器。泥水
器。
器の中には清水と泥水が流れ落ちる。
しかし、いつからだろう、器に流れるのはほとんどが泥水になった。
何もなくても泥水は注がれ続ける。器が不快を得ると、さらに泥水の量は多くなる。
もう器の容量を満たしていても関係ない。泥水は注がれ続け、こぼれた泥水は器の外側を伝い落ち、器の側面と床を汚す。
まれに、清水が注がれることがある。
器は嬉々として清水を迎え入れる。やっと手に入った綺麗な水だ。
だが、器に入った清水が清水でいられる時間は短い。
とあるたとえで、グラス一杯のワインに一滴泥水を注いだら、それはもう泥水、というようなものがある。
グラス一杯用意したワインに、たった一滴の泥水でも、ワインがダメになるのなら。
器一杯どころか周りに溢れこぼれている量の泥水相手に、少量の清水が入って何になる。一瞬清水だったものはただの泥水のかさましにしかならない。
清水は、もう。器の中身も、周りにまみれている分も、全ての泥水を押し流すほど、そして空いた器を満たすほど。
大量に、一気に流れてこなければ、もう清水として何の意味もない。
器も、わかっている。そんなに清水が流れてくるわけがない。今までどれだけ注がれ、溢れ、こぼれて、器を中身から汚し、外側を汚し、周りにまき散らしたというのか。それを超える量の清水など、何が起これば得られるのだろう。
望まない。望みたいが、そんなあり得ないことが起こるかもしれないなどと思わない。
なら。だったら、せめて。
誰か、この器を壊してくれ。
もう終わりにさせてくれ。
中学生の黒歴史みたいなものをわざわざ読んでいただいて、お疲れ様でした。
ありがとうございます。