶を思い返す。頭が少しボーっとして、体にも力が入らない。・・・でも、意外とそんな中でも記憶はしっかり思い出せた。そして、それを数秒前の記憶と照らし合わせる。

 ・・・ほら、1000年前の記憶だってこんなにも鮮明に思い出せるのだ。そんな中で、夕衣が誕生した時のことが思い出せないなんて、そんな筋道がどうしてまかり通ると言うのだ。

「・・・ゆ・・・い」

 すがるような青い瞳。その瞳に薄らとした光。それは、恐らく涙だったのだろう。

 サファイアの様に光り輝く瞳の美しさ。脳裏に焼き付けられたその輝きは、全てが切なさに変換され、私の心を激しく責め立てる。


 ・・・どうしてだ夕衣。私は本当に夕衣のことを信じているのだぞ。


「ありがとう」

 数秒前のことをもう一度思い出す。


 こんなにも寂しい「ありがとう」を、私は知らなかった。

 その事実が、確実に私の胸を貫いている。・・・痛い。どんな弾幕に被弾した時よりもはるかに痛かった。

 泣くな私・・・ここで私が泣いてどうする。今私に出来ることは、一刻も早くこの事件を解決して夕衣を楽にしてあげることだろう。そしてそれが出来るのは、私だけなのだ。


 どんなことがあっても、私が守るから。



 毎日毎日、変わらずに夜はやってくる。幸いなことに、それまでに気持ちを落ち着けるだけの時間は十分にあった。今日こそはと意気込んで夜間巡回を行ってみたのだが、結局のところまた不発に終わった。しかし、明日こそは必ず・・・。


 月が最も明るく輝く晩に備えて、私はもう一度心と気持ちを整理することに尽力した。

 その日、夕衣は20年目で初めて寺子屋の授業に出てこなかった。

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