ホンマかいな?
IT技術が発展すると、想像していた以上に便利になると…想定外のことも起こるわけで。
人は、動物が何か意味のありそうに振る舞うのを見て、感情があるように思い込んだりする。
母猫が子を構う仕草や、添い寝をする姿から母性本能を見出したり、その鳴き方から言葉をかけているように錯覚もする。
「ウチの子は、好きな食べ物には美味しい美味しいって言って食べるのよ。」なんて言ったりもする。
その行動や動作に、自我の願望や希望を投影して擬人化するらしい。
「人は見たいものを見る。」いや、もはや見たいものしか見ないのかも知れない。そして、思い込んだら妄想もまた事実になってしまう。
こうあればいいなという希望や妄想は、膨らみ続ける。何でもかんでも人と同じに扱うという事自体が、名前に人の名前をつけたり、自分をママという事に象徴される。そんな様子を見ていると、そんな事こそ、最も人間らしい所作なんじゃないかと思えてくる。
この間なんて、帽子をかぶって靴まで履いてる子猫がいたから驚きだ。
勝手といえば勝手な妄想で、最近では猫の鳴き声から、その猫が何を考え何を望んでいるかを知ろうとするアプリまであるんだから、これを文明も呼んで良いのか?と悩んでしまう。
鳴きたいように鳴き、振る舞いたいように振舞っていた昔を懐かしく思い出す。
あの「人猫語翻訳機」をつけられてからはね。
「あらま。お腹が空いたのね?」
「また、ご機嫌ななめでしゅかー?」ってね。
どんな鳴き方をしても、おきまりのパターンに分類されて翻訳されてしまう。
こちとらそんなこんだで、お腹が空いた時の鳴き方を忘れてしまって、餌のタイミングに当たった試しがないなんて、笑えなくなってしまった。
なんかね、ほんとに近頃は生きにくくなったもんだなあ。
電話帳機能や、漢字変換で記憶力が衰えたのか?覚える必要の無いものにはメモリを割かなくなったのは進化か?と思ってしまいますね。